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2023年3月26日日曜日

やっとわかってきた。光がやってきました。

やっとわかってきた

やっとわかってきたことを、思ったままに素直に書きます。今この文章を読んでくれているあなたのために。


ここ最近、ずっとACIM(奇跡のコース)のワークに毎日取り組んでいます。

10年以上前に買ったとても分厚い2冊の「奇跡のコース」は、毎年のようにチャレンジするも、毎日行うワークがどこかで途切れてしまい、フェードアウトする…ということをずっと繰り返してきました。


ACIM奇跡のコース


なので、ワークも365のうちのまだ序盤の60ぐらいまでしか取り組んだことがありませんでした。

でも、今年はというか今回はやり方を変えて、スタートしたのは1月1日ですが、もしワークをできない日があっても、その翌日に2日分のワークに取り組んでもOK!とにかく12月31日まで365のワークを全部やる!と決めてやってきました。

実際、ワークができない日があったり、最大だと5日分ぐらいのワークがたまってしまうようなこともありました。

でも、それでも続けてきて本当に良かったです。

ちなみに今日はワークの86に取り組んだのですが、今から11日前にワークのレッスン75「光がやってきました」に取り組んだ日に、僕の中で大きな変容がありました。

何があったかというと、僕は、その前日、ものすごくショックなことがあり、未来に対する不安とか、過去に対する後悔とか、思考の暴走が止まらなくなって、ものすごくしんどくなったんです。

正直に書くと、久しぶりに(10年ぶりに)、鬱になるかも…

というぐらいにしんどくなったんです。

これは本当にやばい!と思ったので、その日の夜、妻にすぐに正直に今の心境を話したぐらいです。

妻はもちろん親身になって聞いてくれましたが、自分が選択してきた道はやっぱり間違いだった…みたいな思考になってしまって、僕が欝病の時に一番苦しかった頭の中のボワボワする感覚がやってきました。

正直パニックになりました。

また、まともな生活が送れなくなるかもしれない…

という恐怖に包まれました。



その日の夜は、恐怖と不安で思考がぐるぐると回って、なかなか眠りにつくことができませんでした。

とても苦しい夜でした。


眠れない夜



翌朝。

昨夜のパニックは収まっており、気分はいくらかはマシになっていました。

でも依然、大きな不安の中で、これからどうしていけばいいのか・・・

みたいな思考に捕らわれていました。


そこで、なかば救いを求めるような気持ちで、朝一番にACIMのワークに取り組みました。

そして、その日のワークがレッスン75の「光がやってきました」だったのです。



そして、このワークに取り組んだ結果どうなったかというと、本当に・・・・・

光がやってきたんです。

光がやってきた
UnsplashのNic Y-Cが撮影した写真


僕は昨夜の地獄のような苦しみから、たった一日で天国のような安心な気持ちになることができたんです。

何があったのか?

もう少しくわしく書きますね。


ACIMって、読んだことがある人ならわかると思いますが、本当にすごい本で、ある意味ショック療法的な本なんですね。

特にワークの最初の部分はかなりぶっとんでます。

レッスン1からして「私が見ているものには、何ひとつ意味はありません。」というレッスンからはじまります。

一般的な感覚の人からしたら…

はあ!?

という感じだと思うし、スピリチュアルをかじったことがある人でも衝撃的な理解が難しいレッスンが最初の1ヶ月ぐらいはえんえんと続きます。

救いを求めてこの本を手にして人であったら、いつまでも救いの内容が出てこないので、途中で投げ出す可能性も高いと思います(過去の俺です…汗)。

そんなACIMのワークのレッスンの中でこのレッスン75の「光がやってきました」というのは、ものすごく直接的に救われるインパクト大のタイトルでありレッスンなんです。

僕はこの日のワークを1時間ぐらいかけて、何回も何回も何回も繰り返し読んで、理解しようとして、理解しようとして、頭の中の雑音を消しながら、ひたすら文章の一つひとつに集中して何度も読み直しました。

これでもか!というぐらい読み直しました。




そして、何度も読み直していくうちに、気がついたらふわっと心が軽くなっていたんです。

本当に、僕の心に、僕の世界に光がやってきたような感覚になりました。


もう少し詳しく書きます。

僕はこの日のワークに取り組みながら、自分の中である決意をしたんです。

それはどういう決意かというと…

聖霊と共に生きていく

ということと。

愛(神意識)を選ぶか、恐れ(エゴ)を選ぶかで、

僕は愛(神意識)を選んでいく。

という2つの決意です。


この

聖霊と共に生きていく

という感覚は今までの僕にはない感覚でした。

正直今でも〝聖霊〟というものが一体なんなのかはわかっていません。

ただ、ACIMの中ではこれでもか!というぐらいに聖霊という言葉が出てきます。

多分登場回数ナンバーワンの単語だと思います。

今の僕の理解で聖霊を説明するならば…

神と私をつないでいる存在・ガイド

シンプルにいうとそんなふうに捉えています。

そして、この聖霊はつながってさえいれば愛と安心につつまれて、物事もすべて良き方向に進むし、一見厳しい状況にぶつかったとしても、良いほうに解釈できるようになります。

だから、絶対的に聖霊とはつながっていたほうがいいし、それが幸せに生きるための唯一にして絶対の方法なんだけど、聖霊とつながるためには、私たち自身が聖霊と繋がることを積極的に能動的に選ばないと繋がらないんですね。

そして、これは僕自身のことでもそうだし、世の中の多くの人が日々、悩んだり、苦しんだり、後悔したり、将来を不安に思ったりするのは、聖霊とつながってないからんです。

しかも聖霊とつながってないだけならまだしも…

不安や恐れ、あるいは攻撃や防御反応を生み出す元凶である〝エゴ〟と、がっつり繋がっちゃってるんですね。

だから、いつまでたっても苦悩が耐えない。

僕たちは、常に

聖霊orエゴ

のどちらかに繋がっているんです。

これはACIMの中で繰り返し書かれていることです。

こわいですよね。

そして、逆に考えるとめちゃ安心ですよね。


と、ここまで読んで、あなたはどう思いましたか?

聖霊と共に生きたいですか?

エゴと共に生きたいですか?

当然、聖霊と共に生きたいと思いますよね。僕はそう思います。


ただ、これは人間のクセというか、生まれ落ちてきた瞬間からの、様々なトラウマとか、恐怖とか不安とか屈辱とか失敗とか後悔とか絶望とか…いろんな体験を重ねてきたことで、弱い自分を守るためにエゴってすぐに発動しちゃうんですよね。

あなたの周りにもこんな人いませんか?

いつも偉そうにしている人

いつも文句ばかり言っている人

いつも悪口を言っている人

いつもズルばかりしている人

嘘をつく人

騙す人

傷つける人

攻撃してくる人

自分を責めている人

夢をあきらめた人

・・・・・


こういう人たちが、なぜそういう行動をとっているかというと、それは、その人がエゴと繋がっているからです。

エゴに操縦されている。と言ってもいいし、エゴの容れ物になっている、あるいはエゴに乗っ取られているといってもいいと思います。

そして、周りの人をそういうふうに認識したり判断している時の自分、「あの人は最低な人間だな…」とか「あの人はズルいな…」と思っている時の自分っていうのも、実はエゴとしっかり繋がちゃっているんですね。

恐ろしくもあり、滑稽でもある世界です。

僕も、すぐにそういう世界に、自分に入り込んでしまうクセがついてます。


でも、今回は欝が再発するかも…という僕の中での究極の恐怖が起こったために、ショック療法というのか、ACIMに救いを求めたら、はじめて自分の中で何かがストンの腹の中に落ちて不安とか恐怖が消えたんです。

なぜそうなったというと、繰り返しになりますが…

聖霊と共に生きていく

ということと。

愛(神意識)を選ぶか、恐れ(エゴ)を選ぶかで、

僕は愛(神意識)を選んでいく。

という2つの決意をすることができたからです。


そしてそんな決意をすることができたのはACIMのおかげでした。

それともうひとつは妻のおかげです。


僕がその日の朝、ワークに取り組んでいる時に妻が僕にアドバイスをくれました。

その時の僕はまだ頭が混乱していて、不安に包まれていた時なんですが、そんな僕に妻はアドバイスをくれたのです。

たぶん10分間ぐらいアドバイスをくれたと思います。そのアドバイスの内容のほとんどは覚えてないんですけど、一つだけ覚えていることが

聖霊と共に生きたら?

という一言でした。


その言葉で僕の中のなにかのスイッチが入りました。

あまりに苦しかったので、僕には選択の余地はありませんでした。

死ぬか(エゴと生きるか)

生きるか(聖霊と生きるか)

みたいな二択で、僕には選択の余地は全くありませんでした。


その妻のアドバイスでスイッチが入ったあとからは、ACIMの本の内容がさらに入ってくるようになりました。

10年間挫折し続けてきた僕のACIMのワークですが、今の僕は、まるで少年が毎週の「週刊少年ジャンプ」の発売日を待ちわびるように気持ちで、毎日の朝一番のACIMのワークに取り組み、テキストを読むのが楽しみになっています。


僕に光がやってきてから今日で12日が経過しました。

今の僕の心は安定しています。

もちろん、心に波風が立つ瞬間はあります。

一瞬不安になることもあります。

でも、そこにずっと飲み込まれっぱなしというのは本当に一度もないです。

すぐに、不安から離れて、安心の中に戻ることができるようになりました。

これってものすごい安心感です。


この安心感の秘訣をしってほしくて、僕は今日の記事を書きました。

この文章を最後まで読んでくれている〝あなた〟のために。

絶対安心の中で生きていく秘訣。

不安や恐れや後悔を手放す秘訣。

それは…

聖霊と共に生きていく

ということと。

愛(神意識)を選ぶか、恐れ(エゴ)を選ぶかで、

僕は愛(神意識)を選んでいく。

という2つの決意をすることです。


ACIM(奇跡のコース)、分厚くてとっつきにくい本ですが、ちゃんとしっかり読めば

人生を変えてくれる

素晴らしい本です。

僕は分厚い本を毎日読んでますが、最近知ったことですが、Amazonで電子書籍版が販売されていることを知りました。

価格も紙の本より安いのがいいし、あとはKindle Unlimited会員だと0円で読めるんですね!

僕はKindle Unlimited会員は何度も入ったりやめたりを繰り返してきましたが、これを機にまた入ろうかな、なんて思ってます。


【編集後記】

最近、何年かぶりにアニータ・ムアジャーニさんの「もしここが天国だったら」を図書館で借りて読み直しました。

アニータ・ムアジャーニさんの本はデビュー作の「喜びから人生を生きる」は自分でも所蔵していて何度も読み返した素晴らしい本なんですが…

二作目の「もしここが天国だったら?」は、当時も良い本だな… とは思った記憶があるんですが、一作目ほどのインパクトではなかった印象でした。

でも今回読み直してみて、びっくりしました。

ものすごい大切なことが書かれている本です。

そして書かれている内容はACIMで書かれている内容と全く同じです。一切の矛盾もありません。

逆にACIMの内容をより平易な言葉でわかりやすく補完してくれいるような内容です。

全ての人にオススメしたい本ですが、まずは一作目から読むことを絶対的にオススメします。

アニータさんの本の内容というか、僕がすごいなと思った内容については、次の記事で書きますね。

2023年2月16日木曜日

うつ病・不安障害は完治しますッ!!

このブログのアクセス数が気がついたら100万アクセスを越えてました。
↓  ↓  ↓



ブログを立ち上げた当初は割と頻繁に更新してましたが、最近はほとんど更新できてなくてアクセス数もガタ落ちしていたのですが、僕のブログに100万回もアクセスがあったことは素直に嬉しく思います。

そして、アクセス解析を見たら、やっぱり鬱病とか不安障害とか、そういう検索ワードで訪問している人が多くて、そして過去にはそういった悩みを持つ読者さんから直接コメントをもらったりしたこともけっこうあったし、僕の書いた記事で救われた… という声をいただいたこともあったので、そういう意味では書いてきてよかった、続けてきて良かったなって思ってます。

ということで、今日は本当に久しぶりに「鬱病・不安障害」をテーマに記事を書きます。

この記事を読んで、あなたの気持ちがほんの少しでも軽くなってくれたら本当に嬉しいです。

それでは本編
鬱病も不安障害も完治する… 
という素晴らしい真実について僕の体験談を元にありのままを書きますね。 


 ■【結論】あれから一度もうつ病は再発してません 


2013年の秋に僕は人生ではじめて「うつ病」を発症しました。

それは今からちょうど10年前のことで僕が39歳の時でした。

人生ではじめて訪れたメンタルクリニックでは医師により

不安障害

という診断結果が出ました。

その頃のことは今ではもうほとんど思い出すことはないのですが、当時は本当にほんとうに苦しかったです。

いろんな苦しさがあったけど、一番苦しかったは…

僕はもう一生このままうつ病で、社会復帰できないかも…

という不安…恐怖心が強くて、それが一番苦しかったです。

だから、今この記事を読んでくれているあなたが、今現在、不安障害とかパニック障害とかで現在進行系で悩んでいるのであれば
「この症状は治るのだろうか?」とか
「一生このままだったらどうしよう…」とか
そういう不安を持たれているかもしれません。

だから、そんなあなたに向けて僕は嘘偽りなくお伝えします。

うつ病も、不安障害も、パニック障害も完治します。

と。

その根拠は…

僕が鬱病を完治してから10年経ちましたが、それから一度も鬱病もパニック障害も再発してないからです。

 ■うつ病は一度かかると治らない!?


「うつ病は完治する!」という主張の根拠が僕の体験談…
と聞いて、「説得力がないな…」とあなたは思いましたか?

