2014年6月29日日曜日

神(宇宙)を信頼しきる

前回の記事「わかった」を公開するのは、けっこう勇気がいったのですが、それなりの反響があり、公開して良かったと思っています。

自分でもびっくりの不思議体験だったのですが、その体験はプラスに働いていて、その後も今までの思考では考えつかなったような、いろんなインスピレーションが日常の中でふっ湧き上がってきたりします。

また、あの体験後の瞑想は、かなり深く深く瞑想状態に入れるようになりました。

瞑想後には、今までにないような、安心感とか幸せ感が沸き起こってきます。

そして、今まで不安に思っていたことも、不安でなくなってきました。

きっと僕は、神さまと宇宙を信頼していると言いながら、それでもやっぱり不安が沸き起こる時がありました。

でも、それって、結局は最後のところで神さまと宇宙と自分の真我を信頼していなかったんだ… ということに気がつくことが出来ました。

この〝神(宇宙)を信頼しきる〟というのは結構大きなポイントだと思います。

僕たち、特にスピリチュアルに興味がある人や目覚めた人であれば、神様を信じていたり、サムシンググレートとか宇宙の根源とか、大いなる意識のようなものを実在を信じていると思います。

また、「引き寄せの法則」、「原因と結果の法則」のような宇宙の法則も信じていると思います。

僕もそういったものを信じています。

そういったものを信頼しているので、僕は僕の人生とか生き死にに関しても、信頼してお任せしている部分がありました。

でも、やっぱり時々エゴが出てきて、将来の不安とかを心配する瞬間があります。

その不安とずっと一体化するということはないのですが、それでもそういった思いが出てくるのは、やっぱり最後のところで神を、宇宙を信頼しきれていなかったんだな… ということに気がつくことができました。

こういう気付きが起こったのは、あの不思議現象の後です。

引き寄せの法則でも願望が成就するかしないかは、この〝信頼〟がポイントになってきます。

例えばマイホームが欲しいと思っていて、それを引き寄せる時に、一点の疑いもなくマイホームが手に入るんだと信じきっていて、なおかつその思いを手放し宇宙を信頼しきっていたら、その思いは成就します。

でも、深層意識とか心のどこかに、マイホームなんて無理… とか、ローンが払っていけるかな… とかの打ち消す意識が同時にあった場合には、たいていはマイナスの思いとか波動のほうが強いので、結局マイホームは手に入りません。

これは、引き寄せの法則が発動しなかった… と思いがちですが、実はそうではなくて、引寄せの法則はちゃんと正確に発動しているのです。

マイホームは無理… という思いが一番波動が強かったので、宇宙はその願望(不安)をちゃんと実現してくれたというわけです。


僕は、もう一度、宇宙を、神さまを、真我を信じ切ろうと思います。

そこを本当に信じ切れた人には、もう不安や心配や苦悩というものは存在しなくなります。

それこそが悟りです。

この時のポイントとしては、
自分の外の神や宇宙に祈るのは、あまりよくありません。

なぜなら、外部に救いを求めるということは、自分は無力である… と宇宙に宣言しているようなものだからです。

そうではなくて、自分の中の神を信じることが大切です。

これって本当に不思議な話ですが、
僕たちは、この宇宙の中の地球という星に、◯◯という名前をもって生まれてきた1人の存在だと思っています。
それぞれが分離した存在だと思っています。(私は私、あなたはあなた、と)

でも、そうではないんです。

最初に私(あなた)の意識があって、その意識が私(あなた)の宇宙を想像しているのです。

この宇宙の主は〝あなた〟なのです。

あなたはこの宇宙を想像した、まさにマスターなのです。

あなたが作った宇宙なのですから、その宇宙のマスターであるあなたに、この宇宙の中で実現できないことは何一つありません。

そういった視点から、宇宙を神を自分の真我を信頼しきることがまさに悟りで、そこまでいけば無敵の境地、ワンネスそのものです。


PS
不思議体験以降、瞑想中に、今日書いたようなことをふっと思いついて、それが理解できるようになってきました。

今日書いた内容は、スピ系の本ではよく書かれている内容です。

ただ、以前の僕は、そういった内容を読んで「そうなのかな…」とは思うのですが、そういう体験もないし、理解しきることはできませんでした。

それが、ここ数日はすっと理解できるようになってきました。

1人1人にそれぞれの宇宙があり、その人の宇宙の中に存在するものは、すべてその人が想像したものであることがわかりました。

ですが、同時に私の宇宙とあなたの宇宙も重なりあって存在している部分もあります。

なんだか宇宙って、本当に面白くて不思議だと思います。


PS2
いろんな理解が深まってスッキリしてきました。
宇宙をより信頼できるようになりました。
でも、物事は一朝一夕にはいかなくて、やっぱりそれでもエゴはあるし、
全ての不安が消えてなくなったわけではありません…(^_^;)

でも、それでいいんです。

あるがままでいいし、物事はその時が来れば起こります。

今日も仕事をして、ブログを書いて、菜園をいじって、ランニングをして、瞑想をして、家族と笑って、宇宙と全ての人に感謝しながら、普通に生きていこうと思います。


編集後記(日記)

人生初のフルマラソンに挑戦するべく、ランニングをしています。

昨日は高校生の時以来になりますが、10キロ以上を走りました。
(くわしくは僕のランニング日記「ランナーズ・ハイ」の【激走の後に…】をご覧ください)

10キロ走るのはしんどいんですが、それ以上に喜びがありました。

ランニングって瞑想そのものだな!

