2023年2月22日水曜日

真の成功とは、あなたが「本当の自分を100%生きている」ということです。

 真の成功とは、あなたが「本当の自分を100%生きている」ということです。

ウィリアム・レーネン著「直感力が高まる生き方」より


上記の言葉…

 真の成功とは、あなたが「本当の自分を100%生きている」ということです。

にしびれました。


僕は一時期、バカみたいに成功者になりたい!

と思っていた時期がありました。


それで実際に、金銭的には成功者になりつつあるかも…

と思えた時期もありました。

月収200万円オーバーが何ヶ月も続いたような時期もあったからです。


でも、もっと成功したい!もっと豊かになりたい!

と思いながらも、心のどこかでは不安もありました。

こういう状態が本当にこのままずっと続くのだろうか?

的な。


そして、僕のそんな不安は的中することになります。

遊びながら暮らしていたようなボーナスタイムは2年ももたずに終わりました。

収入は日々減っていき、ついにはあれだけ組織ではもう二度と働きたくない!一生フリーランスで生きていくと誓っていた僕ですが、就職せざるを得なくなってしまいました。

で…組織で働くということは日々いろいろとあるわけです。

時には理不尽な事態に直面し辛い気分になる時もあります。

逆に仲間と協力しあって喜びをわかちあうという嬉しい瞬間ももちろんあります。

というか、今の仕事は実はけっこうやりがいがあったりもして、恵まれているな…とも思ってます。


そんな日常の中で、一時期は強烈に「成功したい!」「成功者になりたい!」と思っていた僕ですが、ここ数年はそういう意識は自然となくなってきました。

豊さを否定するつもりは全くないし、今でももっと豊かになりたいと思っています。

でも、それよりも大切なのは…

自分らしく生きる。

自分を大切にする。

自分を大切にするように、もちろん他人も大切にする。

自分のやりたいことをやる。

自分のやりたい!という気持ちを大切にする。


そんなふうな価値観に自然と変わってきました。

最近は得にずっとそんな気分だったので、本棚にあったウィリアム・レーネンさんの本の背表紙がたまたま目に入って、その本を手に取り、その冒頭に…

 真の成功とは、あなたが「本当の自分を100%生きている」ということです。

という言葉を読んだ瞬間に、ものすごくしっくりきました。

本当にその通りだなと思います。


どれだけの高収入を得ていていも、あるいは高い肩書を持っていても、ものすごくたくさんのフォロワーがいたとしても、本当の自分を生きていなかったら結構辛いと思います。

そしてそういうのって、砂上の楼閣というか、永続することはできないと思う。

何より、心の底から安心したり、くつろいだりできないと思う。

そして、それは幸せではないと思う。


逆に本当の自分を生きている人は幸せであるに違いないと思う。

収入とか肩書とかがなくても、毎日が充実していると思うし、逆に・・・


本当の自分を100%生きている人が不幸でいれるはずがないし、収入だって生きていくためには充分な稼ぎが、宇宙から、世界から与えられと信じています。


僕の人生にも、いい時もそうでない時もあって、いろんな浮き沈みを体験してきたけど、これからの人生は「本当の自分を100%生きる」をテーマに、もっと素直に、もっと軽く、もっと自由に生きていこうと思う。

もちろん、僕のようにサラリーマン的に生きている人にとっては、いろんな制約や我慢があったりもすると思います。

それでも、そこで心が折れたり、諦めたりせずに、どんな環境であっても、本当の自分を生きていくことはできると思う。

100%は無理であっても、かぎりなく、本当の自分を生きていくことはできると思う。

そして、そういう人はきっとどんな組織にいても、周囲を照らす光になると僕は信じています。

僕はそんなふうにこれから生きていきます。

あなたもどうですか?

これからどんなふうに生きていきたいですか?

人生に成功したいですか?

最後にもう一度、ウィリアム・レーネンさんの言葉を紹介させていただきます。

 真の成功とは、あなたが「本当の自分を100%生きている」ということです。


【編集後記】

一時期、なんでそうなったのかは覚えてないけれど、ウィリアム・レーネンさんの本を6冊ぐらいアマゾンで一気に大人買いしたことがあります。

でも、なぜか不思議なことに、どの本もちらっとななめ読みしただけで、一冊も読了せずに、本棚で眠ってました。

それが、数日前にふっと本棚にあるレーネンさんの本を手にとって、本を開くと

 真の成功とは、あなたが「本当の自分を100%生きている」ということです。

という言葉が目に飛び込んできたわけです。

ほんまにそう!