確かに世の中の多くの情報では

日本人の6人〜7人に1人は人生で一度は鬱病を発症する

とか

一度鬱病にかかるとなかなか治らない…

とか

うつ病を治すには薬を飲むしかない…

とか

薬が効かない場合は、さらに強い薬が処方されて、そのうち薬でココロもカラダもボロボロになる…

とか

そういったより不安を煽るように、ネガティブな情報が溢れています。

こういった情報って、僕はこの世界に余計にうつ病患者を増やしていると思うし、完治を遅らせている元凶の一つであるとも思っています。

特に今現在うつに悩んでいる人であれば、こういうマイナスな情報は見ない方がいいです。

余計に気持ちが沈むだけで、プラスにはなりません。

これは僕の体験談でしかないけれども、少なくとも僕は…

薬に頼らずに鬱が治ったし

一度も再発していません。

それで、もしあなたが今、何らかの心の病というか、苦しみを抱えているのであれば、僕の体験談が役立つ部分もあると思うので、あなたにとって何らかのヒントになってほしい…と願って、今から、僕がどうやってうつ病から抜け出すことができたのか?
そして、その後再発させずに元気に生きていくために、日々どんなことに気をつけて過ごしているのか?
についてありのままを本音100%で書きますね。

 ■うつ病から抜け出す方法


うつ病からどうやって抜け出したのか? 
については、過去記事でいろんな角度から書いてきたので、時間があればぜひ過去記事を読んでもらえらと思いますが…
↓  ↓  ↓


あれから10年以上が過ぎた今、振り返って思うことは…

一番は…

もう最悪死んでもいい

とあきらめたことです。


この、最悪死んでもいい

という感覚は誤解を生むとよくないので、もう少しくわしく背景を書きますね。


当時の僕が一番苦しかったのは「僕は一生うつ病のままで治らないのではないか…」という不安でした。

家から一歩も出れなくなっていたし、薬を飲まないと眠ることもできなくなっていたし、何よりも24時間、寝ている時以外はずっと頭の中がボワボワしていたんです。

このボワボワが本当に苦しかったし、しんどかった…

この頭がボワボワする感覚を言葉にするのは難しいんだけど、もし鬱病になったことがあったり、今現在何かしらの不安障害を持っている人であれば、逆に言葉なんかで説明しなくても「ああ、あの感覚ね」と理解してもらえるかもしれませんが…

とにかく頭の中が不安で支配されて…

ずっとぐわんぐわんと世界が傾いているような…

世界がぐわんぐわんと揺れているような…

平衡感覚が失われていくような…

何も生産的な行動や考えが持てなくなるような…

そして、この苦しみが一生続くのでは…

というような恐怖や不安につつまれた感覚。

それがボワボワです。


当時の僕は真剣に、このボワボワは一生続く…

って絶望していました。

でも、あれから10年、今の僕にはボワボワの感覚は全くありません。

日々、時には悩んだり躓いたりすることもありますが、普通に前向きに社会生活を営んでいるし、ありがたいなって思いながら幸せに暮らせています。

なので、今この記事を読んでいるあなたも、今は苦しんでいるとしても、きっと完全によくなると思うので安心してほしいです。

それで、さきほど書いた

「もう最悪死んでもいい」とあきらめたことです。

という感覚についてもう少し詳しく説明します。



ようするに、当時の僕の一番の苦しみというか恐怖は

一生ボワボワが続くかも…

社会復帰できないかも…

という恐怖でした。


で、これはうつ病克服の過程だけに限らす、あらゆる場面で有効な手法なのですが、何事もサレンダーした瞬間に物事は解決してしまうんです。

サレンダーというのは
surrender
という英単語で

直訳すれば
降参する、明け渡す、放棄する、身を任せる
という意味です。

ようするに、この鬱病を完治させる過程で僕の転機となったのは

もう一生うつ病のままでいい

もう一生社会復帰でなくてもいい

もう最悪死んでもいい

と諦め、降参したことでした。

そうやって降参して、全てをあきらめて、サレンダーしたら何が起きたと思いますか?

なんと!

そのサレンダーした、その日から、その決意した瞬間から、僕の鬱症状は好転し、回復へと向かい出したのです。

不思議だと思いませんか?

一生うつ病のままでいい!と諦めた瞬間にうつ病が治りはじめるんですよ。

このメカニズムの仕組みは実はシンプルです。

うつ病で僕が一番苦しかったのは

自分のうつ病は一生治らないかもしれない…

という恐怖でした。

僕には当時、守るべき妻とまだ幼い子供が二人いました。

なので、僕のうつが治らなければ家族が路頭に迷ってしまう…

という恐怖も強くありました。

でも、これって、僕の頭が勝手にでっちあげたストーリーなんです。

脳内ファンタジーなんです。

なぜなら

うつ病は克服するかもしれないからです。

でも、当時の僕には「鬱病は治る」というストーリーは一切頭にありませんでした。

不安と恐怖に支配されていたので、「僕の鬱病は一生治らないかもしれない…」と勝手にストーリーを作り上げていて、そしてそのストーリーが原因で、さらに不安と恐怖が増幅して、さらに状態が悪化する… という悪循環、負の無限ループに陥ってしまっていたのです。

その恐怖のストーリー、負の無限ループを断ち切るために最適かつ有効な方法が

サレンダー

することだったんです。



うつが一生治らないかも… という僕が作り上げた幻の恐怖は

もう、一生うつのままでもいい
最悪、死んでもいいや

と開き直ることで、幻を幻であると見破ることができたので、その幻は消えてなくなりました。

この部分、ものすごく重要です。

もう、答えをいいますね。

この一生うつが治らないかもしれない…というでっちあげストーリーもそうだし、日々のあらゆる心配毎や恐怖の正体は・・・・・・・

エゴ(思考)

なんです。

大事なことなので2回いいます。

僕たちの不安や恐怖や心配毎を生み出しているのはエゴ(思考)です。

特にまだ実際に起こってもいないのに、そうなるかもしれない…
とか
そうなったらどうしよう…
というまだ起きてもいない出来事が未来に起きたらどうしよう…
という不安・恐怖・心配はすべてエゴが作り出したストーリーです。


なのでエゴ(思考)と一体にならずに、エゴから離れることで、僕たちは恐怖や不安から離れることができました。

そして、エゴから離れる鍵となるのが、サレンダーすることです。

問題を解決しようと思うから
「解決できるだろうか…」
「解決できなかったらどうしよう…」
と不安になるのです。

鬱の場合でいうと
「欝病は治るのだろうか…」
「治らなかったらどうしよう…」
と不安になるのです。

この不安を解消する一番の方法は

問題を解決しようとしないことです。
問題を解決することをあきらめて(サレンダーして)
もう解決しなくていいや
と手放した瞬間に
問題は問題でなくなってしまうのです。

なぜなら、もうそこに解決すべき問題はなくなっているので。


つまり、僕の場合…

①欝病を治したい

②でも治らないかもしれない

③一生治らなかったらどうしよう

と思って、その不安の無限ループから脱出できずに苦しんでいたのですが、発想を変えて

①欝病が治らなくてもいい

②最悪死んでもいい

とあきらめたことで「欝病を治さなくてはならない」という問題が消えてしまったわけです。



欲しい!欲しい!と執着している間は欲しいものが手に入らずに
もういいや… と手放した瞬間に手に入る
みたいなことって世の中にはけっこうありますが、そういう感じです。




えっと…

ついつい熱く語ってしまいましたが、今現在、うつで本当に苦しんでいる人には、なかなか理解してもらえないかもしれません。

そんな簡単な問題じゃないんだ… と思われたかもしれません。

その感覚もまたわかります。



ちょっと言葉を変えて言うなら…

あまり深刻に考えずに

ゆっくりしよう

ということです。


動けない時は動けないし、ポジティブになれない時はなれない。

ダメな自分でも、鬱な自分でも、それを責めずに、ただただそんな自分を許して、ゆっくりする。

それがまずは大切だと思います。



焦らない
ことが大事です。

神さまから休憩する時間をもらったんだ

ぐらいに思って、回復するまではゆっくり過ごすのが一番です。


僕は鬱がひどい時は家から一歩も出れず、布団からも起き上がれないぐらいでしたが、本だけは読むことができました。

そして、僕はスピリチュアル系の本を読み漁ることで、サレンダーという言葉を知って、欝病に対しても、自分の人生に対してもサレンダーすることができました。

そしてサレンダーしてからはずいぶんと気持ちが楽になりました。

それでも、まだ鬱が抜けきらなかった当時は、安心したり、また不安になったりを繰り返していました。

何事にも時間はかかるものだと思います。

サレンダーしたから、はい解決!
みたいな感じで簡単に治るものでもないと思います。

でも、サレンダーして諦めることで、きっとそこから気持ちに余裕ができて、少しずつでも好転していくと思います。


少しずつ元気になってきたら、本を読んだり、室内でもいいから少しストレッチとかカラダを動かすのがいいです。

僕の場合は、とにかく本を読んで、少し元気になってきてからは、家庭菜園で畑を耕したり、ランニングをしたりすることで、どんどんと回復していくことができました。

あとは、なにより家族に救われました。



長々と書いてきましたが、鬱を治す方法はいろいろあると思うし、この記事の方法はあくまでも僕の体験に基づいた方法です。

しっかり薬を飲むことで治った人もいるでしょうし、医師の助言で治った人もいると思います。

とにかく焦らずに、ゆっくりと過ごしてください。

直接僕になにか質問したい人はコメントください。

何らかの方法で回答させてもらいます。

あゆむ 拝


2019年2月28日木曜日

No Meditation, No Life!

No Meditation, No Life!
やな…
って最近やっとわかってきました。

Meditationってのは〝瞑想〟のことです。

瞑想なしの人生なんてありえない

みたいな感覚になってきました。


一時期は毎日ガッツリと瞑想して、このブログも頻繁に更新していましたが、あるときから瞑想も時々する程度になり、ブログの更新も時を同じくして、ほとんど途絶えていました。

その理由は、僕がスピリチュアルなものよりも、現実的なビジネスに走っていたからです。

地球は行動の星!

なんてことを思いながら、現実的に仕事をがんばっていたわけです。

瞑想している暇があるなら、仕事をしよう!

みたいな。


実際、僕の机の上にはタイマーが常に2つあって、分刻みでタスクをこなす…
みたいなことをやってました(というか今この原稿もタイマーをセットして書いてはいるわけですが…)。

瞑想を忘れ、スピリチュアルを脇に置き、ビジネスに没頭した結果、どうなったのか?

というと、上手くいく部分もあったし、そうでない部分もありました。

瞬間風速的に、売り上げが爆発してウハウハな時もありましたが、売り上げがガクッと落ちて、また欝の時のような不安(通称ぼわぼわ)がやってきた時もありました。

人生には善き事しか起こらない。

自分にとって必要なことが必要なタイミングでやってくるだけ。

なんて偉そうなことを書いていた僕ですが、人間って弱いもんですね。

ちゃんと、恐怖や不安に襲われました(滝汗)。


ただ、人間って
慣れ
とか
経験値
ってやっぱり大切で

一年近く欝に苦しんだこともあったし、そこから抜けた体験もあった。

また、時折訪れるパニック障害のいなしかたも身につけていた。

そして何より、恐怖や不安が訪れることがあっても、根っこでは宇宙を神を、僕の中の神を信じている。

人生には善き事しか起こらない。

これはもう、僕の中では確固たる信念になっています。

なので、一時的に恐怖や不安に包まれることはあっても、飲み込まれることはなく、割と短時間でそこから軌道修正することはできていました。

そして、その不安を消すためには、やはり圧倒的行動しかない!

なんておもいながら、また仕事に没頭するわけです。


でも、何かが足りない…

何かがおかしい…

イマイチ、心が安定しない…

そんな感覚がずっとありました。



2週間ぐらい前に、奥さんと話をしている中で、奥さんから

「毎日、朝と夜にしっかり瞑想をやってみたら」

と勧められました。

僕がビジネスモードに入っていること、そして効率主義者的な部分があることも知っているので、そんな僕にも刺さるように…

「朝、30分の瞑想は、時間がもったいないと思うかもしれないけど、結果的には心が整って、そのほうが仕事がはかどるんじゃない」

なんてことを言われて、なんとなく、それもそうだな。
と思えたんです。

不思議なぐらいに素直に、その言葉が胸に入ってきました。


そしてその日の夜、寝る前に30分の瞑想を久しぶりにやりました。

よく眠れて、翌朝は6時前にはぱっちり目が醒めて、朝一番の瞑想をこれまた30分間やりました。

その日は、一日中気分が乗って、近年ないほどに仕事がはかどりました。

しかも、仕事の合間に、なぜか自室の畳をほうきで掃いて、きつく絞ったぞうきんで拭き掃除までしてしまいました(掃除機は日常的にかけてますが、ほうき掃除とかぞうきん拭きは初めてしました!)。

なんというのか、
禅僧的な心持ち
になっていたのです。

え…
心、整ってる…
瞑想やばくね!

ってマジで思いました。

その日から今日までずっと朝と夜の30分間の瞑想習慣は続いています。

義務とかやらなきゃ
じゃなくて、
瞑想したい!
って思って瞑想しています。

それは何故か? 
どうして積極的に瞑想をしたくなったのか?

なぜなら…
瞑想を生活に取り入れてからは、基本的には、物事が箱さしたように、仕事の面でも、生活の面でも、物事が上手く運べるようになり、心が安定しているからです。


朝晩の瞑想生活を2週間ほど続けて今一番思っていることは…

俺、なんでずっと(ここ数年)瞑想してこなかったんだろう…???

という想い、疑問です。


多分現代社会に生きる私たちは、日常があまりにも忙しすぎて、生きることに必死で瞑想なんてやっている場合じゃない!
そんなふうに毎日を死に物狂いで走っているのだと思います。

僕もそうでした。

でも、その状態って、たぶん完全に自分はエゴの乗り物になってしまっていて、すごくしんどいし、苦しいんです。

逆なんです。

逆だ〜〜〜〜!

って気が付きました。

遅ればせながら!(汗)


忙しい日常だからこそ瞑想するんです!

心を亡くすと書いて、忙しい!

だからこそ瞑想が必要なんです。

瞑想することで失った心を取り戻すことができるんです。




あなたは、今日瞑想しましたか?

自分の真我と繋がりましたか?

と、たった2週間しか瞑想していない僕が、あなたに問うてみる(滝汗)。


こんなことを問うのは、もしあなたが瞑想をしていないなら、ぜひ瞑想をしてほしいから。

めまぐるしい日常、やるべきこと、やらねばならないこと
べきねば
だらけの日常。

エゴのストーリーにともすれば乗っ取られてしまいます。

そこから脱却し、本当の自分、神である自分、真我につながるもっとも手っ取り早い方法

それが

瞑想です。



最後に瞑想の方法をレクチャーします。

瞑想のやり方


瞑想方法はそれぞれのスタイルにあったものでOKなので、なんでもいいのですが、参考までに僕のやり方を解説します。

なお、僕の瞑想スタイルの基本となっているのは
ボブ・フィックスさんが開発した
フルフィルメント瞑想です。

フルフィルメント瞑想のハート・マントラを伝授してくれたのは、阿部敏郎さんの奥さまの阿部智子さんです。

また、ボブ・フィックスさんの瞑想リトリートにも2回ほど参加したことがあります。


瞑想の正しい姿勢

まず姿勢。

床でする場合には、あぐらでしっかりと背筋を伸ばします。

イスでする場合には、背もたれにはもたれずに、浅く腰をかけて、しっかり背筋を伸ばします(イスの上であぐらを書くのもアリです。その場合でも背筋は伸ばして)。

この背筋を伸ばすというのは大きなポイントです。

次に目を閉じます。

禅の座禅の場合は半眼といって、薄く目を開けている場合もありますが、瞑想の場合は基本、目は閉じます(ぎゅっと力を入れて閉じるのではなく、やさしく普通に目を閉じれば大丈夫です)。

そして、マントラを授かっている場合には、最初にマントラを唱えたり、ヤントラをイメージするのですが、伝授されてない場合はマントラ・ヤントラなしでも全く問題ないです。

部屋の明かりは消して暗くします。

僕の場合は、早朝と夜間なので、電気を消した真っ暗な部屋で、ろうそく1本の明かりの中、お香をたいて瞑想しています(雰囲気も大事やと…)。


瞑想中の手の指の形はこんなふうにするか…
↓  ↓  ↓
画像引用:https://manabiba.tv/article/detail/152

あるいは、こんなふうにします
↓  ↓  ↓
画像引用:https://meditation-in.love/post-120


これで、瞑想の姿勢、形は整いました。

あとは、瞑想の呼吸法です。

瞑想の呼吸法

瞑想の呼吸法は…
鼻から吐いて、鼻から吸う
これだけです。

普段の私たちは呼吸が浅くて、早いことが常なので、瞑想の時には、ゆったりとした気持ちで、リラックスしながらゆっくりと息を吐いて、ゆっくりと息を吸うようにします。

禅寺で座禅する際には、呼吸を
「いちとー… にーとー… さんとー… しーとー… ・・・・・・・・」
と呼吸を心の中で数えて呼吸に集中しましょう。

なんてふうに指導される場合もありますが、僕は普段は呼吸は数えません。

おのおの好きなスタイルで、呼吸は数えても数えなくてもどちらでもOKです。

瞑想状態に入る方法

瞑想あるあるとして、瞑想すると、どんどんと思考(雑念)が沸き上がってくる…

というのがあります。

つまり、心を整えたくて、ある意味、
空
とか
無我
の境地になりたいのに、一向にそうならず、むしろ邪念や思考が渦巻いてくる…

でも、安心してください。

これって、本当に誰にでもあることです。

むしろ、思考が起こってくるのは自然なことです。

なので、安心して、浮かんでくる思考を、まるで雲をながめるような気持ちで眺めてください。

でもね…

これ、本当に不思議なんですけど、30分間、ちゃんとタイマーで測ったりして瞑想した場合には、その30分のどこかの時点で、ほぼ確実に…

瞑想状態に入れます。

瞑想伝授を受けた時、
「タイマーで測るなどして、30分は瞑想しましょう。」

と指導されました。

30分って長くね?

