ラベル うつ病・不安障害 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル うつ病・不安障害 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年7月20日木曜日

愛か恐れか、その2種類しかなく、そのうちの一つは実在しない。

 僕たちの感情や行動は全て、愛か、恐れ、そのどちらかに基づいています。

そして、そのうちの一つは実在し真実ですが、そのうちの一つは実在せず、幻想です。

もちろん、実在し真実なのは「愛」です。

実在せず、幻想なのは「恐れ」です。

そして「恐れ」の原因は「愛の欠如」です。

自分は愛されていない…という恐れから、人は人を攻撃します。

そして、一度でも攻撃をされた人間は、攻撃を恐れて防御しようとします。

そういうことを繰り返していくうちに、自分を守るために、今度は知らず人を攻撃するようになりはじめます。

こうやって、疑心暗鬼や人間不信が蔓延し、世の中は嘘や悪や欺瞞で満ちている…と悲観し、愛ではなく、恐れに基づいた灰色の世界で生きるようになります。

それはまるである種の地獄で生きるようなものです。

親からも学校からも、テレビやニュースやドラマからも「他人を信じてはだめ」と教えられます。「人に騙されてはいけない」「自分を守らなければいけない」と教えられ、そういう価値観が見に染み付いてしまいます。

不幸な人生ゲームのはじまりです。

とはいえ、誰もが別に悪に染まるというわけでもなく、みんな「愛」と「恐れ」の間を行ったりきたりします。

僕もそうでした。

心許せる人たちとの幸せな時間に愛を感じる時もあれば、傍若無人な人から攻撃を受けて、防御反応を示す時もありました。

怒りや悲しみを感じることも多々ありました。


そしてついには、僕はうつ病を発症するまでになってしまいました。

本当に苦しくて、もう僕は再起不能だと思い、それがまたさらなる恐怖や絶望を生み出して、本当に苦しかったです。

そんな僕が生きることができたのは、そして復活することができたのは、妻がいたからです。

「私がなんとかするから大丈夫」

的な言葉をなんどか言ってくれた妻がいたから僕は生きることができました。

感謝しかないです。

妻の他にも、僕の相談に何度も何度も真摯に向き合い励ましてくれた恩人もいます。

そして、多くのスピリチュアル系の本を読んで、読み漁って、そういった覚者の言葉にも救われてきました。

特にエックハルト・トールさんの「ニューアース」からは大きな影響を受けました。

瞑想もはじめるようになり、ずいぶんと心が安定し、僕は普通に社会人として復帰することができました。


そうして、割に穏やかな日々を送っていたのですが、当時の僕はまだまだ中途半端で、愛と恐れを行ったり来たりしているような感じでした。

そんな僕の人生にとある決定的な出会いというか目覚めのきっかけがありました。

それがACIM、奇跡のコースのワークに取り組みはじめた。

ということです。


このブログでも過去記事に何度も書いていますが、実は「奇跡のコース」を購入したのは10年程前であり、うつ病から復帰するかしないかぐらいのタイミングで奇跡のコースの365のワークに取り組み始めました。

でも、何度やっても続きませんでした。

文章が難解… ということもありますが、とにかくスイッチが入らなかったのです。

でも、今年、とてもつらいできごとがあり、八方塞がりな状態になり、再び鬱を発症するかも? という大きな恐怖に包まれる出来事がありました。

そんな時に僕を救ってくれたのが「奇跡のコース」だったのです。

僕は今年(2023年)の1月1日から何年か振りに奇跡のコースの365日のワークに取り組みはじめていました。

そして、奇跡的に今回は挫折することなく続けていくことができていたのです。

それは、一日ワークをやり忘れてしまっても、翌日に2日分やればOKというルールにして、とにかく最後まで完走する!と決めていたから続けることができていました。

でも、内容がどこまで魂に入っていたかというと、そこまでは入ってきてませんでした。

でも、とてもつらかったその出来事の翌日にワーク75「光がやってきました」に取り組みました。

そして、そのワーク75に取り組んだ時に、本当に光がやってきました。

僕の人生に、僕の心の中に、本当に光がやってきたんです。

そして、その日を境に、僕は聖霊と共に生きることを誓いました。

そして、本当に聖霊と共に今日まで生きてきました。

その結果、どうなったかというと、誰からも攻撃されなくなりました。

そして、誰に対しても恐れも怒りも抱くことがなくなりました。

愛しかありません。

全ての人を兄弟だと思っています(というか本当に兄弟なんです)。

それがわかると、みんな兄弟で、愛しかなくなると、もう毎日が奇跡しか起きなくなってくるんです。

サイン

が毎日やってきます。

ありえない神展開

が毎日やってきます。

いわゆるシンクロニシティ

が毎日やってきます。


今、僕は心から人生に感謝し、楽しめています。

本当の意味での人生ゲームを喜びをもってプレイできています。


ということで、あなたにもぜひ奇跡のコースをはじめてほしいな…と思って、久しぶりに更新しました。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

2023年3月26日日曜日

やっとわかってきた。光がやってきました。

やっとわかってきた

やっとわかってきたことを、思ったままに素直に書きます。今この文章を読んでくれているあなたのために。


ここ最近、ずっとACIM(奇跡のコース)のワークに毎日取り組んでいます。

10年以上前に買ったとても分厚い2冊の「奇跡のコース」は、毎年のようにチャレンジするも、毎日行うワークがどこかで途切れてしまい、フェードアウトする…ということをずっと繰り返してきました。


ACIM奇跡のコース


なので、ワークも365のうちのまだ序盤の60ぐらいまでしか取り組んだことがありませんでした。

でも、今年はというか今回はやり方を変えて、スタートしたのは1月1日ですが、もしワークをできない日があっても、その翌日に2日分のワークに取り組んでもOK!とにかく12月31日まで365のワークを全部やる!と決めてやってきました。

実際、ワークができない日があったり、最大だと5日分ぐらいのワークがたまってしまうようなこともありました。

でも、それでも続けてきて本当に良かったです。

ちなみに今日はワークの86に取り組んだのですが、今から11日前にワークのレッスン75「光がやってきました」に取り組んだ日に、僕の中で大きな変容がありました。

何があったかというと、僕は、その前日、ものすごくショックなことがあり、未来に対する不安とか、過去に対する後悔とか、思考の暴走が止まらなくなって、ものすごくしんどくなったんです。

正直に書くと、久しぶりに(10年ぶりに)、鬱になるかも…

というぐらいにしんどくなったんです。

これは本当にやばい!と思ったので、その日の夜、妻にすぐに正直に今の心境を話したぐらいです。

妻はもちろん親身になって聞いてくれましたが、自分が選択してきた道はやっぱり間違いだった…みたいな思考になってしまって、僕が欝病の時に一番苦しかった頭の中のボワボワする感覚がやってきました。

正直パニックになりました。

また、まともな生活が送れなくなるかもしれない…

という恐怖に包まれました。



その日の夜は、恐怖と不安で思考がぐるぐると回って、なかなか眠りにつくことができませんでした。

とても苦しい夜でした。


眠れない夜



翌朝。

昨夜のパニックは収まっており、気分はいくらかはマシになっていました。

でも依然、大きな不安の中で、これからどうしていけばいいのか・・・

みたいな思考に捕らわれていました。


そこで、なかば救いを求めるような気持ちで、朝一番にACIMのワークに取り組みました。

そして、その日のワークがレッスン75の「光がやってきました」だったのです。



そして、このワークに取り組んだ結果どうなったかというと、本当に・・・・・

光がやってきたんです。

光がやってきた
UnsplashのNic Y-Cが撮影した写真


僕は昨夜の地獄のような苦しみから、たった一日で天国のような安心な気持ちになることができたんです。

何があったのか?