と我が意を得た気持ちになりました。

僕はもう、さすがにこの歳になって、いろんな体験をしてきて、いいかげん、本当の自分に戻りたいんです。

このブログタイトルどおりに

あるがままに

生きていきたいんです。


もうね、年収とか車とか家とかファッションとかどうでもいいというと語弊があるけど、そんなことよりも、自由に、自分らしく生きていきたいのです。

そして、本当の自分を100%生きていけば、きっとそこからあらゆる道が開けてくるし、逆に自分に嘘をついていたり、心を殺すように生き方だと、ジリ貧だし、一生どこにもたどり着けないと思っています。

今日こんな記事を書いたのはこれを読んでくれているあなたに

 真の成功とは、あなたが「本当の自分を100%生きている」ということです。

という言葉をただただ伝えたかったからです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

あゆむ 拝

^_^

レーネンさんの本のアマゾンリンクはっておきますね。

↓  ↓  ↓


2023年2月16日木曜日

うつ病・不安障害は完治しますッ!!

このブログのアクセス数が気がついたら100万アクセスを越えてました。
↓  ↓  ↓



ブログを立ち上げた当初は割と頻繁に更新してましたが、最近はほとんど更新できてなくてアクセス数もガタ落ちしていたのですが、僕のブログに100万回もアクセスがあったことは素直に嬉しく思います。

そして、アクセス解析を見たら、やっぱり鬱病とか不安障害とか、そういう検索ワードで訪問している人が多くて、そして過去にはそういった悩みを持つ読者さんから直接コメントをもらったりしたこともけっこうあったし、僕の書いた記事で救われた… という声をいただいたこともあったので、そういう意味では書いてきてよかった、続けてきて良かったなって思ってます。

ということで、今日は本当に久しぶりに「鬱病・不安障害」をテーマに記事を書きます。

この記事を読んで、あなたの気持ちがほんの少しでも軽くなってくれたら本当に嬉しいです。

それでは本編
鬱病も不安障害も完治する… 
という素晴らしい真実について僕の体験談を元にありのままを書きますね。 


 【結論】あれから一度もうつ病は再発してません 


2013年の秋に僕は人生ではじめて「うつ病」を発症しました。

それは今からちょうど10年前のことで僕が39歳の時でした。

人生ではじめて訪れたメンタルクリニックでは医師により

不安障害

という診断結果が出ました。

その頃のことは今ではもうほとんど思い出すことはないのですが、当時は本当にほんとうに苦しかったです。

いろんな苦しさがあったけど、一番苦しかったは…

僕はもう一生このままうつ病で、社会復帰できないかも…

という不安…恐怖心が強くて、それが一番苦しかったです。

だから、今この記事を読んでくれているあなたが、今現在、不安障害とかパニック障害とかで現在進行系で悩んでいるのであれば
「この症状は治るのだろうか?」とか
「一生このままだったらどうしよう…」とか
そういう不安を持たれているかもしれません。

だから、そんなあなたに向けて僕は嘘偽りなくお伝えします。

うつ病も、不安障害も、パニック障害も完治します。

と。

その根拠は…

僕が鬱病を完治してから10年経ちましたが、それから一度も鬱病もパニック障害も再発してないからです。

 うつ病は一度かかると治らない!?


「うつ病は完治する!」という主張の根拠が僕の体験談…
と聞いて、「説得力がないな…」とあなたは思いましたか?

