2018年11月20日火曜日

あとは、やるだけ。生きるだけ。鬱抜けの極意

つい先日、大学時代の親友S君と2年ぶりに会いました。

S君は、就職してからほぼずっと海外勤務なので、2年に1回ぐらいのペースでしか会えないのですが、会えば一瞬で大学時代のおバカな関係に戻れる大好きな友達です。

で、今回は、Sくんの友人のA君も同席して飲むことになりました。

僕とA君は、大学時代には面識はなく、卒業後にS君を通じて、過去に1回会っただけの関係です。

このA君が、かなり人生がピンチというか、本人いわく、「今が人生のどん底」状態だと言うことで、僕とS君が彼の悩みを聞いたり、励ましたり… そんな飲み会でした。

くわしくは書きませんが、このA君はかなりのイケメンで
しかも実家はかなりの資産家なんです。

金持ちでイケメンで、大学時代にはスポーツカーに乗っている
そんなリア充代表みたいな人でした。

でも、ビジネスの失敗やら、離婚やらで、現在は悲壮感すら漂っている…

そんな状態なんです。

そういう人生って、最初が良かっただけに、そこからの転落は、かなりキツイと思います。

そんな状況でもなんとか踏ん張っているA君は、偉いな…
と僕は素直に思いました。


で、この飲み会の中で、実は僕もA君もS君も、3人とも過去に鬱病になったことがある

という共通点がわかって、かなり盛り上がりました。


で、お互いにカミングアウトしていく中で、僕とA君には、けっこう共通点があることがわかりました。

ただ、現時点においては、A君は現在も苦しみの中にいて、かなりもがいています。

僕は、今は、何の問題もなくて、嫌味とかではなく、幸せしかありません。

A君はかなり苦しんでいるので、僕は場の空気を読んで、幸せアピール的なことは一切しなかったのですが、S君が僕の現状を説明したこともあってA君からは、真剣な表情で

一体どうやって、その苦しみから抜け出せたの?

そして、どん底からなぜ這い上がる(成功する)ことができたの?

と尋ねられました。


上から目線にならないように注意しながら、その場で僕が答えたのは

「パニック障害とか、欝の時は相当苦しかったけど、最悪死ぬだけ… と思えるようになってから、苦しみから解放されるようになった」

「宇宙と自分の中の神を信じるようにした」

その二点を伝えました。


このブログの読者さんのためにもう少し詳しく説明します。

僕は一時期、かなりのパニック障害を持ってました。

欝の時はもちろんひどかったですが、欝から抜けた後でも、電車の中とかで、突然パニック障害の発作が出ることがたびたびありました。

パニック障害を発症したことがある人ならわかると思いますが、パニック障害の発作って一言でいうと…

自分は死ぬ…

という恐怖が襲ってくる感じです。

うまく呼吸ができなくなったり、動悸が激しくなったり、脂汗が吹き出して、目の前がクラクラしてきて、気絶しそうな…心臓が止まってそのまま死んでしまうような、そんな状態に肉体的にも精神的にもなります。

この時に

ヤバイ!ヤバイ!
とか
たすけてー
とか
なんとなしなきゃ〜!