という確信を持つことができました。

そのことについては、またこのブログで書きたいと思います。


おすすめの本(今読んでいる本)

リズ・ブルボーさんの「からだの声をききなさい」を現在読んでいます。


この本は全くのノーマークだったし、著者のことも全然知らなかったんですが、図書館でふっと目に入って、パッと開いたページに、僕が最近ずっと思っていたこがズバッと書いてあったので、「そうそう!」と我が意を得た思いがして、すぐに借りました。

で、最初の3章ほどを読んだのですが、タイトルとは裏腹に、スゴイことが書いています。

スゴイことといっても目新しいことではないのですが、宇宙の本質・真実がすごくわかりやすく書かれています。

あまりおもしろいから、奧さんにも勧めたところ、激ハマリしてしまい、奧さんがずっと読んでいるので、僕はまだ途中までしか読めてません…

僕があまりにも本を買いすぎて、本の置き場がないので、「もう本は買わないで…」と言っていた奧さんも「この本は買おう!」と言っているぐらいです。

なので購入しようと、AMAZONで調べたんですが、僕が読んだのは2005年出版のものなのですが、最近新装版が出版されて、全面的なリライトと最終章が追加されたみたいなので、余計に楽しみです。

AMAZONのレビューでも、「スピリチュアル・ブックの最高峰!」と絶賛されています。

【増補改訂版】〈からだ〉の声を聞きなさい―あなたの中のスピリチュアルな友人

おもしろい本ってまだまだ世の中にたくさんあるんですね^^



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2014年6月25日水曜日

わかった

今日はちょっと変なお話です…
覚悟して読んでください…
(^_^;)


今、この文章を2014年6月24日の早朝4時43分に書いてます。

少し興奮している面もありますが、まあ冷静です…(^_^;)

僕はたいてい、ブログの記事は日中か夜にしか書かないんですが、今日は特別です。

自分が見たもの感じたものを忘れる前にしっかり記録しなきゃ… と今は思っています。

なぜなら、僕はわかってしまっちゃったからです…(滝汗)

こういうことってちょっと書きにくいし、奥ゆかしいタイプ(自分で言うな!)の僕としては、正直はばかれます…

というのも、スピ系にも本当にピンからキリまであって、書籍にしても、ブログにしても、「私は悟りました! 宇宙の真実を全部知ってます!」みたいなのには、正直ひいてしまうからです…(もちろん本物の人もたくさんいます。そして本物と偽物を見分けるのも簡単です)

わかってしまった人たち、それはエックハルトトールさんであったり、ラマナ・マハリシさんであったり、阿部敏郎さんであったり、雲黒斎さんであったり、ガンガジさんであったり、アジャシャンティさんであったり…

僕は、これらの人が好きだし、本の内容も信用しています。

ただ、この人たちに共通しているのは、全員がわかちゃっている、つまり覚醒体験を経て悟っている… ということです。

そこに僕は超えられない壁のようなものを感じていた時期がありました。

覚醒体験、見性体験なしに悟ることは出来ないのか… と思っていた時期もありました。


そして、僕はこう思ったのです、覚醒体験とか見性体験とかなくても、悟りは開けるし、そもそも僕たちは悟っているんだよ… というスタンス、つまり普通の人間として、時に悩み、時に喜び… 失敗も後悔も全部含めてあるがままでいいんだよ… という境地になったし、そういう世界観をシェアしたいと思っていました。

なので、今日、このブログにこのようなことを書くのは想定外の事なんですが、でも僕にとってはかなりの衝撃体験だったので、そのままを書こうと思います。


夢で僕が見せられたビジョン



6月24日(火)の深夜(未明)、僕はベッドの上で大声で

「わかった〜!!!!」

と叫んでしまいました。

このわかった〜!は、実は夢の中で叫んだ言葉なんですが、それが寝言のように実際に声にでちゃった形です。

僕は深い眠りの中にいて、夢を見ていました。

ぼやっとした部分とはっきりした部分があるのですが、一言でいうと

僕たちが生きている世界には過去も未来もなく、
全ては「今」「ここ」で同時に起こっている

という真実を見ました。


ここで僕はカミングアウトしておきます。

僕はずっと神道を信仰してきました。

かなり深いレベルで神道の世界観や教義にコミットしてきました。

僕の価値観のほとんど全ては神道に基いてました。

で、神道にはいわゆる教えを持たない「神社神道」もありますが、明確な教えをもった「教派神道」というのもあります。

僕がコミットしていたのは教派神道で、僕の神道観では、輪廻転生はアリ! でした。

人間は生まれて死んで、また生まれ… ということを信じていました。

また、死後は天界(天国と霊国)、中有界、地獄界のいずれかに行くと理解していました。

そして、天界つまり天国に復活したものは、二度とこの現界(僕達が肉体をもって生きているこの世界)には生まれてこない。ということも理解していました。

でも、僕は正直、個人的にはこう思っていたのです。

「天国に復活したら二度とこの世界に生まれることが出来ないなんて、ちょっとさみしいな…。現界には現界でしか味わえない楽しみとか喜びもあるやん… それがなくなるのはちょっと嫌だな…」

なんてことを本音では思ってました。

でも、今日の夢の中で僕はビジョンを見て、感じて、この考えは改められました。

今朝の夢を見て僕は、天国に復活したい… もう生まれ変わらなくてもいい…
と思うようになりました。


阿部敏郎さんはブログや書籍の中で何度も「いまここしか存在しない…」とか「全ては同時に起こっている」と書いていますが、僕はそのことは頭では理解できるし、自分の過去のいくつかの不思議体験からも、理解することはできていました。

でも、腹の底から実感レベルでは、理解しきれない部分があったのも事実です。
信じてない… ということではなく、信じているんだけど、それを言い切れるだけの体験が自分にはないので自信をもって断言できない… というような感じです。

でも、今朝わかってしまいました…

これは、「私は悟った!」とか、自慢とかそんなんじゃありません。

ただ、僕が見て感じたことは、こうです。


僕はやっぱり、時間の流れというものをずっと信じていました。

例えば、僕は輪廻転生(生まれ変わり)を信じてますが、それは、過去には僕の過去生があり、また今回の人生で天国に復活できなかったら、またお出直しというということで、生まれ変わって新しい人生を送るんだろうな… と思っていました。

あくまで、

時間軸というものがある世界。

歴史の矢印が左から右に一方向で進んでいくイメージをもっていました。

でも、今朝の夢で見たビジョンで、そうじゃないことがわかりました。

やっぱり物事は全て同時に起こっています。

僕は今の人生以外にも何度か人生を生きてきました。

過去生があり、未来生があると思ってましたが、そういう感じではありません。

例えていうならば、僕の今回の人生が終わったあとに、次に生まれ変わる世界は未来の世界ではなくて、逆に時代をさかのぼって古代ローマの時代に生まれ変わる… ということもありえる、という話です。