と思ったし、実際に瞑想を取り入れ出してからも、当初は長く感じていました。

でも、やっぱりこの30分という時間に意味があるのです。

瞑想ははじめて最初の5分とか10分は、たぶんどんどんと思考が湧いてきます。

僕の場合は、思考が暴走してる〜〜〜
というぐらいに、あれやこれやと、過去の恥ずかしい体験とか、しょうもないことがどんどんと湧いてきてとまりません。

でも、そんなときも、ああ、また思考が湧いとるな…
と一歩ひいた自分で、思考の雲を眺めてやるのです。

そして、思考が湧いた自分を責めたりせずに、ただじっと観察するのです。

すると、10分、15分、20分…
と時間が経過していくうちに、
ほとんど確実に思考が止む瞬間が訪れます。

あ、思考してるな…
とか、
え、思考が止まってる!
とか、そんな自覚すらない

無

の瞬間があります。

何も考えてない時間。

何も考えてないな…という考えすらもない時間。

自分が消えている時間。

起きているような、寝ているような、自覚しているような、無自覚のような…

そんな感覚。


それ…
瞑想状態です。


えっと…
長々説明してきましたが、とにかく瞑想をやってみたらわかると思います。

スピリチュアルが嫌いな人であっても効果があります。

仕事のパフォーマンスも上がります。

Googleやappleをはじめとする海外の大手企業ほど、
マインドフルネスといって、瞑想を仕事に取り入れています。

就業時間中にマインドフルネス瞑想の研修を行ったり、
勤務時間中のマインドフルネス瞑想の実践を推奨しているぐらいです。


つまりです。

瞑想って

真我に帰る
本当の自分に帰る
自分の中の神につながる
空に入る

ための強力なスピリチュアルのツールでもあり。

心を整える
心身のコンディションをよくする
仕事のパフォーマンスを上げる
美容と健康にもつながる

実用的なツールでもあるわけです。


時代は今、瞑想。

これはもう、やらなきゃ損ってぐらいのレベルです。


さあ、あなたも
Let's Enjoy  瞑想!

No Meditation, 
No Life! 
やで〜〜〜

PS
瞑想状態に入ることを目的にしなくてもいいんです。
僕も30分瞑想しても雑念状態のまま終わる時もありました。

僕の奥さんは、マントラも7つぐらい受けていて、この5年ほど毎日瞑想している、僕にとっての身近な瞑想教師みたいな感じなんですが、奥さんいわく

「瞑想状態は向こうからやってくる」

「だから瞑想を信じる」

ということだそうです。

確かにそうやなと思います。

自分が瞑想して「空」に入る!
とか思うと力が入るし、自分にはそんなの無理!
みたいなプレッシャーがありますが、瞑想を信じて
自分の力ではなく、瞑想が向こうからやってくる…
と信じてあけわたせば、すごく気楽だし、結果、本当に瞑想状態が向こうからやってきます。


あと、それでも雑念ばかりで…
という人は瞑想の音源を利用するのも手です。

僕もよく利用します。

現在のヘビーローテーションは…

これです。



このCDはクリスタルボウルの音源なのですが、本当にいいです。
もう、強制的に瞑想状態に連れて行ってくれる…
そんな強力な音源です。


あとは、ボブ・フィックスさんの瞑想マントラCDも強力です。
でも… 現在は絶版のようで、どこでも購入できないみたいです…
が、ボブ・フィックスさんの新作CDなら、ボブさんの公式ブログから買えるみたいです。

http://trueheart.link/music/processmeditation/

PS
今日も早朝の神社参拝、雨の中、奥さんと行ってきました。
雨の神社も良いものでした。

明日も参拝するし、ブログも更新します!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(*^_^*)

あゆむ 拝



PS2
今日の記事、気がつけば書くのに2時間かかっていたのですが…
タイマーの存在を完全に忘れて、フロー状態で書き上げてました。
ホンネ100%の文章です。

瞑想、マジでいいですよ!



2019年2月27日水曜日

早朝の神社参り

僕の奥さんは毎日瞑想をしているのですが、瞑想中に時折ですが
ご内流というのか、メッセージというのか、何かしらのインスピレーションを受けることがあるようです。

そして、昨日降りてきたインスピレーションというのが…

明日から産土の神社に早朝のお参りに7日間行こう

というものでした。

そして、このブログ

あるがままを毎日更新してください

というメッセージ?も同時に降りてきたようです。

というわけで、本日は5時には起きて、6時半に奥さんとともに車に乗って、地元の産土神社である

村山神社&出雲神社(出雲大神宮)に行ってきました。

村山神社
http://www.genbu.net/data/tanba/murayama_title.htm

出雲大神宮
http://www.izumo-d.org/


僕達夫婦は自営業というか自由業なので、現在はどこにも勤めてないので、ともすれば朝はゆっくりなことが多いので、久しぶりに見る朝日が眩しかったです(汗)。

村山神社に参拝するのはけっこう久しぶりだったのですが、なんと本殿は全て建設用の幕で覆われていました…

昨年の大型台風で何本も木が倒れて、本殿は完全にぺしゃんこになってしまったようです…

再建するためには多額の費用がかかるようで、寄付を募っているようなので、出来る範囲で寄付をさせていただこうと思います。

と、いきなり本殿がそんなことになっていたので、ちょっと面食らったわけですが、本殿以外の全ての社でお参りをさせていただきました。

特別な体験が何かあったわけではありません。

でも、なんとも言えない、心地よさ、清々しさでいっぱいになりました。

神社の駐車場には1本の梅の木があったのですが、もう花が立派に咲いていて、今年はじめて目にする梅の花だったので、しばし梅が香をしっかりかぎました。

本当は最寄りの村山神社だけに参拝する予定だったのですが、奥さんが出雲神社にも行きたい… というので、そのまま車で出雲神社に行きました。

出雲神社は、村山神社に比べると規模も大きく、正月は大行列ができるし、平日でも参拝者が途切れることはないような神社です。

パワースポットとしても有名なところなので、亀岡市民だけでなく、遠方から参拝に来る方もたくさんいます。

うちの家族も出雲神社が大好きなので、正月だけではなく、なんでもないようなときに家族四人で、あるいは夫婦でお参りさせていただくことが多々あります。

でも、こんな早朝にお参りするのは今日がはじめてでした。

社務所もまだ開いてなく、しんとした早朝の神社はとても清々しい雰囲気でした。

ただ、人気の神社なので、そんな時間にも関わらず、僕たち以外にも参拝者はちらほらといましたが…

本殿を参拝した後は、本殿の裏手にある「磐座」にもお参りに行きました。

磐座の前で目を閉じて、立ったままですが、短い時間瞑想もしました。

鳥の鳴く声…

そばの小さな滝の音…

ものすごく気持ちがよくて、幸せでした。

〝いまここ〟には何も問題などなくて、ただ静かで幸せでした。



帰りの車中で、夫婦ともども、ともて気持ちよかったね、明日も行こうね
と、話が盛り上がりました。

と、こんなふうに、本日の記事はまあ…

ただの日記ですね(汗)

でも、久しぶりに更新できたのは、嬉しいです。



実は世界って狭いもので、僕の奥さんの瞑想友達が、このブログの割にヘビーな読者さんだということが最近判明しました。

そして、僕の書いた記事が役にたったようだと聞いて、素直に嬉しかったし、このブログを作ってよかった。書いててよかったと思いました。

このブログには、時々コメントとか、あるいは直接のメールが読者さんから届くことがあります。

欝の方とか、欝になりそうな方とか、パニック障害の方とかからも、よくメッセージとか相談をいただいたりします。

欝は僕も相当苦しんだので、その気持ちがよくわかります。

そして幸いなことに僕は欝から抜け出すことができたので、どうやったら欝が治るのか?
その部分については、僕の経験談を伝えて、それが一人でもいいので、誰かの役に立てばいいな…と思って更新しています。

欝って本当にチャンスで、自分の真我、本質に帰るチャンスです。

僕は欝になって本当に良かった、神の恩寵だったと心から思っています。

欝がなければ、僕はまだずっとエゴにまみれたままフラフラと、プライドにまみれて生きていたと思います。

もし欝にならずに、あのまま調子にのってエゴで生きていたら…

と想像するだけでゾッとするぐらいです。


人生のシナリオって本当に面白いし、よく出来ています。

人生においてピンチは訪れてほしくない… とは思いますが、
同時に、
主人公がピンチにならない映画
とか
無敵で死なないゲーム
がつまらないように
人生にもピンチとか逆境がないと、それはきっとつまらないし、成長も変化もないと思います。

いろんなことが起こるのが人生です。
自分でコントロールできることもあれば、そうでないこともあります。

そして苦しんでいるのはいつだって本当の自分ではなく、自分のエゴです。

人生には善き事しか起こらない。
あるいは
人生には自分にとって必要なことしか起こらない。

僕はそう思っています。

そして、そう思うようになってから、物事に動じなくなりました。

と、かっこつけたいとこですが、実際には、プレッシャーを感じたり、動じたりしてます…あいかわらず!

でも、欝前の僕は、その不安や恐怖と完全に一体化してました。

でも、今は、不安を感じることはあっても、一体化することなくなりました。

一瞬飲み込まれそうになっても、絶対に大丈夫と思っている、もう一人の自分、本当の自分がちゃんといます。

この感覚があるのとないのと
その違いは本当に大きいと思います。


伝える言葉が上手く見つからないんですが、あなたも私も
神・宇宙の意識が、何かを体験したくてこの世に生まれてきました。

僕たちの肉体というのは、ある意味、神の乗り物のようなものです。

自分は弱い… と思っていても、そう思っているのは自分のエゴです。

私たちの本質は神です。

なので、絶対に何があっても大丈夫なのです。


また、明日も更新します。

最後まで読んでくれてありがとうございました。
(*^_^*)


2018年1月7日日曜日

2018年は再び「奇跡のコース」に取り組みます。

2018年がはじまりましたね。

昨年はあなたにとってどんな一年だったでしょうか?

僕の2017年は穏やかで平和なものでしたが、ちょっとビジネスモードに入りすぎていたかな… という感じです。

もうすっかり過去のことになりつつありますが、僕は2013年の秋に人生ではじめてうつ病を発症しました。

2014年の一年間はずっとうつ病との戦いで、スピリチュアルな本を読みあさったり、瞑想ばかりしていました(あと家庭菜園とランニングとか…)

2015年には、ほぼうつ病からは回復して日常を取り戻したのですが、当時の僕は

悟りたい…

という思いを強くもっていました。

幸いなことに貯金がそれなりにあったので、あまり仕事もせずに、瞑想とかスピリチュアル系の本を引き続き読んでました。

そして2016年の1月1日に、ずっと気になっていた本

「奇跡のコース」

に取り組みはじめました。

奇跡のコース… という本のタイトルは知っている人も多いかと思います。

僕がリスペクトしているエックハルト・トールもそうだし、その他大勢のスピリチュアル系の著者が、目覚めのきっかけとして「奇跡のコース」をあげている… そんな本です。

まさに、スピリチュアル界の原典であり、バイブルのような本です。

本は二冊からなっていて、一冊目はテキストです。

900ページ以上もある、かなり骨太な本です。

二冊目は、ワークブックとなっていて、365のワークが掲載されていて、そのワークを每日1レッスンずつ、つまり一年間通して取り組むレッスンが掲載されています。

僕は、このワークに2016年の一年間、每日取り組みました。

ワークの内容は、かなり興味深く、え〜〜〜〜!

とビックリするような内容がたくさんありました。

レッスンの内容についてはちょっと要約もできないぐらいに多義にわたっているのですが、シンプルに説明するのであれば…

僕の持っていた常識とか固定観念をことごとくひっくり返す内容で
それまでの世界は物事への見方を大きく変えてくれました。

ただ、正直に書くと、ワークに一年間取り組んだからといって、僕の中の何かが大きく変わった… というようなことはなかったと思います。

それは多分、僕は本当の意味ではレッスンの内容を理解していなかったのだと思います。

へえ〜すごいな… とは思いながらも表面的に取り組んでいたというか…

あとは、これも正直に書くと、ワークブックのほうは每日読んで、レッスンに取り組み、読了しましたが、1冊めのテキストのほうは、ほとんど読めませんでした。

なんかこう頭に入ってこないというか、理解が難しかったのです。


そして、2017年は、奇跡のコースを開くことは一度もありませんでした。

悟りとかスピリチュアルは一度脇に置いておいて、現実に向き合い、ビジネスモードに入っていたからです。

ただ、今年、2018年の正月にずっと本棚に置いていた奇跡のコースが突然気になって、よし、今年は再び「奇跡のコース」に取り組むぞ! という思いが自然に湧き上がってきました。

そして、今回はレッスンに加えて、テキストのほうも每日3ページずつでもいいから読了しよう!と思って每日読んでいるのですが、この内容が今回はスラスラ入ってくるのです。

前回はどうやっても頭に入ってこなかった文章が、今回はページをめくる手が止まらないぐらいの感じで、もっと読みたい! すごい!

って感じです。

本って、やっぱり読むべき時期とかタイミングってあると、あらためて思いました。



本日、当ブログを更新しよう…と思ったのは、ワークブックのレッスン7

私は過去だけを見ています

という内容をシェアしたいと思ったからです。



実は、私も、そして多分あなたも、本当に過去だけを見ているのです。


僕はうつ病から回復していく過程で、自分の築きあげてきたもの

立場とかプライドとかが全て崩壊しました。

それはまるで、それまでの自分が一度死んだような感じでした。

そして新しい自分に生まれ変わったような感覚がありました。

欝になるまでの僕を今振り返ると、完全に別人だったなと思います。

他人の目線、他人の評価を常に気にして生きていました。

そして、知らず多くの人を傷つけていました。


あの頃の自分に比べたら、現在は本当に多くのものを手放すことができたと思います。

かなり自由だし、心も軽く、每日が幸せです。

でも、やっぱり昔のクセというか、いまだに多くの課題が残っています。


ずっとそれにとらわれ続ける… ということはないのですが、フトした瞬間に、

怒りとか
悲しみとか
寂しさとか
不安とか

そういったエゴが湧き上がってきます。

何か特定の場面やシチュエーションになった時に、そういったエゴは湧き上がってきます。

それはどうしてか?