もう少しくわしく書きますね。


ACIMって、読んだことがある人ならわかると思いますが、本当にすごい本で、ある意味ショック療法的な本なんですね。

特にワークの最初の部分はかなりぶっとんでます。

レッスン1からして「私が見ているものには、何ひとつ意味はありません。」というレッスンからはじまります。

一般的な感覚の人からしたら…

はあ!?

という感じだと思うし、スピリチュアルをかじったことがある人でも衝撃的な理解が難しいレッスンが最初の1ヶ月ぐらいはえんえんと続きます。

救いを求めてこの本を手にして人であったら、いつまでも救いの内容が出てこないので、途中で投げ出す可能性も高いと思います(過去の俺です…汗)。

そんなACIMのワークのレッスンの中でこのレッスン75の「光がやってきました」というのは、ものすごく直接的に救われるインパクト大のタイトルでありレッスンなんです。

僕はこの日のワークを1時間ぐらいかけて、何回も何回も何回も繰り返し読んで、理解しようとして、理解しようとして、頭の中の雑音を消しながら、ひたすら文章の一つひとつに集中して何度も読み直しました。

これでもか!というぐらい読み直しました。




そして、何度も読み直していくうちに、気がついたらふわっと心が軽くなっていたんです。

本当に、僕の心に、僕の世界に光がやってきたような感覚になりました。


もう少し詳しく書きます。

僕はこの日のワークに取り組みながら、自分の中である決意をしたんです。

それはどういう決意かというと…

聖霊と共に生きていく

ということと。

愛(神意識)を選ぶか、恐れ(エゴ)を選ぶかで、

僕は愛(神意識)を選んでいく。

という2つの決意です。


この

聖霊と共に生きていく

という感覚は今までの僕にはない感覚でした。

正直今でも〝聖霊〟というものが一体なんなのかはわかっていません。

ただ、ACIMの中ではこれでもか!というぐらいに聖霊という言葉が出てきます。

多分登場回数ナンバーワンの単語だと思います。

今の僕の理解で聖霊を説明するならば…

神と私をつないでいる存在・ガイド

シンプルにいうとそんなふうに捉えています。

そして、この聖霊はつながってさえいれば愛と安心につつまれて、物事もすべて良き方向に進むし、一見厳しい状況にぶつかったとしても、良いほうに解釈できるようになります。

だから、絶対的に聖霊とはつながっていたほうがいいし、それが幸せに生きるための唯一にして絶対の方法なんだけど、聖霊とつながるためには、私たち自身が聖霊と繋がることを積極的に能動的に選ばないと繋がらないんですね。

そして、これは僕自身のことでもそうだし、世の中の多くの人が日々、悩んだり、苦しんだり、後悔したり、将来を不安に思ったりするのは、聖霊とつながってないからんです。

しかも聖霊とつながってないだけならまだしも…

不安や恐れ、あるいは攻撃や防御反応を生み出す元凶である〝エゴ〟と、がっつり繋がっちゃってるんですね。

だから、いつまでたっても苦悩が耐えない。

僕たちは、常に

聖霊orエゴ

のどちらかに繋がっているんです。

これはACIMの中で繰り返し書かれていることです。

こわいですよね。

そして、逆に考えるとめちゃ安心ですよね。


と、ここまで読んで、あなたはどう思いましたか?

聖霊と共に生きたいですか?

エゴと共に生きたいですか?

当然、聖霊と共に生きたいと思いますよね。僕はそう思います。


ただ、これは人間のクセというか、生まれ落ちてきた瞬間からの、様々なトラウマとか、恐怖とか不安とか屈辱とか失敗とか後悔とか絶望とか…いろんな体験を重ねてきたことで、弱い自分を守るためにエゴってすぐに発動しちゃうんですよね。

あなたの周りにもこんな人いませんか?

いつも偉そうにしている人

いつも文句ばかり言っている人

いつも悪口を言っている人

いつもズルばかりしている人

嘘をつく人

騙す人

傷つける人

攻撃してくる人

自分を責めている人

夢をあきらめた人

・・・・・


こういう人たちが、なぜそういう行動をとっているかというと、それは、その人がエゴと繋がっているからです。

エゴに操縦されている。と言ってもいいし、エゴの容れ物になっている、あるいはエゴに乗っ取られているといってもいいと思います。

そして、周りの人をそういうふうに認識したり判断している時の自分、「あの人は最低な人間だな…」とか「あの人はズルいな…」と思っている時の自分っていうのも、実はエゴとしっかり繋がちゃっているんですね。

恐ろしくもあり、滑稽でもある世界です。

僕も、すぐにそういう世界に、自分に入り込んでしまうクセがついてます。


でも、今回は欝が再発するかも…という僕の中での究極の恐怖が起こったために、ショック療法というのか、ACIMに救いを求めたら、はじめて自分の中で何かがストンの腹の中に落ちて不安とか恐怖が消えたんです。

なぜそうなったというと、繰り返しになりますが…

聖霊と共に生きていく

ということと。

愛(神意識)を選ぶか、恐れ(エゴ)を選ぶかで、

僕は愛(神意識)を選んでいく。

という2つの決意をすることができたからです。


そしてそんな決意をすることができたのはACIMのおかげでした。

それともうひとつは妻のおかげです。


僕がその日の朝、ワークに取り組んでいる時に妻が僕にアドバイスをくれました。

その時の僕はまだ頭が混乱していて、不安に包まれていた時なんですが、そんな僕に妻はアドバイスをくれたのです。

たぶん10分間ぐらいアドバイスをくれたと思います。そのアドバイスの内容のほとんどは覚えてないんですけど、一つだけ覚えていることが

聖霊と共に生きたら?

という一言でした。


その言葉で僕の中のなにかのスイッチが入りました。

あまりに苦しかったので、僕には選択の余地はありませんでした。

死ぬか(エゴと生きるか)

生きるか(聖霊と生きるか)

みたいな二択で、僕には選択の余地は全くありませんでした。


その妻のアドバイスでスイッチが入ったあとからは、ACIMの本の内容がさらに入ってくるようになりました。

10年間挫折し続けてきた僕のACIMのワークですが、今の僕は、まるで少年が毎週の「週刊少年ジャンプ」の発売日を待ちわびるように気持ちで、毎日の朝一番のACIMのワークに取り組み、テキストを読むのが楽しみになっています。


僕に光がやってきてから今日で12日が経過しました。

今の僕の心は安定しています。

もちろん、心に波風が立つ瞬間はあります。

一瞬不安になることもあります。

でも、そこにずっと飲み込まれっぱなしというのは本当に一度もないです。

すぐに、不安から離れて、安心の中に戻ることができるようになりました。

これってものすごい安心感です。


この安心感の秘訣をしってほしくて、僕は今日の記事を書きました。

この文章を最後まで読んでくれている〝あなた〟のために。

絶対安心の中で生きていく秘訣。

不安や恐れや後悔を手放す秘訣。

それは…

聖霊と共に生きていく

ということと。

愛(神意識)を選ぶか、恐れ(エゴ)を選ぶかで、

僕は愛(神意識)を選んでいく。

という2つの決意をすることです。


ACIM(奇跡のコース)、分厚くてとっつきにくい本ですが、ちゃんとしっかり読めば

人生を変えてくれる

素晴らしい本です。

僕は分厚い本を毎日読んでますが、最近知ったことですが、Amazonで電子書籍版が販売されていることを知りました。

価格も紙の本より安いのがいいし、あとはKindle Unlimited会員だと0円で読めるんですね!

