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2019年3月4日月曜日

一夜明けて…

昨夜はとんでもない出来事が勃発して、僕はストーリーに巻き込まれて、エゴがざわざわと騒いで苦しくなりました。

でも、そんな時こそ…

と、一人静かに瞑想をすることで窮地を脱出することができました。

あれだけざわついていた心なのに、その後は、自分でもびっくりするぐらいに、心は静まっていました。

いつも以上に心は静まっていたぐらいです。

そして、夜も12時を過ぎてましたが、時間を決めずに瞑想を再びしました。

いつもはタイマーを30分にセットして瞑想をはじめるのですが、昨夜はそれもせずに、ただただ瞑想に流れを任せようと…

時間にして1時間以上は瞑想していたと思います。

かなり強烈な光に包まれました。

僕は瞑想に、奇跡とか不思議体験を求めているわけではありません。

確かに瞑想をしていると、時折、光に包まれたり、身体感覚が完全に消えたり、何らかのビジョンを見せられることがあります。

いわゆる不思議体験です。

それが起きた時は、確かにものすごく気持ちがよかったり、救われたような気持ちになったりもします。

何より、深い瞑想状態にならないと、そういう現象は起きないので、深い瞑想が出来た…
それだけで、ものすごく心地いいし、終わったあとはものすごくスッキリしているのです。

でも、瞑想に奇跡とか不思議体験を求めるのは違うと僕は思っています。

たしかにそういうことが起きることもあるんだけど、それを求めることは違うと思っているし、瞑想教師の方や、あるいは覚者の本等で、瞑想に奇跡を求めるのは違う…
という話も聞いたことがあります。

なので、ただ心静かに瞑想する。
瞑想が向こうからやってくることを信じて、日々瞑想しているわけですが、昨日の深夜の瞑想は、自分の思いを超えてものすごく深い瞑想状態に入ってしまいました。

まさに、瞑想が向こうからやってきた状態です。

瞑想をはじめてたぶん30分を過ぎたぐらいから、ずっと目を閉じているのに、ものすごい光が次々と眼前にあらわれてきます。

とても眩してくて、真っ白な光がずっと瞬いているのですが、決して目が痛い眩しさではなく、目には優しいけど、強烈な光量でした。

瞑想を終えたあとにも、余韻が残っていて、いつも以上にぐっすりと熟睡できることができました。

そして朝もスッキリと6時前には起きることができました。

産土神社への7日参りも今日で6日目です。

今朝ははじめて、妻とではなく一人で村山神社に参拝しました。

本当は妻と行きたかったんだけど、昨日参拝していた時に

「一緒だとペースが乱れるから明日は別々でお参りしよう」

と言われたからです…
(^_^;)


すこし寂しくもありましたが、小雨の中、一人で参拝してみると、なるほど確かに心静かにお参りをさせていただくことができました。

いつもは、本殿では「天津祝詞」を奏上して、その他の6つのお社では、御神号のみ奉唱していたのですが、今日は一人だったのでそれぞれのお社で天津祝詞を奏上させていただくことができました。

とてもすがすがしい参拝でした。

昨日の夜はかなり心乱れる出来事があったのですが、今の心はとても落ち着いていて、大きな安心感があります。

瞑想と参拝

やっぱり大きな力があると思います。

何かを求めてやっているわけではありませんが、それ以上の大きな力をいただいている実感があります。

2019年3月3日日曜日

強烈なストーリーに揺さぶられる…

今日は、とんでもないことが勃発してしまい、心は千々に乱れた…

エゴのストーリーに飲み込まれそうになって苦しかった。

車で家を脱出して、落ち着いた場所に車を停めて30分間の瞑想を行った。

瞑想の力はやっぱりスゴイ。

乱れていた心が整い、これからどのように善処すればいいのかがわかった。

おまけに、ここ数日ずっとたまっていたモヤモヤも晴れて、ものすごく視界がクリアーになった。

こういう体験を繰り返すことが大切だと思う。

日常にはいろんな罠が潜んでいて、全てが順風満帆とはいかない。

時にはとんでもない事件が起きたりして、強烈なストーリーに巻き込まれることがある。

そうやってストーリーに飲み込まれてしまうと、すぐにエゴの入れ物になってしまい、ストーリーと一体化して苦しくて辛くて… 先が見えなくて、暗い気持ちになってしまう。

でも、ストーリーはストーリーにすぎない。

たしかに現象としては目の前で何らかの事件やショッキングな出来事が起こっているんだけど、その現象に意味をつけたり、絶望したりしているのはエゴのしわざだ。

神である僕たちの本体はいつでも大丈夫なのに、何かに巻き込まれるとすぐに一体化してしまう。

瞑想したり、神社にお参りしたりして、最近心が整ってきた!

なんてことをブログで書いてきたけど、なんのことはない… すぐにストーリーに巻き込まれて僕のエゴはざわざわと騒いでしまいました。

でも、やっぱり瞑想することで、安心を得ることができました。

瞑想の力です。

明日からどんな展開が待っているのか、しっかり味わい愛でてみようと思います。

2019年2月28日木曜日

No Meditation, No Life!

No Meditation, No Life!
やな…
って最近やっとわかってきました。

Meditationってのは〝瞑想〟のことです。

瞑想なしの人生なんてありえない

みたいな感覚になってきました。


一時期は毎日ガッツリと瞑想して、このブログも頻繁に更新していましたが、あるときから瞑想も時々する程度になり、ブログの更新も時を同じくして、ほとんど途絶えていました。

その理由は、僕がスピリチュアルなものよりも、現実的なビジネスに走っていたからです。

地球は行動の星!

なんてことを思いながら、現実的に仕事をがんばっていたわけです。

瞑想している暇があるなら、仕事をしよう!

みたいな。


実際、僕の机の上にはタイマーが常に2つあって、分刻みでタスクをこなす…
みたいなことをやってました(というか今この原稿もタイマーをセットして書いてはいるわけですが…)。

瞑想を忘れ、スピリチュアルを脇に置き、ビジネスに没頭した結果、どうなったのか?

というと、上手くいく部分もあったし、そうでない部分もありました。

瞬間風速的に、売り上げが爆発してウハウハな時もありましたが、売り上げがガクッと落ちて、また欝の時のような不安(通称ぼわぼわ)がやってきた時もありました。

人生には善き事しか起こらない。

自分にとって必要なことが必要なタイミングでやってくるだけ。

なんて偉そうなことを書いていた僕ですが、人間って弱いもんですね。

ちゃんと、恐怖や不安に襲われました(滝汗)。


ただ、人間って
慣れ
とか
経験値
ってやっぱり大切で

一年近く欝に苦しんだこともあったし、そこから抜けた体験もあった。

また、時折訪れるパニック障害のいなしかたも身につけていた。

そして何より、恐怖や不安が訪れることがあっても、根っこでは宇宙を神を、僕の中の神を信じている。

人生には善き事しか起こらない。

これはもう、僕の中では確固たる信念になっています。

なので、一時的に恐怖や不安に包まれることはあっても、飲み込まれることはなく、割と短時間でそこから軌道修正することはできていました。

そして、その不安を消すためには、やはり圧倒的行動しかない!

なんておもいながら、また仕事に没頭するわけです。


でも、何かが足りない…

何かがおかしい…

イマイチ、心が安定しない…

そんな感覚がずっとありました。



2週間ぐらい前に、奥さんと話をしている中で、奥さんから

「毎日、朝と夜にしっかり瞑想をやってみたら」

と勧められました。

僕がビジネスモードに入っていること、そして効率主義者的な部分があることも知っているので、そんな僕にも刺さるように…

「朝、30分の瞑想は、時間がもったいないと思うかもしれないけど、結果的には心が整って、そのほうが仕事がはかどるんじゃない」

なんてことを言われて、なんとなく、それもそうだな。
と思えたんです。

不思議なぐらいに素直に、その言葉が胸に入ってきました。


そしてその日の夜、寝る前に30分の瞑想を久しぶりにやりました。

よく眠れて、翌朝は6時前にはぱっちり目が醒めて、朝一番の瞑想をこれまた30分間やりました。

その日は、一日中気分が乗って、近年ないほどに仕事がはかどりました。

しかも、仕事の合間に、なぜか自室の畳をほうきで掃いて、きつく絞ったぞうきんで拭き掃除までしてしまいました(掃除機は日常的にかけてますが、ほうき掃除とかぞうきん拭きは初めてしました!)。

なんというのか、
禅僧的な心持ち
になっていたのです。

え…
心、整ってる…
瞑想やばくね!

ってマジで思いました。

その日から今日までずっと朝と夜の30分間の瞑想習慣は続いています。

義務とかやらなきゃ
じゃなくて、
瞑想したい!
って思って瞑想しています。

それは何故か? 
どうして積極的に瞑想をしたくなったのか?

なぜなら…
瞑想を生活に取り入れてからは、基本的には、物事が箱さしたように、仕事の面でも、生活の面でも、物事が上手く運べるようになり、心が安定しているからです。


朝晩の瞑想生活を2週間ほど続けて今一番思っていることは…

俺、なんでずっと(ここ数年)瞑想してこなかったんだろう…???

