2014年8月2日土曜日

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ【完結編】

うつ病克服ランニングは瞑想完結編.psd


一昨日の記事

うつ病を克服するのに一番手っ取り早い方法

昨日の記事

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ

の、続き【完結編】です。

ぜひ、上記記事を読んでから、今日の記事を読んでください。


と言いつつも、時間のない方のために、昨日までの内容を簡潔にまとめると…

◯うつ病を根本的に克服するためには、自分のエゴ・思考が苦悩を自ら作りだしていることを見破り真我につながるしかない。

◯真我って何? という人の場合、ランニングをすることでうつ病は快方に向かう

◯なぜかというと、この宇宙には〝霊体一致〟という法則があるから。つまり肉体を無理にでも鍛えれば、肉体が強くなるのに比例して、精神・心も強く元気になるから。

そのようなことを書いてきました。

そして、昨日のタイトルは「うつ病を克服!ランニングは瞑想だ」と題していたのですが、今日読み直したら

ランニング=瞑想

ということについて書いてませんでした…(汗)

なので、今日はその書きそびれた部分…ランニング=瞑想を実感した僕の体験を書きますね。


ランニングは瞑想だ


昨年秋にうつ病になった僕は、精神世界の本を読みあさり、どの本でも瞑想の効用が説かれていたので、連日瞑想に取り組んでいました。

でも、瞑想中はひたすら雑念が浮かんでくるだけで、心静かに真我につながる… 〝空(くう)〟に入っていく…

というようなことは全くできませんでした…。

瞑想がちゃんとできるようになったのは、今年の4月11日に瞑想の指導を受けてからです。
(参考記事→阿部敏郎さん(智子さん)の瞑想伝授に行ってきました

そこではじめて瞑想中に〝空〟につながる… という体験をし、その後は今日にいたるまで、ほぼ毎日、瞑想に取り組んでいます。

そして、瞑想は瞑想を重ねれば重ねるほど、より深く、より早く深い瞑想状態に入れるようになってきました。

瞑想中であっても、いろんな思考はわきあがってくるのですが、必ず〝空〟に入る瞬間が訪れます。

それは一瞬のこともありますが、最近では瞑想の間中、ずっと〝空〟に入っているような状態の時もあります。

〝空〟に入ると、自分が消えていきます。

具体的には、自分の肉体の感覚が消失して、思考とか意識も消えていきます。

私たちの苦悩を生み出しているのは、すべて自分の思考です。

なので、この思考が消えてしまえば、そこには真我(本当の自分・神である自分)しか残らないので、全ての不安や心配事が消え去り、ただただ静寂の中で大いなる安心感と愛に包まれます。

なので、僕は誰に強制されるのでもなく、毎日瞑想をします。

瞑想がしたいんです。そこに理屈はなくて、ただ瞑想するのが好きだし、瞑想したいんです。

瞑想はいまや僕の生活になくてはならないものとなり、完全に習慣となりました。

そして、もう一つ、僕の生活になくてはならないもので、完全に習慣になっているものがあります。

それが…

ランニングです。
( ・∀・)


僕が走るのにも理屈はなくて、ただ走るのが好きだし、走りたいから走っているんです。

僕はランナーとしては、まだまだビギナーで最長でも15キロしか、まだ走ったことはありませんが、日々走る中で、

「ランニングすげ〜〜〜〜!!!!!」

と、走るたびに感じています。

そして、

「走ることって瞑想なんだな…」

と、いつも思ってしまいます。


それはどういうことかと言うと…

走っている時でも、当然思考はわきあがってきます。

というか、ただ走っているだけで、他にすることは何もないので、
自然といつも以上に思考がどんどん出てきます。(^_^;)

前向きな良き思考が出てくる時もあれば、
その逆の「あっちゃ〜、なんであんなことしちゃったんだろう…(T_T)」的な、
後悔とか恥みたいなネガティブな思考も出てきます。