僕はKindle Unlimited会員は何度も入ったりやめたりを繰り返してきましたが、これを機にまた入ろうかな、なんて思ってます。


【編集後記】

最近、何年かぶりにアニータ・ムアジャーニさんの「もしここが天国だったら」を図書館で借りて読み直しました。

アニータ・ムアジャーニさんの本はデビュー作の「喜びから人生を生きる」は自分でも所蔵していて何度も読み返した素晴らしい本なんですが…

二作目の「もしここが天国だったら?」は、当時も良い本だな… とは思った記憶があるんですが、一作目ほどのインパクトではなかった印象でした。

でも今回読み直してみて、びっくりしました。

ものすごい大切なことが書かれている本です。

そして書かれている内容はACIMで書かれている内容と全く同じです。一切の矛盾もありません。

逆にACIMの内容をより平易な言葉でわかりやすく補完してくれいるような内容です。

全ての人にオススメしたい本ですが、まずは一作目から読むことを絶対的にオススメします。

アニータさんの本の内容というか、僕がすごいなと思った内容については、次の記事で書きますね。

2023年2月16日木曜日

うつ病・不安障害は完治しますッ!!

このブログのアクセス数が気がついたら100万アクセスを越えてました。
↓  ↓  ↓



ブログを立ち上げた当初は割と頻繁に更新してましたが、最近はほとんど更新できてなくてアクセス数もガタ落ちしていたのですが、僕のブログに100万回もアクセスがあったことは素直に嬉しく思います。

そして、アクセス解析を見たら、やっぱり鬱病とか不安障害とか、そういう検索ワードで訪問している人が多くて、そして過去にはそういった悩みを持つ読者さんから直接コメントをもらったりしたこともけっこうあったし、僕の書いた記事で救われた… という声をいただいたこともあったので、そういう意味では書いてきてよかった、続けてきて良かったなって思ってます。

ということで、今日は本当に久しぶりに「鬱病・不安障害」をテーマに記事を書きます。

この記事を読んで、あなたの気持ちがほんの少しでも軽くなってくれたら本当に嬉しいです。

それでは本編
鬱病も不安障害も完治する… 
という素晴らしい真実について僕の体験談を元にありのままを書きますね。 


 ■【結論】あれから一度もうつ病は再発してません 


2013年の秋に僕は人生ではじめて「うつ病」を発症しました。

それは今からちょうど10年前のことで僕が39歳の時でした。

人生ではじめて訪れたメンタルクリニックでは医師により

不安障害

という診断結果が出ました。

その頃のことは今ではもうほとんど思い出すことはないのですが、当時は本当にほんとうに苦しかったです。

いろんな苦しさがあったけど、一番苦しかったは…

僕はもう一生このままうつ病で、社会復帰できないかも…

という不安…恐怖心が強くて、それが一番苦しかったです。

だから、今この記事を読んでくれているあなたが、今現在、不安障害とかパニック障害とかで現在進行系で悩んでいるのであれば
「この症状は治るのだろうか?」とか
「一生このままだったらどうしよう…」とか
そういう不安を持たれているかもしれません。

だから、そんなあなたに向けて僕は嘘偽りなくお伝えします。

うつ病も、不安障害も、パニック障害も完治します。

と。

その根拠は…

僕が鬱病を完治してから10年経ちましたが、それから一度も鬱病もパニック障害も再発してないからです。

 ■うつ病は一度かかると治らない!?


「うつ病は完治する!」という主張の根拠が僕の体験談…
と聞いて、「説得力がないな…」とあなたは思いましたか?

確かに世の中の多くの情報では

日本人の6人〜7人に1人は人生で一度は鬱病を発症する

とか

一度鬱病にかかるとなかなか治らない…

とか

うつ病を治すには薬を飲むしかない…

とか

薬が効かない場合は、さらに強い薬が処方されて、そのうち薬でココロもカラダもボロボロになる…

とか

そういったより不安を煽るように、ネガティブな情報が溢れています。

こういった情報って、僕はこの世界に余計にうつ病患者を増やしていると思うし、完治を遅らせている元凶の一つであるとも思っています。

特に今現在うつに悩んでいる人であれば、こういうマイナスな情報は見ない方がいいです。

余計に気持ちが沈むだけで、プラスにはなりません。

これは僕の体験談でしかないけれども、少なくとも僕は…

薬に頼らずに鬱が治ったし

一度も再発していません。

それで、もしあなたが今、何らかの心の病というか、苦しみを抱えているのであれば、僕の体験談が役立つ部分もあると思うので、あなたにとって何らかのヒントになってほしい…と願って、今から、僕がどうやってうつ病から抜け出すことができたのか?
そして、その後再発させずに元気に生きていくために、日々どんなことに気をつけて過ごしているのか?
についてありのままを本音100%で書きますね。

 ■うつ病から抜け出す方法


うつ病からどうやって抜け出したのか? 
については、過去記事でいろんな角度から書いてきたので、時間があればぜひ過去記事を読んでもらえらと思いますが…
↓  ↓  ↓


あれから10年以上が過ぎた今、振り返って思うことは…

一番は…

もう最悪死んでもいい

とあきらめたことです。


この、最悪死んでもいい

という感覚は誤解を生むとよくないので、もう少しくわしく背景を書きますね。


当時の僕が一番苦しかったのは「僕は一生うつ病のままで治らないのではないか…」という不安でした。

家から一歩も出れなくなっていたし、薬を飲まないと眠ることもできなくなっていたし、何よりも24時間、寝ている時以外はずっと頭の中がボワボワしていたんです。

このボワボワが本当に苦しかったし、しんどかった…

この頭がボワボワする感覚を言葉にするのは難しいんだけど、もし鬱病になったことがあったり、今現在何かしらの不安障害を持っている人であれば、逆に言葉なんかで説明しなくても「ああ、あの感覚ね」と理解してもらえるかもしれませんが…

とにかく頭の中が不安で支配されて…

ずっとぐわんぐわんと世界が傾いているような…

世界がぐわんぐわんと揺れているような…

平衡感覚が失われていくような…

何も生産的な行動や考えが持てなくなるような…

そして、この苦しみが一生続くのでは…

というような恐怖や不安につつまれた感覚。

それがボワボワです。


当時の僕は真剣に、このボワボワは一生続く…

って絶望していました。

でも、あれから10年、今の僕にはボワボワの感覚は全くありません。

日々、時には悩んだり躓いたりすることもありますが、普通に前向きに社会生活を営んでいるし、ありがたいなって思いながら幸せに暮らせています。

なので、今この記事を読んでいるあなたも、今は苦しんでいるとしても、きっと完全によくなると思うので安心してほしいです。

それで、さきほど書いた

「もう最悪死んでもいい」とあきらめたことです。

という感覚についてもう少し詳しく説明します。



ようするに、当時の僕の一番の苦しみというか恐怖は

一生ボワボワが続くかも…

社会復帰できないかも…

という恐怖でした。


で、これはうつ病克服の過程だけに限らす、あらゆる場面で有効な手法なのですが、何事もサレンダーした瞬間に物事は解決してしまうんです。

サレンダーというのは
surrender
という英単語で

直訳すれば
降参する、明け渡す、放棄する、身を任せる
という意味です。

ようするに、この鬱病を完治させる過程で僕の転機となったのは

もう一生うつ病のままでいい

もう一生社会復帰でなくてもいい

もう最悪死んでもいい

と諦め、降参したことでした。

そうやって降参して、全てをあきらめて、サレンダーしたら何が起きたと思いますか?