という想い、疑問です。


多分現代社会に生きる私たちは、日常があまりにも忙しすぎて、生きることに必死で瞑想なんてやっている場合じゃない!
そんなふうに毎日を死に物狂いで走っているのだと思います。

僕もそうでした。

でも、その状態って、たぶん完全に自分はエゴの乗り物になってしまっていて、すごくしんどいし、苦しいんです。

逆なんです。

逆だ〜〜〜〜!

って気が付きました。

遅ればせながら!(汗)


忙しい日常だからこそ瞑想するんです!

心を亡くすと書いて、忙しい!

だからこそ瞑想が必要なんです。

瞑想することで失った心を取り戻すことができるんです。




あなたは、今日瞑想しましたか?

自分の真我と繋がりましたか?

と、たった2週間しか瞑想していない僕が、あなたに問うてみる(滝汗)。


こんなことを問うのは、もしあなたが瞑想をしていないなら、ぜひ瞑想をしてほしいから。

めまぐるしい日常、やるべきこと、やらねばならないこと
べきねば
だらけの日常。

エゴのストーリーにともすれば乗っ取られてしまいます。

そこから脱却し、本当の自分、神である自分、真我につながるもっとも手っ取り早い方法

それが

瞑想です。



最後に瞑想の方法をレクチャーします。

瞑想のやり方


瞑想方法はそれぞれのスタイルにあったものでOKなので、なんでもいいのですが、参考までに僕のやり方を解説します。

なお、僕の瞑想スタイルの基本となっているのは
ボブ・フィックスさんが開発した
フルフィルメント瞑想です。

フルフィルメント瞑想のハート・マントラを伝授してくれたのは、阿部敏郎さんの奥さまの阿部智子さんです。

また、ボブ・フィックスさんの瞑想リトリートにも2回ほど参加したことがあります。


瞑想の正しい姿勢

まず姿勢。

床でする場合には、あぐらでしっかりと背筋を伸ばします。

イスでする場合には、背もたれにはもたれずに、浅く腰をかけて、しっかり背筋を伸ばします(イスの上であぐらを書くのもアリです。その場合でも背筋は伸ばして)。

この背筋を伸ばすというのは大きなポイントです。

次に目を閉じます。

禅の座禅の場合は半眼といって、薄く目を開けている場合もありますが、瞑想の場合は基本、目は閉じます(ぎゅっと力を入れて閉じるのではなく、やさしく普通に目を閉じれば大丈夫です)。

そして、マントラを授かっている場合には、最初にマントラを唱えたり、ヤントラをイメージするのですが、伝授されてない場合はマントラ・ヤントラなしでも全く問題ないです。

部屋の明かりは消して暗くします。

僕の場合は、早朝と夜間なので、電気を消した真っ暗な部屋で、ろうそく1本の明かりの中、お香をたいて瞑想しています(雰囲気も大事やと…)。


瞑想中の手の指の形はこんなふうにするか…
↓  ↓  ↓
画像引用:https://manabiba.tv/article/detail/152

あるいは、こんなふうにします
↓  ↓  ↓
画像引用:https://meditation-in.love/post-120


これで、瞑想の姿勢、形は整いました。

あとは、瞑想の呼吸法です。

瞑想の呼吸法

瞑想の呼吸法は…
鼻から吐いて、鼻から吸う
これだけです。

普段の私たちは呼吸が浅くて、早いことが常なので、瞑想の時には、ゆったりとした気持ちで、リラックスしながらゆっくりと息を吐いて、ゆっくりと息を吸うようにします。

禅寺で座禅する際には、呼吸を
「いちとー… にーとー… さんとー… しーとー… ・・・・・・・・」
と呼吸を心の中で数えて呼吸に集中しましょう。

なんてふうに指導される場合もありますが、僕は普段は呼吸は数えません。

おのおの好きなスタイルで、呼吸は数えても数えなくてもどちらでもOKです。

瞑想状態に入る方法

瞑想あるあるとして、瞑想すると、どんどんと思考(雑念)が沸き上がってくる…

というのがあります。

つまり、心を整えたくて、ある意味、
空
とか
無我
の境地になりたいのに、一向にそうならず、むしろ邪念や思考が渦巻いてくる…

でも、安心してください。

これって、本当に誰にでもあることです。

むしろ、思考が起こってくるのは自然なことです。

なので、安心して、浮かんでくる思考を、まるで雲をながめるような気持ちで眺めてください。

でもね…

これ、本当に不思議なんですけど、30分間、ちゃんとタイマーで測ったりして瞑想した場合には、その30分のどこかの時点で、ほぼ確実に…

瞑想状態に入れます。

瞑想伝授を受けた時、
「タイマーで測るなどして、30分は瞑想しましょう。」

と指導されました。

30分って長くね?

と思ったし、実際に瞑想を取り入れ出してからも、当初は長く感じていました。

でも、やっぱりこの30分という時間に意味があるのです。

瞑想ははじめて最初の5分とか10分は、たぶんどんどんと思考が湧いてきます。

僕の場合は、思考が暴走してる〜〜〜
というぐらいに、あれやこれやと、過去の恥ずかしい体験とか、しょうもないことがどんどんと湧いてきてとまりません。

でも、そんなときも、ああ、また思考が湧いとるな…
と一歩ひいた自分で、思考の雲を眺めてやるのです。

そして、思考が湧いた自分を責めたりせずに、ただじっと観察するのです。

すると、10分、15分、20分…
と時間が経過していくうちに、
ほとんど確実に思考が止む瞬間が訪れます。

あ、思考してるな…
とか、
え、思考が止まってる!
とか、そんな自覚すらない

無

の瞬間があります。

何も考えてない時間。

何も考えてないな…という考えすらもない時間。

自分が消えている時間。

起きているような、寝ているような、自覚しているような、無自覚のような…

そんな感覚。


それ…
瞑想状態です。


えっと…
長々説明してきましたが、とにかく瞑想をやってみたらわかると思います。

スピリチュアルが嫌いな人であっても効果があります。

仕事のパフォーマンスも上がります。

Googleやappleをはじめとする海外の大手企業ほど、
マインドフルネスといって、瞑想を仕事に取り入れています。

就業時間中にマインドフルネス瞑想の研修を行ったり、
勤務時間中のマインドフルネス瞑想の実践を推奨しているぐらいです。


つまりです。

瞑想って

真我に帰る
本当の自分に帰る
自分の中の神につながる
空に入る

ための強力なスピリチュアルのツールでもあり。

心を整える
心身のコンディションをよくする
仕事のパフォーマンスを上げる
美容と健康にもつながる

実用的なツールでもあるわけです。


時代は今、瞑想。

これはもう、やらなきゃ損ってぐらいのレベルです。


さあ、あなたも
Let's Enjoy  瞑想!

No Meditation, 
No Life! 
やで〜〜〜

PS
瞑想状態に入ることを目的にしなくてもいいんです。
僕も30分瞑想しても雑念状態のまま終わる時もありました。

僕の奥さんは、マントラも7つぐらい受けていて、この5年ほど毎日瞑想している、僕にとっての身近な瞑想教師みたいな感じなんですが、奥さんいわく

「瞑想状態は向こうからやってくる」

「だから瞑想を信じる」

ということだそうです。

確かにそうやなと思います。

自分が瞑想して「空」に入る!
とか思うと力が入るし、自分にはそんなの無理!
みたいなプレッシャーがありますが、瞑想を信じて
自分の力ではなく、瞑想が向こうからやってくる…
と信じてあけわたせば、すごく気楽だし、結果、本当に瞑想状態が向こうからやってきます。


あと、それでも雑念ばかりで…
という人は瞑想の音源を利用するのも手です。

僕もよく利用します。

現在のヘビーローテーションは…

これです。



このCDはクリスタルボウルの音源なのですが、本当にいいです。
もう、強制的に瞑想状態に連れて行ってくれる…
そんな強力な音源です。


あとは、ボブ・フィックスさんの瞑想マントラCDも強力です。
でも… 現在は絶版のようで、どこでも購入できないみたいです…
が、ボブ・フィックスさんの新作CDなら、ボブさんの公式ブログから買えるみたいです。

http://trueheart.link/music/processmeditation/

PS
今日も早朝の神社参拝、雨の中、奥さんと行ってきました。
雨の神社も良いものでした。

明日も参拝するし、ブログも更新します!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(*^_^*)

あゆむ 拝



PS2
今日の記事、気がつけば書くのに2時間かかっていたのですが…
タイマーの存在を完全に忘れて、フロー状態で書き上げてました。
ホンネ100%の文章です。

瞑想、マジでいいですよ!