これは時代をタイムマシーンのようにさかのぼっているという理由ではなくて、全てのことが同時に起こっているから、このようなこともありえる… ということです。

パラレルワールドのように、僕が生きた世界(過去)、これから生きる世界(未来)、そして僕が今実際に生きている世界(現在)、これらの世界の全てが同時に存在しているという感じです。


そして、僕が一番衝撃を受けたのは、何度も生まれ変わっている自分の姿と行動を見たことでした。

何に衝撃を受けたかというと、
人生が終わるたびに、僕たちの人生は見事なまでにご破算にされているということです。


リセットされる人生


例えば、僕は今回の人生ではけっこういい線をいっているように自分では思っています(自分でいうのもアレですが…(^_^;))。


欝とかいろんなことを体験した末に、ワンネス意識、宇宙意識、悟り… というものに重大な意義を見出すようになりました。

自分の中にある真我、そしてエゴにも気がつくことができました。

もしかしたら、今回の人生で人間を卒業して、光の中に返っていくのかも…

なんてことを思ったりもしていました。


でも、僕の過去生(実際には過去ではなくパラレルの人生ですが)でも、僕はけっこういい線までいっていた時もありました(悟りに近づいていたということ)。
でも、僕はどの人生においても、いいところまでいっても、最後の最後で本当の愛になりきることができなかったために、もう一度生まれ変わるということを繰り返していました。

そして、僕は生まれ変わるたびに、前回の人生で得た知識を全て失ってまた同じような失敗を繰り返していました。

そして、本当に嫌なことですが、僕は今回の人生でも卒業できずに、また失敗して転生する自分の姿も見せられました。

転生して、人生をやり直すにしても、その時に予備知識として、今回の人生で得た「悟り」の知識とかエックハルト・トール先生の教えを知っていたら、ずいぶんと楽に次の人生を送ることができると思います。

でも、生まれ変わった僕には悟りの知識は全くなく、エックハルト・トールのことも知りませんでした(エックハルト・トールが生まれるより前の時代に僕は生まれ変わったので当たり前かもしれませんが…)。

また、ゼロからやり直すのです…

僕は、なんとなく、人生を繰り返すことによって、だんだんと人間が磨かれていく… というイメージがあったので、この全てを忘却してしまう、リセットされてしまう… という事実はかなりショックでした。

そして、夢の中で何度も何度も生まれ変わってきた自分を体験しました。

そしてそのたびに失敗してきた自分、つまり愛をつかみそこねて、何度も同じ過ちを繰り返している自分を体験しました。

これはある種の恐怖でもありました。

例えてみれば、絶対にクリアできないゲームを永遠に繰り返しているような感覚です。

実際にこういう次のようなビジョンも見せられました…

主人公のプレイヤー(僕)はゲーム画面(という人生)の中でマリオのように橫方向にずっとスクロールして進んでいきます。

そのゲームでは敵は出てこないのですが、大小さまざまな落とし穴があります。

主人公はがんばって落とし穴の部分をジャンプしてどんどん進んでいくのですが、かならずどこかで主人公には見えない落とし穴があって、その穴に落ちてゲームオーバーになってしまいます。

今の僕からは、その画面を俯瞰して見ることができるので、全ての落とし穴が見えています。なので、画面の中の主人公に「危ない!」とか「飛んで! ジャンプして!」と叫んで助けようとするのですが、僕の声は画面の主人公には届きません、そして肝心の主人公には落とし穴が見えてないので、必ずどこかで落ちてしまいます。

僕の今までの人生って、絶対にクリアの出来ない無理ゲー、鬼ゲーであることがわかりました。

そして、今回の人生でも落とし穴に入った場合、僕はゲームオーバーで、また人生をやり直すことになります。

今生においては、僕は「悟り」について真剣に考え、良き道を進んでいると思っていましたが、夢の中の僕は、今生においても、エゴとの一体化から離れることが出来ず、どうしても人生の真実をつかむことができません…

真実を掴めそうな時もあるのですが、最後の最後で掴み損ねて失敗します。

そんな自分の姿、ビジョンを見て、体験をして、僕は心底思いました。

もう、終わりにしたい! 卒業したい!

もう、お出直しは嫌だ!

と・・・。


僕が人生ゲームをクリア出来なかった理由


僕が人生を卒業できなかった理由、何度も生まれさせられている理由もわかりました。

その理由はたった一つです。

それは

「愛」そのものになりきれなかった

からです。

もちろん、人生の中では恋をしたり、結婚したり、子供をもったりして、様々な形の愛を持つわけですが、本当の意味で純粋な変わることのない愛になりきれなかった僕がいました。

また、どれだけ人のことを愛していても、自分を100%愛せていないと、それもアウトであることもわかりました。

そういった一連のものを全部見せられて、追体験して、僕は心底わかりました。

そして、大声で「わかった!!!!!」と叫んでしまったのです。

あまりに大きな声だったので、僕は実際にベッドの上で目を覚ましてしまいました。(はっきりと一度起きた自覚があります)


そして、すぐにまた、夢の世界に戻っていきました。

今見たのは何だったんだろう!?!?!?!??!?