なんと!

そのサレンダーした、その日から、その決意した瞬間から、僕の鬱症状は好転し、回復へと向かい出したのです。

不思議だと思いませんか?

一生うつ病のままでいい!と諦めた瞬間にうつ病が治りはじめるんですよ。

このメカニズムの仕組みは実はシンプルです。

うつ病で僕が一番苦しかったのは

自分のうつ病は一生治らないかもしれない…

という恐怖でした。

僕には当時、守るべき妻とまだ幼い子供が二人いました。

なので、僕のうつが治らなければ家族が路頭に迷ってしまう…

という恐怖も強くありました。

でも、これって、僕の頭が勝手にでっちあげたストーリーなんです。

脳内ファンタジーなんです。

なぜなら

うつ病は克服するかもしれないからです。

でも、当時の僕には「鬱病は治る」というストーリーは一切頭にありませんでした。

不安と恐怖に支配されていたので、「僕の鬱病は一生治らないかもしれない…」と勝手にストーリーを作り上げていて、そしてそのストーリーが原因で、さらに不安と恐怖が増幅して、さらに状態が悪化する… という悪循環、負の無限ループに陥ってしまっていたのです。

その恐怖のストーリー、負の無限ループを断ち切るために最適かつ有効な方法が

サレンダー

することだったんです。



うつが一生治らないかも… という僕が作り上げた幻の恐怖は

もう、一生うつのままでもいい
最悪、死んでもいいや

と開き直ることで、幻を幻であると見破ることができたので、その幻は消えてなくなりました。

この部分、ものすごく重要です。

もう、答えをいいますね。

この一生うつが治らないかもしれない…というでっちあげストーリーもそうだし、日々のあらゆる心配毎や恐怖の正体は・・・・・・・

エゴ(思考)

なんです。

大事なことなので2回いいます。

僕たちの不安や恐怖や心配毎を生み出しているのはエゴ(思考)です。

特にまだ実際に起こってもいないのに、そうなるかもしれない…
とか
そうなったらどうしよう…
というまだ起きてもいない出来事が未来に起きたらどうしよう…
という不安・恐怖・心配はすべてエゴが作り出したストーリーです。


なのでエゴ(思考)と一体にならずに、エゴから離れることで、僕たちは恐怖や不安から離れることができました。

そして、エゴから離れる鍵となるのが、サレンダーすることです。

問題を解決しようと思うから
「解決できるだろうか…」
「解決できなかったらどうしよう…」
と不安になるのです。

鬱の場合でいうと
「欝病は治るのだろうか…」
「治らなかったらどうしよう…」
と不安になるのです。

この不安を解消する一番の方法は

問題を解決しようとしないことです。
問題を解決することをあきらめて(サレンダーして)
もう解決しなくていいや
と手放した瞬間に
問題は問題でなくなってしまうのです。

なぜなら、もうそこに解決すべき問題はなくなっているので。


つまり、僕の場合…

①欝病を治したい

②でも治らないかもしれない

③一生治らなかったらどうしよう

と思って、その不安の無限ループから脱出できずに苦しんでいたのですが、発想を変えて

①欝病が治らなくてもいい

②最悪死んでもいい

とあきらめたことで「欝病を治さなくてはならない」という問題が消えてしまったわけです。



欲しい!欲しい!と執着している間は欲しいものが手に入らずに
もういいや… と手放した瞬間に手に入る
みたいなことって世の中にはけっこうありますが、そういう感じです。