確かに世の中の多くの情報では

日本人の6人〜7人に1人は人生で一度は鬱病を発症する

とか

一度鬱病にかかるとなかなか治らない…

とか

うつ病を治すには薬を飲むしかない…

とか

薬が効かない場合は、さらに強い薬が処方されて、そのうち薬でココロもカラダもボロボロになる…

とか

そういったより不安を煽るように、ネガティブな情報が溢れています。

こういった情報って、僕はこの世界に余計にうつ病患者を増やしていると思うし、完治を遅らせている元凶の一つであるとも思っています。

特に今現在うつに悩んでいる人であれば、こういうマイナスな情報は見ない方がいいです。

余計に気持ちが沈むだけで、プラスにはなりません。

これは僕の体験談でしかないけれども、少なくとも僕は…

薬に頼らずに鬱が治ったし

一度も再発していません。

それで、もしあなたが今、何らかの心の病というか、苦しみを抱えているのであれば、僕の体験談が役立つ部分もあると思うので、あなたにとって何らかのヒントになってほしい…と願って、今から、僕がどうやってうつ病から抜け出すことができたのか?
そして、その後再発させずに元気に生きていくために、日々どんなことに気をつけて過ごしているのか?
についてありのままを本音100%で書きますね。

 うつ病から抜け出す方法


うつ病からどうやって抜け出したのか? 
については、過去記事でいろんな角度から書いてきたので、時間があればぜひ過去記事を読んでもらえらと思いますが…
↓  ↓  ↓


あれから10年以上が過ぎた今、振り返って思うことは…

一番は…

もう最悪死んでもいい

とあきらめたことです。


この、最悪死んでもいい

という感覚は誤解を生むとよくないので、もう少しくわしく背景を書きますね。


当時の僕が一番苦しかったのは「僕は一生うつ病のままで治らないのではないか…」という不安でした。

家から一歩も出れなくなっていたし、薬を飲まないと眠ることもできなくなっていたし、何よりも24時間、寝ている時以外はずっと頭の中がボワボワしていたんです。

このボワボワが本当に苦しかったし、しんどかった…

この頭がボワボワする感覚を言葉にするのは難しいんだけど、もし鬱病になったことがあったり、今現在何かしらの不安障害を持っている人であれば、逆に言葉なんかで説明しなくても「ああ、あの感覚ね」と理解してもらえるかもしれませんが…

とにかく頭の中が不安で支配されて…

ずっとぐわんぐわんと世界が傾いているような…

世界がぐわんぐわんと揺れているような…

平衡感覚が失われていくような…

何も生産的な行動や考えが持てなくなるような…

そして、この苦しみが一生続くのでは…

というような恐怖や不安につつまれた感覚。

それがボワボワです。


当時の僕は真剣に、このボワボワは一生続く…

って絶望していました。

でも、あれから10年、今の僕にはボワボワの感覚は全くありません。

日々、時には悩んだり躓いたりすることもありますが、普通に前向きに社会生活を営んでいるし、ありがたいなって思いながら幸せに暮らせています。

なので、今この記事を読んでいるあなたも、今は苦しんでいるとしても、きっと完全によくなると思うので安心してほしいです。

それで、さきほど書いた

「もう最悪死んでもいい」とあきらめたことです。

という感覚についてもう少し詳しく説明します。



ようするに、当時の僕の一番の苦しみというか恐怖は

一生ボワボワが続くかも…

社会復帰できないかも…

という恐怖でした。


で、これはうつ病克服の過程だけに限らす、あらゆる場面で有効な手法なのですが、何事もサレンダーした瞬間に物事は解決してしまうんです。

サレンダーというのは
surrender
という英単語で

直訳すれば
降参する、明け渡す、放棄する、身を任せる
という意味です。

ようするに、この鬱病を完治させる過程で僕の転機となったのは

もう一生うつ病のままでいい

もう一生社会復帰でなくてもいい

もう最悪死んでもいい

と諦め、降参したことでした。

そうやって降参して、全てをあきらめて、サレンダーしたら何が起きたと思いますか?

なんと!

そのサレンダーした、その日から、その決意した瞬間から、僕の鬱症状は好転し、回復へと向かい出したのです。

不思議だと思いませんか?