でも、走っていくうちに少しずつ思考は消えていき、
最後には気がつけば思考はなくなっています。

昨日も書きましたが、
肉体に余裕があるうちは思考が出てきます。
なので、あれやこれやと余計なことを考えてしまいます。

でも、長い距離を走り続けたり、ペースを上げて走ったりすると、脚はガクガクしてくるし、痛みも感じます。また呼吸も苦しくなって息があがってきます。

そうなると、
自分の意識は
肉体的な痛みや苦しみにフォーカスしていくので、
さっきまでのつまらない思考にかまっている余裕なんて
全くなくなってくるのです。


そして、そんな風にして、ただ走ることだけに集中して走っていると、迷いとか悩みとか心配が消えるのはもちろん、

自分が走っている… 

という感覚すら消えているような瞬間が訪れる時があります。


ランナーズ・ハイという現象なのかもしれませんが、それまで感じていた痛みも消えて、ただただ幸せな気持ちで楽に走ることができるようになります。

瞑想は自我(エゴ・思考)を鎮めて、自分の真我(内面)に入っていく行為ですが

ランニングというのも、肉体への負荷が限界を超えると、四六時中活発に活動している自我(エゴ・思考)の活動が止み、自分の真我につながることができるのだと思います。

実際に走っていてそういう状態になっている時の自分は、深い瞑想状態の時の自分とほとんど同じで、ランニングすることは瞑想と同じだな… と本当に思います。


意識が僕の肉体を使って走っている


意識がフローな瞑想状態になって走っている時は、自分が消えたような感じなので、思考も浮かんでこないのですが、そんな時でも思い浮かんでくる想いが一つだけあります。

それは

意識が僕の肉体を使って走っている…

という想念です。

僕もそうですが、ほとんどの人が肉体=自分だと信じこんでいます。

確かに肉体は自分の一部であり、とても大切なパーツでありますが、僕たちの本体は意識です。魂と言い換えてもかまいません。

そして肉体は大事なものではあるけど、いってしまえば今回の人生で使用する乗り物にしかすぎません。

肉体はやがて朽ちて消えてなくなります。

しかし意識(魂)は、朽ちることなく、永遠に存在します。

僕たちの本質は意識です。


でも、毎日、仕事をして、遊んで、ご飯を食べて… という日常生活を送っている時は、普通の人は、肉体の自分を自分と思って、意識… なんてことは意識せずに生きていると思います。

僕もついつい肉体が自分と思って無意識に生きている場面が多々ありますが、瞑想している時には、意識である自分に帰ることができます。

そして、不思議なことに走っている時にも意識である自分に帰るんです。

走っていると、息があがってきて、脚もフラフラで本当に苦しい時があるのですが、そんな風になると必ず、

ああ、意識が僕の肉体を使って走っている…

僕の意識は、きっとこの走る苦しみという体験を、肉体を使って体験したかったんだな…

というような思いが何故か出てきます。

すると不思議なことがおきて、

それまでは、ああダメ… もう無理! 限界! 
と思っていたのが、急に苦しみがなくなるのです。

なぜなら、自分=肉体だと思っていればこそ、肉体が限界だから、もう自分は無理…
と思ってしまうのです。

でも、そんな自分の肉体をスッと抜け出すようにして、意識としての自分で、走っている肉体の自分を斜め後ろ上空から見下ろすような視点で見てみると、苦しいのは肉体という入れ物であって、後ろから見ている本当の自分である意識は、全く苦しくありません。