えっと…

ついつい熱く語ってしまいましたが、今現在、うつで本当に苦しんでいる人には、なかなか理解してもらえないかもしれません。

そんな簡単な問題じゃないんだ… と思われたかもしれません。

その感覚もまたわかります。



ちょっと言葉を変えて言うなら…

あまり深刻に考えずに

ゆっくりしよう

ということです。


動けない時は動けないし、ポジティブになれない時はなれない。

ダメな自分でも、鬱な自分でも、それを責めずに、ただただそんな自分を許して、ゆっくりする。

それがまずは大切だと思います。



焦らない
ことが大事です。

神さまから休憩する時間をもらったんだ

ぐらいに思って、回復するまではゆっくり過ごすのが一番です。


僕は鬱がひどい時は家から一歩も出れず、布団からも起き上がれないぐらいでしたが、本だけは読むことができました。

そして、僕はスピリチュアル系の本を読み漁ることで、サレンダーという言葉を知って、欝病に対しても、自分の人生に対してもサレンダーすることができました。

そしてサレンダーしてからはずいぶんと気持ちが楽になりました。

それでも、まだ鬱が抜けきらなかった当時は、安心したり、また不安になったりを繰り返していました。

何事にも時間はかかるものだと思います。

サレンダーしたから、はい解決!
みたいな感じで簡単に治るものでもないと思います。

でも、サレンダーして諦めることで、きっとそこから気持ちに余裕ができて、少しずつでも好転していくと思います。


少しずつ元気になってきたら、本を読んだり、室内でもいいから少しストレッチとかカラダを動かすのがいいです。

僕の場合は、とにかく本を読んで、少し元気になってきてからは、家庭菜園で畑を耕したり、ランニングをしたりすることで、どんどんと回復していくことができました。

あとは、なにより家族に救われました。



長々と書いてきましたが、鬱を治す方法はいろいろあると思うし、この記事の方法はあくまでも僕の体験に基づいた方法です。

しっかり薬を飲むことで治った人もいるでしょうし、医師の助言で治った人もいると思います。

とにかく焦らずに、ゆっくりと過ごしてください。

直接僕になにか質問したい人はコメントください。

何らかの方法で回答させてもらいます。

あゆむ 拝


2019年2月27日水曜日

早朝の神社参り

僕の奥さんは毎日瞑想をしているのですが、瞑想中に時折ですが
ご内流というのか、メッセージというのか、何かしらのインスピレーションを受けることがあるようです。

そして、昨日降りてきたインスピレーションというのが…

明日から産土の神社に早朝のお参りに7日間行こう

というものでした。

そして、このブログ

あるがままを毎日更新してください

というメッセージ?も同時に降りてきたようです。

というわけで、本日は5時には起きて、6時半に奥さんとともに車に乗って、地元の産土神社である

村山神社&出雲神社(出雲大神宮)に行ってきました。

村山神社
http://www.genbu.net/data/tanba/murayama_title.htm

出雲大神宮
http://www.izumo-d.org/


僕達夫婦は自営業というか自由業なので、現在はどこにも勤めてないので、ともすれば朝はゆっくりなことが多いので、久しぶりに見る朝日が眩しかったです(汗)。

村山神社に参拝するのはけっこう久しぶりだったのですが、なんと本殿は全て建設用の幕で覆われていました…

昨年の大型台風で何本も木が倒れて、本殿は完全にぺしゃんこになってしまったようです…

再建するためには多額の費用がかかるようで、寄付を募っているようなので、出来る範囲で寄付をさせていただこうと思います。

と、いきなり本殿がそんなことになっていたので、ちょっと面食らったわけですが、本殿以外の全ての社でお参りをさせていただきました。

特別な体験が何かあったわけではありません。

でも、なんとも言えない、心地よさ、清々しさでいっぱいになりました。

神社の駐車場には1本の梅の木があったのですが、もう花が立派に咲いていて、今年はじめて目にする梅の花だったので、しばし梅が香をしっかりかぎました。

本当は最寄りの村山神社だけに参拝する予定だったのですが、奥さんが出雲神社にも行きたい… というので、そのまま車で出雲神社に行きました。

出雲神社は、村山神社に比べると規模も大きく、正月は大行列ができるし、平日でも参拝者が途切れることはないような神社です。

パワースポットとしても有名なところなので、亀岡市民だけでなく、遠方から参拝に来る方もたくさんいます。

うちの家族も出雲神社が大好きなので、正月だけではなく、なんでもないようなときに家族四人で、あるいは夫婦でお参りさせていただくことが多々あります。

でも、こんな早朝にお参りするのは今日がはじめてでした。

社務所もまだ開いてなく、しんとした早朝の神社はとても清々しい雰囲気でした。

ただ、人気の神社なので、そんな時間にも関わらず、僕たち以外にも参拝者はちらほらといましたが…

本殿を参拝した後は、本殿の裏手にある「磐座」にもお参りに行きました。

磐座の前で目を閉じて、立ったままですが、短い時間瞑想もしました。

鳥の鳴く声…

そばの小さな滝の音…

ものすごく気持ちがよくて、幸せでした。

〝いまここ〟には何も問題などなくて、ただ静かで幸せでした。



帰りの車中で、夫婦ともども、ともて気持ちよかったね、明日も行こうね
と、話が盛り上がりました。

と、こんなふうに、本日の記事はまあ…

ただの日記ですね(汗)

でも、久しぶりに更新できたのは、嬉しいです。



実は世界って狭いもので、僕の奥さんの瞑想友達が、このブログの割にヘビーな読者さんだということが最近判明しました。

そして、僕の書いた記事が役にたったようだと聞いて、素直に嬉しかったし、このブログを作ってよかった。書いててよかったと思いました。

このブログには、時々コメントとか、あるいは直接のメールが読者さんから届くことがあります。

欝の方とか、欝になりそうな方とか、パニック障害の方とかからも、よくメッセージとか相談をいただいたりします。

欝は僕も相当苦しんだので、その気持ちがよくわかります。

そして幸いなことに僕は欝から抜け出すことができたので、どうやったら欝が治るのか?
その部分については、僕の経験談を伝えて、それが一人でもいいので、誰かの役に立てばいいな…と思って更新しています。

欝って本当にチャンスで、自分の真我、本質に帰るチャンスです。

僕は欝になって本当に良かった、神の恩寵だったと心から思っています。

欝がなければ、僕はまだずっとエゴにまみれたままフラフラと、プライドにまみれて生きていたと思います。

もし欝にならずに、あのまま調子にのってエゴで生きていたら…

と想像するだけでゾッとするぐらいです。


人生のシナリオって本当に面白いし、よく出来ています。

人生においてピンチは訪れてほしくない… とは思いますが、
同時に、
主人公がピンチにならない映画
とか
無敵で死なないゲーム
がつまらないように
人生にもピンチとか逆境がないと、それはきっとつまらないし、成長も変化もないと思います。

いろんなことが起こるのが人生です。
自分でコントロールできることもあれば、そうでないこともあります。

そして苦しんでいるのはいつだって本当の自分ではなく、自分のエゴです。

人生には善き事しか起こらない。
あるいは
人生には自分にとって必要なことしか起こらない。

僕はそう思っています。

そして、そう思うようになってから、物事に動じなくなりました。

と、かっこつけたいとこですが、実際には、プレッシャーを感じたり、動じたりしてます…あいかわらず!

でも、欝前の僕は、その不安や恐怖と完全に一体化してました。

でも、今は、不安を感じることはあっても、一体化することなくなりました。

一瞬飲み込まれそうになっても、絶対に大丈夫と思っている、もう一人の自分、本当の自分がちゃんといます。

この感覚があるのとないのと
その違いは本当に大きいと思います。


伝える言葉が上手く見つからないんですが、あなたも私も
神・宇宙の意識が、何かを体験したくてこの世に生まれてきました。

僕たちの肉体というのは、ある意味、神の乗り物のようなものです。

自分は弱い… と思っていても、そう思っているのは自分のエゴです。

私たちの本質は神です。

なので、絶対に何があっても大丈夫なのです。


また、明日も更新します。

最後まで読んでくれてありがとうございました。
(*^_^*)


2018年11月20日火曜日

あとは、やるだけ。生きるだけ。鬱抜けの極意

つい先日、大学時代の親友S君と2年ぶりに会いました。

S君は、就職してからほぼずっと海外勤務なので、2年に1回ぐらいのペースでしか会えないのですが、会えば一瞬で大学時代のおバカな関係に戻れる大好きな友達です。

で、今回は、Sくんの友人のA君も同席して飲むことになりました。

僕とA君は、大学時代には面識はなく、卒業後にS君を通じて、過去に1回会っただけの関係です。

このA君が、かなり人生がピンチというか、本人いわく、「今が人生のどん底」状態だと言うことで、僕とS君が彼の悩みを聞いたり、励ましたり… そんな飲み会でした。

くわしくは書きませんが、このA君はかなりのイケメンで
しかも実家はかなりの資産家なんです。

金持ちでイケメンで、大学時代にはスポーツカーに乗っている
そんなリア充代表みたいな人でした。

でも、ビジネスの失敗やら、離婚やらで、現在は悲壮感すら漂っている…

そんな状態なんです。

そういう人生って、最初が良かっただけに、そこからの転落は、かなりキツイと思います。

そんな状況でもなんとか踏ん張っているA君は、偉いな…
と僕は素直に思いました。


で、この飲み会の中で、実は僕もA君もS君も、3人とも過去に鬱病になったことがある

という共通点がわかって、かなり盛り上がりました。


で、お互いにカミングアウトしていく中で、僕とA君には、けっこう共通点があることがわかりました。

ただ、現時点においては、A君は現在も苦しみの中にいて、かなりもがいています。

僕は、今は、何の問題もなくて、嫌味とかではなく、幸せしかありません。

A君はかなり苦しんでいるので、僕は場の空気を読んで、幸せアピール的なことは一切しなかったのですが、S君が僕の現状を説明したこともあってA君からは、真剣な表情で

一体どうやって、その苦しみから抜け出せたの?

そして、どん底からなぜ這い上がる(成功する)ことができたの?

と尋ねられました。


上から目線にならないように注意しながら、その場で僕が答えたのは

「パニック障害とか、欝の時は相当苦しかったけど、最悪死ぬだけ… と思えるようになってから、苦しみから解放されるようになった」

「宇宙と自分の中の神を信じるようにした」

その二点を伝えました。


このブログの読者さんのためにもう少し詳しく説明します。

僕は一時期、かなりのパニック障害を持ってました。

欝の時はもちろんひどかったですが、欝から抜けた後でも、電車の中とかで、突然パニック障害の発作が出ることがたびたびありました。

パニック障害を発症したことがある人ならわかると思いますが、パニック障害の発作って一言でいうと…

自分は死ぬ…

という恐怖が襲ってくる感じです。

うまく呼吸ができなくなったり、動悸が激しくなったり、脂汗が吹き出して、目の前がクラクラしてきて、気絶しそうな…心臓が止まってそのまま死んでしまうような、そんな状態に肉体的にも精神的にもなります。

この時に

ヤバイ!ヤバイ!
とか
たすけてー
とか
なんとなしなきゃ〜!