一生うつ病のままでいい!と諦めた瞬間にうつ病が治りはじめるんですよ。

このメカニズムの仕組みは実はシンプルです。

うつ病で僕が一番苦しかったのは

自分のうつ病は一生治らないかもしれない…

という恐怖でした。

僕には当時、守るべき妻とまだ幼い子供が二人いました。

なので、僕のうつが治らなければ家族が路頭に迷ってしまう…

という恐怖も強くありました。

でも、これって、僕の頭が勝手にでっちあげたストーリーなんです。

脳内ファンタジーなんです。

なぜなら

うつ病は克服するかもしれないからです。

でも、当時の僕には「鬱病は治る」というストーリーは一切頭にありませんでした。

不安と恐怖に支配されていたので、「僕の鬱病は一生治らないかもしれない…」と勝手にストーリーを作り上げていて、そしてそのストーリーが原因で、さらに不安と恐怖が増幅して、さらに状態が悪化する… という悪循環、負の無限ループに陥ってしまっていたのです。

その恐怖のストーリー、負の無限ループを断ち切るために最適かつ有効な方法が

サレンダー

することだったんです。



うつが一生治らないかも… という僕が作り上げた幻の恐怖は

もう、一生うつのままでもいい
最悪、死んでもいいや

と開き直ることで、幻を幻であると見破ることができたので、その幻は消えてなくなりました。

この部分、ものすごく重要です。

もう、答えをいいますね。

この一生うつが治らないかもしれない…というでっちあげストーリーもそうだし、日々のあらゆる心配毎や恐怖の正体は・・・・・・・

エゴ(思考)

なんです。

大事なことなので2回いいます。

僕たちの不安や恐怖や心配毎を生み出しているのはエゴ(思考)です。

特にまだ実際に起こってもいないのに、そうなるかもしれない…
とか
そうなったらどうしよう…
というまだ起きてもいない出来事が未来に起きたらどうしよう…
という不安・恐怖・心配はすべてエゴが作り出したストーリーです。


なのでエゴ(思考)と一体にならずに、エゴから離れることで、僕たちは恐怖や不安から離れることができました。

そして、エゴから離れる鍵となるのが、サレンダーすることです。

問題を解決しようと思うから
「解決できるだろうか…」
「解決できなかったらどうしよう…」
と不安になるのです。

鬱の場合でいうと
「欝病は治るのだろうか…」
「治らなかったらどうしよう…」
と不安になるのです。

この不安を解消する一番の方法は

問題を解決しようとしないことです。
問題を解決することをあきらめて(サレンダーして)
もう解決しなくていいや
と手放した瞬間に
問題は問題でなくなってしまうのです。

なぜなら、もうそこに解決すべき問題はなくなっているので。


つまり、僕の場合…

①欝病を治したい

②でも治らないかもしれない

③一生治らなかったらどうしよう

と思って、その不安の無限ループから脱出できずに苦しんでいたのですが、発想を変えて

①欝病が治らなくてもいい

②最悪死んでもいい

とあきらめたことで「欝病を治さなくてはならない」という問題が消えてしまったわけです。



欲しい!欲しい!と執着している間は欲しいものが手に入らずに
もういいや… と手放した瞬間に手に入る
みたいなことって世の中にはけっこうありますが、そういう感じです。




