〝欝病〟とか〝仕事を辞めたい〟というキーワードで検索して、このブログを訪問してくれる人がやっぱり多いです(アクセス解析を見ると)。
一時期は毎日1,000人以上がきてくれた当ブログですが、1ヶ月更新してなかったので、
アクセスがやっぱり減りました… が、更新もしていないのに、それでも毎日800人ぐらいの方に見てもらえています。ありがたいし嬉しいです。
このブログをはじめた経緯は、自分がまさかの〝うつ病〟になってしまって、本当に苦しんで、でも悟りとか真我についての学びを深めて、エゴ・思考を観察することで、なんとかうつ地獄から抜け出すことができた… そんな僕の体験が少しでも同じ悩み・苦しみを持つ人の助けになれば… という思いで始めました。
なので、今日もうつ病がらみの話を書きます。
エックハルト・トール先生の「ニューアース」は、今でも毎日のようにくり返し読んでいるのですが、今日は、とても大切だと思う文章があったので、以下に引用します。
■すべての理解にまさる安らぎ(「ニューアース」65ページより)
人生のどこかで悲劇的な喪失に出会い、その結果として新しい次元の意識を経験した人は多い。持ち物のすべてを失った人もいれば、子どもや配偶者を、社会的地位を、名声を、肉体的能力を失った人もいる。
場合によっては災害や戦争によってあらゆるものを同時に失い、「何も」残されていないことに気づいた人もいる。それは「限界的な状況」と呼んでもいいだろう。
何に自分を同一化していたにせよ、何が自分自身という意識を与えていたにせよ、それが奪い去られた。
そこでなぜかわからないが、当初感じた苦悶や激しい恐怖に代わって、ふいに「いまに在る」という聖なる意識、深い安らぎと静謐と、恐怖からの完璧な自由が訪れる。
この現象は「人のすべての考えにまさる神の平安」という言葉を残した聖パウロにはなじみのものだったに違いない。
確かにこの安らぎは筋が通らず、人は自分に問いかける。こんなことになったのに、どうしてこのような安らぎを感じられるのだろう、と。
エゴとは何でどのように作用するかがわかれば、答えは簡単だ。
あなたが自分を同一化していた形、自己意識を与えてくれた形が崩壊したり奪い去られたりすると、エゴも崩壊する。
エゴとは形との同一化だからだ。
もはや同一化する対象が何もなくなったとき、あなたはどうなるか?
まわりの形が死に絶えた、あるいは死にかけたとき、あなたの「大いなる存在」の感覚「私は在る(I Am)」という意識は形の束縛から解放される。
物質に囚われていたスピリットが自由になる。
あなたは形のないあまねく存在、あらゆる形や同一化に先立つ「大いなる存在」という真のアイデンティティの核心に気づく。
自分を何らかの対象に同一化する意識ではなく、意識そのものとしての自分というアイデンティティに気づく。
これが神の平安である。
あなたという存在の究極の真実とは、私はこれであるとかあれであるとかではなくて、「私は在る」なのだ。
大きな喪失を経験した人のすべてがこの気づきを経験して、形との同一化から切り離されるわけではない。
一部の人はすぐに、状況や他人や不当な運命や神の行為の被害者という強力な精神的イメージや思考を創り出す。
この思考の形とそれが生み出す怒りや恨み、自己憐憫などの感情に自分を強く同一化するから、これが喪失によって崩壊した他のすべての同一化にたちまちとって代わる。
言い換えれば、エゴはすぐに新しい形を見出す。
この新しい形がひどく不幸なものだということは、エゴにとっては大した問題ではない。
良くも悪くも同一化できればいいのだ。
それどころか、この新しいエゴは前よりももっと凝縮されて強固で難攻不落である。
悲劇的な喪失にぶつかったとき、人は抵抗するか屈するかしかない。
深い恨みを抱いて苦々しい人生を送る人もあれば、優しく賢く愛情深くなる人もいる。
屈するとは、あるがままを受け入れることだ。
人生に向かって自分を開くのである。
抵抗すると心が縮こまって、エゴの殻が固くなる。
あなたは閉ざされている。
抵抗しているときに(否定的な状況のときに、と言ってもいい)どんな行動を取っても、さらに外部の抵抗にあう。
宇宙はあなたの味方にはならない。
人生は助けてはくれない。
シャッターが閉まっていたら、日光は入ってこられない。
抵抗せずにあるがままを受け入れると、意識の新しい次元が開ける。
そのとき行動が可能か必要であれば、あなたの行動は全体と調和したものとなり、創造的な知性と開かれた心、つまり条件づけられていない意識によって支えられるだろう。
状況や人々が有利に、協力的に展開する。
不思議な偶然が起こる。
どんな行動も不可能ならば、あなたは抵抗の放棄とともに訪れる平安と静謐のうちに安らぐだろう。
それは神のもとでの安らぎである。
(「ニューアース」からの引用以上)
何度もこのブログで書いてきましたが、この文章からも、
「うつ病は神の恩寵である」ということがわかります。
まあ、うつに限らずですが、愛する人の死や、職を失うなど、精神的に強いショックを受けたり、人生が行き詰まった時というのチャンスなんです。
というのは、僕はたちはやっぱりエゴで生きています。
エゴとうのは、わがままや自分勝手、という意味で捉えがちですが、エゴの範囲ってものすごく広くて、その中でも自分でも気づかない最大のエゴは、自分を自分だと思っているエゴです。
どういうことかと言うと、自分の外見や仕事や立場や性格や考え方を持っている自分という一人の人間、それを自分だと思い込んでいます。
エゴは自分の外見を自分と同一視します。
エゴは自分の性格を自分と同一視します。