2019年2月27日水曜日

早朝の神社参り

僕の奥さんは毎日瞑想をしているのですが、瞑想中に時折ですが
ご内流というのか、メッセージというのか、何かしらのインスピレーションを受けることがあるようです。

そして、昨日降りてきたインスピレーションというのが…

明日から産土の神社に早朝のお参りに7日間行こう

というものでした。

そして、このブログ

あるがままを毎日更新してください

というメッセージ?も同時に降りてきたようです。

というわけで、本日は5時には起きて、6時半に奥さんとともに車に乗って、地元の産土神社である

村山神社&出雲神社(出雲大神宮)に行ってきました。

村山神社
http://www.genbu.net/data/tanba/murayama_title.htm

出雲大神宮
http://www.izumo-d.org/


僕達夫婦は自営業というか自由業なので、現在はどこにも勤めてないので、ともすれば朝はゆっくりなことが多いので、久しぶりに見る朝日が眩しかったです(汗)。

村山神社に参拝するのはけっこう久しぶりだったのですが、なんと本殿は全て建設用の幕で覆われていました…

昨年の大型台風で何本も木が倒れて、本殿は完全にぺしゃんこになってしまったようです…

再建するためには多額の費用がかかるようで、寄付を募っているようなので、出来る範囲で寄付をさせていただこうと思います。

と、いきなり本殿がそんなことになっていたので、ちょっと面食らったわけですが、本殿以外の全ての社でお参りをさせていただきました。

特別な体験が何かあったわけではありません。

でも、なんとも言えない、心地よさ、清々しさでいっぱいになりました。

神社の駐車場には1本の梅の木があったのですが、もう花が立派に咲いていて、今年はじめて目にする梅の花だったので、しばし梅が香をしっかりかぎました。

本当は最寄りの村山神社だけに参拝する予定だったのですが、奥さんが出雲神社にも行きたい… というので、そのまま車で出雲神社に行きました。

出雲神社は、村山神社に比べると規模も大きく、正月は大行列ができるし、平日でも参拝者が途切れることはないような神社です。

パワースポットとしても有名なところなので、亀岡市民だけでなく、遠方から参拝に来る方もたくさんいます。

うちの家族も出雲神社が大好きなので、正月だけではなく、なんでもないようなときに家族四人で、あるいは夫婦でお参りさせていただくことが多々あります。

でも、こんな早朝にお参りするのは今日がはじめてでした。

社務所もまだ開いてなく、しんとした早朝の神社はとても清々しい雰囲気でした。

ただ、人気の神社なので、そんな時間にも関わらず、僕たち以外にも参拝者はちらほらといましたが…

本殿を参拝した後は、本殿の裏手にある「磐座」にもお参りに行きました。

磐座の前で目を閉じて、立ったままですが、短い時間瞑想もしました。

鳥の鳴く声…

そばの小さな滝の音…

ものすごく気持ちがよくて、幸せでした。

〝いまここ〟には何も問題などなくて、ただ静かで幸せでした。



帰りの車中で、夫婦ともども、ともて気持ちよかったね、明日も行こうね
と、話が盛り上がりました。

と、こんなふうに、本日の記事はまあ…

ただの日記ですね(汗)

でも、久しぶりに更新できたのは、嬉しいです。



実は世界って狭いもので、僕の奥さんの瞑想友達が、このブログの割にヘビーな読者さんだということが最近判明しました。

そして、僕の書いた記事が役にたったようだと聞いて、素直に嬉しかったし、このブログを作ってよかった。書いててよかったと思いました。

このブログには、時々コメントとか、あるいは直接のメールが読者さんから届くことがあります。

欝の方とか、欝になりそうな方とか、パニック障害の方とかからも、よくメッセージとか相談をいただいたりします。

欝は僕も相当苦しんだので、その気持ちがよくわかります。

そして幸いなことに僕は欝から抜け出すことができたので、どうやったら欝が治るのか?
その部分については、僕の経験談を伝えて、それが一人でもいいので、誰かの役に立てばいいな…と思って更新しています。

欝って本当にチャンスで、自分の真我、本質に帰るチャンスです。

僕は欝になって本当に良かった、神の恩寵だったと心から思っています。

欝がなければ、僕はまだずっとエゴにまみれたままフラフラと、プライドにまみれて生きていたと思います。

もし欝にならずに、あのまま調子にのってエゴで生きていたら…

と想像するだけでゾッとするぐらいです。


人生のシナリオって本当に面白いし、よく出来ています。

人生においてピンチは訪れてほしくない… とは思いますが、
同時に、
主人公がピンチにならない映画
とか
無敵で死なないゲーム
がつまらないように
人生にもピンチとか逆境がないと、それはきっとつまらないし、成長も変化もないと思います。

いろんなことが起こるのが人生です。
自分でコントロールできることもあれば、そうでないこともあります。

そして苦しんでいるのはいつだって本当の自分ではなく、自分のエゴです。

人生には善き事しか起こらない。
あるいは
人生には自分にとって必要なことしか起こらない。

僕はそう思っています。

そして、そう思うようになってから、物事に動じなくなりました。

と、かっこつけたいとこですが、実際には、プレッシャーを感じたり、動じたりしてます…あいかわらず!

でも、欝前の僕は、その不安や恐怖と完全に一体化してました。

でも、今は、不安を感じることはあっても、一体化することなくなりました。

一瞬飲み込まれそうになっても、絶対に大丈夫と思っている、もう一人の自分、本当の自分がちゃんといます。

この感覚があるのとないのと
その違いは本当に大きいと思います。


伝える言葉が上手く見つからないんですが、あなたも私も
神・宇宙の意識が、何かを体験したくてこの世に生まれてきました。

僕たちの肉体というのは、ある意味、神の乗り物のようなものです。

自分は弱い… と思っていても、そう思っているのは自分のエゴです。

私たちの本質は神です。

なので、絶対に何があっても大丈夫なのです。


また、明日も更新します。

最後まで読んでくれてありがとうございました。
(*^_^*)


2018年11月20日火曜日

あとは、やるだけ。生きるだけ。鬱抜けの極意

つい先日、大学時代の親友S君と2年ぶりに会いました。

S君は、就職してからほぼずっと海外勤務なので、2年に1回ぐらいのペースでしか会えないのですが、会えば一瞬で大学時代のおバカな関係に戻れる大好きな友達です。

で、今回は、Sくんの友人のA君も同席して飲むことになりました。

僕とA君は、大学時代には面識はなく、卒業後にS君を通じて、過去に1回会っただけの関係です。

このA君が、かなり人生がピンチというか、本人いわく、「今が人生のどん底」状態だと言うことで、僕とS君が彼の悩みを聞いたり、励ましたり… そんな飲み会でした。

くわしくは書きませんが、このA君はかなりのイケメンで
しかも実家はかなりの資産家なんです。

金持ちでイケメンで、大学時代にはスポーツカーに乗っている
そんなリア充代表みたいな人でした。

でも、ビジネスの失敗やら、離婚やらで、現在は悲壮感すら漂っている…

そんな状態なんです。

そういう人生って、最初が良かっただけに、そこからの転落は、かなりキツイと思います。

そんな状況でもなんとか踏ん張っているA君は、偉いな…
と僕は素直に思いました。


で、この飲み会の中で、実は僕もA君もS君も、3人とも過去に鬱病になったことがある

という共通点がわかって、かなり盛り上がりました。


で、お互いにカミングアウトしていく中で、僕とA君には、けっこう共通点があることがわかりました。

ただ、現時点においては、A君は現在も苦しみの中にいて、かなりもがいています。

僕は、今は、何の問題もなくて、嫌味とかではなく、幸せしかありません。

A君はかなり苦しんでいるので、僕は場の空気を読んで、幸せアピール的なことは一切しなかったのですが、S君が僕の現状を説明したこともあってA君からは、真剣な表情で

一体どうやって、その苦しみから抜け出せたの?

そして、どん底からなぜ這い上がる(成功する)ことができたの?

と尋ねられました。


上から目線にならないように注意しながら、その場で僕が答えたのは

「パニック障害とか、欝の時は相当苦しかったけど、最悪死ぬだけ… と思えるようになってから、苦しみから解放されるようになった」

「宇宙と自分の中の神を信じるようにした」

その二点を伝えました。


このブログの読者さんのためにもう少し詳しく説明します。

僕は一時期、かなりのパニック障害を持ってました。

欝の時はもちろんひどかったですが、欝から抜けた後でも、電車の中とかで、突然パニック障害の発作が出ることがたびたびありました。

パニック障害を発症したことがある人ならわかると思いますが、パニック障害の発作って一言でいうと…

自分は死ぬ…

という恐怖が襲ってくる感じです。

うまく呼吸ができなくなったり、動悸が激しくなったり、脂汗が吹き出して、目の前がクラクラしてきて、気絶しそうな…心臓が止まってそのまま死んでしまうような、そんな状態に肉体的にも精神的にもなります。

この時に

ヤバイ!ヤバイ!
とか
たすけてー
とか
なんとなしなきゃ〜!