その理由は過去に同じような場面で辛い体験をしたことがあるからです。

本当は私もあなたも無敵で、いまここに置いては全く問題はありません。

でも、奇跡のコースにそう書いてあるように、私たちは過去だけを見ています。



上司に起こられたくない

親には認めてほしい

友達に裏切られるのは嫌だ


そんな思いは誰でも持っているかもしれません。

以前の僕はそんな思い(エゴ)を強くもっていました。

でも、人間ってなんでそうなっちゃうんでしょうか?

世界は愛に満ちていて、人は信用していいし、本音で生きていいはずの世界です。

でも、実際の現実社会では、誰もが鎧に身を固め、本音はなかなか見せません。

それはたぶん、私たちの中に傷ついたトラウマのようなものがあるからです。


今朝、奇跡のコースのレッスン7「私は過去だけを見ています」に取り組んでいる時にふっと昔の辛い体験を思いだしました。

なぜか思い出したのは、幼いころに通っていた「合気道」の道場での出来事です。

道場に通いだした頃に、先生と話している時に、僕が「うん」と返事をしていたら、それまでずっと優しいイメージだった先生に、かなりキツイ感じで

「ウンじゃない! ハイだ!!!」

と、怒られた場面がフッと湧き上がってきました。

もしかしたら、これが人生で初めて(親以外に)怒られた体験かもしれません。

その時の怒られて萎縮した感覚は今でも覚えています。

先生とか、年上の人は偉いので、敬語を使わないといけない…

そういう価値観、世界観の始まりだったと思います。

その後も、部活でも理不尽な先輩とか、めちゃくちゃな上司とか、いろんな体験をしてきましたが、それでも「上司に嫌われたくない…」というエゴが僕の中にあるのは、きっと幼い頃の、あの合気道道場でのトラウマ体験があって、あんな思いはしたくない… というエゴが自分の中にあるからだと思ったんです(ワークをしながら気づきました)。


ほかにもいろんなことがつながりました。

親から嫌われたくない…

僕の場合、そのエゴの原点は、三才ぐらいの時に、親戚一同が我が家にあつまったパーティーで、嬉しくなってリンゴにマヨネーズをつけて食べようとしたら、それまで一度も怒ったことがなかったような父が突然ブチ切れて「もったいないことをするな〜〜〜!」と、すごい剣幕で大声で怒られたことです。

かなりショックでした。

今わかるのは、普段起こらない父があれだけ怒ったのは、親族の前だったからだと思います。

食べ物で遊んで無駄にしようとしている我が子を親戚の手前、放置できなかったのでしょう。

要するに、そこには愛とか教育はなくて、きちんとした親であることを親族に見せたいというエゴでしかられたということです。

でも、僕は、そのリンゴで遊んでいたわけでもないし、無駄にするつもりもありませんでした。

ただ、親戚がたくさんいて、嬉しくなってテンションがあがって、リンゴにマヨネーズをつけて食べることで、注目を集めたかっただけなのです。

もちろん、そのリンゴは食べるつもりでした。

でも、リンゴを取り上げられ、全員の前で一括されたことで、僕はほっぺたをプルプルとさせて泣きたい気持ちになって、その後のパーティーを一切楽しむことができませんでした。

いまだに僕の中には、親に対する複雑な思いが、何かの瞬間にフト湧き上がることがあります。

そして、その原点はきっと、あのリンゴ事件だったと思うのです。


なんか個人的な思い出をつらつらと書いてしまいましたが、きっとあなたにも、特に子供時代に体験したなんらかの痛みとか辛い体験があって、そういった体験を重ねて大人になっていく過程で、

人に嫌われないように

人に好かれるように

本当の自分を出さないように

している部分もあると思います。

だって、人に嫌われたことがない人間は「人に嫌われたくない」という発想自体が起こらないと思います。

本当の自分が出せないのは、過去に本当に自分を出して失敗した体験があるからです。


奇跡のコースのレッスン7「私は過去だけを見ています」に取り組みながら、そんなことを思ったので、急いでブログに書きました。

僕の中にもいまだに、ずっと心の底にかかえている痛みを伴う体験が残っていることがわかったんですが、そんなエゴとか思いはもう、どんどん手放していこうと思います。

本当に自分でいたいし、本音で生きたいです。

本音を出して、痛い目にあったこともありますが、それは過去のことです。

今度は、本音を出したら、もっと打ち解けあう… そんな未来が広がっている可能性もあるのです。

過去はもういいです。

いつでもニュートラルな気持ちで、いまここを楽しんでいこうと思います。


2017年7月1日土曜日

生命エネルギーの使い道

生命エネルギーの使い道


僕が実践している、幸せに生きるコツをシェアします。

それは何かというと、

生命エネルギーを正しく使う

ということです。


人間とはエネルギー


この世に存在する全てはエネルギーで出来ています。

僕は、科学者でも何でもないので、これは学んだ知識ですが、人間も含めた全ての物質は原子からできていて、それをもっとミクロの世界で見ると、その原子は素粒子から出来ていて、その素粒子をもっと小さく究極までミクロの世界で見ると、最後はエネルギーになるそうです。

これは、量子物理学の世界では、現時点ではそういう結論に達しています(だそうです)。

また、スピリチュアルの世界では、全てはエネルギーで出来ている… 

というのは、ずっと昔から言われています。

引き寄せの法則は、トンデモ本も多いですが、その全てが間違いというわけでもなくて、心に描く思いはエネルギーを持っている。

というのは真実だと思うし、

本当に強く心に思えば、そのエネルギーが物質化する

というのも、ありうる世界だと思っています。


イチロー選手はなぜ成功したのか?


まあ、難しい話はこのあたりでやめておきますが、普通にシンプルに考えてみると、このエネルギーの持つ力というのは、僕たちの生きるこの世界を見ているとよくわかります。

例えば…

変な例かもしれませんが…

大リーグのイチロー選手

現在は全盛期を過ぎた感はありますが、日本人野球選手としては、おそらく一番の成功を収めた選手だと思います。

なぜ、イチロー選手は成功することが出来たのか?

それは、全生命エネルギーを野球に注いだからだと思います。

イチロー選手のストイックさはかなり有名ですが、何かのインタビューでこんな発言を聞いたことがあります。

「一日24時間、自分が行っている全てを、何のためにそれをやっているのかを全部説明することができる」

と。

これはつまり、説明のできないような無駄なことは、一秒もやっていない…

という意味だと思います。

きっと、全ての行動を、野球のためにやっているのだと思います。

練習や、野球道具を手入れすることはもちろん野球のため。

食事を取るのも、体調管理という野球のため。

休養するのも、野球のため。

つまりは、イチロー選手は、自分の生命エネルギーを全て野球の使っているんだと思います。

だから、世界一レベルまで野球を極めることが出来たのだと思います。


イチロー選手レベルまでストイックに生きることは誰もが出来ることではないと思います。

ただ、なかなか成功できない人、人生が上手くいかない人…

こういう人はきっと生命エネルギーの使い方を間違えているような気がします。


生命エネルギーの浪費


テレビをダラダラ見たり…

ネットサーフィンをえんえんやったり…

非生産的なことにエネルギーを浪費していることが多いのではないでしょうか?


しかもテレビでやっていることといったら、あの政治家がこんな失言をしたとか…

あのタレントが不倫してたとか…

ネットを見ても

あの国がまた反日しているとか…

マスコミもネットも、圧倒的にスキャンダラスなものや、悲惨なニュースなど、不安や悲しみや怒りを煽るような、つまりはストレスになるような情報にあふれています。

こういったテレビやネットをダラダラ見るのって、かなりのエネルギーの浪費だと思います。

本田圭佑選手とか、羽生結弦選手とか、藤井聡太棋士とかは、おそらく多分、ネットサーフィンを朝までやってしまった… なんてことはないと思います。

イチロー選手同様に、いつでもサッカーに、スケートに、将棋にフォーカスして、そこにエネルギーを注いでいると思います。

これってアスリートに限らずで、普通に世の中で経営者であれ、画家であれ、庭師であれ、成功している人というのは、きっと自分のやっていることが好きで、そしてそれにエネルギーをつぎ込んでいるから成功しているのだと思います。

僕は、成功することが全てだとは思ってません。

普通に、静かに、ささやかな毎日を過ごせることもすごく素敵なことだと思っています。

なので、誰もが思うように、好きに生きるのが一番だと思っています。


真・善・美・愛


これは自分も含めてですが、なんとなく調子が出ない… とか、なんかすっきりしない… そんな時って、自分の気が、つまりエネルギーが四散している時であることが多いと思います。


少なくとも、ハッピーに生きたいのであれば、やっぱりハッピーなものにフォーカスして、そこにエネルギーを向けるべきです。

ハッピーになりたいのに、ホラー映画とか、残酷なドラマとかを見るのは、エネルギーの無駄使いでしかありません。

真なるもの

善なるもの

美なるもの

愛なるもの

こういったものに目を向け、そっちの世界にエネルギーを使うことで、好循環がはじまります。

あとは、瞑想はやっぱりいいです。

とっちらかったエネルギーを鎮めることができます。

あと、世界がどうであれ、世の中がどうであれ、人間関係がどうであれ、自分の内側には、必ず静かな空間があります。

そこは無風状態で、心がどれだけ波立っていても、本当の自分の内側って穏やかに凪いでいます。

心がザワザワする時…

気持ちが焦っている時…

そんな時こそ、ほんの数分でもいいので、目を閉じて、瞑想することをオススメします。


いったん心をニュートラルにする。

この状態から物事をはじめると、上手くいくことがほとんどです。


嫌いなものにフォーカスしない


嫌いな人とか、苦手な人って、あなたにはいますか?

僕は昔はけっこういました…(^_^;)

が、現在は、1人もいません。

なぜなら、嫌いな人のこととかを全く考えないからです。

そんなことにエネルギーを使わないからです。
(使いたくもない。無駄なので)

逆に僕は、大好きな人のことはよく考えます。

スゴく幸せな気持ちになります。



シンプルに短く書こうと思ったけど、なかなか上手く書けないです… 本日は。


生命エネルギーの使い道について今日は書きたかったんです。


テレビやマスコミのマイナス情報をシャットダウンして、マイナスなエネルギーを使わない… 

これは案外誰でも簡単に実践できます。

難しいのは、自分の自我から出てくるマイナスエネルギーです。

実はこっちのほうがはるかに大きなマイナスエネルギーを浪費しています。

しかもほとんど無自覚に!


自我の欲望の失敗確率は100%!?


何ものかになりたい!

と思っている自我

もっとお金がほしい!

と思っている自我

周囲に認められたい!

と思っている自我

愛されたい!

と思っている自我

こういったエネルギーは恐ろしく大きく強いです。

こういった願望って、使い方によってはプラスに働く場合もありますが、実は、最終的には失敗が約束されています。

なぜなら

何ものかになりたい!

と思って、仮にトップアイドルになったとしても、その人気は永遠に続くことはなく、必ず新しいアイドルにその座を奪われる時がきます。

お金がほしい!

成功して、大金をゲットしたとしても、上には上がいるので、もっともっととさらに欲が大きくなるだけです。また、今度はそのお金を失う恐怖が誕生します。

周囲に認められたい!

重要なポストをゲットして有頂天で、そのあとに閑職に飛ばされて欝になった人… 僕の知っている人だけでも何人もいます。

愛されたい!

ラブラブ状態が熱いほど、別れた時の辛さは尋常ではありません。

と、こんな風に、自我の欲望エネルギーって、失敗が約束されているんです。


だからといって、ボウフラのように無気力に生きる…

というのがいいわけでもありません。


僕が今日伝えたいことは…

油断していると、あるいは無自覚でいると、いつだって知らないあいだに、自我(エゴ)の欲望のままに、生きてしまってその結果、求める成果になかなか辿りつけなくてストレスを抱えて生きるのはもったいないな… ということです。

また、世の中のどうでもいいゴシップとかノイズに触れて、そのたびにストレスを感じるのもエネルギーの浪費になるので、もったいないな… ということです。

ちょっと視点を変えたり、フォーカスするポイントを変えるだけで、ストレスってぐっとへるし、自分の軸がブレないようになります。

そしてニュートラルな気持ちで、今日という一日を、精一杯にやりたいことをやって生きる。

それだけで、人生はかなり充実するし、その結果として、心の平安とか、成功とかも気がつけばそうなっていた。

そうなれば最高だと思います。

何にエネルギーを自分は使っているのか?

そして、本当の自分は何にエネルギーを使いたいのか?

そんなことを一度ゆっくり自分に問いかけてみる。

そして、焦点をしっかりさだめて物事に取組み、毎日を過ごす。

そんなふうになったら、きっと人生はもっと軽くなって、楽しくなって、充実していくと思います。


■編集後期

映画とかドラマが好きな人って多いですよね。

僕も映画は昔から大好きだし、海外ドラマも大好きです。

なんで人間はこんなに映画とかドラマが好きなのか?

その理由の一つは、見ている間は、自我(エゴ)の暴走が止まるから…

というのもあると思います。

映画館にいって、それが面白い映画であれば、少なくともその二時間は、完全に主人公に感情移入して、エゴの暴走(クヨクヨした気持ちとか、未来への不安とか)はありません。

そして、こういった娯楽というのは、僕はいいものだと思っています。

実際に、映画やドラマや本の物語などで感動して心が洗われたり、時に人生を変えるぐらいの力を持っている作品もあります。

そういえば、昨夜も僕は息子と映画を観ました。

アマゾンプライムでこんな映画を観ました。
↓  ↓  ↓


ミスター・ビーンです…

感動とかとは真逆のパロディ映画です。
(^_^;)

ですが、これがなかなか最後はキレイに物語がつながって、ハッピーな気持ちになりました。

エンターテイメントの世界にも、ものすごい才能のある人がたくさんいて、僕たちをハッピーにしてくれます。なかなか素敵な仕事だと思います。



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↓  ↓  ↓
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2017年6月20日火曜日

幸せになる秘訣

幸せになる秘訣


幸せになる秘訣…

それは、幸せを追い求めないこと。

幸せになりたい…

と願うのは、人の常だし、自然なことだと思います。

僕も、もちろん幸せになりたい… と思っています。

ただ…

幸せというのは、追い求めて、探して、見つけて、幸せになる…

というものではないんです。

幸せ

というのは、ただ自然に起こってくるものなんです。

このあたり、 OSHOの受け売りですが、本当にそうだと思います。

これ、いい本ですよ
↓  ↓  ↓


大切なのは、リラックスすること。

その日、一日を感謝して生きること。

意識的に生きること。

これに尽きると思います。


人生に苦悩が尽きないのは、全てマインド・エゴのせいです。

ハートじゃなくて、脳で生きているからです。

マインド・エゴというのは、いつだって、過去を後悔したり、未来を心配しています。

そして、僕たちは、まるで夢遊病者のように、マインド・エゴと一体化して、常に

心配
不安
怒り
恐れ
いら立ち
不足感

を感じながら生きています。

本当は神なのにね。

世の中には、いいも悪いもない。

敵なんていない。

生きていることは奇跡の連続だし、見方を帰れば、感謝することしかない… そんな毎日なんだけど…

眠っている限りは、それに気づけない。

マインド・エゴのトリックを見破って、意識的に生きる。

これが出来たら、毎日、感謝しながらのほほんと生きることができます。

不安や心配は、ほとんど起こらなくなるし、もし起こったとしても、それに引きづられることはありません。

なぜなら、目覚めているから。


求めているものは手に入らない?