と思うと、パニックはもっと増幅されます。

でも、僕は欝抜けする時に

僕は宇宙を信じる

今日からは神として生きる

と誓いました。

その誓いをしてからは、僕は宇宙と自分を信頼して、何が起きてもサレンダーしてそれを受け入れよう… そう誓ったし、思えるようになったんです。

だから、パニック障害が出た時には、一瞬だけは焦るし、パニックにもなるのですが、すぐに、こう思うようにしたんです。

うん、最悪死ぬだけ

と。

うん、このままパニックで死んでもいい

そんなふうに開き治ると、パニック障害って不思議なぐらいに、急激に落ち着きます。

多分、30秒から少なくとも5分以内には、気持ちが落ち着いて、平常運転に戻ることができます。

この開き治り

とか

サレンダー

って、人生を楽に生きる上でのキーワードだと思います。


僕は欝の時に、当時住んでいたマンションのベランダから自分が飛び降りそうで、そんな自分を怖く思っていました。

実際に死んでいてもおかしくなかったと思います。

だから、僕の今の人生はおまけ

だと思っているんです。


欝を抜ける時には

宇宙を信頼する

人としてではなく、神として生きる

そう誓ったし、そういう生き方を選択しました。


そして、これからの人生には

良きことも

そうでないことも

当然起こるけど、それは、必要なことがただ起きているだけ

と思うようにしたし、実際にそうだと思っています。


僕は、お釈迦様については、くわしくないですが、多分
ブッダの悟りの境地って
人生への、世界へのサレンダーで
全てを受け入れる…

諸行無常
ってそういうことなんだと思います。

この記事のタイトルは

あとは、やるだけ。生きるだけ。

としていますが、今の僕は、欝を抜けてからは、ずっとそう思って生きています。

2013年の末に欝を発症して、半年から一年ほどで欝から抜けることができて、それから4年ぐらいが過ぎました。

その間、たくさんの良いことがあったし、時には心配なことが起きたり、不安になったりするようなことも起きました。

でも、どんな時にも、ただ今の僕にとって必要な(魂の成長とかに?)善きことが起こっているだけ。

そう思うと、不思議と苦しみは無くならないにしても、かなり軽くなりました。

そして、その時は最悪だ…

と思ったことでも、後になってみれば、やっぱりすべて善きことでした。


そして、この4年の中で思ったのは

やっぱり僕たちが生きているこの世界
三次元の現実世界?
というのは、行動の星
ということです。

やっぱりやらないといけないんです。

瞑想も、スピリチュアルな本も、セミナーも
すばらしいことですが、
それだけではダメなんです。

この世界に生まれてきたということは
神の分身として、
現在の個性ある人生を
体験するため
なんです。

だから、思っているだけではダメで
やっぱり行動する。

そして自分の直感とか本能とかを信頼して
インスピレーションに基いて行動すると
必ず、良い体験ができて、良い結果を得ることができます。

あとは、やるだけ、生きるだけ!

僕は、そんなふうに思って
人生のこれから起きるワクワクを
味わい愛でていこうと思っています。


長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(*^_^*)




2018年1月7日日曜日

2018年は再び「奇跡のコース」に取り組みます。

2018年がはじまりましたね。

昨年はあなたにとってどんな一年だったでしょうか?

僕の2017年は穏やかで平和なものでしたが、ちょっとビジネスモードに入りすぎていたかな… という感じです。

もうすっかり過去のことになりつつありますが、僕は2013年の秋に人生ではじめてうつ病を発症しました。

2014年の一年間はずっとうつ病との戦いで、スピリチュアルな本を読みあさったり、瞑想ばかりしていました(あと家庭菜園とランニングとか…)

2015年には、ほぼうつ病からは回復して日常を取り戻したのですが、当時の僕は

悟りたい…

という思いを強くもっていました。

幸いなことに貯金がそれなりにあったので、あまり仕事もせずに、瞑想とかスピリチュアル系の本を引き続き読んでました。

そして2016年の1月1日に、ずっと気になっていた本

「奇跡のコース」

に取り組みはじめました。

奇跡のコース… という本のタイトルは知っている人も多いかと思います。

僕がリスペクトしているエックハルト・トールもそうだし、その他大勢のスピリチュアル系の著者が、目覚めのきっかけとして「奇跡のコース」をあげている… そんな本です。

まさに、スピリチュアル界の原典であり、バイブルのような本です。

本は二冊からなっていて、一冊目はテキストです。

900ページ以上もある、かなり骨太な本です。

二冊目は、ワークブックとなっていて、365のワークが掲載されていて、そのワークを每日1レッスンずつ、つまり一年間通して取り組むレッスンが掲載されています。

僕は、このワークに2016年の一年間、每日取り組みました。

ワークの内容は、かなり興味深く、え〜〜〜〜!

とビックリするような内容がたくさんありました。

レッスンの内容についてはちょっと要約もできないぐらいに多義にわたっているのですが、シンプルに説明するのであれば…

僕の持っていた常識とか固定観念をことごとくひっくり返す内容で
それまでの世界は物事への見方を大きく変えてくれました。

ただ、正直に書くと、ワークに一年間取り組んだからといって、僕の中の何かが大きく変わった… というようなことはなかったと思います。

それは多分、僕は本当の意味ではレッスンの内容を理解していなかったのだと思います。

へえ〜すごいな… とは思いながらも表面的に取り組んでいたというか…

あとは、これも正直に書くと、ワークブックのほうは每日読んで、レッスンに取り組み、読了しましたが、1冊めのテキストのほうは、ほとんど読めませんでした。

なんかこう頭に入ってこないというか、理解が難しかったのです。


そして、2017年は、奇跡のコースを開くことは一度もありませんでした。

悟りとかスピリチュアルは一度脇に置いておいて、現実に向き合い、ビジネスモードに入っていたからです。

ただ、今年、2018年の正月にずっと本棚に置いていた奇跡のコースが突然気になって、よし、今年は再び「奇跡のコース」に取り組むぞ! という思いが自然に湧き上がってきました。

そして、今回はレッスンに加えて、テキストのほうも每日3ページずつでもいいから読了しよう!と思って每日読んでいるのですが、この内容が今回はスラスラ入ってくるのです。

前回はどうやっても頭に入ってこなかった文章が、今回はページをめくる手が止まらないぐらいの感じで、もっと読みたい! すごい!

って感じです。

本って、やっぱり読むべき時期とかタイミングってあると、あらためて思いました。



本日、当ブログを更新しよう…と思ったのは、ワークブックのレッスン7

私は過去だけを見ています

という内容をシェアしたいと思ったからです。



実は、私も、そして多分あなたも、本当に過去だけを見ているのです。


僕はうつ病から回復していく過程で、自分の築きあげてきたもの

立場とかプライドとかが全て崩壊しました。

それはまるで、それまでの自分が一度死んだような感じでした。

そして新しい自分に生まれ変わったような感覚がありました。

欝になるまでの僕を今振り返ると、完全に別人だったなと思います。

他人の目線、他人の評価を常に気にして生きていました。

そして、知らず多くの人を傷つけていました。


あの頃の自分に比べたら、現在は本当に多くのものを手放すことができたと思います。

かなり自由だし、心も軽く、每日が幸せです。

でも、やっぱり昔のクセというか、いまだに多くの課題が残っています。


ずっとそれにとらわれ続ける… ということはないのですが、フトした瞬間に、

怒りとか
悲しみとか
寂しさとか
不安とか

そういったエゴが湧き上がってきます。

何か特定の場面やシチュエーションになった時に、そういったエゴは湧き上がってきます。

それはどうしてか?

その理由は過去に同じような場面で辛い体験をしたことがあるからです。

本当は私もあなたも無敵で、いまここに置いては全く問題はありません。

でも、奇跡のコースにそう書いてあるように、私たちは過去だけを見ています。



上司に起こられたくない

親には認めてほしい

友達に裏切られるのは嫌だ


そんな思いは誰でも持っているかもしれません。

以前の僕はそんな思い(エゴ)を強くもっていました。

でも、人間ってなんでそうなっちゃうんでしょうか?