と思うと、パニックはもっと増幅されます。

でも、僕は欝抜けする時に

僕は宇宙を信じる

今日からは神として生きる

と誓いました。

その誓いをしてからは、僕は宇宙と自分を信頼して、何が起きてもサレンダーしてそれを受け入れよう… そう誓ったし、思えるようになったんです。

だから、パニック障害が出た時には、一瞬だけは焦るし、パニックにもなるのですが、すぐに、こう思うようにしたんです。

うん、最悪死ぬだけ

と。

うん、このままパニックで死んでもいい

そんなふうに開き治ると、パニック障害って不思議なぐらいに、急激に落ち着きます。

多分、30秒から少なくとも5分以内には、気持ちが落ち着いて、平常運転に戻ることができます。

この開き治り

とか

サレンダー

って、人生を楽に生きる上でのキーワードだと思います。


僕は欝の時に、当時住んでいたマンションのベランダから自分が飛び降りそうで、そんな自分を怖く思っていました。

実際に死んでいてもおかしくなかったと思います。

だから、僕の今の人生はおまけ

だと思っているんです。


欝を抜ける時には

宇宙を信頼する

人としてではなく、神として生きる

そう誓ったし、そういう生き方を選択しました。


そして、これからの人生には

良きことも

そうでないことも

当然起こるけど、それは、必要なことがただ起きているだけ

と思うようにしたし、実際にそうだと思っています。


僕は、お釈迦様については、くわしくないですが、多分
ブッダの悟りの境地って
人生への、世界へのサレンダーで
全てを受け入れる…

諸行無常
ってそういうことなんだと思います。

この記事のタイトルは

あとは、やるだけ。生きるだけ。

としていますが、今の僕は、欝を抜けてからは、ずっとそう思って生きています。

2013年の末に欝を発症して、半年から一年ほどで欝から抜けることができて、それから4年ぐらいが過ぎました。

その間、たくさんの良いことがあったし、時には心配なことが起きたり、不安になったりするようなことも起きました。

でも、どんな時にも、ただ今の僕にとって必要な(魂の成長とかに?)善きことが起こっているだけ。

そう思うと、不思議と苦しみは無くならないにしても、かなり軽くなりました。

そして、その時は最悪だ…

と思ったことでも、後になってみれば、やっぱりすべて善きことでした。


そして、この4年の中で思ったのは

やっぱり僕たちが生きているこの世界
三次元の現実世界?
というのは、行動の星
ということです。

やっぱりやらないといけないんです。

瞑想も、スピリチュアルな本も、セミナーも
すばらしいことですが、
それだけではダメなんです。

この世界に生まれてきたということは
神の分身として、
現在の個性ある人生を
体験するため
なんです。

だから、思っているだけではダメで
やっぱり行動する。

そして自分の直感とか本能とかを信頼して
インスピレーションに基いて行動すると
必ず、良い体験ができて、良い結果を得ることができます。

あとは、やるだけ、生きるだけ!

僕は、そんなふうに思って
人生のこれから起きるワクワクを
味わい愛でていこうと思っています。


長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(*^_^*)




2014年8月2日土曜日

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ【完結編】

うつ病克服ランニングは瞑想完結編.psd


一昨日の記事
↓
うつ病を克服するのに一番手っ取り早い方法

昨日の記事
↓
うつ病を克服! ランニングは瞑想だ

の、続き【完結編】です。

ぜひ、上記記事を読んでから、今日の記事を読んでください。


と言いつつも、時間のない方のために、昨日までの内容を簡潔にまとめると…

◯うつ病を根本的に克服するためには、自分のエゴ・思考が苦悩を自ら作りだしていることを見破り真我につながるしかない。

◯真我って何? という人の場合、ランニングをすることでうつ病は快方に向かう

◯なぜかというと、この宇宙には〝霊体一致〟という法則があるから。つまり肉体を無理にでも鍛えれば、肉体が強くなるのに比例して、精神・心も強く元気になるから。

そのようなことを書いてきました。

そして、昨日のタイトルは「うつ病を克服!ランニングは瞑想だ」と題していたのですが、今日読み直したら

ランニング=瞑想

ということについて書いてませんでした…(汗)

なので、今日はその書きそびれた部分…ランニング=瞑想を実感した僕の体験を書きますね。


■ランニングは瞑想だ


昨年秋にうつ病になった僕は、精神世界の本を読みあさり、どの本でも瞑想の効用が説かれていたので、連日瞑想に取り組んでいました。

でも、瞑想中はひたすら雑念が浮かんでくるだけで、心静かに真我につながる… 〝空(くう)〟に入っていく…

というようなことは全くできませんでした…。

瞑想がちゃんとできるようになったのは、今年の4月11日に瞑想の指導を受けてからです。
(参考記事→阿部敏郎さん(智子さん)の瞑想伝授に行ってきました)

そこではじめて瞑想中に〝空〟につながる… という体験をし、その後は今日にいたるまで、ほぼ毎日、瞑想に取り組んでいます。

そして、瞑想は瞑想を重ねれば重ねるほど、より深く、より早く深い瞑想状態に入れるようになってきました。

瞑想中であっても、いろんな思考はわきあがってくるのですが、必ず〝空〟に入る瞬間が訪れます。

それは一瞬のこともありますが、最近では瞑想の間中、ずっと〝空〟に入っているような状態の時もあります。

〝空〟に入ると、自分が消えていきます。

具体的には、自分の肉体の感覚が消失して、思考とか意識も消えていきます。

私たちの苦悩を生み出しているのは、すべて自分の思考です。

なので、この思考が消えてしまえば、そこには真我(本当の自分・神である自分)しか残らないので、全ての不安や心配事が消え去り、ただただ静寂の中で大いなる安心感と愛に包まれます。

なので、僕は誰に強制されるのでもなく、毎日瞑想をします。

瞑想がしたいんです。そこに理屈はなくて、ただ瞑想するのが好きだし、瞑想したいんです。

瞑想はいまや僕の生活になくてはならないものとなり、完全に習慣となりました。

そして、もう一つ、僕の生活になくてはならないもので、完全に習慣になっているものがあります。

それが…

ランニングです。
( ・∀・)


僕が走るのにも理屈はなくて、ただ走るのが好きだし、走りたいから走っているんです。

僕はランナーとしては、まだまだビギナーで最長でも15キロしか、まだ走ったことはありませんが、日々走る中で、

「ランニングすげ〜〜〜〜!!!!!」

と、走るたびに感じています。

そして、

「走ることって瞑想なんだな…」

と、いつも思ってしまいます。


それはどういうことかと言うと…

走っている時でも、当然思考はわきあがってきます。

というか、ただ走っているだけで、他にすることは何もないので、
自然といつも以上に思考がどんどん出てきます。(^_^;)

前向きな良き思考が出てくる時もあれば、
その逆の「あっちゃ〜、なんであんなことしちゃったんだろう…(T_T)」的な、
後悔とか恥みたいなネガティブな思考も出てきます。

でも、走っていくうちに少しずつ思考は消えていき、
最後には気がつけば思考はなくなっています。

昨日も書きましたが、
肉体に余裕があるうちは思考が出てきます。
なので、あれやこれやと余計なことを考えてしまいます。

でも、長い距離を走り続けたり、ペースを上げて走ったりすると、脚はガクガクしてくるし、痛みも感じます。また呼吸も苦しくなって息があがってきます。

そうなると、
自分の意識は
肉体的な痛みや苦しみにフォーカスしていくので、
さっきまでのつまらない思考にかまっている余裕なんて
全くなくなってくるのです。


そして、そんな風にして、ただ走ることだけに集中して走っていると、迷いとか悩みとか心配が消えるのはもちろん、

自分が走っている… 

という感覚すら消えているような瞬間が訪れる時があります。


ランナーズ・ハイという現象なのかもしれませんが、それまで感じていた痛みも消えて、ただただ幸せな気持ちで楽に走ることができるようになります。

瞑想は自我(エゴ・思考)を鎮めて、自分の真我(内面)に入っていく行為ですが

ランニングというのも、肉体への負荷が限界を超えると、四六時中活発に活動している自我(エゴ・思考)の活動が止み、自分の真我につながることができるのだと思います。

実際に走っていてそういう状態になっている時の自分は、深い瞑想状態の時の自分とほとんど同じで、ランニングすることは瞑想と同じだな… と本当に思います。


■意識が僕の肉体を使って走っている


意識がフローな瞑想状態になって走っている時は、自分が消えたような感じなので、思考も浮かんでこないのですが、そんな時でも思い浮かんでくる想いが一つだけあります。

それは

意識が僕の肉体を使って走っている…

という想念です。

僕もそうですが、ほとんどの人が肉体=自分だと信じこんでいます。

確かに肉体は自分の一部であり、とても大切なパーツでありますが、僕たちの本体は意識です。魂と言い換えてもかまいません。

そして肉体は大事なものではあるけど、いってしまえば今回の人生で使用する乗り物にしかすぎません。

肉体はやがて朽ちて消えてなくなります。

しかし意識(魂)は、朽ちることなく、永遠に存在します。

僕たちの本質は意識です。


でも、毎日、仕事をして、遊んで、ご飯を食べて… という日常生活を送っている時は、普通の人は、肉体の自分を自分と思って、意識… なんてことは意識せずに生きていると思います。