引き寄せの法則の観点からいっても、「幸せになりたい…」と思っているのであれば、宇宙はそれに応えて、〝幸せになりたいと探し続けている私〟を実現させてくれるでしょう。

意識的に目覚めて生きて

「ああ、幸せだなあ… ありがたいなあ…」

と思っているのであれば、宇宙はそれに応えて

〝幸せな私、感謝でいっぱいの毎日〟

を実現してくれるでしょう。


幸せに生きる秘訣

そのポイントは

意識的に生きる

これです。


(※解説)

意識的に生きる…
をもう少しくわしく言うと…

私たちは、意識しないかぎりは、起きて活動している間は、ほぼ全てエゴに操られて生きています。

エゴの存在を認め、夢遊病者としてして生きている自分を自覚する。その段階を経て、はじめて意識的に生きることができるようになります。

夢遊病者は反応的に生きます。
褒められれば調子に乗り、批判されれば、怒りや悲しみに苦しみます。

眠っている人は、いつも過去に生き、未来を心配し、いまここで起こっていることを味わうことができません。

意識的に生きている人は、起こってくるものごとを批判したり、無意識なリアクションは起こしません。

自分のあるがままも、人のあるがままも認めることができます。

また、無意識に反応してしまった時には、もう1人の自分が、反応してしまっている自分に気づくことができます。

そんなふうに、自分のマインドやエゴの存在に気づき、反応した時には、エゴが反応している!ということに気づけているのであれば、あなたは夢遊病者ではありません。

目覚めているし、あるいは目覚めかけていて、ちゃんと意識的に生きています。

逆に、いつまでも、うじうじと過去を引きずっていたり、性来の心配ばかりしている人…
完全にエゴの入れ物になって無意識に生きています。
起きて活動しているつもりでも、本当のあなたは眠ったままです。
早く目覚めてください!(^_^;)

(※解説以上)



ニュースや世間のノイズに流されずに、過去や未来に縛られずに、ただ、

いまここ

に生きる。


そんな風に生きていると、

鳥は歌い

花は輝き

だします。


当たり前だった風景が全部変わってきます。

夕焼けの輝く空に

街を行き交う人の中に

神を感じることができるようになります。


だんだん、素晴らしい世の中になっていってますね。


また時々、更新します。

あゆむ 拝
(*^_^*)


■編集後記

前回の更新から時間がかなりたちました。

前回の記事「iphoneバキバキに壊れた事件」にて

iphoneが壊れたことで、さらに僕にとって、

不思議な善きことが起こりました。

それについては、次回記事で紹介します。

なんてことを書いてました。


気になっていた方がいたら、引っ張りすぎてしまってごめんなさい…

何があったかというと、(まあたいしたことではないのですが…)

iphoneの代りに、Kindleで電子書籍を読むようになったんですね。

そこで、無料の「サラとソロモン」という本をダウンロードしたんですが、これがものすごく良い本だったんです。
↓  ↓  ↓


あまりおもしろいから、すぐに続編の二冊も買ったぐらいです。
↓  ↓  ↓




小学生でも理解できる物語形式の本なんですが、iphoneがバキバキになってくれたおかげでこの本に出会うことができました。

偶然からこの本に出会えたことで、起きることにはやっぱり意味があるし、iphoneが壊れる… という一見悪い出来事に思えても、全ては善き事なんだなと改めて思ったわけです。

そんなことをすぐに書きたかったのですが、なかなか更新できませんでした。

今日の記事とも関連しますが、一時期はずっと

悟りたい…

覚醒したい…

そんなふうなことを追い求めていた時期がありました。

が、今は、あまりそういうのはないです。

自然になくなりました。

ただ、本は今でも、いっぱい読んでます。

昔の本も、新刊本も。

それで、いろいろと知識も深まってきたけど、なんていうのか、だいぶん地に足がついてきた感じです。

瞑想もやったりやらなかったりですが、四六時中瞑想状態… といったら、言い過ぎですが、自分でも不思議なぐらいに心が、魂が安定しています。

何者かになりたい…

と思っていた自分

人から良く思われたい…

と思っていた自分は、だいぶん小さくなりました(まだありますが…)。

まあ、でもそんな途中人な自分も全部含めて、まあええか…

と、あるがままの自分にくつろぐことができるようになってきました。

人からの評価

とか

人からの賞賛

あるいは

人からの非難

こういった期待とか恐れを全て手放すだけで、本当に人生は軽くなります。

そして、不思議なことに、〝人の評価〟というものを手放すほど、人からの評価が高まります。

おかしいです。不思議です。

最近の僕は、びっくりするぐらいに昔の友人からの連絡とか誘いとかが急に増えて、すごく嬉しい感動的なメッセージをもらったりします。

高校の同窓会の幹事をすることになって、そこでまたみんなとつながったり、感謝されたり。

一切そういうのは求めてはいないんだけど、結果として、ものすごく充実しているし、感謝しています。

幸せ

も、そうかもしれません。

手放した時に、それは訪れるものなのだと思います。


また、時々更新しますね。
(*^_^*)


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2016年9月26日月曜日

iphoneバキバキに壊れた事件

iphoneバキバキに壊れた事件

iphoneがぶっ壊れた…


私ごとですが、つい先日、スポーツジムの駐車場で、とある墜落事件が起こりました。

まあ、墜落事故といっても、
オイラのiphoneが落ちただけなんですけどね…(苦笑)

ジムの駐車場について、車から降りようとドアを開けた瞬間に手にしていたiphoneが、けっこうな勢いで滑り落ちて、画面がアスファルトの地面に直撃してしまいました…。

パカパカ開閉できる皮のiphoneカバーをつけていたのですが、開け閉めが面倒くさく、その時もカバーを開けっ放しにしていたことを、落とした瞬間に若干後悔しました。

ただ、僕はiphoneは初代の3Gからずっと機種変更しながら使い続けており、今までにも何度も、何十回もiphoneを落としてきました。(アホですね…)

もっと高いところから落とした時でも液晶が割れることはなかったので、この時も安心していたのですが、拾い上げた僕のiphoneの液晶は

どっひゃー!!!!!

というぐらいバキバキに割れていました…(上記写真を参照)
_| ̄|○

一瞬、その場で固まってしまったことは認めます。

でも、この時すごく不思議な感覚がありました。

僕はPCもずっとMac一筋で、携帯もずっと初代iphoneから使っているかなりのApple信者で、ジョブズのこともRESPECTしています。

そしてiphoneは、僕が肌身離さずずっと使っていて、自分の持ち物の中では、MacBook Proと並んで、最も高価で、最も大切な道具です。

それが、無残に破壊されてしまった…

今までの僕なら、相当なショックを受けていたと思います。

でも、この時の僕は強がるわけではありませんが、不思議なぐらいに落ち着いていて、こう思ったんです。

「これは一体、何を意味しているんだろう…?」と。

そして、同時にこうも思いました。

「ああ、iphoneが僕のために壊れてくれたんだな」と。


善きことしか起こらない


僕がこのブログでずっと書いてきたことの一つに

宇宙にも人生にも

善きことしか起こらない。

ベストのタイミングで必要なことが起きる。

というものがあります。


僕はこの法則を心から信じていて、そのことが腑に落ちてからは、あまり物事や出来事に振り回されなくなったし、落ち込んだり、後悔したり… ということがほとんどなくなっていました。

そして、このiphoneを落とした時は、まさに前回記事「今この瞬間への旅」を読んでいた時であり、僕の心は常に〝いまここ〟に在ろうと、開かれた状態だったのです。

(↓この本)


そういう、ある種、高尚? な、気分でもあったので、以前であれば狼狽したであろう、iphoneの墜落にも落ち着いて対処することができたのでした。

そして、少し落ち着いてから、僕がどう思ったと思いますか?

僕は

「ああ、ありがたいなあ…」

と思ったのです。

これは強がりでもなんでもなく、本当にそういう思いが沸き起こってきたのです。

というのも、恥ずかしいことをここで、告白しますが、僕は重度のスマホ中毒でした。

メールのチェックや返信等で、俺はビジネスでiphoneを活用している!

と自分では思っている部分もありましたが、実際には、ダラダラとネットサーフィンをすることが多く、タバコを吸いながら、スマホでダラダラ…

ちょっと休憩… とソファに寝転んでスマホでダラダラ…

眠くなるまで… と、布団の中でスマホでダラダラ…

特に、布団の中でのスマホは、ブルーライトの影響か、眠くなるどころか、ますます目が冴えてきて、時に夜中の2時、3時… と、布団の中で、数時間スマホを見続けることもありました。

全く非生産的な時間です。

これは、問題だという自覚はあったので、僕は、自宅に戻ると僕のスマホを奥さんに預けていた時もあったほどでした。(その後、やっぱりそれは不便だと、預けることもなくなりました。やっぱりスマホ中毒だったのだと思います)


墜落したことにより、僕のiphoneは本体が故障したわけではありませんが、液晶が全面的にバキバキに割れて、視認性が極めて悪くなってしまいました。

ブルーライトカットの保護シールを貼っていたので、ガラスは飛散しませんでしたが、貼ってなかったら、液晶のガラスはバラバラになっていたと思います。

でも、とにかくそのバキバキの画面を見た時に、もう、こんな画面では何も見たくない… と思いました。

そして、これでスマホを強制的に卒業やな…

と思ったのです。

その時に、

ああ…
宇宙が僕のスマホを、
僕を中毒から救うために壊してくれたんかな…

と。

ああ、ありがたいな…

と、思ったんです。

多分、スマホは、宇宙が壊したわけでも何でもなく、単に、僕がドジで不注意だったから割れただけだとは思いますが、不思議な安堵感があったことは事実です。

実際、その日から、僕はスマホを見ることがなくなりました(電話のみ使用)。


まあ、これは、それほど大きな事故ではありませんが、

ベストなタイミングで、その時に一番必要なことが起きる

というのは、今回のことでも、僕は身を持って体験できたような気がしています。



誰だって、自分の大切なものが壊れてしまったり、失くしてしまったら、かなりショックを受けると思います。

でも、それって、結局は執着なんですね。

そして、執着というのは常に不幸を生み出します。

執着も、そして悲しみも恐れも、全部作りだしているのは、自分のエゴ・マインドです。

マインド・エゴから離れて、大いなる意識として在れば、そこに悲しみや恐れは存在しません。

そして、善も悪もなくなります。

要は、宇宙を、神を信じているかどうか!?

に尽きます。

宇宙と神を信じていれば、無敵です。

全ては善きこと

という世界で生きていると、何があっても大丈夫です。(*^_^*)


■編集後記


この後、iphoneが壊れたことで、さらに僕にとって、

不思議な善きことが起こりました。

それについては、次回記事で紹介します。


PS
前回の記事の編集後記で、BABYMETALの東京ドームコンサートに行ってきます!
と書きました。

この興奮を記録に残さねば… と帰りの新幹線の中で、ブログに記事をあげたのですが、さっきアクセス解析を見たら、誰1人として読んでいないことが発覚しました…

アクセス… 

ゼロです_| ̄|○

ということで、読者層が全く違うことはわかってますが、興味がある方がいるかもしれないので、リンクはっておきます。

BABYMETAL東京ドームLIVE観戦レポートその1





※上記レポートには、スピリチュアルな内容は一切含まれておりません。
※BABYMETALファンには響く内容だと思いますが、ファンでない場合は、ただのキモいオッサンのイタイ文章でしかないわ… とそっ閉じしてしまうことを警告しておきます。(^_^;)

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2016年6月22日水曜日

幸せに生きるためのヒント

幸せに生きるためのヒント


幸せに生きるためのヒント
を今日は書きます。

今この文章を読んでいるあなたも、そして書いている私も、おそらく全ての人が幸せに生きたい… と願っていると思います。

でも、実際には、日々の生活の中で不安や悩みを抱えている人がほとんどだと思います。

どうして私たちは不安や悩みを常に抱えているのでしょうか?

あの人に嫌われているかも…
というような人間関係の不安

貯金がほとんどないけど生活していけるだろうか…
というような経済的な不安

大きな地震が来たらどうしよう…
というような自然災害に関する不安

などなど…

誰もが何かしらの不安や悩み、あるいは恐怖を抱えているかと思います。

でも、同時におそらくほとんどの方が、そういう不安を抱えながらも、日々小さな幸せを感じる場面も多々あるでしょう。

好きな人(恋人であれ、同姓の友人であれ)と過ごす楽しい時間。

仕事をやり終えた時の達成感。

映画やドラマを見て感動する時間。


つまり僕達は、不安や悩みを抱えながらも、同時に、幸福感や充実感もちゃんと持っているわけです。

ということは…
幸せに生きるためには、この抱えている不安や悩みを人生から消してしまえば(あるいは小さくしてしまえば)、私たちは幸せに生きることができる。ということなんです。

そんなことはわかっている… 当り前のことだ。
でも、心配事や悩みはつきないし、現に実際に私は今苦しいんです…

そんなあなたの声が聴こえてきます。

わかります。

僕もずっとそうでした。それに今でも不安や心配はゼロではありません。

ただ、たった1つの考え方を人生に取り入れることで、今では不安や恐怖に支配されることはなくなったし、かなり人生を生きるのが楽になりました。

その考え方、コツのようなものをあなたにシェアしたいと思います。



■不安・心配・恐怖の正体


人生から不安や恐怖を取り除くことができれば幸せに生きることが出来る。と書きました。

そして、そのことは可能です。

不安や恐怖に打ち勝つためには、まず

不安や恐怖の正体を見極める

これが、一番最初の大切なステップです。

なので、不安や恐怖の正体をあなたにお伝えします。

不安や恐怖の正体…

それは、ズバリ…

エゴ

です。


エゴ…
と聞くと、一般的には、わがまま… 自分勝手…
自分さえよければ、人が苦しもうがどうでもいい… というような考え方をエゴと捉えがちですが、それはエゴのほんの小さな側面に過ぎません。

エゴというのはもっと深くて、
他人に譲りすぎてしまうのも
自分に自信がないのも
自分を責めるもの
人に嫌われたくないのも
全部、エゴの現れなんです。

そして、恐ろしいのは
エゴというのは、自分の中に抱えている闇… とかそういう次元ではなくて
ほとんどの人間は
エゴという魔物に完全に支配されています。
(憑依されいてるとも言える)

というか、
エゴと完全に一体化しています。


24時間、寝ている時間以外は、ずっとエゴが自動運転で自分を操っている
と言っても過言ではないぐらいです。

そして、これはとても重要な部分なのですが、
多くの人間は、あまりもエゴと一体化しているために
自分のエゴに全く気づいていません。

もし、あなたが日常的に
不安や心配を感じることが多いのであれば、それは残念ながら
エゴに支配されている可能性が高いです。

というのは、エゴには様々な側面がありますが、
エゴの最たる仕事は
不安や心配を作ること
だからです。

ここで、ガラッとスピリチュアルな真実を伝えますが
人は神です。
神が肉体を持った人間として人生ゲームを楽しむために、私たちはそれぞれいろんな姿形をもってこの世に生れてきました。