と思うと、パニックはもっと増幅されます。

でも、僕は欝抜けする時に

僕は宇宙を信じる

今日からは神として生きる

と誓いました。

その誓いをしてからは、僕は宇宙と自分を信頼して、何が起きてもサレンダーしてそれを受け入れよう… そう誓ったし、思えるようになったんです。

だから、パニック障害が出た時には、一瞬だけは焦るし、パニックにもなるのですが、すぐに、こう思うようにしたんです。

うん、最悪死ぬだけ

と。

うん、このままパニックで死んでもいい

そんなふうに開き治ると、パニック障害って不思議なぐらいに、急激に落ち着きます。

多分、30秒から少なくとも5分以内には、気持ちが落ち着いて、平常運転に戻ることができます。

この開き治り

とか

サレンダー

って、人生を楽に生きる上でのキーワードだと思います。


僕は欝の時に、当時住んでいたマンションのベランダから自分が飛び降りそうで、そんな自分を怖く思っていました。

実際に死んでいてもおかしくなかったと思います。

だから、僕の今の人生はおまけ

だと思っているんです。


欝を抜ける時には

宇宙を信頼する

人としてではなく、神として生きる

そう誓ったし、そういう生き方を選択しました。


そして、これからの人生には

良きことも

そうでないことも

当然起こるけど、それは、必要なことがただ起きているだけ

と思うようにしたし、実際にそうだと思っています。


僕は、お釈迦様については、くわしくないですが、多分
ブッダの悟りの境地って
人生への、世界へのサレンダーで
全てを受け入れる…

諸行無常
ってそういうことなんだと思います。

この記事のタイトルは

あとは、やるだけ。生きるだけ。

としていますが、今の僕は、欝を抜けてからは、ずっとそう思って生きています。

2013年の末に欝を発症して、半年から一年ほどで欝から抜けることができて、それから4年ぐらいが過ぎました。

その間、たくさんの良いことがあったし、時には心配なことが起きたり、不安になったりするようなことも起きました。

でも、どんな時にも、ただ今の僕にとって必要な(魂の成長とかに?)善きことが起こっているだけ。

そう思うと、不思議と苦しみは無くならないにしても、かなり軽くなりました。

そして、その時は最悪だ…

と思ったことでも、後になってみれば、やっぱりすべて善きことでした。


そして、この4年の中で思ったのは

やっぱり僕たちが生きているこの世界
三次元の現実世界?
というのは、行動の星
ということです。

やっぱりやらないといけないんです。

瞑想も、スピリチュアルな本も、セミナーも
すばらしいことですが、
それだけではダメなんです。

この世界に生まれてきたということは
神の分身として、
現在の個性ある人生を
体験するため
なんです。

だから、思っているだけではダメで
やっぱり行動する。

そして自分の直感とか本能とかを信頼して
インスピレーションに基いて行動すると
必ず、良い体験ができて、良い結果を得ることができます。

あとは、やるだけ、生きるだけ!

僕は、そんなふうに思って
人生のこれから起きるワクワクを
味わい愛でていこうと思っています。


長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(*^_^*)




happyちゃんからの卒業

前回の記事を書いたのは今年(2018)の3月ぐらいで、その時僕はHappyちゃんを知ったばかりで、かなりハマっていました。

元々が奥さんはじまりで、夫婦ともどもにハマってしまった感じで、Happyちゃんの本も全部買って読んで、Happyちゃんのブログも毎日のように読んで、たくさんアップされている動画もたくさん見ました。

そして、Happyちゃんからもたらされる情報、それは主に「引き寄せの法則」についてですが、当時の僕には必要な情報だったのだと思います。

引き寄せの法則については、書籍「シークレット」が出た当時から、ずっと研究したり実践はしてきていたので、Happyちゃんの理論も特に目新しいわけではなかったんだけど、ハマってしまったのは、Happyちゃんが引き寄せの法則を実践し、それをスゴイ規模でリアルタイムで実現している様子…

それがキラキラしていて、説得力があって、素直にスゴイな…

と思ってました。


4月には東京の高輪プリンスホテルで二千人を集めた
Happyちゃん主催のシンデレラプロジェクトというイベントがあって
僕の奥さんはそのイベントに出演者(ダンサー)として舞台に上がりました。

ダンスなんてやったことのない奥さんでしたが、京都から東京へ3回のレッスンにも参加して、かなりがんばってました。

実は当時は、僕のビジネスがかなりピンチになっていて、経済的にはかなりヤバイ状態だったのですが、かなり無理をして送りだしました。(総額で40万円ぐらいかかったと思います)

ただ、人が集まると、そこにはいろんな価値観の人が集まるわけで、レッスンをしていく中で、かなりイヤな思いをしたりして、本番前には…

もう、参加しない…

そんな状況にも一時はなりました。

まあ、結局、本番のステージには立って、複雑な思いを抱えながらも、良い体験もできたようです。

ただ、Happyちゃんに入れ込んでいた分、燃え尽き症候群的な気持ちになって、夫婦共々、あの熱狂が嘘のように、Happyちゃんから離れていきました。

そして、それから半年が過ぎた現在…

僕の落ち込んでいたビジネスは、再び大ヒットを飛ばして、経済的にはかなり持ち治すことができました。

Happyちゃんがよく言っていたのですが

操縦桿を人に渡してはいけない

自分でしっかり操縦桿を握ること

そんなことを言ってました。


僕たち夫婦は、知らず、結果的にそれを実践できたようです。

一時期は、操縦桿をHappyちゃんにあずけているような、それぐらいの熱狂でしたが、不思議といろんなことが起こって、きわめて自然にHappyちゃんから離れることができました。