という好奇心が残っていたので、素早く夢に戻ったという感じです。

そして、今朝は4時というかなり早い時間に目が覚めてしまいました。

夢は覚えていないことがおおいのですが、今回のはインパクトがありすぎて、はっきりと覚えています。

ただ、覚えていることは、全体のほんの数%であることもわかっています。

もっとディープな体験もしたのですが、それはその時だけの体験で記憶としては残っていません…。

と、ここまで読んで、あなたは
変な話をしているな…(・_・;)
と不審に思っているかもしれません

ですが、ここに書いたことは僕が体験した事実です。

夢だったような気もしますし、半眠半覚醒のような状態だったような気もします。

ただ夢にせよ、覚醒していたにせよ、僕が脳内で勝手に作りだしたストーリーである可能性ももちろんあります。

僕にとっては、今回ビジョンを見せられたことを「見性体験だ!」とか「悟りへの扉が開いた!」とか、そんなふうにも思っていません。

僕が今思っていることは、どのような理由で、どんな仕組みで僕がそのビジョンを見たか… ということについてはどうでもよくて、ただ、僕はそのビジョンを見たことによって、今までずっと疑問に思っていたことが一瞬で氷解したということです。

そして、今生においても愛になりきれずに失敗して、また生まれ変わるという、自分にとっては嫌なビジョンを見せられましたが、それは大きなショックでもあったけど、同時に警告というか、大きな恩寵をいただいたなと思っています。

朝、目覚めた時に、とにかく

「ありがたいな…」

という思いが一番大きくありました。


僕は調子に乗りやすく、いいかげんなところもあるし、自己愛も強い人間です。

ただ決して暴力的な人間ではないし、人を騙したりすることは出来ないし、人には優しく接する、どちらかというと善良な市民… だと思っています。

でも、やっぱりエゴはあります。というか、いろんなエゴが満載です。(^_^;)

そんな僕ですが、今朝見たビジョンによって、僕はまた一つ大きな人生の指針をもらったような気がしています。

僕は僕でしかないし、また人生をやり直すかどうかはわかりません。
でも、また生まれ変わるのだとしたら、それは僕の魂にとって、現界での学びが必要だからそうなるのだろうし、それに抵抗はせず、また人生を生きていこうと思います。

ですが、取り越し苦労も、過ぎ越し苦労も意味はありません(来世や過去生に執着しても意味がない)。

それに全ての人生は同時に起こっているのです。

なので、僕は、これからも人生に感謝して、今目の前にある人生、現実にしっかりコミットしながら、できるだけ〝いまここ〟にフォーカスして、意識を集中して、あるがままに生きていこうと思います。

長文を最後まで読んでいただき本当にありがとうございました
m(_ _)m

あゆむ 拝


編集後記(日記)

この記事は、夢から覚めてすぐに走り書きのようにキーボードを叩いて書いたのですが、やや興奮気味で筆が走りすぎていたため、そのまま公開はせずに、一日ほど寝かせてから、再度校正して書き上げました。

僕にとっては本当にありがたい体験だったのですが、こういう体験を文章にするのは難しいですね…

「ただの夢やん!」

と突っ込まれるだけかもしれませんし…(^_^;)

でも、全ての人生は同時に起こっている。
ということ
そして、肉体をもっていると体感として時間の流れとか、現在・過去・未来という概念はどうしてもあるけど、究極的にはやっぱり「いまここ」しかない
ということが腑に落ちました。

今日の文章を読んでくださった方がどんな感想を持たれるのか、ただ困惑させるだけではいないか… とか、そういう不安というか人間心(エゴ)が出てきますが、僕は宇宙を、そして読者の皆様を^^信頼しているので、ありのままを書かせていただきました。


おすすめ本(いま読んでいる本)

今日は本というか、数日前に勝った「本田圭佑選手の夢ノート」を紹介します。



今朝、サッカー日本代表は残念にもコロンビアに負けて予選リーグで敗退してしまいましたが、僕はこれからも本田選手を、そして日本代表を応援していこうと思います。

本田選手は小学校高学年からずっと毎日「夢ノート」を書いてきたそうですが、そのコンセプトを元に、イオンからの限定販売で「本田圭佑夢ノート」が発売されました。

僕はイオンで買い物中にたまたま見つけて即買したのですが、一昨日からこの夢ノートに夢を記入し、日記を書いてます。

僕の夢ノートには一年後までに達成したい夢をいくつか書きました。

このノートに効果があったかどうか? 夢が実現したかどうか?
については、また、このブログで報告させていただきます。







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2014年6月18日水曜日

なまけ者のさとり方



僕はよく図書館に行きます。

で、今日も行ったんですが、図書館ではまず精神世界と自己啓発とビジネス書のコーナーに直行します。

しょっちゅう行っているので、本棚のラインナップはあまり代わり映えしないのですが、それでも時々、おっ! というような新刊や、今まで誰かに借りられていて、初めてみる古い本に出会ったりします。

今日は本棚に「なまけ者のさとり方」という本がありました。


かなり古い本だし、汚れもひどかったので、この図書館には長年置かれていたんだろうけど、今まで見つけることが出来ませんでした。

が、今日は一瞬で僕の目に飛び込んできました。

実は、この本はスピ系翻訳の大家である山川紘矢さん・亜希子さんの翻訳で、山川紘矢さんの何かの本の中で、『「なまけ者のさとり方」はすごくおすすめ』と書かれていたので、読みたいな… と思っていたのです。

本ってタイミングが大切で、読むべき時がきたら、きっとその本に自然な形で出会えるものだと思います。

今日はそんな風にして、この本に出会い、何か運命のようなものを感じていました(大げさ!)。

で、図書館でパラパラと読んだのですが、これは名作の予感がひしひしとあります…

雰囲気としては「マスターの教え」を読んだ時に近い感覚に襲われました。

薄い本という点も共通しているし、何かよくわからないけど、静かだけどすごい確信をついたことが書かれているという点がよく似ていていると思います。

というわけで、この本の中からちょっと気になった文章を引用しますね。

ちなみに著者のタデウス・ゴラスさん(故人)って、こんな人です。



なまけ者のさとり方の珠玉の文章


私は怠け者です。世間でよく言われているように、さとりを開くためには何年も修業が必要だとか、人一倍の努力や厳しい自己抑制、自己鍛錬をしなければならないというのなら、さとりは私には関係なかったでしょう。そのうえ、食べ物に気をつけなければいけないとか、タバコは身体に悪いからやめろとか、道徳にかなった生活をしなくてはいけないというようなことになれば、なおさらのことです。さとりはこれらのこととはまったく関係がないと、私はこの本でいいたいと思っています。