僕もついつい肉体が自分と思って無意識に生きている場面が多々ありますが、瞑想している時には、意識である自分に帰ることができます。

そして、不思議なことに走っている時にも意識である自分に帰るんです。

走っていると、息があがってきて、脚もフラフラで本当に苦しい時があるのですが、そんな風になると必ず、

ああ、意識が僕の肉体を使って走っている…

僕の意識は、きっとこの走る苦しみという体験を、肉体を使って体験したかったんだな…

というような思いが何故か出てきます。

すると不思議なことがおきて、

それまでは、ああダメ… もう無理! 限界! 
と思っていたのが、急に苦しみがなくなるのです。

なぜなら、自分=肉体だと思っていればこそ、肉体が限界だから、もう自分は無理…
と思ってしまうのです。

でも、そんな自分の肉体をスッと抜け出すようにして、意識としての自分で、走っている肉体の自分を斜め後ろ上空から見下ろすような視点で見てみると、苦しいのは肉体という入れ物であって、後ろから見ている本当の自分である意識は、全く苦しくありません。

なので、苦しみが消えるような感覚になるのです。

これは本当にふしぎな感覚です。

僕は昔から走るのは苦手だったし、中学でも高校でも、長距離を走らされる時は、ただただ苦しくて苦痛しかありませんでした。

でも、今の僕は走るのが嬉しくて楽しくてたまりません。

体力・走力に関しては、40歳の現在より、17歳の僕ははるかに強かったはずです。

でも、当時の僕は走ることが今よりもずっと苦しかった…

つまり、苦しみというのはやっぱり自分自身が作りだしているのです。



精神的な苦痛(心配・悩み)は、自分の自我(思考・エゴ)が作りだしている幻想である。ということについては見破っていました。

でも、もしかしたら
肉体的な苦痛ですら、それは自分の自我(思考・エゴ)が創りだした幻想なのかもしれない… という驚愕の事実にも気が付きはじめました。


心頭滅却すれば火もまた涼し

は、伝説ではなく実話なのかもしれません。


また、薬のプラシーボ効果で、難病が完治するのも、肉体の痛みや病も、自我(思考)が作りだしている… という証拠なんだと思います。

(※プラシーボ効果=偽薬であっても、「病気を完治す新薬ができました!」などと言って医者が患者に処方すると、偽薬(ただの砂糖とか)を飲んだだけなのに、実際に患者の難病が完治するという効果。多くの実験でプラシーボ効果が実証されている。医者に対しても「新薬です!」と騙して行う二重盲検法では、さらにその効果が高まる)


心の苦痛だけでなく、肉体の痛みですら、自分でコントロールできる世界が確かにあります。

マスターと呼ばれる人たちは、それを当たり前に行い、数々に奇跡を起こしています。

そして、私もあなたもマスターになれるんです。

というか、最初からマスターなんです。ただ忘れているだけなんです。


明日に続きます!


■編集後記

三日間続いてきたこのテーマ… 本気で今日、完結させるつもりだったのですが、ランニング=瞑想! ということの他にも、ランニングのメリットってものすごくあって、そのことをどうしても紹介したいです… なので、明日、本当の最終回として、そのあたりのことについて書きます。


■
この記事に関係してそうな、おもしろうそうな本


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ただし、絶版… 3,000円…

為末大さんの本
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2014年8月1日金曜日

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ

うつ病克服ランニングは瞑想


昨日の記事
↓

の続きです。

昨日の記事では、うつ病を克服するためには、精神世界の目覚め… つまり欝も含めた全ての苦悩は自分の思考を作り出しているという真実に気づき、真我につながるしかない。

ということを書きました。

しかしながら、真我って何?????

という人もいると思うので、精神世界とかを抜きにするのであれば、

欝を克服するにはマラソン・ランニングが一番! ということを書きました。

以下に、なぜランニングをするとうつ病を克服していけるのか? そして日々ランニングしている僕が感じているランニングの効用・メリットについて書きます。


■肉体を鍛えれば、精神も鍛えられる


この宇宙にはいくつかの法則がありますが、その法則の中の一つに

霊体一致(れいたいいっち)

という法則があります。

私たち人間は、肉体と精神(心・魂)から成り立っていますが、この肉体と精神は互いに密接に関連しています。

そして、肉体の状態と精神の状態は常に一致しようとします。

簡単に言うと、肉体が健全であれば、精神も健全になっていくし、精神が健全であれば、肉体も健全になっていきます。この法則を霊体一致の法則といいます。

単純に考えても、例えば難病を抱えていたり、体のどこかに大きな怪我をしたり、あるいは肉体に大きな痛みを抱えていたりすると、心の底から笑ったり、安心したり、充実感、幸せ感を感じるのは、なかなか難しいと思います。

これは、肉体の痛みが精神にも作用しているからです。

逆のパターンもしかりで、うつ病であったり、精神的にひどく落ち込んでいる場合、顔をあげて胸をはって元気に飛んだり跳ねたりということはなかなかできません。

これは精神の痛みが肉体に作用しているからです。

このように、霊体一致の法則により、肉体のマイナスが精神にマイナスを、精神のマイナスが肉体にマイナスを与えることもあります。

しかし、霊体一致の法則はプラス面でも、もちろん法則は発動します。

すなわち、肉体が充実し、元気になれば、精神も充実し、元気になります。
(当然、精神が充実していれば、肉体も元気になってきます)

つまり、うつ病をはじめ、精神的に元気がなかったり、日常的に不安を感じている人は、
無理矢理にでも運動し身体を動かすことで、肉体が元気になり、その結果、心も元気になってしまうのです。


■うつ病になる人の職場環境


今から書くことは、全く僕の仮説ですが…

僕もそうでしたが、うつ病になる人って、デスクワークをしている人が多いと思います。

逆に肉体労働をしている人で、うつ病になる人は少ないような気がします。

僕もアルバイトなどで、建設現場をはじめ様々な肉体労働に従事したことがありますが、肉体を使った仕事って、汗を流して筋肉痛になったりもするけど、仕事の後はシャワーを浴びてサッパリして、ビールをぐびぐび飲めば「ぷは~! ビールうめえ! 幸せ!」みたいな感じで、精神的なストレスってほとんど感じませんでした。

でも、デスクワークの仕事って、基本はクーラーの効いた部屋で、イスに座ってPCの前で仕事をしているので、汗も流さないし、肉体的な痛みとか疲れはほとんどありません。

でも、一日中PCの画面を見て、目は疲れるし
報告書とか企画書とか、手間のかかる書類の山を処理しないといけないし
大きなイベント前には徹夜で作業… なんてこともあるし
無駄にしか思えない会議にも出席しないといけないし
意味のわかならい上司の演説に相づちを打たないといけないし…

みたいに、精神的には結構クタクタになります…

それに会社組織って、あくまで周囲に自分を合わせないといけないし、
権謀術数にたけた人、陰口を流す人、噂好きな人…
いろんなこまった人たちもいて、けっこう磨り減ります。

根源的なところまで遡れば、人類って太古の昔から
獣を追って狩りをしたり
田畑で作物を耕したりして、
大自然の中で、太陽のリズムに合わせて、身体を動かして汗を流して生きてきました。

自然災害とか苦労もあったと思いますが、健全というか、現代人のようなややこしいストレスとは無縁だったような気がします。

現代のこの不況下でのサービス残業などが常態化して、先行きも不透明でギスギスした職場で働くデスクワークの人たちのストレスって相当なもので、誰がいつうつ病になってもおかしくないような状況だと思います。

いやいや、俺は大丈夫! 欝になるような弱い人間じゃないから…

と思っているあなた… 僕もずっとそう思ってましたが、しっかり欝になりました…(^_^;)

話しが長くなってしまいましたが、僕の体験や周りの人を見ていても、

デスクワークの人って、肉体は使わない
頭脳ばっかり使って、神経もすり減っている

そして、仕事も忙しいから、夜は遅くまで働いて、朝はいつも疲れが抜けないまま通勤して、運動している暇もないと思います(僕もそんな感じでした)。

ただ、最近は、空前のマラソンブーム、ランニングブームと言われていますが、どんなに忙しくても運動をしている人も増えてきました。

そういう人たちは、きっとうつ病にはかかりにくいと思います。

僕がうつ病になった頃というのは、ストレスだらけで、寝る時間もあまりなく、ずっと睡眠不足が続いていて、運動はゼロでした。

目が痛い、腰が痛い… ずっと腰痛がひどくて、朝起きる時は、腰の痛みで5分ぐらいは立ち上がれないような状況でした…

もし、欝になる前に、無理してでも、ランニングをするなどして、気持ちよく汗を流していたら、僕は欝にはならなかったと思います。

現在、日々走っていて、いつも思います。

「ランニングしてたらうつ病になんてなりようがないな!」と。


■悩みごとなんて吹っ飛ぶ!


話しを霊体一致に戻すと…

走っていると、やっぱり身体はしんどいです… 息も苦しいし、脚にも腰にも背中にも痛みを感じたりします。

でも、気持ちがいいんです。

しんどいけど気持ちがいい… という感覚もあるし、

しんどいのが気持ちいい… という感覚もあります。

そして、走っていると、不思議なことに悩みがどんどん消えていきます。

これまた僕の仮説ですが…

限界まで走って肉体を酷使することで、
僕の意識は肉体の痛みとか肉体の感覚にフォーカスします。
すると、それまで頭の中そして意識を占拠していた、
心の悩みが居場所を失って消えていくんです。

肉体が限界状態で、あと5キロ! とか必死に走っていると

もうゴールすることだけに全身全霊の全勢力を注いでいるので、
悩みごとなんか、
もうどうでもいいわ!
いまはそれどころちゃうねん!
みたいな感じでぶっとんでいきます。

明日に続きます!