エゴは自分の社会的立場と自分を同一視します。
なので、自分の外見が事故で傷つけばエゴは大ショックを受けます。
自分の顔や身体が老化で劣化し、美しさが損なわれてくると、エゴは不安や悲しみを感じます。
これは外見を自分だと思っているエゴのなせる業です。
急にリストラされた… というようなケースでは、◯◯会社に勤めるている自分というエゴ、◯◯部長と呼ばれ、自分の能力を信じて疑わなかったエゴは、自分を自分として保っていた肩書を急に奪われ、自分のアイデンティティが崩壊します。
このようにアイデンティティが崩壊すると、精神的にも肉体的に立っていることができなくなり、ダウンします。
うつ病です。
でも、そこではじめて、ボロボロではあるけれど、自分を形づくっていたエゴが崩壊していく中で、自分の中にある、本当の自分を発見することが多々あります。
真我の存在をはじめて知ることになります。
これは神の恩寵です。
僕の場合も、欝になって、自分の存在価値がなくなって(そう感じていた)、エゴがぺしゃんこにされて、はじめて、自分の真我の存在に気づきました。
なので、僕にかぎらず、誰であっても、欝や苦しい限界状態にある人は、本当の自分に帰る最大のチャンスをもらっているともいえます。
でも、同時に、「ニューアース」の文章にあるように、悲劇や問題や困難を、人のせい、会社のせい、両親のせい… などと外部の責任にしてしまうと、終りのない悪循環へとはまりこんでしまいます。
僕も仕事を辞めた時、全くそういう思い(恨みみたいな感情)がなかったわけではありません。
元職場には、素晴らしい人もいましたが、そうでない人もいました。
嫌がらせもあったし、人として、それどうなの? というような冷たい言葉を言われたりもしたので、仕事を辞めた後も、何かの拍子に「くっそ〜・・・」というような負の感情が出てくることも度々ありました。
が、幸いなことに僕の場合は、その負の感情と一体化することはなく、「あ〜いかん、いかん」またエゴに捕らわれている… と気づくことができました(メンターさんの導きと「悟り系」の多くの本のおかげです)。
もし、このくっそ〜という感情と一体化していたとしたら、それは悲惨な人生だと思います。
また、くっそ〜という怒りとか恨みの逆のパターンも悲劇です。
つまり、こんなふうになったのは自分が悪いからだ、私に問題があったからだ… とふさぎ込み、落ち込むパターンです。
人を攻撃するものエゴならば、自分自身を傷つけるものエゴです。
実はエゴの大好物って、「不幸な自分」であったりもします。
あとは、よくあるパターンとして、スピリチュアルなエゴもあります。
あの会社の人間はエゴだらけだ、世間はエゴに満ちている!
そしてスピリチュアルに目覚めた自分を清らかな存在と思い込み、世間に対して上から目線になります。こういうのは最もやっかいなエゴかもしれません。
さてさて、
ニューアースの上の文章では、下記の言葉がありました。
抵抗せずにあるがままを受け入れると、意識の新しい次元が開ける。
僕もこの言葉には全く同感で(だからこのブログのタイトルも「あるがまま」になっています)、僕の欝が治ったのは、もう本当に全ての意味で何もかもを
あきらめたからです。
当時の一番の不安は、「このまま欝が治らなかったらどうしよう…」でしたが、最終的には「一生うつ病でもかまわない」と開き直った時に、何かが変わって、僕の落ちていく一方のうつ状態は、これを境に快方へと向いはじめました。
あるがままで生きよう! と決心したからでした。
「サレンダーのススメ」という本もありますが、このサレンダー(降参するとい意味)って、人生を幸せに生きる一つの大切なキーワードだと思います。
自分の容姿に不満をもって生きるのは不幸なことです。
自分の家族に不満をもって生きるのも不幸なことです。
自分の仕事に不満をもって生きるのも不幸なことです。
まずは、心を開いて、受け入れる(サレンダーする)
変えられないものを変えようと抵抗すればするほど、ますます苦しみは大きくなります。
僕の場合は、あるがままで生きると決めてからは、生活のほとんど全てに問題がなくなりました。
これは言い換えれば、問題が問題でなくった… とも言えます。
というのは、問題を作りだしていたのは自分自身(エゴ)だったからです。
欝以前と欝以降で世界が変ったわけではありません。
世界は世界として、ただそこにあり。何の変化もありません。
ただ変ったのは、僕の物事の見方です。
問題をや心配事を発見し(作り出し)、それを克服しなければ… と悪戦苦闘すれば、この世は厳しいことの連続ですが、問題や心配事があったとしても、それを受け入れ降参すれば、その瞬間から問題は問題ではなくなります。
もちろんのことですが、あるがままというのは、クラゲ人間のように、無気力無抵抗で生きるわけではありません。
しっかりと行動して、常に善処していくことは人間の本分です。(うつでそれが出来ないときは、それでOKですよ)
とにかく、本当のあなた(真我)は、愛そのものであり、善そのものです。
苦しんでいるのは偽物の自分であるエゴです。
いや、違うんです… 本当に私自身が苦しいんです…
としか思えなくても、苦しんでいるのはあなたではありません。あなたのエゴです(このことを受け入れるのは難しいかもしれませんが、それを認め、受け入れることから変化ははじまります)。
もし、あなたが欝状態であったり、人生の困難の中にいるのであれば、今日のエックハルト・トール先生の言葉は、きっとその困難から抜け出すための大いなるヒントになると思います。
心を開いて、もう一度読んでみてください。
今日もこんな長文を読んでくれてありがとう!