世界は愛に満ちていて、人は信用していいし、本音で生きていいはずの世界です。

でも、実際の現実社会では、誰もが鎧に身を固め、本音はなかなか見せません。

それはたぶん、私たちの中に傷ついたトラウマのようなものがあるからです。


今朝、奇跡のコースのレッスン7「私は過去だけを見ています」に取り組んでいる時にふっと昔の辛い体験を思いだしました。

なぜか思い出したのは、幼いころに通っていた「合気道」の道場での出来事です。

道場に通いだした頃に、先生と話している時に、僕が「うん」と返事をしていたら、それまでずっと優しいイメージだった先生に、かなりキツイ感じで

「ウンじゃない! ハイだ!!!」

と、怒られた場面がフッと湧き上がってきました。

もしかしたら、これが人生で初めて(親以外に)怒られた体験かもしれません。

その時の怒られて萎縮した感覚は今でも覚えています。

先生とか、年上の人は偉いので、敬語を使わないといけない…

そういう価値観、世界観の始まりだったと思います。

その後も、部活でも理不尽な先輩とか、めちゃくちゃな上司とか、いろんな体験をしてきましたが、それでも「上司に嫌われたくない…」というエゴが僕の中にあるのは、きっと幼い頃の、あの合気道道場でのトラウマ体験があって、あんな思いはしたくない… というエゴが自分の中にあるからだと思ったんです(ワークをしながら気づきました)。


ほかにもいろんなことがつながりました。

親から嫌われたくない…

僕の場合、そのエゴの原点は、三才ぐらいの時に、親戚一同が我が家にあつまったパーティーで、嬉しくなってリンゴにマヨネーズをつけて食べようとしたら、それまで一度も怒ったことがなかったような父が突然ブチ切れて「もったいないことをするな〜〜〜!」と、すごい剣幕で大声で怒られたことです。

かなりショックでした。

今わかるのは、普段起こらない父があれだけ怒ったのは、親族の前だったからだと思います。

食べ物で遊んで無駄にしようとしている我が子を親戚の手前、放置できなかったのでしょう。

要するに、そこには愛とか教育はなくて、きちんとした親であることを親族に見せたいというエゴでしかられたということです。

でも、僕は、そのリンゴで遊んでいたわけでもないし、無駄にするつもりもありませんでした。

ただ、親戚がたくさんいて、嬉しくなってテンションがあがって、リンゴにマヨネーズをつけて食べることで、注目を集めたかっただけなのです。

もちろん、そのリンゴは食べるつもりでした。

でも、リンゴを取り上げられ、全員の前で一括されたことで、僕はほっぺたをプルプルとさせて泣きたい気持ちになって、その後のパーティーを一切楽しむことができませんでした。

いまだに僕の中には、親に対する複雑な思いが、何かの瞬間にフト湧き上がることがあります。

そして、その原点はきっと、あのリンゴ事件だったと思うのです。


なんか個人的な思い出をつらつらと書いてしまいましたが、きっとあなたにも、特に子供時代に体験したなんらかの痛みとか辛い体験があって、そういった体験を重ねて大人になっていく過程で、

人に嫌われないように

人に好かれるように

本当の自分を出さないように

している部分もあると思います。

だって、人に嫌われたことがない人間は「人に嫌われたくない」という発想自体が起こらないと思います。

本当の自分が出せないのは、過去に本当に自分を出して失敗した体験があるからです。


奇跡のコースのレッスン7「私は過去だけを見ています」に取り組みながら、そんなことを思ったので、急いでブログに書きました。

僕の中にもいまだに、ずっと心の底にかかえている痛みを伴う体験が残っていることがわかったんですが、そんなエゴとか思いはもう、どんどん手放していこうと思います。

本当に自分でいたいし、本音で生きたいです。

本音を出して、痛い目にあったこともありますが、それは過去のことです。

今度は、本音を出したら、もっと打ち解けあう… そんな未来が広がっている可能性もあるのです。

過去はもういいです。

いつでもニュートラルな気持ちで、いまここを楽しんでいこうと思います。


2017年10月27日金曜日

受容・許しの本当の意味

受容

とか

許し

という言葉はスピリチュアル界隈では

目覚めとか悟るための大切なキーワードとして度々出てきます。

みんな、誰もが、苦しみたくないのです。

苦悩から開放されたいのです。

苦痛を避けるために、物質主義者は物欲を満たそうとします。

モノや地位やパワーを得ることで、安心を得たいのです。

でも、物質主義者に心の平穏が訪れることは永遠にありません。

なぜなら、どれだけ欲しいと思っていたモノでも異性でも、それを手に入れた瞬間から満たされた気持ちは急速に冷めていきます。

あるいは富でも地位でも、それを手に入れると、それが大きな満足感や安心感を与えてくれるものであればあるほど、今度は

それを失ったらどうしよう…

と失うことの恐怖や不安・心配を抱えて生きることになります。

どこまでいってもゴールに辿りつけないのです。


一方…

スピリチュアルに目覚めつつある人は、苦悩から開放されるために悟りを求めます。

物欲に溺れずに、内面の平和を求めます。

多くの覚者が受容とか、許しの大切さを説いています。

ただ、この受容、許し… については、その意味を本当に理解していないと、いくら悟りを求めても、余計に混乱し、苦悩が深まることすらあります。

人に傷つけられた時、攻撃された時、その相手を許さないといけない。

許すことで平安が訪れるはず…

という意味ではないのです。


大切な人を失ってしまった時、その痛みを受容しなくては…

ではないのです。


いい人にならなければ… とか
いい人であろう… という思いが強いほど、苦しみは深くなりがちです。

なぜなら、この世界の常として、人生には困難な場面は訪れるし、耐えられないような痛み、喪失を経験しない人はいないからです。

そんな時に無理に感情、湧き上がってくる怒りや悲しみを無理に抑えこむなんてことはできないし、それを自分に無理強いすればするほど、そうできない(受容できない)自分を責めてしまいます。

そうではないのです。

受容も許しも

怒りを覚えている自分、悲しみを感じている自分を受容するのです。

そんな自分を許すのです。


そして、不思議なことに

そうやって自分を心から受容し、許すことが真にできるようになると、他人や、この世界を受容し、許せるようになるのです。

この宇宙に存在するものは全て、神が創造したものです。

そもそもとして、全てが許された存在だから、この世界に存在しているのです。

あなたも、私も、あの人も、この世界に生きている時点で、すでに神に許されているのです。

全ての人が、すでに最初から神に、宇宙に、サムシング・グレートに、大いなる一に、受容されているのです。

受容、許し
というのは、神が行うものなのです。

行う… というよりかは、神という存在そのものが許しであり、受容なのです。




じゃあ、私たちはどう生きればいいのか?

喜怒哀楽という感情をおもいっきり表現して、肉体を持って生まれた、今回の生を思いっきり楽しんだらいいのです。

悟りたい… 目覚めたい…
と渇望して、
感情を殺して、
嫌なことがあっても相手を許さねばと我慢して
大切な人を失っても、受容せねばと、感情を殺す…

そんなドMなことをしても、混乱するだけで、事態は好転しません。

我慢大会をするめに僕たちは生まれてきたわけじゃないんです。

僕たちは生まれた時点で、誰もが神に許された存在です。

そして、誰もが、望んでこの世界に生まれてきたのです。

なぜか?