■編集後記

昨日からの続きで、このテーマは今日完結させるつもりでしたが、まだまだ書きたいことがあるので、また明日続きを書きます。


■
おすすめの本【読者さんのオススメ編】


昨日の記事に対して
匿名さんより下記コメントをいただきました。
↓
「脳を鍛えるには運動しかない。」という本にも書いてありました。


走る 歩くは 継続させれば鬱を治します!

まさか瞑想にもなるとは!

AMAZONのレビューを見ましたが、面白そうなので
僕も読んでみようと思います。
↓


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■最近書いた記事
↓
うつ病を克服するのに一番手っ取り早い方法

私は死にました…

死んだつもりで生きてみる

うつ病を治す方法…〝もう少し落ちよう〟と敢えて考えてみる

葉っぱの声が聞こえたよ

自分に◯をあげよう

瞑想は危険!? 発狂するという噂もありますが…

瞑想は危険!? いやいや…自我こそが憑依霊なんですよ

瞑想は危険!? 魔境とか憑依とか…

瞑想伝授(フルフィルメント瞑想)で〝空〟につながることはできるのか…!?

僕の奥さんの感想(阿部敏郎・智子夫妻のハートマントラの瞑想伝授【フルフィルメント瞑想】を受けて)

妻まで瞑想伝授(阿部敏郎・智子さんのフルフィルメント瞑想)に行ってしまいました…

パニック障害で車が運転できない…解決する方法【質疑応答】

あなたへ

間違いだらけの人生!? 【質疑応答】

人生の目的は真我に帰ること ps,メンターさんですか???

神(宇宙)を信頼しきる

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2014年7月31日木曜日

うつ病を克服するのに一番手っ取り早い方法

うつ病を克服


うつ病を克服する、しかも根本的に克服するためには、

医者でもなく、薬でもなく、

真我に目覚めることです。


別の言い方をすれば、
苦しみを創りだしていたのは、
自分のエゴと思考であった…
ということを見破ることです。


うつ病について、医学的な見地からは色々な説がありますが、

うつ病というのは、本当の真実は…

自分の思考が創りだしたストーリーに
自分自身が乗っ取られて、
不安と恐怖で身動きが取れなくなっている状態です。

これがうつ病の真実です。


この真実を認め、ストーリーの嘘を見破らない限りは、本当の意味でのうつ病の完治は難しいと思います。

逆に、うつ病も含めて、全ての苦悩は、自らの思考が創りだしていたんだ…

という真実に気付くことができたなら、
うつ病が治るのはもちろんのこと、
全ての苦悩から解放されます。


ただ、そこに至るまでには、今まで自分が信じてきた世界や自分自身を一度解体する必要があります。
↓
一昨日の記事「死んだつもりで生きてみる」

昨日の記事「私は死にました…」


最終的には、自分の思考・マインドを見破り、真我につながることでしか本当の意味では欝は治らないし、上記記事に書いたことは全て僕が体験した真実です。

でも、精神世界に免疫のない人にとっては、

真我って何?(・_・;)

というところもあるし、ちょっとディープな世界なので、今日は違う角度から、誰でも簡単に実践できる

欝を克服するための方法を紹介します。


■うつ病を克服するための手軽でシンプルな方法


うつ病を克服するための、最も手っ取り早い方法…

それはランニングです。
(・∀・)


ランニングをすれば欝は治っていくし、逆にランニングをしている人は欝にはならないです(たぶん…)。

ただ、問題は、実際にうつ病の人は、走る元気なんかない… という現実です。

僕も、うつ病がMAXの時は、走ることはおろか、部屋から出ることもできず、立ち上がることすら困難だったので、その状況がよくわかります。

なので、走る元気なんてとてもない…

という人は無理に走る必要は全くありません。

とにかく橫になってでも、しっかり心と身体を休めてほしいと思います。

なので、以下のお話は、うつ病から回復しつつある人(動き出そう…という気持ちが出てきた人)

あるいは

なんだか最近、ストレスがきつくて、不安も大きくて、このままだと欝になるかも… と心配している人

動けないほどのうつ病ではないけど、パニック障害や不安障害をもっている人

などにオススメしたいと思います。


■精神科医もオススメするランニングの効用


現在僕は2014年9月のハーフマラソン、11月のフルマラソンに向けて、日々ランニングに励んでいるのですが、ランニングをはじめてから本当にあらゆる面でいいことずくめです。

こんなことをいっている僕ですが、決して体育会系の人間ではなく、典型的な文系・サブカル好きのインドア派です。

マラソンを走る人の気がしれなかったし、走るのも大嫌いでした。

でも、うつ病が治ると同時に、無性に走りたくなり、人生初のマラソンに挑戦しよう!

という気分になりました。
(くわしくは別ブログで→ランナーズ・ハイ)

そんな風にトレーニングに励む日々なので、今日も本屋で見つけた下記の本を読んでました。
↓

すると、この本の中に、僕がまさしく最近ずっと感じていたことが書かれていました。

下記の原文のまま引用します。

ランニングは前へ前へと動いていくスポーツなので、自然と考えが前向きになってきます。最近は精神科医の先生でランニングを勧めている方もいます。左右均等に動く運動は自律神経をコントロールし、自律神経失調症に効果があるそうです。

また、ランニング中に「ランナーズハイ」がおとずれる時があります。少し気分がよく、運動して汗をかいているのが気持ちいいと感じる状態になります。

人間は生活している中で、たくさんのストレスを抱えているので、何も考えない「無」になれる時間がどうしても必要です。しかし、「座って何も考えなくてもいいよ」といわれても、知らずしらずのうちに、何かが頭の中に浮かんできてしまいます。それがランニングをしていると、何も考えない状態で走ることができます。これが実に脳にいい効果をもたらすそうです。自律神経のバランスが崩れた人が、ランニングやウォーキングをすることで回復したり、走ることによって、脳内にアルファ波が出て、物の考え方が前向きになったりします。

他にも走ることによってプラスの効果がたくさんあります。運動をして、体が疲れるのでよく眠れるようになります。
人間は眠れないと精神的にも悪い影響が出てしまいます。私は夜眠れるようになってから、心身のバランスもよくなりました。走っている人は、この心身のバランスが取れている人が多いです。さらに免疫力が強くなって風邪をひかなくなったり、極度の冷え性が治ったりもしました。腰も痛くならないし、基礎代謝が上がるので、太らない体質に変わりました。お酒の量も自然と減り、まさにランニングをはじめてから、私にとっては、いいことずくめの毎日です。

と書かれています。

僕はまだ、走り始めて二ヶ月ちょっとですが、全く同様に感じています。

走ることはまさに瞑想だと思うし、座って行う瞑想が苦手な人は、走るほうがはるかに瞑想状態に入りやすいと思います。

肉体が強くなれば、精神も必ず強くなります。

なぜなら霊と体は一致するという宇宙の法則があるからです。

(このテーマ、明日につづきます)


■編集後期

今まで、このブログでは1話完結方式で、最後まで書ききっていたのですが、今回はじめて、〝つづきます〟というスタイルをとらせていただきました。

理由としては、僕の文章はいつも長いからです…

奧さんにもしょっちゅう、「あんたの話しは長い!」「結論から言って…(冷めた声で)」と責められています…(汗)

確かに読み返すといつも長いので、長くなりそうな時は2回とかに分けたほうがいいかな… と最近思ってました。

というのは表向きの理由で…

本当は
毎日書いていると、ネタが切れてくるので、
もっと小出しに記事を引っ張れば、
楽ができる!
(・∀・)

と思っているからです…(滝汗)


以前は月に5回ぐらいの更新だったので問題なかったのですが、最近何を思ったか

毎日更新するぞ!

と自分の中で決めちゃったもんで、自分のクビを自らしめている感じです…

が、とにかく気持ちが続くかぎりは毎日更新! というのをしばらく続けていきたいと思ってます。


■おすすめの本【マラソン・ランニング編】

そもそも僕がマラソンに挑戦したい! と思ってしまったのは、この本のせいです…
↓

そして、実際に走り始めて、長年の不摂生により、当然のごとく膝や腰がやばくなってきて、あわてて買った本がこちらです。
↓




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■最近書いた記事
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私は死にました…

死んだつもりで生きてみる

うつ病を治す方法…〝もう少し落ちよう〟と敢えて考えてみる

葉っぱの声が聞こえたよ

自分に◯をあげよう

瞑想は危険!? 発狂するという噂もありますが…

瞑想は危険!? いやいや…自我こそが憑依霊なんですよ

瞑想は危険!? 魔境とか憑依とか…

瞑想伝授(フルフィルメント瞑想)で〝空〟につながることはできるのか…!?