えっと…

ついつい熱く語ってしまいましたが、今現在、うつで本当に苦しんでいる人には、なかなか理解してもらえないかもしれません。

そんな簡単な問題じゃないんだ… と思われたかもしれません。

その感覚もまたわかります。



ちょっと言葉を変えて言うなら…

あまり深刻に考えずに

ゆっくりしよう

ということです。


動けない時は動けないし、ポジティブになれない時はなれない。

ダメな自分でも、鬱な自分でも、それを責めずに、ただただそんな自分を許して、ゆっくりする。

それがまずは大切だと思います。



焦らない
ことが大事です。

神さまから休憩する時間をもらったんだ

ぐらいに思って、回復するまではゆっくり過ごすのが一番です。


僕は鬱がひどい時は家から一歩も出れず、布団からも起き上がれないぐらいでしたが、本だけは読むことができました。

そして、僕はスピリチュアル系の本を読み漁ることで、サレンダーという言葉を知って、欝病に対しても、自分の人生に対してもサレンダーすることができました。

そしてサレンダーしてからはずいぶんと気持ちが楽になりました。

それでも、まだ鬱が抜けきらなかった当時は、安心したり、また不安になったりを繰り返していました。

何事にも時間はかかるものだと思います。

サレンダーしたから、はい解決!
みたいな感じで簡単に治るものでもないと思います。

でも、サレンダーして諦めることで、きっとそこから気持ちに余裕ができて、少しずつでも好転していくと思います。


少しずつ元気になってきたら、本を読んだり、室内でもいいから少しストレッチとかカラダを動かすのがいいです。

僕の場合は、とにかく本を読んで、少し元気になってきてからは、家庭菜園で畑を耕したり、ランニングをしたりすることで、どんどんと回復していくことができました。

あとは、なにより家族に救われました。



長々と書いてきましたが、鬱を治す方法はいろいろあると思うし、この記事の方法はあくまでも僕の体験に基づいた方法です。

しっかり薬を飲むことで治った人もいるでしょうし、医師の助言で治った人もいると思います。

とにかく焦らずに、ゆっくりと過ごしてください。

直接僕になにか質問したい人はコメントください。

何らかの方法で回答させてもらいます。

あゆむ 拝


2023年1月16日月曜日

私には中立的な思いはありません。

私には中立的な思いはありません。

奇跡のコース(ACIM)第2巻学習者のためのワークブック:38ページ:レッスン16:私には中立的な思いはありません。より


奇跡のコースのワークで出てきたこの言葉。

今日はじめてその意味が理解できて、ものすごくハッとさせられたので、思わずブログに書いてます。

このワークの中では

「   」についてのこの思いは中立的な思いではありません。なぜなら、私には中立的な思いはないからです。

というワークを行うのですが、「   」の部分には、自分が不安に感じる思いを入れてワークを行います。

それで、僕も僕がずっと長年感じてきている不安と、今現在抱えてる不安を「    」の部分に入れて、自分の心の中で、このワークを何度か行ったのですが、その時に…

ハッ!!

としたんです。

大袈裟に言うと、雷に打たれたような衝撃というか…

本当にびっくりしました。


何にびっくりしたかというと、本当にこのワークの言葉どおり

私には中立的な思いはありません。

ということが本当に真実である。

ということにびっくりしたんです。


というか、私がこのワークで行った

「   」についてのこの思いは中立的な思いではありません。なぜなら、私には中立的な思いはないからです。

の「   」に入る全ての思いは、つまりはいろんな不安や心配事の全ては、愛でもなく、中立的な思いでもなく

全て恐怖や不安から生み出された思い

であるという事実に愕然としました。


多分、これは僕だけではなくて、ほとんどの人にも当てはまる驚愕の事実であると思います。

一日に僕たちは本当にいろんなことを考えて、いろんな思いが湧き上がってきますが、そのほとんどは、過去や未来のことばかりで、しかも考えている内容というのは、ハッピーなことよりも、心配毎とか、後悔とか、不安とか… そんなことを考えていることのほうが多いと思います。

で、そういうのって、本当に中立的な思いじゃなくて、全部自分の過去の体験を基に自分ででっちあげた恐れや不安なんですね。

心配事の9割は起こらない

なんて本もありますが(僕も持ってます)、本当にそうなんです。


僕の今日の感覚、あなたには伝わってますか?

なんていうのか、僕たちは物事に対して、常に中立でニュートラルであるべきだと思うけど、それってほぼ無理なんだということですね。

あらゆる、現実や事象、あるいは湧き上がってくる思いは中立ではなく

常に

あるいは

恐れ

から来ているということです。


そして、その事実を認めた上で、何に基づいて生きるか?

日々湧き上がってくる思いはどこから来ているのか?

それを見つめることが大切なんだと思います。


奇跡のコース、本当に深いし、たくさんの気づきをくれる素晴らしい本です。

なんてことを書いている僕ですが、2013年に購入してはや10年、まだ一度も読み終わったことがありません。

ワークを一年かけてやりぬこうと、過去に3〜4回、ワークとテキストに取り組んだことはあるのですが、毎回途中で挫折してきました。

でも、今年は新年の1月1日から再び新たな気持ではじめたのですが、今回はものすごく内容が魂に入ってきます。

機が熟したのだと思います。

これからも大きな気付きがある度に、このブログでシェアしていきますね。


最後まで読んでくれてありがとう!