私たちは本当はずっと神と共にあるのですが、残念なことに、この人生における一番大切な事実を知らなかったり、忘れたりしているのです。


赤ちゃんは私たちに大切な真実を教えてくれています。

生れたての命は全くの純粋無垢であり、不安や心配とは無縁です。
神そのものです。
世界の経済事情とか、イギリスがEU離脱!? とか、都知事が公費で家族旅行!! とか、ベッキーに続きのファンキーでモンキーなベイビーまで!!!
とか、そんなことには一切とらわれず、振り回されず、ただ〝いまここ〟に全ったき命を生きています。

お腹が空いた… おむつが気持ちわるい…
そういう本能的な意味で赤ちゃんは泣くことはありますが
大人のように、過去を案じ患って、あの時こうすれば良かった… とか、
これからの私の人生はどうなっていくんだろう… 的な将来の不安とは全くの無縁です。

幸せですね。赤ちゃんって。

あるいは、幼児の生き方も僕たちのモデルになるかもしれません。

大人になると、一度人間関係がこじれると、なかなか修復することができません。
非常にドロドロした復讐劇… なんてこともよくあります。

でも、幼児ってたとえばおもちゃの取り合いでケンカをしたりしても、
「ごめんね」
「いいよ」
で、さっきまでのことはケロっと忘れて、すぐに仲良く遊びに集中することができます。

幼児には、すでにエゴは萌芽していますが、それでもまだ神からあまり離れていないから、私たちは子どもの姿に癒やされるのです。


エゴ…
本来、神として生れてきた私たちにはそんなものは存在しませんでした。

でも、生きていく中で、成長する過程において、私たちは、自分の中にエゴを生み出し、エゴを育て、やがてエゴに支配されるようになりました。

社会生活ってなかなかにハードモードです。

小学校だって、テストがり、競争があります。
ウソをつかれたり、仲間はずれにされたり…
それに指導している教師自体がエゴの固まりです。
(もちろん素晴らしい先生も多いです。でもそんな先生でもエゴはしっかり持っています)

受験、就職試験…

社会人になってからは、まさにエゴとエゴのぶつかりあい
さながら戦場です。

失敗はゆるされないプレッシャー…

マスコミの悪影響もひどいです(まさにエゴ生成工場)

経済不安を煽り
殺人とかイジメなどの暴力事件を連日報道し
不倫とかのゴシップを連日報道

こんな情報に毎日さらされていたら、誰だってストレスで心を病みます。

テレビをつければ、ドラマの主人公はリア充満開の恋でイケメンとラブラブ…
バラエティではセレブの豪邸特集…

こんなのを見れば、誰だって今の自分は満たされていない…
幸せじゃない… 成功してない…
自分はダメなんだ…
と自己否定のエゴがもたげるに決まっています。

なので、僕もあなたも、エゴはあって当然なのです。

この世で生きるということ自体が、エゴの世界の中でエゴとして生きる
ということでもあるわけです。

でも、だからといってエゴとして毎日
不平不満を抱え、不安や恐怖や怒りを抱えたままで
私たちは真に幸せに生きることができるのでしょうか?

無理です。


エゴまみれでも、競争に勝ち、一時的な成功を収めること
これは可能です。

ハネムーンでハワイ…
ラブラブで幸せの絶頂…
瞬間的な幸せを感じることは誰にでもできます。

でも、結婚って、あくまでそれはスタートであって、
そのあとの日常、
すれ違い
誤解
ケンカ
妥協…
とか、そういう一筋縄ではいかないリアルな日常こそが夫婦生活のメインステージなわけで、それこそエゴとエゴのぶつかりあいがはじまっちゃうわけです。(もちろん夫婦ゆえの幸せな日常の瞬間も多々ありますが)


どれだけしんどくても会社に行かなければならないし
仕事では結果をだし続けないといけないし
家事から逃げることはできないし
子育てから自由になることもできない…

お金…
人間関係…
病気…
死…

悩みはつきないと思います。

でも、そんなふうに悩みや痛みにフォーカスしている自分が本当はイヤじゃないですか?
心配事をふきとばして、笑ってハッピーに生きたくないですか?

そのためのヒント(結論)を今から書きます。



■幸せに生きるためのヒント


おそらく現代に生きるスピリチュアル界の第一人者といえば
エックハルト・トールさんでしょう。

エックハルト・トール
エックハルト・トールさん(完全に悟っちゃった人です)


そのエックハルト・トールさんは著書の中で
様々に表現を変えならがひたすら
エゴについて、
エゴの正体について書いています。

全ての不幸の原因はエゴ

と結論ずけています。

そして、エゴに打ち勝つ方法として、ひたすら

エゴを観察せよ

と教示してくれています。


エゴを観察すること。
これが幸せに生きるためのヒントです。



…
……
………俺、
偉そうな上から目線で「幸せに生きるヒント」なんて文章を書いてますが、
3年ほど前は、
欝病で無職で、
死にかけ人間でした…
(過去記事に詳細あり…)。


でも、そんな苦しみの中で、どうにか救われたくてスピリチュアル系の本をむさぼるように読みまくりました。(欝当時だけで50冊は読みました。その前後にもたくさん読んでいたので、トータルで400冊ぐらいのスピリチュアル本を読了してます)

それで、悟りとかワンネスとかエゴとか、覚者が語るこの世の真実を知ったわけですが、結局はどの本も、どの覚者も同じことを違う表現で言っていることがわかりました。

シンプルに僕なりに覚者が語るこの世の真実を3つのポイントにまとめると…

①全ての問題・不幸の原因はエゴ

②しかし本当は人間は神
(エゴから離れた真我の自分は神)

③善きことしか起こらない
(なぜなら人は神だから)

という感じです。

この3つの真実は本当に真実です。

…と断言したいのですが、僕自信は悟ったわけでも
神秘体験をして宇宙の真実を見てきたわけでもないので
断言は出来ません。

でも、僕はこの覚者たちのメッセージを
信じて
受け入れることで
実際に欝病が治り
不安や恐怖に支配されることがなくなり
ずいぶんと楽に、そして毎日、幸せだなあ… 
と思いながら生きられるようになりました。


そういう実体験というか効果があったので、
わざわざこんな文章を今、あなたのために書いてます^^

人間は神… とかってちょっと抵抗あるかもしれません。

なので、とにかく
あなたが取り組むべきは
ファースト・ステップである
エゴの観察
です。



■エゴを観察する方法


エゴを観察する方法。
これは実は簡単です。
うつ病全開だった僕でも取り組むことができたので、あなたにも必ずできます。

エゴを観察するために絶対に必要なこと

それは…

自分のエゴの存在を認めること

です。

これが全ての始まりです。


もし自分のエゴを認めたくない人がいたとしたら
それこそがエゴです。


エゴの特質として
エゴの存在を認めない
というのがあります。

なぜなら、
エゴが最も恐れていることは
エゴの消滅です。
エゴに気づく… ということは
エゴにとっての終わりの始まりです。


なので、エゴはどこまでも巧妙にエゴの存在を隠そうとします。

エゴはあなたからエゴの存在を隠すためにどこに隠れているのでしょうか?

鍵のかけられた箱の中でしょうか?

灯台下はまっ暗がり… という言葉がありますが

どこまでも巧妙なエゴは最も見つからない場所
あなたが最も探さないであろう場所に隠れました。

そう、あなたの中にです。

隠れた… という表現も正しくはありません。

エゴは私と完全に一体化しているのです。

一体化しているがゆえに、
私は意識しない限りは絶対にエゴを見つけることができません。


こうして、最後の最後まで、エゴと一体化したまま、本当の自分、神である自分を全く思い出さないまま、死んでいる人も多くいるのです。

普通、年をとり死が近づくとだんだんと、欲望も薄れて、本質へと帰っていく方も多いのですが、けっこう老人でも虚栄心とか権力欲とか執着とかますますひどくなっていく老害と呼ばれるような方もいますよね…(^_^;)

そういうのって本人もしんどいと思います。

幸せじゃないと思います。


そうならないためにも、エゴの正体を見破り、
エゴから離れて私たちの本質である真我・神に帰らないといけません。

そのための第一歩が自分のエゴの存在をまず認める。

私にはエゴがある。

と。


そして、エゴのメイン業務は
不安・心配・怒りを作りだすことです。

なので、毎日の中で不安とか恐怖とか怒りを感じる瞬間があったら

あ! 
エゴがまた騒いでいるな…

と、自覚することが最初の一歩です。


普通人間は、悩んでいる時、私が悩んでいる… と思います。当然です。
でも、違うんです。
それは厳密にいうと、
エゴと一体化した私が悩んでいるんです。

その悩み自体もそもそもが
エゴ自体がでっちあげた悩みなんです。


本当のあなたは神です。無敵です。愛そのものなんです。

なので、そういうマイナスな感情が湧き上がってきた時には

あっ… 
これがエゴだな

と冷静に一歩ひいて客観視することが大切です。


この冷静に客観視するだけでも、不安や心配は実際にかなり軽減されます。

とは言っても、現に私は今、本当に悩んでいるんです。
客観視したところで悩みがふわっと消えてはくれません!
本当に苦しいんです!

それも実はエゴの声なのですが、
その段階もまた全ての人が通る道なので、
安心してください。


確かにエゴを自覚し、観察したからといって、全ての悩みが瞬間的に消えるわけではありません。
でも、例え悩みが消えなかったとしても、
この不安の正体はエゴかもしれない…
と冷静に客観視したあなたは、
その時点で既にエゴに対して

強力な一撃
(超!超!超! 会心の一撃的な…)

を食らわしています。

防戦一方でエゴに振り回されていた人生から
あなたははじめて攻撃に転じたのです。

反撃の狼煙はすでにあげられました。

あなたはやっと主体的に、自分の人生を自分の意志(エゴの意志ではなく)で、自由に生きることを選択したのです。

今はまだエゴに勝てなくて、すぐに不安の波が押し返してきたとしても、それでもあなたは確実に最初の一歩を踏み出しました。


この最初の一歩。

エゴを認め、観察する。

これをするかしないか…
それが全ての人にとっての人生の最大の分かれ目です。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


解説・エゴとの勝負


エゴの観察をはじめても、最初はなかなかうまくいきません。
エゴを観察することで、不安を消し去る… これを勝利と呼ぶのであれば
最初のうちは、せいぜい一勝九敗ぐらいです。

僕たちは、何十年もエゴとして生きてきたので、エゴの考え方が染み付いてしまっているので、エゴを観察したからといって、そんな簡単にエゴには勝てません(悩みは消えません)。

どんな習慣(エゴ)でも、やめるのには時間がかかります。
また、新しい習慣(エゴの観察)を始めるのにはパワーがいります。

でも、エゴの観察を無理からでも続けていくことで、だんだんと本当により冷静にエゴを観察できるようになってきます。

何故なら本当に全ての恐怖や不安は自分(エゴと一体化した自分)が作りだしたものであることがわかってくるからです。

相手(エゴ)の正体を見破り、恐怖や恐れは幻想に過ぎなかった…
そんなふうにこの不安の正体であるエゴの手法・トリックを見極めてくると

勝率は五分五分ぐらになってきます。

この勝率が五分を超えると人生が大きく変ります。

まず不安や心配そのものが、ほとんど出てこなくなります。
出たとしてもエゴを観察することで不安は消え去ります。

そういう状態になってくると、
マスコミ狂想曲に踊らされることもなくなってくるし、
他人の視線や評価も気にならなくなってくるし
不平・不満自体も出てこなくなってきます。
魂が安定してくるのです。

そして、いつのまにかエゴに対して
全勝(に近い)状態になってきます。

この状態になると、

人生には善きことしか起こらなくなります。

例え何かしらのアクシデントが発生しても、それを自然に善意に受け取ることができるようになります。

実際に後になってから、
ああ、あの時のマイナスに見えた現象は、このプラスを起こすための伏線だったんだな… みたいなつながりが出てきて、安心して人生の波に乗れるようになります。

幸せしかない人生のボーナスステージ状態に突入します。

(解説以上)

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■




このように、不安や恐怖に支配されることなく、幸せに生きるためには

エゴを認めることから全てがはじまります。


例えるなら
あなたは今、人生のプラットフォームで
一人の人間として、日々、小さなしあわせを感じながらも、たくさんの不安や心配ごとを抱えています。
そこに2つの列車が到着しました。

天国行き ハッピー・トレイン
と
地獄行き ヘル・トレイン

です。

あなたはどちらの列車に乗りたいですか?

自分の中のエゴに気づいた人・エゴを観察している人
(あるいはエゴを認めようと決断した人)
は、実はすでにハッピートレインに乗車しているんです。

出発直後はエゴの影響で、列車は時に激しく揺れたりもします。
もしかして私は間違えた列車に乗っちゃたのかも…
なんて不安が出る瞬間もありますが、安心してください。
時間の経過、列車が進むに連れて、線路は平坦になり、車窓から見える景色も美しくなり、あなたは確信をもって、幸せな人生の道を進むことでできるようになります。

エゴ? スピリチュアル? 人は神!?
はぁ〜〜〜〜!?
俺は俺の欲望のままに成功者になるんじゃい!
とヘル・トレインに乗っている人もいます。

それぞれの人生です。どんな生き方を選ぼうがそれはそれぞれの自由です。

でも、ヘル・トレインってかなりハードです。
刹那的な幸せはありますが、かならずどこかで壁にぶつかります。
成功したらしたで、今度は失敗したらどうしよう…
転落したらどうしよう…
という不安・恐怖は倍増します。
幸せな人間関係を築けたとしても
逆に裏切られたらどうしよう… 捨てられたらどうしよう…
的な不安も倍増します(だって、それがエゴの特質だし、エゴで生きている以上、そういう不安は一生つきることなく、増大し続けます)。


告白…
僕はね、それなりに善良に生きてきたつもりだったけど39歳まで、
このヘル・トレインに乗っていました。(滝汗)


人を蹴落として欲望ギラギラ… タイプではなく、
人に認められたい・受け入れてもらいたい… というタイプのエゴと一体化して生きてました。
全力で前向きに生きているタイプでした。
自己啓発書とかビジネス書を読みまくっているタイプ。
仕事の効率をあげて、成果をあげよう!
と張り切っている、そんなタイプの人間でした。

でも、僕が必死でがんばっていたのは、結局は
人に認められたい… 
ということだったんだと思います。

人の目をすごく気にしていました。
人からの評価をすごく気にしていました。
褒められると嬉しいし、
否定されると苦しみました。
一番の根っこで、僕は自分に自信がなかったのだと思います。

幸せも喜びも充実もある39年間でしたが、
いろんな、ありえないような現象も起きて、
39歳でうつを発症。僕の人生はいったん強制的にリセットされました。

鬱病当時は地獄だったけど、今になればその最悪の事態である鬱病こそが僕の人生における最大の転機で、まさにあれこそが神の大いなる一手であり、神の恩寵であったと確信しています。


なので、もし、あなたが今現在
欝な状態であったり
あるいは、大きな苦況の中、大きな不安や心配の中に生きているならば
それは逆に大いなるチャンスだと思ってください。

よっぽどな(ショッキングな)ことがないと
人間って変りません。変われません。変わりたくありません。

だから、あなたが今、試練のまっただ中にいるのであれば、
それは神の恩寵が、やっとあなたの元にも訪れたんだと信じてください。善きことが起こりはじめたんだと信じてください。
(これ、ホンマですよ!(*^_^*))