僕の奥さんの感想(阿部敏郎・智子夫妻のハートマントラの瞑想伝授【フルフィルメント瞑想】を受けて)

妻まで瞑想伝授(阿部敏郎・智子さんのフルフィルメント瞑想)に行ってしまいました…

パニック障害で車が運転できない…解決する方法【質疑応答】

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2014年7月28日月曜日

うつ病を治す方法…〝もう少し落ちよう〟と敢えて考えてみる



雑誌「クーリエ・ジャポン」9月号に面白い記事がのっていました。

その記事には、僕がうつ病を治す過程で思っていたことと重なる部分があったので、記事を引用しながら、僕の体験を紹介しますね。


■日々を楽しく生きるヒント


クーリエ・ジャポンの今月号は〝もっと「シンプル」に考えよう〟というテーマだったのですが、その特集記事の中に

「ヨーガ行者の王」が教える日々を楽しく生きるヒント

という見開きのページがありました。

執筆者は、ヨーガ行者で成瀬ヨーガグループを主催している成瀬雅春さん。


記事では、まず瞑想の大切さについて下記のように言及しています。

今、欧米では瞑想がブームだそうで、それを受けて日本でも瞑想への関心が高まっていると聞きます。
瞑想はヨーガでも重要な技法の一つであり、私もぜひお勧めしたいと思います。
瞑想というのは、決して難しいものではありません。本質はいたってシンプルです。一言で言うと「自分を観察すること」です。呼吸をゆっくりと整え、リラックスして、自分に意志を向ける。心と身体はどんな状態にあるのか。身体のどこの感覚が普段と違うのか。心は何を欲しているのか。何にとらわれているのか……。そういった自分の状態を、離れた視点から細かく見つけていくのです。

そして、成瀬さんは、瞑想能力があがってくると、

誤った選択をする可能性が低くなり

複数の選択肢から最良の道をパッと選ぶ力が自然に磨かれていく

自分の生活や仕事の習慣を客観的に見ることができるようになり、改善することで前よりも良い結果がでるようになる…

と言っています。

確かに瞑想というのは、どこまでの自分の内側を観察し、自分の内側に入っていく行為です。

自分のことは自分が一番わからない… といいますが、確かにその通りで、瞑想という自分で自分を観察する習慣がなければ、人は常に自分というものを、他者からの評価を頼りに見ることしかできません。

また、テレビや新聞や雑誌や本など、溢れんばかりの大量の情報はどんどん入ってくるし、目の前の仕事にはいつも追われているし、マインド・思考は常に未来と過去のことに捕らわれて、グルグルと回り続け、

自分を静かに観察する

そんな瞬間は決して訪れません。

やはり瞑想をすることで、はじめて、自分というものを冷静に観察することができ、本当の自分を知り、本当に自分がしたいことを知ることができるようになります。

自分を知り、自分が心から欲していることを知ることができて、はじめて人間は、魂が落ち着き、一意専心して物事に取り組むことができるようになります。

とかく人間は、あれやこれやとマインドは休むこと無く余計なことを考えつづけていて、膨大なエネルギーをロスしています。

特に他者に対する怒りや恨みや批判… などは、完全に自分の貴重なエネルギーを大きく奪います。

瞑想なんてやっている時間はない… 

というような忙しなく生きている人こそ、瞑想をすることで、より生産性は上がり、生活の質も向上していくので、ぜひ瞑想を取り入れることをお勧めします。


■「人生を楽にする」ための3カ条


クーリエ・ジャポンの記事に戻りますが、記事の後半では

「人生を楽にする」ための3カ条

として、下記の3カ条が紹介されています。

◯失敗からは這い上がろうとせず、「もう少し落ちよう」と考える

◯大切なことをするときは、力を入れるのではなく、力を抜く

◯常に死を意識して、今という瞬間を楽しみ、人生を充実させる


この1カ条目の
失敗からは這い上がろうとせず、「もう少し落ちよう」と考える
というのは、スゴイ真実をついた言葉です。

世間の価値観では、失敗したらそこから早く這い上がって挽回しよう…

というのが主流だと思いますが、成瀬さんは、それと真反対のことを主張しています。

エゴで生きていても、パワーがあるうちは、失敗しても挽回してやるという方式で乗り越えることはできると思います。

でも、例えばうつ病になってしまったり、長い人生の中では、大きな病気や愛する人の死など、どんな強い人でも精神的にボロボロになるぐらい落ち込む場面、がんばらないといけないのはわかっちゃいるけど、それでもがんばれない…

という状況になることは誰にだってきっとあると思います。

僕もうつ病になるまでは、失敗したら挽回しよう方式でがんばってきました。

でも、うつ病になった時は、がんばりたくてもがんばれなかったし、そもそもがんばる気力もなかったし、がんばりたくもない… という完全に電池が切れた状態になってしまいました。

でも、どんなどん底状態でも、人間にはエゴやマインドは残っています。

そこで、僕のマインドはこう言うのです。

「早くうつ病を治して社会復帰しないと、お前は本当に廃人のようになってしまうぞ…」
と。

僕のマインドは、「がんばらなきゃ…」と思います。

でも、どうしても力が湧いてこないし、そもそも外出することも部屋から出ることもできないのです。

がんばりたいけど、がんばれない…

そこで更にがんばれない自分を責め、自己嫌悪感が高まります。

そして、自分はダメな人間だと落ち込み、欝状態は更にひどくなっていきました。


■欝を治すには考え方を変えるだけでいい


僕の欝が最悪の状況から、良い方向に進みだしたのは、たった一つの考え方を逆転させてからでした。

それは

「欝病を治したい…」

という考え方から

「一生うつ病でもかまわない…」

という風に考え方を変えた瞬間から、僕のうつ病は徐々によくなっていきました。

まさに、成瀬さんの言う

失敗からは這い上がろうとせず、「もう少し落ちよう」と考える

を知らず実践したことで、結果的に僕はうつ病から回復することができました。


うつ病になると、身体が動かないけど、その分、マインドの活動はグルグルと周り激しくなります。

それは、

私のうつ病は本当に治るだろうか?

いつ治るだろうか?

職場には復帰できるだろうか?

職場のみんなに迷惑をかけてるんだろうな…

職場のみんなは怒っているかもしれない…

このまま休職が続けばクビになるかな…

もう退職したほうがいいかな…

退職したら再就職できるかな?

精神科通いのレッテルを貼られているんだろうな…

自殺してしまったらどうしよう…

廃人になったらどうしよう…

気が狂ったらどうしよう…

うつ病が治らなかったらどうしよう…


こんなマインドが止まることなく頭の中を周りつづけます。

でも、こういうマインドが出てくるのは、結局、このうつ病という失敗からどうやって這い上がろう… いや、そもそも這い上がれるだろうか? 復帰できるだろうか…?

という心配や不安やプレッシャーがあるから、こういうマインドが止まらなくなるのです。

でも、ここで一度マインドにブレーキをかけ、開き直って

「欝が治らなくてもかまわない…」

「もっと落ちてもかまわない…」

「また欝が再発してもかまわない…」

「最悪死んでもかまわない…」

というように、すべてをあきらめ、現状を受け入れ、そんな自分を許すと…

不思議なことに、マインドの騒ぎは収まってしまうのです。

不安を感じたり心配するからマインドが大騒ぎするのです。

心配・不安・恐怖=マインドであり。

マインド=心配・不安・恐怖です。

なので、現状を受け入れて、宇宙に降参することで、心配も不安も恐怖もなくなって、マインドも落ち着きを取り戻します。

マインドが収まると、そこではじめて人は物事に対して冷静に善処することができるようになるのです。

なので、自分がうつ病の場合
「早くうつ病を治したい…」と念願しますが、その思いが余計に焦りと不安を生み出し、欝は長引きます。

「うつ病でもかまわない… 今はとにかくゆっくり休もう」
と、思うことで、うつ病は徐々の治っていきます。


■うつ病を治す方法【まとめ】


人生を楽にする3カ条の2カ条目と3カ条目
↓
◯大切なことをするときは、力を入れるのではなく、力を抜く

◯常に死を意識して、今という瞬間を楽しみ、人生を充実させる

も、とてもいいことが書いてあるのですが、今日は解説は割愛します。
(いつも長文になってしまう…(^_^;))

うつ病を治す方法や体験談はこのブログでも過去に何度も書いてきましたが、
この

◯失敗からは這い上がろうとせず、「もう少し落ちよう」と考える

という考え方は、欝を治す上で、とても大きな力を発揮してくれる考え方です。

もし、今あなたが欝で悩んでいるのであれば、ぜひ「うつを治したい…」「治さなきゃ…」というプレッシャーから自分を解放してあげて、〝欝を治すため〟にも「欝でもかまわん… ゆっくり休もう」という風に自分を許してあげてください。(*^_^*)


■編集後期

公言しているわけではありませんが、自分の中だけの

ブログ毎日更新チャレンジ

が、9日間も続いています(・∀・)

どこまで続くかはわかんないけど、しばらく毎日更新を続けていきたいなと思っています。

今日も読んでくれてありがとうございます!(*^_^*)



■読み応えのある雑誌

一時期、いろんな雑誌を読みまくってましたが、最近はほとんど雑誌は読まなくなってしまいました。

でもクーリエ・ジャポンは、良質な記事が多いので、わりに気に入ってます。
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今月は特集の他にも
アドラー心理学超入門! とか
前世の記憶・生まれ変わりの謎! 
とか、良質な記事が多かったです。




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2014年7月26日土曜日

瞑想は危険!? 発狂するという噂もありますが…



昨日、一昨日と2日続けて瞑想の危険性について、といっても瞑想は安全ですよ^^ ということを言いたくて、同じテーマで書いてきました。

今日は別の話題について書こうと思っていたのですが、やっぱり今日も瞑想の安全性というか、素晴らしさについて書きたいと思います。

なぜなら僕自信が瞑想を生活に取り入れだしたことで、劇的変化というわけではありませんが、静かにゆるやかに生活が良い方法に変わりだしたからです。

瞑想を生活に取り入れれば、おそらくどんな人でも、生活の質が向上すると思っています。

瞑想は最近では芸能人やアスリートの人も瞑想していることを公言するなど、市民権を得つつありますが、それでもやっぱり、ある種宗教的な匂いがするとか、なんらかの恐れをもっている人もいると思います。

そういった誤解を解くためにも、瞑想の本質について、今日は僕の理解を下記に綴りたいと思います。


■瞑想で発狂するって本当ですか?