同感です。
悟るために修業や苦行が必要と思うのは、エゴが思わせていることです。
もちろんさとりへの道は、人それぞれなので、修業や苦行の末にさとりに至る人がいることもあるでしょう。でも、さとりって、誰もがある意味すでに悟っていて、自分の中の神・真我に気付くことだから、外に求めるものでもないし、逆に外に求めることはさとりを遠ざけることになります。
上の文章にあるように、さとりは道徳とか生活習慣とかとは関係なく、誰にでもどんな形でもふっと起こったり、あるいは徐々に起こるものだと思います。


「私たちはみな平等です。そして宇宙とは、私たちのお互い同士の関係です。宇宙はただ1種類の実体からできていて、その一つひとつが生命を持ち、一つひとつが自分の存在の仕方を自分で決めています」
以上のことさえわかれば、だれでもこの本を理解できるのはもちろん、自分で本を書くこともできるでしょう。私のこれからの話はすべて、この最初の文章にもとづいています。


一つひとつの生き物の基本的な営みは、拡張することと収縮することです。広がることと縮むこと、と言ってもよいでしょう。拡張した生き物は「スペース」となって四方に浸透してゆきます。収縮した生き物は濃縮し、「かたまり」になります。私達は個人としてもグループとしても「スペース」「エネルギー」「かたまり」のうちのどれかになって見えます。そしてそれは、私達が自分で選んだ拡張と収縮の割合によって決まってきます。また、その時にどんなバイブレーション(振動数)を私達が出しているかによっても決まってくるのです。それぞれの生き物は自らのバイブレーションを、自分でコントロールしているのです。 
完全に拡張した生き物は「スペース」、つまり空間状態となります。拡張しているとどこにでも浸透できますから、私達は他の拡張している生き物と同じスペースに存在することができます。実際、宇宙にあるすべてのものが一つのスペースになることも可能なのです。 
この広がりを私達は意識の広がり、理解の深化、あるいは魂の広がり等として体験しますが、その体験をどう呼ぶかは、各人の自由です。完全に広がりきった時、私達は完全な意識の拡大、つまり、すべてのものと一体となった感覚を体験します、そのレベルに達すると、他のどんなバイブレーションにも、他の個体のどのような行動にも、まったく抵抗しなくなります。時間を超えた至福感、意識や知覚、感覚の無限の広がりを味わうのです。 
この状態を「スペース」と表現しますが、このスペースは私達のだれもが到達できる体験なのです、ただ、この地上において、その状態を正確に説明することは難しいのです。なぜなら、この感覚は無限だからです。「スペース」と定義した瞬間、それは限界のあるものになってしまうからです、また、次のように説明してもよいのかもしれません。すべてと一体化した魂は、あらゆることを体験することができます。そして、すべてと一体化した魂とは、無限に広がった状態にいる時の私達のことなのです。また、こう理論的に言ってもよいでしょう。神は御自分自身よりも不自由なものは何一つ、お作りになりませんでした。でも、御自分の複製をお作りになれば、その複製を通してこの宇宙を楽しむことがおできになると知っていました。実は、宇宙の全ての存在は、神の思いによって作られた神の複製なのです。

引用がかなり長くなってしまいましたが、この拡張と収縮、「スペース」と「かたまり」という表現は僕にとっては新鮮な表現でしたが、なるほどと理解できました。

日本人の伝統的な神道の教えでも、魂は喜び勇むと大きく拡大し、悲しみ後悔すると小さく縮むと言われています。

僕たちの心は本当はどこまでも自由で愛は無限に拡がっていくものですが、生まれてから大人になるまでの間に、ありとあらゆる恐怖や不安、あるいは裏切りなどにあい、そのトラウマから自分を守るために、心を閉じるようになってしまいます。

誰もが本当は愛そのものなので、愛に基いて行動できればいいのですが、僕たちは根底に人から拒絶されたらどうしよう… というような恐怖があるので、本当の意味で愛に基づいた行動ってなかなか取れません(母親の我が子への愛は純粋なので例外ですが)

優しさっていうのも愛の一つの形ですが、その優しさも実は不安の表れであることもあります。

例えば、その人への本当の愛があれば、時に率直に厳しいことを伝える必要もあります。自分が嫌われてでも相手のことを思いやって苦言を呈するのは本当の優しさですが、たいていの場合は、僕たちはそうしません。

自分のことを優しいと思ってほしいという打算が心のどこかにあって、そして優しい言葉をかけたりします。

優しさ一つとっても、僕たちはなかなか本当の愛に基づけないものです…


話がちょっとズレました…

上の文章の中に、それぞれがバイブレーションをもっていて、そのバイブレーションがそれぞれの世界を作っている… ということが書かれています。

これも真実だと思います。

これは現代では引き寄せの法則とも言われていますが、人間は、自らが望んだものを自動的に引き寄せています。

引き寄せたくないこと、例えば事故とか破産とか失恋とか失業とか病とか、そんなもの引き寄せた覚えはないし、望んでいない! と思えるケースもありますが、そういった場合でも深層心理で破産を恐れていたりすると、実際に破産をしてしまうのです。

僕たちが自覚している意識は表層意識と呼ばれていて、それは本当に氷山の一角に過ぎません。実際には海面の下にその何十倍もの体積をもった氷があるのですが、それが深層意識です。

そして、その深層意識のほうが表層意識よりもはるかに大きなパワーをもっているので、自分で意識していなくても、なんらかの不安や恐れをもっていると、その不安や恐れが形をもって表れてくるのです。

金持ちになりたい! と思って、紙に書いたり、アファメーションをしたとしても、それは表層意識に部分に過ぎません。本音の部分(深層意識)で、「そんなに世の中甘くない…」と思っていると、本当に甘いことは起こらないのです。

深層意識で貧困を恐れていると、本当に貧乏になっていくのです。

それがいいことであれ、悪いことであれ、私たちの意識・魂が意識していようと無意識であろうとフォーカスしていることは、必ず形となってあらわれるのです。


上の引用した文章では「スペース」になったら、他の魂の体験を共有できるし、一体化する…的なことが書かれています。

これは「ワンネス」です。

自分は自分、他人は他人… という分離感はエゴ・自我が持つ最大の特徴です。

私たちが「愛」そのものになりきれば、というか「愛」そのものであることを思い出せば、それがさとりであり、ワンネスの実現です。

なんてことを偉そうに書いていますが、僕も頭ではわかっていても、本当のワンネス意識にはなかなか到達できません。(^_^;)