あゆむ 拝


2023年1月8日日曜日

真実の喜びは、すべて、「神の意思」を行うことから生まれます。

真実の喜びは、すべて、「神の意思」を行うことから生まれます。

なぜなら、「神の意思」を行わないことは「自己」の否定だからです。

奇跡のコース(ACIM)第1巻テキスト:17ページ:第1章:Ⅶ.奇跡衝動の歪みより


ものすごくシンプルで短い言葉だけど、この言葉にあらゆる問題を解決する全てが集約されてます。

真実の喜びは神の意思を行うことから生まれます。

現実世界は厳しい… というエゴの認識があるから、僕たちはすぐに不安にとらわれます。

人間関係のこと、お金のこと、健康のこと…などなど。

また、他人からの評価とか、出世欲とか、金銭欲とか、そういった欲望を根底に行動することがほとんどです。

でも、そこに真実の喜びはありません。

すべてエゴが根底になっているからです。

エゴを満たせば、瞬間的には喜びとか幸せという感覚を持つことができます。

でも、それは瞬間的なことで永続性はありません。

もう、それではダメなのです。

エゴは人間として肉体を持って生きている限り、完全になくすことはできません。

でも、エゴを認識し、コントロールすることは誰にでも可能です。

本当に幸せに生きたいのなら何か行動をするたびに

この行動は神の意思に基づいているか?

を自問して、イエスならば全力で取り組む。

それだけで、人生は全て良い方向に向います。

逆に、その行動や想いがエゴに基づいたものならば、その行動は行わない。

なぜなら…

「神の意思」を行わないことは「自己」の否定だからです。



ものすごくシンプルな世界。

ですね。


めっちゃ久しぶりの更新。

読んでいただきありがとうございます。

あなたの人生に幸多からんことを!


あゆむ 拝



2019年6月12日水曜日

ACIM 奇跡のコース…三度目の挑戦

ACIM 奇跡のコース…三度目の挑戦


このブログでも過去にこんな記事を書きましたが…
↓  ↓  ↓

2018年は再び「奇跡のコース」に取り組みます。


僕は、2016年の1月1日に、この一年で奇跡のコースに取り組むぞ!
と張り切って毎日のワークブックに取り組んだもののたぶん1ヶ月ぐらいで挫折しました。

そして、その二年後の2018年の正月あけにも、もう一度、奇跡のコースに取り組みました。

この時は、三ヶ月ぐらいは毎日のワークに取り組んだのですが、やっぱりどこかのタイミングであきらめて放置してしまいました。

そして、今年の4月17日から突然思い立って三度目の挑戦になりますが、奇跡のコースに取り組んでいます。

奇跡のコースってなんぞ?

と思われている方は、こちらのリンクをご覧ください。
↓  ↓  ↓

ACIM - ウィキペディア



『奇跡講座』とは?


僕的に「奇跡の講座」についてシンプルに説明すると…

現代のスピリチュアルの源流ともいえる、膨大に分厚いバイブル的な本です。



ヘレン・シャックマンという女性が自動書記に近い状態でメッセージを書き綴った本で、そのメッセージの主はキリストであると言われています。

現在生きている中でもっとも世界的に有名なスピリチュアル指導者のエックハルト・トールも、そもそもの目覚めのきっかけは「奇跡のコース」を読んだことにあります。

僕はこれまでに300冊以上はスピリチュアルな本を読んできましたが、かなり多くの著者が「奇跡のコース」について言及しているし、人生を変えてくれた本と絶賛してたりする、そんな本です。

そして、これもまた共通してみんな言っていることですが、この奇跡のコースってめちゃくちゃ分厚くて、単純にボリュームが半端ないんですが、それでいて

ものすごく難解です。

ははは…

これね、本当に激ムズです。

僕はかなりの本好きだし、スピリチュアル系の本は、ライトなものからヘビーなものまで、読了できなかった本はほぼありません。

でも、この奇跡のコースに関しては、絶対にこの一年で読むぞ〜!

と固く決意して読みはじめたのに、まだ前半部分のうちで挫折してしまいました。

たしかに難解な本ではあると思います。

ACIM奇跡のコース…難しい難解文字小さい


でも、難解なんだけど、その中でもキラリと光る部分というか、

すげー〜〜〜〜!