瞑想をすると頭がおかしくなる…?

瞑想で発狂した人がいるって本当?

そんな心配を聞いたことがあります。


そういったことが本当にるのかどうかは僕にはわかりませんが(カルト宗教の洗脳的な瞑想ではそういう悲劇もあったのかも? ですが…)、少なくとも僕のまわりでは瞑想をして、心がおだやかになったり、豊かになったり、より幸せになった人はたくさんいますが、発狂した人や不幸になった人も1人も知りません。

というか、そもそもの話しですが…

ちょっと問題発言かもしれませんが…

世界中がそもそも発狂している・・・・・
のかもしれません(^_^;)

どういうことなのか?

例えば、あなたが電車にのっていたとします。

すると前の席にちょっと変わった雰囲気のオジサンが座ります。

そしてそのオジサンは、誰も連れがいないのに、突然大きな声で喋り出します

「まったくちくしょう…! あの犬のおかげで☓&%$#"!&!!!! そっかそっか、うん、(笑)あのいとこ元気にしてっか&%$#"!*+><&%$… くっそ〜〜〜一発くらわしたろか! われ〜 おんどれ〜 &%$#"!&!!!!」

そういう人があなたの目の前にいた場合、あなたはどう思いますか?

たぶん目を合さないようにするのではないでしょうか?(^_^;)

こういう状態の人を世間では頭がおかしい人… といったりしますが、実は世の中のほとんどの人はこのオジサンとそれほどの違いはないのです。

唯一の違いは頭の中の思考を声に出すか出さないか

だけです。

私たちは寝ている時間以外は常に思考をしています。
その思考の内容は、問題を解決するために智恵をしぼっているという思考の時もありますが、ほとんどの思考は、過去の失敗や後悔、未来の心配ごとなどの、決して答えのでない解決することのない、堂々巡りの思考であることがほとんどです。

「あ〜! あの時なんであんなことしてしまったんだろう…」

とか

「なんで私がアイツにあんなこと言われないといけないの…」

とか

「くっそ〜… あの時ああ言い返せばよかった… こんど言い合いになったら絶対言ってやる!」

みたいな思考がぐるぐると頭の中でまわっています。

私たちはその思考を声に出さないので何とも思われませんが、その思考を声にだせば頭のおかしい人… ということになります。

でも、声に出す出さないという違いをのぞけば、考えていることは同じで、そういう観点から見れば、世の中のほとんどの人は発狂している… と言えなくもありません。(少なくとも思考に支配されている)

瞑想に話しを戻しますが、

瞑想こそが、その活動して止まない思考を止めてくれます。

つまり、発狂状態がデフォルトになっていて、瞑想中だけが、思考が止まってまともになっている… ということです。

かくいう僕も欝から立ち直ろうとしている時に、一時期とにかく自分の思考を観察するということにチャレンジした時期がありました。

その時には、自分の思考の止まらなさに思わず笑ってしまいました…

思考を止めよう、観察しようと… まるで不審者を絶対に通さないと気合を入れて門を守る守衛のように、自分の思考が出てこないように見張るのですが、それでも本当に3分も持ちません… 気がつけば全然関係ない思考が浮かび上がっているのです…

まさに思考マシーン… 心はいつでも、〝いまここ〟ではなく、ここ以外のどこかに飛び、過去に未来に飛んでいました…

このように心がバラバラに四散していると、常に心配や不安に振り回されて、
何か物事を成し遂げることなどできません。
また、心おだやかに落ち着いた毎日を送ることもできません。
思考にフラフラと振り回されて、日々は忙しなく過ぎ去っていきます。

瞑想をすることで、はじめてこの思考は止まります。

目を閉じて瞑想している瞬間だけが
思考から自由になれます。
(マスターになれば、瞑想行為中だけでなく、日々の生活そのものが瞑想になります)

思考がない状態とは自我・マインド・エゴがない状態なので、そこには真我しか残りません。

その状態を〝空(くう)〟ともいいますが、この状態は自分が消えて宇宙と一体化したような感覚で、不安や心配とは無縁の静寂の世界です。


■瞑想中にこそ思考が起こるんですけど…


ただ、瞑想をすれば思考が簡単に止まるかというと、少なくとも僕の場合は無理でした…

瞑想して思考を止めようと思えば思うほど思考の洪水が押し寄せてきました。

ピンク色の像を絶対に思い浮かべるな! 

と云われると、絶対にピンク色の像を思い浮かべてしまようような現象で、瞑想すれば余計に思考がわいているんじゃないかと思えるほどでした。

でも、本当は、瞑想中にかぎらず僕たちは、四六時中ず〜っと思考しているのです…

瞑想することにより、外部から情報が遮断され、気持ちが落ち着いてくるので、そこではじめて自分の思考があぶりだされるようにして、明るみに出ているだけなのです。

しかし、この思考の波は瞑想を続けることでだんだんと収まっていきます。

瞑想できない… といっていた頃の僕は、いまから思えば5分も瞑想をしていませんでした…。最長でも15分ぐらいだったと思いますが、今になってわかるのは、5分じゃなかなか瞑想状態に入れない…ということです。(すぐに瞑想状態に入れる人もいますが…)

でも、30分も瞑想を行えば、だんだん思考することにも疲れてきて、
瞬間的にでも思考が完全に止まるような瞬間が訪れます。

また、逆説的ですが、思考が起こっても全然構わない… 瞑想できなくても構わない… というふうに、開き直ったり手放したりすると、瞑想状態に入れるようになります。

瞑想は睡眠と同じで、寝るぞ! と気合を入れればなかなか寝付けないように、そして睡眠は行為じゃなくて、睡眠は向こうからやってくるように、瞑想も行為ではなく、瞑想状態が向こうからやってきます。

なので、瞑想中はとにかく思考が起ころうが、集中できてなかろうが、そんなことは一切気にせずに、ただリラックスして、なるがままにまかせていたらいいのです。

30分間、ただ目を閉じているだけでもいいや…

ぐらいに思って力を抜いていると、瞑想は突然やってきます。

瞑想は危険か? と聞かれれば、僕の体験、また妻をはじめ大勢の瞑想に取り組んでいる人をみても危険ではない! と理解しています。

ただ、危険とはまた別の話しですが、瞑想を終えた後の、瞑想状態から活動モードに帰るためのストレッチなどはしっかりしたほうがいいです。

瞑想状態に入ると代謝は睡眠中以上に落ちています、瞑想後にすぐに活動しだすことは、深海の底から一気に海面に急上昇するようなものなので、5分から10分ぐらいは時間をかけて、目をつむったまま、伸びをしたりストレッチをしたりあくびを出したりして、少しずつ瞑想状態を解除しほぐしていったほうが安全です。

…けっこうな長文になってしまいましたが、とにかく伝えたかったのは

瞑想は決して危険なものではありません。

ということです。

瞑想で頭がおかしくなるということもなくて、
逆におかしい頭を正常にもどしてくれるのが瞑想です。
(・∀・)


■編集後期

ここ4日間ほど毎日更新してきましたが、今日の更新は夜中の12時を過ぎてしまいました…。でも、まあいいんです(^_^;)

なんとなく今は、毎日更新していこう… という気持ちになっています。

このブログも10万アクセスを超えて、毎日1,000人もの人が読んでくれています。

読みにきてくれたのに、更新されていなかったら、申し訳ないかな… という気持ちもあるし、楽しみにして見に来てくれいてる人もいるかも? とも思ったりします。

そもそもこのブログを書き始めたきっかけは、メンターさんの勧めもありましたが、自分が欝になって、精神世界(真我に目覚めること)のことを勉強したり、体験することで、それまでの不安や疑問がどんどん消えていって、欝が治ったので、その体験や知識を同じ苦しみをもっている人にシェアしたいと思ったからです。

少しずついい時代になっていて、本当の自分、真我に目覚める人が増えてきました。

欝病も本当の自分に目覚めるための神からの恩寵だと確信しています。

自我のがんばりが現界に達した時に、人は欝になるのです。

生きている限り人生には色んなこともありますが、受け止め方や考え方をちょっと変えるだけで、苦しみを喜びに変えることすらできるようになります。(*^_^*)


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