僕にもワンネス体験のようなものはあるのですが、それが24時間、365日続くわけではなく、やっぱりエゴが出てきます。

ただ、その時の感覚(真我とつながった状態)は忘れようがないし、その体験によって、僕は神さまの実在を魂のレベルで信じることができます。


この「なまけ者のさとり方」、まだ半分ぐらいしか読んでませんが、かなり興味深いです。

また、次回、この本から良さそうな文章を引用して紹介しますね。

あゆむ 拝
(*^_^*)


編集後記(日記)

しばらく滞っていた僕のランニングに関するブログですが、今日はなんと一日で3記事も更新してしまいました。
今日の僕のがんばりに興味のある方はこちらのブログをご覧ください^^

ランナーズ・ハイ


おすすめ本

「なまけ者のさとり方」とよく似たテイストの本に「マスターの教え」があります。

これも同じく山川紘矢さん・亜希子さんによる翻訳なのですが、小さくて薄い本なのですが、不思議な魅力があって、その世界に惹き込まれます。

いわゆる「引き寄せの法則」の元祖と言われる古い本なのですが、僕の体験をいうと、この本を読んだことによって、いろんなスイッチが入って、かなり多くのものや人を引き寄せることが出来ました。

一読の価値はあると思います。






おもしろい記事がいっぱいありますね^^

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2014年6月14日土曜日

運動すれば欝は治る!? あると思います^^



いよいよ明日は、サッカー日本代表がワールドカップでコートジボワールと対戦しますね。

日本代表については、フランス大会の時からずっと全試合を見てきました。

今回は、過去最高のメンバーだと思うので、いい試合をしてくれるんじゃないかとワクワクしています。

さて、それはさておき、僕は最近毎日ランニングをしています。

あまり更新してませんが、こんなブログもはじめました

ランナーズ・ハイ

そしてランニングをしてあらためて思うのは、やっぱり運動はいいな! ということです。

僕は小学校ではサッカー少年団と器械体操クラブに入ってました。

中学は陸上部で400メートルを専門にしてました。

高校・大学は軽音楽部だったので、運動から離れましたが、ロック&ヘビメタをやっていて相当激しいドラミングをやっていたので(メタリカ、メガデス、パンテラとか…)、あれもある種の運動だったような気がします…(^_^;)

で、社会人になってからは、全く運動しなくなってしまったのですが、30代も半ばになると、お腹に贅肉がついてきたり、身体のキレが悪くなってしまったので、再びジムに通って運動をはじめました。

で、ジムに通いだして、そこでけっこう追い込んで筋トレしたり有酸素運動したりして、最後はヘトヘトになるんですが、最後にシャワーを浴びて、ジムを出る瞬間は、本当に何物にも代えがたい充実感がありました。

自分に勝った…(・∀・)

という感覚がありました。

でも、当時は仕事がかなり忙しかったので、なかなかジムにコンスタントに行けず、だんだんと足が遠のき、休会して、また再入会ということを繰り返していました。

欝と運動の関係については、いろんな説が発表されていますが、僕の体験からしても、運動と欝の因果関係はやっぱりあると思います。

「スタンフォードの人生を変える授業」という本の中でも、運動をしないことは欝を発生させるリスクを高める。逆に運動をしていたら欝にはならない… というようなことが書かれていましたが、なるほどとうなずけます。

僕も運動をしている時は、気力も体力も充実していました。

でも、昨年(2013)は、春ぐらいから仕事もプライベートもかなりハードで、運動が全くできませんでした、そして、体力も落ち、体力が落ちたら気力も落ちるわけで、秋には心身ともにヘトヘトになっていました。

ちょうどそんな時に、退職届を出して、その後いろんな問題が起きて、世界がグラグラしだして、気がつけば欝病になっていました。

僕はうつ病になったことは、当時は死ぬような辛い思いでしたが、通過した今となっては、うつになったことを後悔はしていません。

むしろ、僕はそこからはじめて自分の人生を主体的に生きることができるようになったので、むしろ欝病には感謝しているぐらいなのですが、でも、もしあの当時、僕がコンスタントに運動をしていて、毎日いい汗をかいていたら、たぶん欝にはならず、いろんな選択肢を違う方に選んで、今とはまた違う人生を送っていたように思います。

まあ、物事は起こるべくして起こるので、たられば… はありませんが。

で、欝になってからは、運動はおろか、家を一歩も出ることが出来なかったし、布団から出るのもしんどかったです。

でも、布団の中で橫になっていても、思考はグルグル回るし、実際問題として、目眩がひどかったし、もう何をしてもダメでした。

僕は、ずっと信仰心は幼い頃からもっていたので、毎日神さまにお祈りをしていました。でも、欝がひどい時は、祈る気力すらありませんでした。

本当に何も出来なかったのです…



そして僕は時間の経過とともに、少しずつうつ状態から回復していきました。

回復の過程では、メンターからのメッセージや、多くの精神世界の本によって救われました。

そして、瞑想を生活に取り入れ、仕事量を少しずつ増やしながらも、ずっと精神世界の本や読み続けて、生業という現実的な生活と、精神的な探求の二重生活をずっと送ってきました。

ただ、精神世界のほうにばかり軸足を置きすぎると、なんとなく浮世離れしてきて、地に足がつかなくなってくるような感覚もありました。

瞑想ばっかりしてていいのかな?

というような気持ちも出てきます。


僕はずっと〝霊〟も大事、でも〝体〟も大事とずっと思ってきました。

つまり精神世界も大事だけど、同じようにこの物質世界も大事と思っているわけです。

こんなことを書くと

それは違う! あなたはまだエゴに捕らわれている!
大切なのは、あくまで精神世界。真我につながることだけが人生の目的だ!