って思う記述もある本で、難解な中にも、読みながら純粋な驚きと喜びがあったことも確かです。

でも、最後まで読めなかった…


それでしばらく本棚で眠っていたのですが、このたびまた奇跡のコースに取り組もう!って思ったのは、妻がきっかけでした。


えっと、僕ってホントに妻からの影響大な男です…(汗)

妻には瞑想友達が何人か全国にいて、時々集まってランチなんかをしているみたいなのですが、その友達の一人が、一年かけて奇跡のコースをやりきったと…

途中、本を投げ出したい気持に何度もなったけど、それでも必死で鞭打って、一年間続けたところ、その過程で、また読了した時に、まあ本当に奇跡が起こったと…

新しい世界が広がり、人生が変わったと…

そんな話を聞いたそうです。

つまり…奇跡のコースを一年で最後までやり終えたら、本当に奇跡が起きた…
って話です。


で、その話を妻に聞いて僕も、やっぱ奇跡のコースってスゴイんや!

って思って、これはもしかしたら、今が良きタイミングなのかも???

と思って、突発的に奇跡のコースに取り組むことにしたんです。


えっと、奇跡のコースを読むではなく、
取り組む
と書いてあるのは、理由があります。

奇跡のコースはテキストで1冊
そして、ワークブックで1冊になっていて、ワークブックには365のレッスンが乗っていて、それを一日、1ワークずつ取り組む形になっているからです。

ACIM奇跡のコース本2冊


つまり、読書というよりも、365日間、ワークに取り組む本なんです。

で、今日現在でワークはレッスン36まで進んでいて(はい、毎日のつもりが時々サボった日がありました…)、テキストのほうは172ページまで読んだところです。

そして、不思議なのですが、3回目の挑戦である今回は、以前に2回に比べると、ものすごく内容が理解できるようになりました。

もちろん難解な部分はあるのですが、ワークはまだしも、テキストのほうが以前は全くちんぷんかんぷんな感じだったのが、今回はテキストのほうも、けっこう内容がグイグイ入っていくる感じです。

なので、今回は一年とちょっとで、たぶん最後までワークに取り組んで、テキストも読了できると思います。


たぶん、僕にとっては、人生において今のタイミングで読むようになっていたんだな…
というふうに感じています。


この本、なかなかすごくて、テキストを読み、ワークに取り組むことで、僕は人生のとらえかたがまた良い方に変わってきました。

分離感がよりなくなってきたし、人生に安心感をもつことができるようになってきました。


きっと、この記事を読んでくれているあなたにも、いずれ読む時がくると思います。

なお、本は分厚いだけに、お値段もけっこうするのですが、1家に1冊あってもいい、いや、あったほうがよい本だと思います。


この世界の真実を知りたい、人生の目的を知りたい…
そんな疑問を盛っている人にこと読んでほしい本です。



7日参りを終えて

毎日、早朝に神社のお参りに7日間行こう

という妻の提案により、地元の産土神社である村山神社に7日間のお参りを続けてきました。

何でも三日坊主の僕ですが、このたびは初志貫徹で7日間連続でお参りすることができました。

別に何か特別の願掛けとかご祈願が目的だったわけではなく、妻に提案されて、そうだなやってみよう! と素直に思えたから始めたことなのですが、何ごとも続かない自分をよくわかっているので、自分でも驚きというか、よくやったな… という達成感みたいなものがあります。


7日間連続で神社にお参りしたら…
こんなご利益がありました!

なんて奇跡体験のようなことが書けたら面白い記事になるんだろうけど、そのような奇跡のようなご利益は…

ありませんでした!


でもまあ、なにごともなく普通に元気に生きられていること… これがいってみれば奇跡みたいなものだと常から思っているので、今日も平常運転でのほほんと生活できていることが幸せだし、ありがたいです。