そして、再び、自分の操縦桿をしっかりと自分の手で握ることができたんです。

その結果、地に足がついて、多くの問題がキレイに解決して、現在は、何1つ問題がない、ありがたい、充実した状態になっています。

というわけで、Happyちゃんからは卒業したのですが、Happyちゃんには感謝しています。

ネット上には、Happyちゃんについて
ポジティブな意見も
ネガティブな意見もありますが
Happyちゃんも言ってますが
「良い情報だけダウンロード」
すればいいと思います。


2018年3月20日火曜日

Happyちゃん…

最近というか、ここ1年ほどは完全ビジネスモードな感じで、スピ系の本はたまに読み返す程度だし、スピ系のブログとかも全然チェックしてませんでした。

が、本日はじめて知ったhappyちゃんに衝撃を受けました。
↓  ↓  ↓
happyちゃん

happyちゃんのブログはこちら
 ↓  ↓  ↓
https://ameblo.jp/ses-happy/

なぜhappyちゃんを知ることになったかというと…

最近奥さんが、happyちゃんのことをやたらと口にするからでした。


で、本日、Happyちゃんとはどんな人やろ?

と思って、ブログを数記事、動画を数分だけ見たのですが、スゴイ人やなってものすごく興味がわきました。

そして、素敵な人やな… と思いました。

そして一番スゴイ! って思ったのは、このHappyちゃんが4月に開催するシンデレラプロジェクトはかなりのビッグイベントで、その開催費用はなんと…

1億5,000万円

この金額にも驚きましたが、僕が何より驚いたのは、Happyちゃんがブログを始めたのは、2014年の3月で、その時はただの一般OLさんであったこと。

しかもブログ開設初日の訪問者はゼロ人

2日目は3人

そんなふうに、全く無名の一般人がブログを開設して

今日から引寄せの法則を実践して、ブログで每日公開していきます!

そんなノリではじめたブログが今では每日5万人以上が訪れて、

本も三冊出版し

セミナーはもちろん、実店舗を持ったり、壱岐の島に結婚式ができる素敵な家を作ったり、アイドルをプロデュースしたり、巨大イベントを開催しているのです。

まさに、引寄せの法則を現役バリバリで活用しまくっている人です。


スピ系って
アドヴァイタ系とか
難しい方面もありますが、
僕はどちらかというともっとポップな
人として幸せに生きるヒントがもらえるスピリチュアルが好きです。

そして、引寄せの法則ってのは絶対にあるし、もっと多くの人が活用すれば、日本も世界も豊かになるし、宇宙も豊かになって、地上の天国化のスピードも上がっていくと思ってます。

Happyちゃんは、そんな地上天国実現の旗振り役の重要な一人だと思います。

そして、誰でもHappyちゃんと同じように生きることができると思ってます。

たった今、さっそくHappyちゃんの本をポチってしまいました。
↓  ↓  ↓


ブログのほうも、相当記事があるので、掘り起こしていこうと思います。

2018年1月7日日曜日

2018年は再び「奇跡のコース」に取り組みます。

2018年がはじまりましたね。

昨年はあなたにとってどんな一年だったでしょうか?