というツッコミをいただくかもしれませんが、僕はやっぱり霊も体も大事だと思っています。

なぜなら、僕たちが生きている世界がまさに霊界と現界が合わさった世界だし、人間だって精神と肉体から出来ています。

僕たちがそういう三次元の世界に、このような肉体をもって生まれてきたということは、やはり霊的な体験も肉体的な体験も両方を味わうために生まれてきたのだと思うのです。

なので、僕は、仕事をしながら、瞑想もやり、本も読んでいましたが、ここにさらに、運動を加えるのは、霊と体のバランスを取るためにもいいんじゃないかと思い、体幹トレーニングとストレッチとランニングをはじめることにしました。

5月30日に運動をはじめたので、まだたったの二週間ですが、大雨の日を除けば毎日走っています。

根気のない、三日坊主の僕としては、かなり続いているほうだと思います。

で、走るのがつらかったり、義務的な感じて運動しているのかというと、そんなことは全くなくて、僕は楽しんで走っています。

体幹トレーニング(筋トレ)も、かなり追い込みますが、実は楽しくてしかたがありません。

これは理屈じゃなくて、本能的に身体が喜んでいるんだと思います。


運動の効果っていっぱいありますが、その中でも僕がありがたいな… と実感しているのは、ひとつは…

余計なことを考えなくて済むこと

です。

僕はいまだにやっぱり、気がつけば過ぎたことを考えていたり、これからのことを考えていたりする瞬間が一日の中でも多々あります。

つまり、〝いまここ〟にいない状態です。

これは僕の性格的なこともあると思いますが、ほっておけば、思考がどんどん暴走していくわけです(^_^;)

でも、走っている時は、思考は暴走することはありません。

なまった身体で走ることは40の肉体にはけっこうキツイので、
考えている余裕がないんです…^^;

そして、目標の距離を走り終わった後には、ただどこまでも爽やかで幸せな気分で、僕は、クールダウンのためにウォーキングをしながら、山に沈む夕日とか流れる雲をみて、思考が止まったような状態、つまり〝いまここ〟に帰ってくることができます。

また、運動をすると、自分に対する自信というか信頼感がましてきます。

それに身体のキレも戻りつつあります。

お腹もへっこみ、体重も少しおちました。

いいことずくめです!(*^_^*)

なので、僕は運動をすることは、うつの人であっても、元気な人であっても、万人にオススメしたいと思います。

たぶん、汗を流すということは、人間にとって必要なことなんだと思います。

そして、運動をすれば、寝付きは確実によくなります。

眠れない… それは欝のはじまりでもあるし、うつになったら眠れません。

逆に眠れるということは、うつも治っているということです。

そして、運動はなかば強制的に眠りへと誘ってくれます。

なので、運動は本当におすすめなのですが、僕もそうでしたが、欝がひどい時は運動なんて出来ません。なので、運動したい! という想いが湧いてこないうちは、運動はしなくてOKだし、無理にする必要はないと思います。

心身がだんだん元気になってきて、ちょっと走ってもいいかな…? なんて思える人は、ぜひウォーキングからでもいいので、はじめると、確実に心身のコンデションはアップしていくと思います。

肉体と精神はぴったりと密接しているので、肉体を鍛えれば、精神も鍛えられます。

けっこう人間ってシンプルな生き物なんだと思います。d(・∀・*)♪゚

長文、今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

あゆむ 拝
(*^_^*)


編集後記(日記)

今日は、家族で上賀茂神社に行ってきました。
想像していたよりもずっと大きな神社でびっくりしました。

神社とかお寺を最近週末ごとに家族でめぐっているような感じです。

テーマパークとかも好きですが、こういう静かな楽しみかたも好きです。

お金もかからないし^^;


今読んでいる本


ラマナ・マハリシが難解な人はパパジがおすすめ! というレビューを見て、読み始めました。

実業家としても成功した人でもあり、確かに言葉がわかりやすく、マハリシさんに比べるとかなり敷居が低いです。

でも、真理とか真実って、本当はシンプルで、子供でも理解できるような言葉で語られるべきものだと思います。

この本は子供には難しいかもしれませんが、僕にとっては、けっこう読みやすい感じで、ところどころに、なるほど! と思える表現があって、参考なります。

まだ、読み始めたところで、全貌はわかりませんが、この後のページも楽しみです。






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2014年6月3日火曜日

NHKの「ふたり」を見て感じたこと

NHKの地方発ドキュメンタリー「ふたり」




今晩はNHKのプロフェッショナルで本田選手の特集があったので見ました。
(僕は小学校の時にサッカー少年団に入っていたので、サッカーが大好きなんです。本田選手も大好きです)

で、その番組はもちろん良かったのですが、その流れでNHKを見ていると、深夜に「ふたり(http://www4.nhk.or.jp/chihouhatsu/)」という地方発ドキュメンタリーがはじまったので、なんということもなく見始めたました。

東日本大震災で両親と三人の子供を失くした夫婦の三年間に密着したドキュメントだったのですが、番組を見ていてなんとも言えない気持ちになりました。

僕は子供を失くした経験はないので、そのご夫婦の本当の気持ちを理解することなどとてもできないのですが、それでも、僕も二人の子供を持つ親として、このふたりの辛い気持ちは十分すぎるほどに想像できます。

宮城の大川小という小学校はほとんどの生徒が津波で亡くなったことで、大きく報道されていましたが、この夫婦は小学3年生の息子さんが、その学校でなくなりました。

また、高校3年生と2年生のお嬢さんもなくしました(自宅にいて流されたそうです)。

この夫婦の奧さんのほうは、命日とかだけでなく、毎日のように子供の遺影に語りかけ、お供えをし、子供の霊がこまらないように… と供養の日々を生きています。

ご主人はというと、津波の二日前に家族会議で、「この家までは津波は来ない」と子供たちに伝えていたこともあり、子供が死んだのは自分のせいだ… と自分を責め続けています。

そんなご主人にとって、目の前で、ずっと子供の供養をしている奥さんの姿を見るのは、まるで自分が責められているようで辛く、離婚の危機もありました。

しかし、月日が過ぎるごとに少しずつ、お互いの気持ちが落ち着いてきて、現在は、新たな命を授かるべく、体外受精を受けてみたり(失敗したようですが)、夫婦で力を合わせて生きています。