あと、思っていることは…

神社とかパワースポットに行ったりするのも、もちろんいいんだけど、実は僕たち一人ひとりが神の宮であり、神柱です。

神さまは神社とか山の上とか、遠くに求めるんじゃなくて、実は一番身近な自分の中にあります。

その自分の中の神にしっかりつながること。

いつでも神意識で生きること(これが難しい!)。

それが一番大切なことなんだと思います。


神社に行って、その時は感動したり、気分が高揚することはありますが、そういう気分ってたいてい3日ももちません。

すぐに日常に引き戻されて、ハードモードなストレスフルな現実の毎日に飲み込まれてしまいます。


だから、地味だけど…

自分の中の神とつながっていること。

ずっとは無理でも、一日にできるだけ何度も神とつながること。

日中忙しくて、エゴにまみれて生きてしまうなら、朝と晩には瞑想して、自分の中の神とつながること。

そっちのほうが大切だと思います。


でも、単純に神社って神聖だし、気持が洗われるので、参拝は素晴らしいものだと思います。

村山神社には、これからもきっと定期的にお参りに行くと思います。


PS
この記事、7日参りを終えた日に書いたのですが、下書きに入れていたまま、ずっと公開できてませんでした…
(この記事を公開したのは、本日2019年6月12日です…)

2019年3月4日月曜日

一夜明けて…

昨夜はとんでもない出来事が勃発して、僕はストーリーに巻き込まれて、エゴがざわざわと騒いで苦しくなりました。

でも、そんな時こそ…

と、一人静かに瞑想をすることで窮地を脱出することができました。

あれだけざわついていた心なのに、その後は、自分でもびっくりするぐらいに、心は静まっていました。

いつも以上に心は静まっていたぐらいです。

そして、夜も12時を過ぎてましたが、時間を決めずに瞑想を再びしました。

いつもはタイマーを30分にセットして瞑想をはじめるのですが、昨夜はそれもせずに、ただただ瞑想に流れを任せようと…

時間にして1時間以上は瞑想していたと思います。

かなり強烈な光に包まれました。

僕は瞑想に、奇跡とか不思議体験を求めているわけではありません。

確かに瞑想をしていると、時折、光に包まれたり、身体感覚が完全に消えたり、何らかのビジョンを見せられることがあります。

いわゆる不思議体験です。

それが起きた時は、確かにものすごく気持ちがよかったり、救われたような気持ちになったりもします。

何より、深い瞑想状態にならないと、そういう現象は起きないので、深い瞑想が出来た…
それだけで、ものすごく心地いいし、終わったあとはものすごくスッキリしているのです。

でも、瞑想に奇跡とか不思議体験を求めるのは違うと僕は思っています。

たしかにそういうことが起きることもあるんだけど、それを求めることは違うと思っているし、瞑想教師の方や、あるいは覚者の本等で、瞑想に奇跡を求めるのは違う…
という話も聞いたことがあります。

なので、ただ心静かに瞑想する。
瞑想が向こうからやってくることを信じて、日々瞑想しているわけですが、昨日の深夜の瞑想は、自分の思いを超えてものすごく深い瞑想状態に入ってしまいました。

まさに、瞑想が向こうからやってきた状態です。

瞑想をはじめてたぶん30分を過ぎたぐらいから、ずっと目を閉じているのに、ものすごい光が次々と眼前にあらわれてきます。

とても眩してくて、真っ白な光がずっと瞬いているのですが、決して目が痛い眩しさではなく、目には優しいけど、強烈な光量でした。

瞑想を終えたあとにも、余韻が残っていて、いつも以上にぐっすりと熟睡できることができました。

そして朝もスッキリと6時前には起きることができました。

産土神社への7日参りも今日で6日目です。

今朝ははじめて、妻とではなく一人で村山神社に参拝しました。

本当は妻と行きたかったんだけど、昨日参拝していた時に

「一緒だとペースが乱れるから明日は別々でお参りしよう」

と言われたからです…
(^_^;)


すこし寂しくもありましたが、小雨の中、一人で参拝してみると、なるほど確かに心静かにお参りをさせていただくことができました。

いつもは、本殿では「天津祝詞」を奏上して、その他の6つのお社では、御神号のみ奉唱していたのですが、今日は一人だったのでそれぞれのお社で天津祝詞を奏上させていただくことができました。

とてもすがすがしい参拝でした。

昨日の夜はかなり心乱れる出来事があったのですが、今の心はとても落ち着いていて、大きな安心感があります。

瞑想と参拝

やっぱり大きな力があると思います。

何かを求めてやっているわけではありませんが、それ以上の大きな力をいただいている実感があります。