あなたが大好きです。
あゆむ 拝
(・∀・)
■〘質疑応答コーナー 第3回〙
たくさんのコメントを本当ありがとうございます。
このコーナーでは、コメントを通じていただいた質問やメッセージに回答していきます。
☆すごい本見つけました! そして復活しました(*^_^*)
への真理子さんからのコメント
ずいぶん前から読んでます。ありがとうございます。 実は、私もあゆむさんのメンターさんにお話し聞きたいです。連絡先おしえていただけませんか。おねがいします。
〘返信〙
ずいぶん前からこのブログを読んでくださっているとのこと、本当にありがとうございます。
過去の文章を読み返すと(あまり読み返しませんが…汗)、ずいぶんと肩に力が入っていたなあ… と自分でもおもいます。
ちょっとスピリチュアルに針が振れすぎていた時期もあったので、浮世離れしていた感は否めません… が、全てその時その時に感じていたことなので、勘違いな文章も含めて、全てそのままにしておこうと思います。
メンターさんの連絡先ですが、それは僕からはお伝えすることはできません(本当にすいません)。
一時期は対外的な講演会なども全国規模で行っていたのですが、今は静かな生活をされて、そういったことは行っていません。
また、対外的に活動を行うようなことがあれば、当ブログにて告知させていただきます。(といっても、そんな予定はいまのところないですが…)
■編集後記
今日は、このブログの更新は考えてなくて、一日、本業の仕事をしよう! と思っていたのですが、朝に妻とケンカをしてしまって、ちょっと心がざわついていたので、そんな心を静めるべく「ニューアース」を読んでいたら、いい文章が見つかったので、すばやく更新することにしました。
基本的にはすごく仲のいい夫婦なのですが、時々、そういうことが起きてしまいます。
僕は平和を愛する男なので、自分から奧さんを責めたり、怒ったりすることはないのですが、奧さんに言わせたら「あんたが悪い」ということのようです。
まあ、たぶんというか、僕には問題がいっぱいあるので、きっとそうなんでしょう(^_^;)
でも、こういうケンカが起きるってことは、僕にも奧さんにも、まだまだたくさんのエゴがあるんだと思います。
できれば、彼女からの攻撃を全て大きな愛で包み込んであげることができればいいのですが、まだまだそこまでの器は僕にはないようです。
まあ、すぐに仲直りはするんですけどね(・∀・)
今日の朝は結構ヘビーだったので、帰宅するのがちょっと恐いです(←エゴ!…汗)
PS
上までの文章を午前10時頃ににガストで書きました。
その後、人に会って仕事をして、現在は午後5時でツタヤで上の文章の校正をしてました。
今日はなんとなく、このまま仕事をしようと、妻に「晩御飯はいりません」とメールしたのですが、妻から「さんま焼いて待ってるから家で食べて(*^_^*)」とメールが返ってきました。
午前中に文章を書き終わった後に、妻とケンカしたことは、やっぱり自分のエゴが原因だったと反省してました。同時に妻もやっぱりエゴだったなと思いました。
でも、そのエゴの妻は本当の彼女ではなく、エゴの彼女であって、彼女の中の本当の存在を見るようにしよう、話かけるようにしよう… と思っていました。
もちろん、僕自身もエゴの自分ではなく、本当の自分(真我)で接するようにしよう… と決意していました。
そう思っていたら、彼女から上記和解のメールが届いたわけです。
鏡の法則というか、直接接していなくても、こういう思いは通じるのだと思った次第です。
PS2
まあ、またケンカすることもあると思いますけど(滝汗…)( ̄ー ̄;)ゞ
■おすすめの本
必読です。(^o^)丿
↓
エックハルト・トール先生のデビュー作はこっち
↓
エックハルト・トール先生の本は分厚く、初心者には難解な面もあります。
なので、初心者?の方は、阿部敏郎さんの本が、ものすごく読みやすいです。
↓
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一時期はかなり上位にあったのですが…
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