ハッピー・トレインとヘル・トレインの話に戻りますが、
ありがたいことに、列車はいつでも乗り換え可能なんです。

現に僕も39歳という人生の折り返し地点で乗り換えることができました。

このタイミングが遅かったのか、早かったのかは僕にはわかりませんが、
僕にとってはベストなタイミングであったと確信しています。



あなたが今、こんなどこの馬の骨ともわからない、無名の僕のブログを読んでいるのは偶然ではありません。

こういう情報に出会うタイミングが、今あなたに訪れているのだと思います。

ハッピー・トレインに乗って、
一緒に旅をしませんか?
(*^_^*)




■編集後記


いつも夜に書くブログを今日は突然の思いつきで
朝イチから書きました。
短くコンパクトに書く! とだけ思ってノープラン書き始めたのですが、気がつけば二時間以上も書いてました。

えっと…
スピリチュアルって玉石混交ではありますが、
覚者、いわゆる悟って、この世の(あの世の)真実を見てきた人っていうのは確かにいて
そういう人の書いた文章ってすごくパワーがあります。
そして文章が美しいです。
愛にあふれているので、読んでいて本当に心が現れるし、魂が震えたり、涙が流れたりもします。

僕は、そういった覚者の言葉によって本当に救われました。

スピリチュアルって決してフワフワしたものではなくて、
そこには確かな愛と智慧があって、しっかりと地に足がついたものです。

それで、最後にお伝えしたいのは、
地球は行動の星
ってことです。

スピリチュアルに生きればいい!
からといって、毎日瞑想だけしていればいい、という話ではないということです。

自分を大切にすることは大事。当たりまえ。
でも、人を大切にすることも大事であり、自分を大切に思うのであれば、それは人を大切に思うことも当り前の気持ちです。

働くということは、傍を楽にするから「はたらく」だ。なんていう風に言われますが、本当にそうです。

あなたの仕事が誰かの役に立っているのです(主婦でも全く同じです)。

そして、地球は行動の星だから、やっぱり愛が欲しいなら愛を与えないといけないんですね。

スピリチュアルな教えを実践して、愛もお金もゲットしよう!
と思っている人は、それは愛でもスピリチュアルでもなくて
それって、
エゴの雄叫び
ですからね…(滝汗)

エゴを観察してエゴがだんだん薄くなってくると
人生ってよりパワフルになってきます。
与える愛も、受け取る愛も大きくなってくるし
仕事にも情熱が持てるようになります。
悩みや不安に振り回されることがなくなるので、その分、生産的な活動ができるし、人と交流する時間も増えます。

そういう好循環があって
悩みなくハッピーに情熱をもって生きていたら
結果として、愛と豊かさにかこまれていた
ということになります。

そうなっている人は、真にスピリチュアルに生きている人であり
本質で、真我で、神として生きている人です。

そして、それは誰にでも
私にでも、あなたにでも出来ることなんです。

PS
エゴと戦うには武器が必要です。
エゴの正体についてこれでもか!
というぐらい懇切丁寧に書かれた
この本は、あなたの人生ゲームの
最強の武器・アイテムとなるでしょう。
↓


なにげに、今日の投稿で100記事目
(*^_^*)

過去記事を読むなら、バックナンバーをどうぞ
恥ずかしい記事もいっぱいありますが…(滝汗)
↓

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2015年11月21日土曜日

若人に贈ることば

明けない夜はない


2人の高校生の読者から下記メッセージ(質問)をコメント欄からいただきました。




はじめまして。夜分遅くすみません。 
あゆむ様の文章を拝見し、お聞きしたいことがあるためコメントさせて頂きます。 
私は受験生の者です。この大切な時期に、精神状態がボロボロになっています。今までの人生(十数年しかありませんが)に後悔と反省が多すぎたため、その重みと現実と理想との板挟みです。ですがもちろん、人生の岐路に立ち、勉強に邁進しなければなりません。なのに、少し頑張って前向きになれたと思っても、ふと後悔がよぎりどん底に陥ってしまいます。そのサイクルが短くなり底は深まる一方です。どうにかしたいと検索していた時、このサイトに行き着きました。 
あゆむ様の文章を読んでいて少し心が楽になり、その説得力と、滲み出る優しさ、明るさに感動しました。 
あゆむ様の言葉の中に、必要な時に最適なタイミングで物事が起きる、というものがあり同感しました。また、エゴと真我の違いにも納得いたしました。
ですが、今まで自分を貶め続けているため、前向きな思考や、まして自分が神と思うことがどうしてもできません。 
どうすれば、あゆむ様のような境地に至り、エゴを捨てなおかつ全てを前向きにとらえ、良いエネルギーに変換し人生を送ってゆくことができるでしょうか。 
突然不躾にもこのような質問をしてしまいすみません。少しでもいいので、アドバイス頂けたらと思います。失礼いたしました。 
なおさん



あゆむさん 
はじめまして。私は高校1年生です。 
あゆむさんへ感謝の言葉を伝えることと、質問をさせていただきたいと思います。 
文章を書くのはあまり得意ではないので少々お見苦しいところがあるかと思いますが、何卒よろしくお願い致します。 
私はうつ病などの名前のついた病気はなく、思春期特有の悩む時期にあるそうです。 
そしてそれは、カウンセラーの先生や頼れる大人の方、友達の支えで乗り越えられつつありました。 
しかし、最近、自らの住んでいる地域で将来大きな地震が起きることが確定していることを突然思い出してしまい、とても暗い気持ちになってしまいました。 
自分が死ぬことよりも愛する家族がいなくなることがつらく悲しく、食事も喉を通らない毎日を送っていました。 
地震対策の話をしても親には深く受け止めてもらえず、ただただ不安が私の中にずっとありました。 
そこで家族とずっと一緒にいる方法、暗い気持ちを消す方法などを調べているときにこちらのブログへ辿り着きました。 
私のような悩みを持った高校生へ向けた記事を見たとき、涙がとまりませんでした。 
まだ不安は残っていますが、とても救われました。 
本当にありがとうございます。 
そして、質問なのですが……。 
私は神さまを信じています。 
どの宗教ということもなく、ただ漠然と、この世界には神さまがいて私たちを見守ってくださっているのだと思っています。 
しかし、自分は楽になりたいから神さまという存在を信じていたり、スピリチュアルの世界に足を踏み入れようとしているのではないかと不安になってしまいました。 
このような思いがあっても大丈夫なのでしょうか。 
また、思考を客観的に見る方法といいますか、エゴにとらわれない方法とはどういったことなのでしょうか。 
このようなことを初対面で質問してしまい申し訳ございません。 
不安のあまり繰り返しあなたの優しい言葉で元気をもらい続けています。 
そのことだけでも伝わっていれば幸いです。 
匿名さん

どちらも高校生ということで、これは真剣に答えないといけない…
などと思っているうちに、時間だけがどんどん過ぎていき…
このままでは何も書けなくなる…と思ったので、もうとにかく、僕が思ったままにお答えしようと思います。
僕は覚者でもなければ、悟ったわけでもない、ただの人間です。
なので、参考程度に読んでもらえたら幸いです。
(いつもは不特定多数の読者を想定して書くのですが、今日はコメントをくれたなおさんと、匿名さんに向けて書きます。あとスピリチュアルな視点からと言うよりも、人生の先輩?として、本当に素直に僕の体験談もまじえてお答えします。)

なおさん&匿名さんへ
僕がコメントをもらって、最初に思ったことは、
若くして、深く悩んでいてたいへんやな… でも、そんな若さで、人生の深いテーマにであった二人は、ある意味早熟というか、スゴイな… って思いました。
70歳、80歳になってもエゴだけの人もいます。
僕みたいに40歳を前後に、やっと本当の自分に気付き始めた者もいます。
でも今は時代がもっと進んでいて、10代とかでも、本質に気づく人もいます。
なおさんも匿名さんも、きっとそうなんだと思います。

そもそも一般的な高校生って、AAAとか、エグザイルとか(どちらのグループも僕はよく知りませんが…)、そういうのに夢中で、こんな精神世界のブログなんて読まないと思います。
このブログにたどりついたこと。そして僕の文章をよんで、何かを感じてコメントまで残してくれたことを、僕は嬉しく思うし、そういう積極性(普通はブログを読んでもなかなかコメントなんて残しません。僕も相当感動しても、ブログのコメントを残したことなんてほとんどありません)も素晴らしいと思います。
たぶん、僕とあなたが、どこかで出会っていたら、きっと意気投合というか、話が盛り上がったような、そんな親しさを勝手に感じている僕です。


では、まずなおさんから、具体的にアドバイスをしたいと思います。まずこの部分ですが…

私は受験生の者です。この大切な時期に、精神状態がボロボロになっています。今までの人生(十数年しかありませんが)に後悔と反省が多すぎたため、その重みと現実と理想との板挟みです。ですがもちろん、人生の岐路に立ち、勉強に邁進しなければなりません。なのに、少し頑張って前向きになれたと思っても、ふと後悔がよぎりどん底に陥ってしまいます。そのサイクルが短くなり底は深まる一方です。どうにかしたいと検索していた時、このサイトに行き着きました。

僕も通ってきた道なので、なんとなく共感できます。
僕も高校3年生の受験生の時に、精神的にかなりショックなことがあり、きつかったです。
具体的には、ともに受験がんばろう!なんて誓いあっていた彼女に突然ふられて、かなり落ち込んでしまったんですね…
なおさんの人生に何があったのかは僕にはわからないし、僕なんかよりもっとヘビーな問題を抱えているのかもしれません…

2つアドバイスがあります。
一つは、時間が解決してくれる…ということです。
受験生の当時は、かなり落ち込んだしきつかったけど、今現在の僕はその時のきつさを思い出すことは全くありません。というか、大学に合格した瞬間に全ての負の要素は消え去り、楽しく四年間を過ごすことができました。
そして、41才の僕と、17才・18才の時の僕は、もう完全に別人です。
痛みも悲しみも後悔も失敗も、時間の経過とともに、必ず癒えていきます。
だから、なおさんも安心してください。
今、どれだけ辛くても、必ず出口はあるし、あけない夜がないように、かならず太陽はまた登ります。
それに、失敗とか、後悔とか、そういった痛みを経験することで、人はそこから何かを学ぶことができます。
同じ立場の人にも心から同情することができるようになります。
僕の持論である、
ベストなことがベストなタイミングで起きる…
というのは、いいことだけでなく、悪い出来事も含みます。
ただ悪い出来事というのも、その時はそう思えるだけであって、ホントはその悪いことも、長い目でトータルで見ればやっぱりいいことなんです。
僕もいっぱい失敗してきて、思い出すだけで顔が赤くなって「わ〜〜〜〜〜!」と叫びたくなるような、恥ずかしいこともいっぱいしてきたし、人を思いっきり傷つけてしまったこと… 逆に傷つけられたこと…
やり直せるなら、二度とあんなことはしない…
というような出来事もたくさんありますが、やっぱり全部必要なことだったし、起るべくして全てが起こっていたんだなと思います。
なおさんも、何年かたてば、今の苦しみを遠い淡い記憶として、振り返ることができるようになります。
だから、あまり心配しないでね。

アドバイス2
ですがもちろん、人生の岐路に立ち、勉強に邁進しなければなりません。
↑この部分、よくわかります。
僕の場合は、彼女に振られたショックで精神的にボロボロになったのですが、どこかのタイミングで開き直りました。
具体的には、彼女を絶対に見返してやる! 

という負のエネルギーです…(滝汗)

そういうエネルギーがいいものかわるいものかはわからないけど、僕は気が狂ったように勉強に打ち込みました。
ちょっと受験当時のことを振り返ると…
僕は実は、高校生の時は軽音楽部でずっとバンド(ドラム)をやっていて、プロになる! なんて思っていたから、勉強は全くせずに、ひたすら音楽をやっていました。
なので成績は最低で、いつも補習地獄でした…
ただ高校3年生になった春に、やっぱり大学に行きたい! と突然思い立ち、そこから真面目に勉強をはじめました。
当時、僕の高校では、日本史の授業は選択制で高校3年生からはじまるシステムでした。今まで勉強をサボってきた僕でも、これならスタートラインはみんなと一緒! と思って、日本史をアホみたいに勉強したら、3年1学期の最初の中間テストで100点をとることができました。(日本史って頭の良さというより、暗記だけの世界ですからね…)
先生が「学年で100点はお前だけや!」とみんなの前で褒めてくれて、アホの俺が学年で1位! というのが、クラスメートをはじめ、学校のちょっとしたニュースになって、それが気分よくて、勉強おもしろい! ってその時はじめて思いました。
それで、頑張っていこう! と思っていた矢先に彼女にフラレてしまったわけです。
まあ、それも俺に原因があったんで彼女を責めることはできないんだけど…
ただ、落ち込み時期を過ぎたあとに、その痛みを勉強するモチベーションに変えて、ひたすら勉強しました。
その結果、運命の皮肉というか、してやったりというか、
彼女の第一志望の大学に僕は受かり、彼女は落ちました
当時の僕は、なんとなく
勝った!。.゜+:ヽ(*´∀`)ノ.゜+。
と思いました。

というのも、彼女は僕と別れた直後に、いけすかない奴とすぐにつきあって、その彼氏と一緒に、その大学を目指していたからです。
その二人が落ちて、僕が受かってしまったもので… 

まあ、僕も若かったということで…(・ω・`;A



ちょっと脱線してしまいましたが、僕がいいたいのは
今のピンチとかマイナスを逆にチャンスに変えてほしい…ということです。
行きたい大学があるのであれば、とにかく勉強するしかありません。
精神的な辛さ…というハンデを抱えながらも、勉強をがんばっている自分… ってきっとかっこいいです。
それで、行きたい大学に受かったら、それはすごい成功体験だと思うし、きっと自分にとっても大きな自信になります。
僕も、それまでは自分のことをアホだと思ってましたが、あの辛い受験を乗り切ったこと、そして合格できたことは、すごく大きな自信になっていて、その後の人生を大きく助けてくれました。
本気だせば、俺は何でもできる! 