番組の中では、この夫婦は子供を思う気持ちを何度も語っていましたが、東北弁でとつとつと語ると余計に切なくて、見ていて本当に何ともいえない気持ちになりました。

そして、番組を見終わって僕が一番感じたのは

僕は恵まれているな… 

ということでした。


色んなことがあって、欝になって、仕事も辞めて、日々上手くいかないこともありますが、それでも僕には家族がいて、子供も元気に生きてます。

子供のことも、学校でトラブルがあったりして胸を痛める日もありますが、それでも生きています。

生きているからこそ、そんな悩みを持つこともできるわけです。

生きていれば、良いことだけなく、辛い体験もしますが、でもその辛い体験もやはり生きているからこそ体験できるのであって、あらゆる体験が本当はありがたいことなのです。

ご主人は言っていました。

「息子もいつか嫁さをもらって、その嫁とも仲良くして、孫を抱くのが夢だった…」

「でも、今となっては生きてさえいてくれたら、もうどんなでもいいから、人さに迷惑さえかけなければどんなでもいいから生きていてほしかった…」と。

本当にそうだと思います。

生きてさえいたら、それでいいんです。



僕も欝だったし、仕事も辞めたし、もう人生の展望もなにもなく、クラゲ人間以下のような状態で本当に辛い時期がありました。

今は、精神的には安定しましたが、それでも独立して仕事をしているので、何の保証もない生活に不安を感じる瞬間もあります。(同時に宇宙を信頼もしていますが)

そんな風に、人生どん底の時もあったし、今も決して順風満帆というわけではありませんが、この夫婦の状態と僕の状態を比べたら、僕は全然あまいというか、恵まれているんだなということを教えてもらった気がしました。


欝の時は動けないし、むしろ無理に動かないほうがいいけど、今はありがたいことに普通に生活できるまでに回復しました。

終わりかけていた人生がまた戻ってきた感覚、自我の自分が一度死んで、本当の自分がまた生まれてきたような感覚があります。

なので、やっぱり命に感謝して、命を燃やして生きなきゃ… と思いました。


東日本大震災から3年が過ぎました。

震災後には僕は炊き出しのボランティアで女川町に行ってきました。

そこでいろんなことを感じて、その時も自分の人生をもっとちゃんと生きよう! と思いました。

でも、月日が過ぎるうちに、震災のことも徐々に薄れていき、エゴむき出しの、自我まみれ人間になって、時に有頂天になり、時に大きく沈んで、そして最終的にはうつになりました。

うつになってからは、とにかく欝を治したい! という思いだけで生きて、救いを求める気持ちで本当にたくさんの精神世界や悟りの本を読みました。

そして、最終的には、人生をあきらめて、全てを宇宙や神におまかせして、僕自信は自然体であるがままに生きていこうと決めました。

そんな風に宇宙に降参してからは、気持ちが楽になって、普通に呼吸をして生きれるようになりました。

欝の時は布団からも出れなかったけど、今は仕事(とっても自宅が職場)もできるし家事もできます(ついでに家庭菜園もランニングも!)。

でも、そういう風に動けるようになると、喉元すぎればなんとやらで、また、やっぱりエゴが顔を出してくるんですね。

救いを求め真摯なまでに真実を求めていた求道者のような日々から、気がつけばどうやってビジネスを構築していくかばかりを考える日々に変わってきたわけです。

毎日瞑想もしますが、その瞑想にしたって、僕はもしかしたら自分のエゴを満たすために取り組んでいたのかもしれません…。

今日、このNHKのドキュメンタリーの夫婦の姿を見たことで、なんだか自分の最近の日々を静かな心で振り返ることができました。

欝も含めて、病気も失敗も別れも、全てのトラブルや困難も、
生きていればこそ
です。

生かされていることに感謝を忘れずに、日々を生きていこうと思います。



編集後記

今年中にフルマラソンを走る! という目標を立てました。
で、毎日走っています。

といっても、初日に3キロ走っただけで筋肉痛がひどく、現在も慣らし運転のつもりで、あまり無理をせずに3キロ以内をゆっくりとしたペースで走っています。

最近うれしいのは、小5の息子が一緒に走ってくれることです。

息子の動機はとにかく僕とお話がしたいことなので、話ができるぐらいのゆっくりなペースで並走して走ります。

そして最後はクールダウンのために、ウォーキングをします。

夕暮れの山の景色を見ながら、気持ちよい風に吹かれ、親子でゆっくり歩きながらいろんな話をしている時、本当に幸せだな… という気持ちになれます。

ランニングブログもまた更新してきます。


今、僕が読んでいる本

アナスタシアの3巻「愛の空間」を本日読み終わりました。

1巻も2巻も内容が濃かったので、さすがに3巻ともなるとネタ切れ感が出てくるかな… と思っていたのですが、いやいやこれがどうして、内容はより濃ゆくなってきています!

本のストーリーも1巻はタイガの森の中だけでしたが、3巻では現実のロシアのいろんな街や学校なども舞台になってきます。

アナスタシアの存在が世の中に知られるにつれ、ロシア国内では様々なムーブメントが起きて、ファンタジー的な内容とリアルな現実が交錯してきて、ますますおもしろくなってきました。

3巻の中では捨て子の弱い少女が、アナスタシアの愛のよって強く生きて、人生と自分の村を変えていくエピソードが素晴らしかったです。(泣けました…)

他にもアナスタシアが宇宙から受け取ったメッセージがビンビン伝わってきます。

この本を世界中の学校の教科書にすれば、世界平和は一気に実現するんじゃないかな… というぐらい素晴らしいシリーズです。

3巻の終わり方がすごく続きがきになる終わり方なので4巻を今すぐにでも読みたいのですが、4巻は現在翻訳中でまだ出版されていません…(T_T)


まだ読んだことがない方は1巻から読んだほうがいいです。
途中からだと理解できない場面のオンパレードです(^_^;)


PS
1巻を読むだけでも意識が変わると思います。


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