なので、苦しみが消えるような感覚になるのです。

これは本当にふしぎな感覚です。

僕は昔から走るのは苦手だったし、中学でも高校でも、長距離を走らされる時は、ただただ苦しくて苦痛しかありませんでした。

でも、今の僕は走るのが嬉しくて楽しくてたまりません。

体力・走力に関しては、40歳の現在より、17歳の僕ははるかに強かったはずです。

でも、当時の僕は走ることが今よりもずっと苦しかった…

つまり、苦しみというのはやっぱり自分自身が作りだしているのです。



精神的な苦痛(心配・悩み)は、自分の自我(思考・エゴ)が作りだしている幻想である。ということについては見破っていました。

でも、もしかしたら
肉体的な苦痛ですら、それは自分の自我(思考・エゴ)が創りだした幻想なのかもしれない… という驚愕の事実にも気が付きはじめました。


心頭滅却すれば火もまた涼し

は、伝説ではなく実話なのかもしれません。


また、薬のプラシーボ効果で、難病が完治するのも、肉体の痛みや病も、自我(思考)が作りだしている… という証拠なんだと思います。

(※プラシーボ効果=偽薬であっても、「病気を完治す新薬ができました!」などと言って医者が患者に処方すると、偽薬(ただの砂糖とか)を飲んだだけなのに、実際に患者の難病が完治するという効果。多くの実験でプラシーボ効果が実証されている。医者に対しても「新薬です!」と騙して行う二重盲検法では、さらにその効果が高まる)


心の苦痛だけでなく、肉体の痛みですら、自分でコントロールできる世界が確かにあります。

マスターと呼ばれる人たちは、それを当たり前に行い、数々に奇跡を起こしています。

そして、私もあなたもマスターになれるんです。

というか、最初からマスターなんです。ただ忘れているだけなんです。


明日に続きます!


編集後記

三日間続いてきたこのテーマ… 本気で今日、完結させるつもりだったのですが、ランニング=瞑想! ということの他にも、ランニングのメリットってものすごくあって、そのことをどうしても紹介したいです… なので、明日、本当の最終回として、そのあたりのことについて書きます。


この記事に関係してそうな、おもしろうそうな本



ただし、絶版… 3,000円…

為末大さんの本


このブログの読者さんが教えてくれた本



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2 件のコメント:

稜 さんのコメント...

はじめまして。稜と申します。いつも読ませてもらってます。

「なぜなら、自分=肉体だと思っていればこそ、肉体が限界だから、もう自分は無理…
と思ってしまうのです。」

これって↑鬱のときもおなじですよね?
つまり自分=肉体が限界をむかえる。このときエゴ(自分=肉体だと信じているエゴ)が脅かされて剥がれおちる。だからあゆむさんは鬱も恩寵だ!と言ってたんですよね?とても回りくどい説明を毎日してくれてるように僕は感じますが、もしかして、あゆむさんはまだ鬱状態なのではないですか?大丈夫ですか?

あゆむ さんのコメント...

稜さんへ

あゆむです^^

下記コメントありがとうございました。

はじめまして。稜と申します。いつも読ませてもらってます。

「なぜなら、自分=肉体だと思っていればこそ、肉体が限界だから、もう自分は無理…
と思ってしまうのです。」

これって↑鬱のときもおなじですよね?
つまり自分=肉体が限界をむかえる。このときエゴ(自分=肉体だと信じているエゴ)が脅かされて剥がれおちる。だからあゆむさんは鬱も恩寵だ!と言ってたんですよね?とても回りくどい説明を毎日してくれてるように僕は感じますが、もしかして、あゆむさんはまだ鬱状態なのではないですか?大丈夫ですか?

コメント以上

説明が周りくどいというか、長い! というのは、奧さんにしょっちゅう言われています…(^_^;)

で、ブログもわれながら長いな… と思いながら、それでも書いちゃう感じです。

まだ欝なのでは?

というのは、実際のところはわかりません

が、

欝だった時は、目眩がとまらなくて、動けなかったけど、現在は目眩とか肉体的な問題はなく、元気に動けているので、自分的には、まだ欝なのかも? というふうには思ってません。

心配とか不安は、欝以前もそれ以降も、同じようにありますが、それと一体化することはなくなりました。

要点をわかりやすく、簡潔に書く

というスキルについては、磨いていきたいし、

何より書く内容を自分の中でしっかり整理すること、また真実をしっかりキャッチし、見極める目を養うことも必要だなと思ってます。

こんな、まわりくどいブログですが、よかったらこれからもよろしくお願いします。

ちょっと路線が変わっていくと思います。

あゆむ 拝