僕の2017年は穏やかで平和なものでしたが、ちょっとビジネスモードに入りすぎていたかな… という感じです。

もうすっかり過去のことになりつつありますが、僕は2013年の秋に人生ではじめてうつ病を発症しました。

2014年の一年間はずっとうつ病との戦いで、スピリチュアルな本を読みあさったり、瞑想ばかりしていました(あと家庭菜園とランニングとか…)

2015年には、ほぼうつ病からは回復して日常を取り戻したのですが、当時の僕は

悟りたい…

という思いを強くもっていました。

幸いなことに貯金がそれなりにあったので、あまり仕事もせずに、瞑想とかスピリチュアル系の本を引き続き読んでました。

そして2016年の1月1日に、ずっと気になっていた本

「奇跡のコース」

に取り組みはじめました。

奇跡のコース… という本のタイトルは知っている人も多いかと思います。

僕がリスペクトしているエックハルト・トールもそうだし、その他大勢のスピリチュアル系の著者が、目覚めのきっかけとして「奇跡のコース」をあげている… そんな本です。

まさに、スピリチュアル界の原典であり、バイブルのような本です。

本は二冊からなっていて、一冊目はテキストです。

900ページ以上もある、かなり骨太な本です。

二冊目は、ワークブックとなっていて、365のワークが掲載されていて、そのワークを每日1レッスンずつ、つまり一年間通して取り組むレッスンが掲載されています。

僕は、このワークに2016年の一年間、每日取り組みました。

ワークの内容は、かなり興味深く、え〜〜〜〜!

とビックリするような内容がたくさんありました。

レッスンの内容についてはちょっと要約もできないぐらいに多義にわたっているのですが、シンプルに説明するのであれば…

僕の持っていた常識とか固定観念をことごとくひっくり返す内容で
それまでの世界は物事への見方を大きく変えてくれました。

ただ、正直に書くと、ワークに一年間取り組んだからといって、僕の中の何かが大きく変わった… というようなことはなかったと思います。

それは多分、僕は本当の意味ではレッスンの内容を理解していなかったのだと思います。

へえ〜すごいな… とは思いながらも表面的に取り組んでいたというか…

あとは、これも正直に書くと、ワークブックのほうは每日読んで、レッスンに取り組み、読了しましたが、1冊めのテキストのほうは、ほとんど読めませんでした。

なんかこう頭に入ってこないというか、理解が難しかったのです。


そして、2017年は、奇跡のコースを開くことは一度もありませんでした。

悟りとかスピリチュアルは一度脇に置いておいて、現実に向き合い、ビジネスモードに入っていたからです。

ただ、今年、2018年の正月にずっと本棚に置いていた奇跡のコースが突然気になって、よし、今年は再び「奇跡のコース」に取り組むぞ! という思いが自然に湧き上がってきました。

そして、今回はレッスンに加えて、テキストのほうも每日3ページずつでもいいから読了しよう!と思って每日読んでいるのですが、この内容が今回はスラスラ入ってくるのです。

前回はどうやっても頭に入ってこなかった文章が、今回はページをめくる手が止まらないぐらいの感じで、もっと読みたい! すごい!

って感じです。

本って、やっぱり読むべき時期とかタイミングってあると、あらためて思いました。



本日、当ブログを更新しよう…と思ったのは、ワークブックのレッスン7

私は過去だけを見ています

という内容をシェアしたいと思ったからです。



実は、私も、そして多分あなたも、本当に過去だけを見ているのです。


僕はうつ病から回復していく過程で、自分の築きあげてきたもの

立場とかプライドとかが全て崩壊しました。

それはまるで、それまでの自分が一度死んだような感じでした。

そして新しい自分に生まれ変わったような感覚がありました。

欝になるまでの僕を今振り返ると、完全に別人だったなと思います。

他人の目線、他人の評価を常に気にして生きていました。

そして、知らず多くの人を傷つけていました。


あの頃の自分に比べたら、現在は本当に多くのものを手放すことができたと思います。

かなり自由だし、心も軽く、每日が幸せです。

でも、やっぱり昔のクセというか、いまだに多くの課題が残っています。


ずっとそれにとらわれ続ける… ということはないのですが、フトした瞬間に、

怒りとか
悲しみとか
寂しさとか
不安とか

そういったエゴが湧き上がってきます。

何か特定の場面やシチュエーションになった時に、そういったエゴは湧き上がってきます。

それはどうしてか?

その理由は過去に同じような場面で辛い体験をしたことがあるからです。

本当は私もあなたも無敵で、いまここに置いては全く問題はありません。

でも、奇跡のコースにそう書いてあるように、私たちは過去だけを見ています。



上司に起こられたくない

親には認めてほしい

友達に裏切られるのは嫌だ


そんな思いは誰でも持っているかもしれません。

以前の僕はそんな思い(エゴ)を強くもっていました。

でも、人間ってなんでそうなっちゃうんでしょうか?