ぐらいに思っています。


最近全然本気出せてないですが…(滝汗)

なおさん…
とにかく、僕は応援しているよ!
悩んでいる時って、思考が堂々巡りしてしまいます… 
そんな時は、行動すること、手を動かすこと…
それが一番なんです。

そんなことわかっているけど、それでも勉強が手に付かない…
という状況かもしれません…

でもやるしかない時も人生にはあるかもしれない。

がんばって! とは言いません。とにかく応援しています。


なおさんの最後の質問
今まで自分を貶め続けているため、前向きな思考や、まして自分が神と思うことがどうしてもできません。
どうすれば、あゆむ様のような境地に至り、エゴを捨てなおかつ全てを前向きにとらえ、良いエネルギーに変換し人生を送ってゆくことができるでしょうか。
突然不躾にもこのような質問をしてしまいすみません。少しでもいいので、アドバイス頂けたらと思います。失礼いたしました。

僕は、実はそんな崇高な境地にいるわけでは全然ありません。
日々、失敗もするし、エゴも満載な男です。
ただ、毎日けっこう穏やかで幸せです。
ちいさな不安とか心配が起きてくることもありますが、そこにとらわれることは全くなりました。
それは何でかというと、宇宙を信頼しているからです。
そして、僕という人間を信頼しているからです。
もちろん人間である僕は愚かな面も多々あるのは十分承知しています。
でも、同時に自分が神であることを知っているので、信頼できるのです。
もちろん、なおさんも匿名さんも、今このブログを読んでいるあなたも
神です。

こういう境地?に至ることができたのは、やっぱり鬱病がきっかけです。
あれがなければ、僕は自分が神だなんて思うことはなかったと思う。
それまでは、神さまは信じていたけど、それはずっと自分の外にあった。
そして、僕はエゴの僕を僕自信と思って、日々思考し、それなりに努力してがんばって生きてきました。
ただ、ウツで全てが壊れて、解体された。
救われたくて、救われたくて、本をたくさん読んだ。
ワンネス? あなたはいない? 人は死なない? あなたは神?
???????
だったけど、必死で読んだ。
そして、こんなボロボロな僕だけど、自分を神と信じることにした。
神として生きることを決意した。
そこから僕は徐々に回復して、現在では生きることが本当に楽になりました。
心配してもしょうがいない… 
それに心配しているのはエゴさんです。そのこともわかっているので、すぐに心配事を手放せるようになりました。
誰もがウツになる必要なもちろんないです。僕の場合はたまたまそれがきっかけでしたけども。
ただ、何かにぶつからないと、なかなかエゴの存在には気づきえないと思う。
だから、どんな悩みも苦難もオールオッケーでオールウェルカムなんです。

なおさんもね、悩んでいるのはなおさん自身じゃないんだよ。
なおさんのエゴが悩んでいるんだよ。
そして、それは間違ったことでもないんだよ。
ただ、エゴさんの存在に気づき、見つめてあげてください。
そして、そんなの思えない! と思っても
神である私、無敵である神の私
を信じてください。
私は神なんだ!って思えるまで思ってください。(無理やりにでも)
どこかのタイミングできっとそのことが腑に落ちると思います。
そして、それが腑に落ちたら、本当になおさんは無敵です。
敵ないなくなるし、全てが許せるようになります。
他人のことも、そして自分のことも。
人生が奇跡になります。


モーニング・サン



匿名さんへ

私はうつ病などの名前のついた病気はなく、思春期特有の悩む時期にあるそうです。
そしてそれは、カウンセラーの先生や頼れる大人の方、友達の支えで乗り越えられつつありました。

しかし、最近、自らの住んでいる地域で将来大きな地震が起きることが確定していることを突然思い出してしまい、とても暗い気持ちになってしまいました。
自分が死ぬことよりも愛する家族がいなくなることがつらく悲しく、食事も喉を通らない毎日を送っていました。
地震対策の話をしても親には深く受け止めてもらえず、ただただ不安が私の中にずっとありました。

そこで家族とずっと一緒にいる方法、暗い気持ちを消す方法などを調べているときにこちらのブログへ辿り着きました。
私のような悩みを持った高校生へ向けた記事を見たとき、涙がとまりませんでした。
まだ不安は残っていますが、とても救われました。
本当にありがとうございます。

あなたは本当にやさしい人ですね。
そして、自分を支えてくれる大人や友達がいる。
とても素晴らしいことだと思います。

あなたには、今、何ひとつ間違ったことは起こっていません。
地震のことも、これだけマスコミやネットで
必ず地震はくる
いついつぐらいにくる
この地域にくる
という情報にあふれているので、そういう不安
あなたの場合は、自分というよりも家族や友人の心配ですが、
そう思ってしまうのも無理はありません。

事実、日本は地震の多い国です。
火山もたくさんある国です。
これまでにも地震はあったし、これからもあるかもしれません。

ただ、都市が崩壊するような大地震が本当に起るかなんてことは誰にもわからないです。
いつぐらいに、この地域に… ということも言われていますが、それが実際に起きるかなんてことはわかりません。
備えること…は間違ったことではありません。
道路を横断する時に、左右を確認するような話です。

ただ…
とらわれる必要はありません。

何故ならとらわれたとしても、僕たちにはどうすることもできないからです。
地震をコントロールできる人はいないので。

ちょっと極論みたいなことを書いてもよかですか?
死は忌むべきもの、悲しいもの… という常識があります。
間違いではありません。
死にたくない… 自分もそうだし、家族や友人にも死んでほしくない…
これも当然の想いです。
僕もそう思っています。

ただ、

人な死なない
という究極の真理というか、説があります。

僕は阿部敏郎さんの講演会で阿部さんに「阿部さん自身は自分が死んだらどうなると想いますか?」と質問したことがあります。
僕の友人の母親が若くして亡くなって、相当落ち込んでいて、当時相談をよく受けていたから何らかのアドバイスをしたかったし、死後の世界について阿部さんがどう思っているの聞きたかったのです。
その質問に対する阿部さんの答えは
「私は死にません」
でした。
「ガチョーンでしょ? でも本当にそうなんですよ」
と阿部さんは付け加えました。

人な死なない… という説を受け入れるのは、けっこうハードルが高いかもしれません。
僕は昔から天国とか死後の世界については信じていたけど、

人は死なない!

という言い方はちょっと衝撃でした。

肉体的な死という意味では死はあります。
魂・スピリットと呼ばれるものが抜けた肉体はやがて朽ちて消えてなくなります。
ただ、私たちの本質であり本体である、魂・スピリットは永遠不滅で死にません。
そういう観点から見れば、人は死なないのです。

例えばの話として、地震であれ、事故であれ、病気であれ、誰かが死んだ時、人は悲しみます。
当たり前の話です。

ただ、死んだ当人は悲しんでいるのか?
実は、これについては、残された人間にはわかりません。

死後の世界とか霊界について真実を知りたい! と思っていた時期が長く僕にはあって、臨死体験の本とか、死後の世界について書かれている本をたくさん読みました。
また、実際に臨死体験をした人、身内が臨死体験をいた人から直接話を聞いたこともあります。
そして、臨死体験をした人のほぼ全員が同じことを語っています。
それは、
死は一切苦しくない

死は一切悲しくない
ということです。

そして、驚くべきことに、
死に際して人々は、最高の至福感
神の元へ帰っていく喜び
ワンネスの光に帰っていく喜び
を語っています。

なので、死にかけて、臨死状態になって再び、目を覚ましこの世に戻ってきた人は
この世に戻りなくなかった!
と一様に言っています。

よく死にかけの肉親に病床の橫で、家族が名前を呼びかけて、奇跡的に目を覚ます… というような場面が現実でもドラマでもありますが、僕の知り合いで、この状態から復帰した人はこう言ってました。
「なんで呼び戻したんだ!」
と
「せっかく、全てがラクになって、最高に幸せだったのに」
と。

僕は実際に臨死体験をしたことはないけど、きっとそうなんだと思います。
人の死、死後の世界について心配な人がこれを読めば一発で心配がなくなる!と僕が思う良書があります。




 どちらも超絶リアルな実話の体験談です。

そして、愛にあふれています。

神さまの愛って完璧やなって泣けてきます。

なので、僕は積極的に死にたい… とは全く思いませんが、

死ぬ時には死ぬし、それは全然悪いことじゃないなと思っています。

ただ、肉体が死ぬだけで、僕という本質、神である本質は決して滅びません。

というか、どちらかといえば、肉体とともに生きている現実世界がイレギュラーな状態であって、本来の僕たちの姿というか、状態は、肉体がない、魂・スピリットの状態のようです。


匿名さん…

こんなふうに想像してください。

あなたでもいいし、あなたの兄弟でもいいですが、

例えば冒険が大好きで
数年間に渡る世界一周旅行に出かけていたとします。

時にジャングルで猛獣に襲われそうになったり、砂漠で遭難しそうになったり、氷の世界で凍傷になりそうになったりしながらも、冒険の間、自分の生と充実感を感じていたとします。

しかし、どんな楽しい旅にも終わりがあります。

もっと旅を続けたい! と思いながらも、日本に帰り、我が家に帰ってきました。

冒険していた身としては、我が家に帰るのは、旅の終わりを意味するものであり、少し寂しさを感じたりするかもしれません。

でも、そこは元々、自分が生れ育った場所であり、家族があり、とてもあたたかな場所です。

きっと、ああ我が家に帰ってきた… と荷物をほどいて、お風呂につかって、ほっとしたら、「ああ、やっぱり我が家が一番やな…」と安心して、布団に入ってぐっすり眠りに入ると思います。

この我が家の布団に入って寝る

というのが死です。

死ってこんな感じと言われています。

それが死なら、それは苦しみとか悲しみではなく、大きな人生という冒険を終えて、ほっとして我が家であるあの世、天国とかワンネスとか神のみ元とかに帰っていくのは、すごく安心で、幸せな瞬間なんだと思います。



自分の家族が亡くなったら… と考えるだけで悲しくなる気持ちはわかります。

誰だってそうです。

僕だって、家族が死んだら、そりゃあ悲しんで悲しんで泣きまくります。絶対にイヤです。

だけど、同時に知っています。

ああ、この世を卒業して、神さまの元へ帰っていたんだな… ということを。

これは大きな救いになります。


テロで多くの方がなくったり、自然災害で多くの方が亡くったり… ということは実際にあります。

それは悲しい出来事であり、もし自分の身内や知り合いを亡くした方にとっては、そういう不慮の事故で亡くなることは本当に悲しいことです。

ただ、それが事故であれ、病気であれ、老衰の大往生であれ、神さまの愛に差別なんてものはもちろんなく、全ての魂に神の愛があり、救いがあります。

そういうことをわかった上で、僕たちは
過去を案じず
未来を心配せず
今、生きていること、
家族や友人とともに元気に生きられていることに感謝して生きていくことが大事なんだと思います。

魂は永遠といっても、肉体をもっているお母さんに直接マッサージをしてあげたり、ありがとうを言えるのは、今だけです。

だから、僕たちは、この奇跡的な人生の中で、今の自分、今自分の家族や友達や周囲にいる人に感謝して生きていく、それしかないのだと思います。


そして、質問なのですが……。
私は神さまを信じています。
どの宗教ということもなく、ただ漠然と、この世界には神さまがいて私たちを見守ってくださっているのだと思っています。
しかし、自分は楽になりたいから神さまという存在を信じていたり、スピリチュアルの世界に足を踏み入れようとしているのではないかと不安になってしまいました。
このような思いがあっても大丈夫なのでしょうか。
また、思考を客観的に見る方法といいますか、エゴにとらわれない方法とはどういったことなのでしょうか。
このようなことを初対面で質問してしまい申し訳ございません。
不安のあまり繰り返しあなたの優しい言葉で元気をもらい続けています。
そのことだけでも伝わっていれば幸いです。

僕といっしょですね^^

僕も神さまを信じています。どの宗教ということもなく、神さまを信じています。
そして、神さまは僕たち全てを見守ってくださっています。
その通りです。

楽になりたいから神さまを信じているんじゃないか? という不安もよくわかります。

スピリチュアルに傾倒するのも結局人生からの逃避じゃないか? なんてことを僕も心配していたこともありました。

宗教に傾倒しすぎたり、スピリチュアル難民になるよりか、そういう自制心というか、客観的に自分を見れるのは、むしろまともというか、安全弁がちゃんと働いているということで、すごく健全なことだと思います。

でも、その上で、神さまを信じているし、真実を知りたいんですよね?

それで間違いないです! 

神であるあなたは、本当は全てを知っています。



思考を客観的に見る方法、エゴにとらわれない方法についてですが…

まず、一番大切なことは、自分のエゴの存在を認めることです。
認識することです。

エゴだけで生きている人こそ、自分のエゴに気付かないといけないのですが、悲しいかな、そういう人は自分のエゴに気づきません。一生気が付かない人もいます。

匿名さんの場合は、どうやったらエゴにとらわれないのか? と質問しているぐらいですから、すでに自分のエゴを認識しているわけです。高校一年生で! これはスゴイことです。

エゴの存在を認めているということは、もう8割方エゴに勝利?しているようなものです。

実はね、エゴのない人間なんていなくて、どんな覚者であっても、そういう一面はあるものです。

違いは何かというと、エゴと一体化していない… ということです。

そのためには、観察です。

怒りを感じた時

悲しみを感じた時

あるいは有頂天になっている時

それを感じているのは、誰なのか?

エゴなのか、それとも神である私が感じているのか? ということをジャッジするクセをつけることです。

たいていの場合、エゴがストーリーをでっちあげていることに気づけます。

そういう時は、一生懸命自分を守るために、エゴさんががんばっているんだな〜と、ただ観察してあげてください。

エゴを消そう! とか、エゴは間違っているとか思う必要もありません。

肉体がある以上は、食欲・性欲・睡眠欲というような欲はあるし、社会的生きものである人間は、人から認められたいという承認欲求のようなものもあります。

人に面と向かって悪口を言われたら腹も立つでしょう。

やられたら、やりかえす! と思うのも人間の性かもしれません(ex:空爆とテロもエゴとエゴのぶつかりあいです)。

ただ、エゴとかストーリーで生きていると、なぜか良くないことばかりが起きます。
(ex:空爆すればするほどテロはエスカレートします)

また、エゴの強い特徴として、人より勝りたい!という意識があります。
しかし、競争社会にゴールはなく、エゴで生きていたら、心から安らげる瞬間というのがありません。

逆にエゴから離れ、神として生きれば、不思議なぐらい、悪いことが起きなくなり
いいこと、嬉しいこと、たのしいこと、おだやかなこと、ばかりが起きます。

幸せやな… ありがたいな…

と思えることばかりになります。


匿名さんも、すでにそういう生き方を選択しているんだと思います。

きっと、いろんなことがどんどん良くなっていくと思います。




PS
なおさん&匿名さんへ さいごに


なんだか人生の先輩よろしく、上から目線で書いてしまってm(_ _)m

偉そうなことをたくさん書いてしまいましたが、僕は聖人君子とは対極にある
エゴ&煩悩マシーン…時々反省…みたいな男です。

心配することもあるし、文句を言いたくなく瞬間もあります。

でも、やっぱり人生って楽しいです。

素敵な人がいっぱいいます。

あなたたちと、こうやってブログを通じて出会えたことも素敵なことです。

見ず知らずの41歳のおっちゃんに相談してくれて、こういうのって嬉しいです。

あなたは神で、人は神です。

だから神である自分を信頼すると同時に、神である人間を信用して、人にはどんどん相談していいし、頼ってもいいんです。

人生ゲームの楽しみって人との出会いや関わりあいです。



僕にも高校生の時がありました。

それから20数年さらに生きてきましたが、楽しいことがいっぱいありました。

辛い経験もあったのかもしれないけど、あんまりよく覚えてないです。

きっと、なおさんにも、匿名さんにも、これからたくさんの楽しい出来事が待っています。

とにかく、ありのままのあなたで、あるがままに、好きに人生を生きてください。

二人の若人のこれからの人生にますますの幸あらんことを!



PS2
コメント欄で二人にアドバイスしてくださった方、ありがとうございました!
(*^_^*)





★
編集後記

AAAはよくわからない僕ですが
BABYMETALは大好きです。

何年か振りにライブに行ってきました!
(Zeppなんば)



★おすすめの本

ついに読みはじめました。
本が分厚くて重い…
手にもっては読めません…
でも、内容は深い!
究極の一冊かもしれません。
まだ8分の1ぐらいしか読んでませんが!
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