世界は愛に満ちていて、人は信用していいし、本音で生きていいはずの世界です。

でも、実際の現実社会では、誰もが鎧に身を固め、本音はなかなか見せません。

それはたぶん、私たちの中に傷ついたトラウマのようなものがあるからです。


今朝、奇跡のコースのレッスン7「私は過去だけを見ています」に取り組んでいる時にふっと昔の辛い体験を思いだしました。

なぜか思い出したのは、幼いころに通っていた「合気道」の道場での出来事です。

道場に通いだした頃に、先生と話している時に、僕が「うん」と返事をしていたら、それまでずっと優しいイメージだった先生に、かなりキツイ感じで

「ウンじゃない! ハイだ!!!」

と、怒られた場面がフッと湧き上がってきました。

もしかしたら、これが人生で初めて(親以外に)怒られた体験かもしれません。

その時の怒られて萎縮した感覚は今でも覚えています。

先生とか、年上の人は偉いので、敬語を使わないといけない…

そういう価値観、世界観の始まりだったと思います。

その後も、部活でも理不尽な先輩とか、めちゃくちゃな上司とか、いろんな体験をしてきましたが、それでも「上司に嫌われたくない…」というエゴが僕の中にあるのは、きっと幼い頃の、あの合気道道場でのトラウマ体験があって、あんな思いはしたくない… というエゴが自分の中にあるからだと思ったんです(ワークをしながら気づきました)。


ほかにもいろんなことがつながりました。

親から嫌われたくない…

僕の場合、そのエゴの原点は、三才ぐらいの時に、親戚一同が我が家にあつまったパーティーで、嬉しくなってリンゴにマヨネーズをつけて食べようとしたら、それまで一度も怒ったことがなかったような父が突然ブチ切れて「もったいないことをするな〜〜〜!」と、すごい剣幕で大声で怒られたことです。

かなりショックでした。

今わかるのは、普段起こらない父があれだけ怒ったのは、親族の前だったからだと思います。

食べ物で遊んで無駄にしようとしている我が子を親戚の手前、放置できなかったのでしょう。

要するに、そこには愛とか教育はなくて、きちんとした親であることを親族に見せたいというエゴでしかられたということです。

でも、僕は、そのリンゴで遊んでいたわけでもないし、無駄にするつもりもありませんでした。

ただ、親戚がたくさんいて、嬉しくなってテンションがあがって、リンゴにマヨネーズをつけて食べることで、注目を集めたかっただけなのです。

もちろん、そのリンゴは食べるつもりでした。

でも、リンゴを取り上げられ、全員の前で一括されたことで、僕はほっぺたをプルプルとさせて泣きたい気持ちになって、その後のパーティーを一切楽しむことができませんでした。

いまだに僕の中には、親に対する複雑な思いが、何かの瞬間にフト湧き上がることがあります。

そして、その原点はきっと、あのリンゴ事件だったと思うのです。


なんか個人的な思い出をつらつらと書いてしまいましたが、きっとあなたにも、特に子供時代に体験したなんらかの痛みとか辛い体験があって、そういった体験を重ねて大人になっていく過程で、

人に嫌われないように

人に好かれるように

本当の自分を出さないように

している部分もあると思います。

だって、人に嫌われたことがない人間は「人に嫌われたくない」という発想自体が起こらないと思います。

本当の自分が出せないのは、過去に本当に自分を出して失敗した体験があるからです。


奇跡のコースのレッスン7「私は過去だけを見ています」に取り組みながら、そんなことを思ったので、急いでブログに書きました。

僕の中にもいまだに、ずっと心の底にかかえている痛みを伴う体験が残っていることがわかったんですが、そんなエゴとか思いはもう、どんどん手放していこうと思います。

本当に自分でいたいし、本音で生きたいです。

本音を出して、痛い目にあったこともありますが、それは過去のことです。

今度は、本音を出したら、もっと打ち解けあう… そんな未来が広がっている可能性もあるのです。

過去はもういいです。

いつでもニュートラルな気持ちで、いまここを楽しんでいこうと思います。