それは、体験するためです。

神である私、神の一部である私が、肉体を持って、この地球という星で、ものすごくエキサイティングな人生ゲームを楽しむために、そのために私達は生まれてきたのです。

そして、誰もが何らかのミッションを持って生まれてきました。

ただ、この人生ゲームは極めて自由度が高く、神として生きることも獣として生きることも可能なのです。

神として生きれば必然、人生ゲームはより楽しいもの、美しいものになります。

獣(のような心の人間)として生きれば、人生ゲームはより困難なものになるでしょう。

でも、誰もが自由意志でそれをやっているのであり、善悪美醜、全て込みで、神はこの世界の全てを受容し、許しているのです。

だから、人間の立場で、誰かを裁いたり、許したり… なんてことは本来は必要ないのです。それは神の仕事です。

僕たちは、1人のプレイヤーとして、超絶リアルな、この人生ゲームをおもいっきりプレイすればいいんです。

踊るのが好きであればダンサーに

歌うのが好きであればシンガーになればいいのです。

世界を救いたければ救世主になればいいし、

社会に貢献したければボランティアをすればいいし

世の中を変えたければ政治家になってもいいし、運動に身を投じたらいいのです。


富を築きたければ起業すればいいし、

一攫千金をゲットしたいなら宝くじを買えばいいのです。


学校に行きたくない! のであれば行く必要なんて全くないし

東大に行きたい! のであれば、全力で受験勉強に打ち込めばいんです。


安定がほしいのであれば、公務員になればいいし、

組織で働くのが好きであれば、サラリーマンになればいいし、

自由が欲しいなら独立すればいいのです。


登校拒否でも、フリーターでも、ニートでも、サラリーマンでも、専業主婦でも、キャリアウーマンでも、全て自由で、思ったように、生きたいように生きればいいのです。

神、宇宙に誰もがすでに受容され、許されているのです。


もちろん、悟りを目指すのもオッケーです。



受容と許し
それは神の仕事です。

私たちは、自由な肉体を持つ魂として、この世の生を謳歌すればいいんです。

で、チャレンジすれば失敗することはあるし、時に人を傷つけたり、傷つけられたりしながら生きるのが人生です。

怒りが湧いてきた時にはしっかり怒り

悲しい時には我慢せずに思いっきり泣けばいいのです。

そして嬉しい時には、思いっきり喜んだらいいんです。

あるがままの自分を受け入れ、許すのです。

そして、他人のあるがままも受け入れ、許すのです。

でも…

どうしても…

あの人だけは許せない〜!

と思うのであれば、許せないと思っている自分を許してあげてください。

弱い自分を、感情に振り回される自分を受け入れてあげるのです。


あるがままの自分、あるがままの世界を受け入れる
これは、もはや悟りです。

悟った人は、みな言っています。

悟る前も、その後も、世界も日常も沸き起こる感情は一切変らない
と。

悟った後でも、肉体的な苦痛はやっぱりやってくるし、痛みは感じます。
大切な人の死に目に会えば、悲しみをしっかり感じます。

私たちと何ら変わりはないのです。

唯一違うのが、内面であり、受け止め方です。

悟った人は、神にサレンダー(降伏・明け渡し)をした人です。
なので、何が起きても、いろんな感情は湧き上がってきますが、ネガティブな感情と一体化することはありません。

だから、苦悩することはなくなります。





悟った人がよく言うのが

「この世はジョークだ」

というセリフです。



最近やっとこの意味がわかってきました。
(たぶん、ですが…汗)

いつか悟りたい…

苦悩から開放されたい…

と、思っている限り、永遠に悟ることはできないのです。

悟りは

いつか将来の未来にやってくることは絶対にないんです。

どこか遠い場所にあるわけでもないんです。


実は、僕も、あなたも
最初から、神に許された存在であり、
成功も失敗も、喜びも悲しみも、
起ることは全て神・宇宙のシナリオなんです。

人生の大きな岐路にたった時、
右に進むか、左に進むか 
人は悩みます。
後になってから、あの時、逆の道を選択していればよかった…
と、後悔することもありますが、
その選択ミスですら、あなたの人生にとっては必然だったのです。

実際、右を選ぶことも、左を選ぶこともできますが、
どちらも正解なんです。

右でも左でも、自分が選択した道が、あなたの今生にはベストだったのです。

その真実に気がついた時に、大きな安心感に包まれて、開放がおきます。

そして、怒ってもいい、泣いてもいい、失敗してもいい
自分は最初から神に許されていたんだ…
ということがわかった時に、神の絶大な愛に気づくことができます。

絶対の安心立命が確立されるのです。

この状態が悟りです。

このことが理解できれば、あなたはもう目覚めているのです。


つまり、あるがままのあなたでいいんです。
いや、あるがままのあなたこそが悟っているのです。

最初からあなたは悟っています。

という言葉も覚者はよく言います。


目指すべき悟りは、最初から、〝いまここ〟のあなたの中にあった

というわけです。

一生懸命、真実を追い求めて、世界を旅して、修行をして、悟りも求めたのに、悟れず、最後に全てを諦めて、サレンダーして、もういいや… あるがままの自分でいいや…
と心底から思えた瞬間に悟りがやってくる

このことを覚者は
「この世はジョークだ」
と言っているのです。
(と僕は理解してます)


つらつらと書いてきましたが、僕があなたに伝えたいことは…

あなたはあなたのままでいいし

誰かのことを許せなくてもいいし

許せない自分を許してあげてね

ということです。

そして、あなたも、私も、あの人も

みんな神さまから許されているんだよ

ということです。


いやいや! でも、テロとか殺人とか、この世の不条理はどうなのよ!

と思うこともあると思います。

あのテロだけは、あの事件の犯人だけは、あの○○だけは許せない!

それもオッケーです。

許す必要はないし、逆にそう思っている自分のことは許してください。


でも、あまりにも許せないこと多い、世界はストレスに満ちている
生きるのがしんどい…

そんなふうに感じているとしたら、きっとそれはまだ自分を許せてないし、あるがままではない… という状態なんだと思います。


僕の場合はうつ病で一度完全に落ちてしまって、自尊心とか虚栄心とか、そんな意識が完全にクラッシュしました。

そして全てのことにサレンダー(降伏、神へのあけわたし)しました。

一度、自分を捨てた人間って強いと思います。

あの時、死んでてもおかしくなかった自分にとったら、今の時間って、オマケっていうか、ボーナスタイムみたいなもの… って思ってるんです。

そして、過ぎ去ってわかったことは、人生最悪の出来事と思っていたうつ病こそが、人生最大の神の贈り物であったということです。

この事実から、やっぱり、起ることは全て必然でベストで善き事なんだ…
ってことが、完全に理解できました。

だからもう抵抗せずに、川の流れにのって人生を楽しもう〜!
って思ってるんです。本心から。

そうしたら、どんな時でも安心して選択できます。

大きな選択をする時でも、リスクとか考えずに、ワクワクするほうをビビらずに選択できるようになりました。

だって、どんな結果になろうとも、それが正解だとわかっているので。

あと、人の評価とか、他人の視線も気にならなくなりました。

僕は僕でしかないので、大きく見せる必要はないし、あるがままの僕を好きでいてくれる人と付き合っていくだけなので。

そう思っていると、切れる縁は切れていくけど、全く気になりません。

逆に、波長の合った人との縁が新しく生まれます。

全ての人や、物事に常にオープンマインドで接するようにしています。

そんなふうに開き直っていきていると、もう恐怖とか、不安とか、怯えとかなくなります。

ある意味、無敵状態です。



自分の弱いとこも、いいとこも、ちゃんと認められるようになったし、あるがままの自分を受け入れることができるようになりました。

その上で、日々向上したい… と思っているので、その想いをちゃんと尊重して、自分をコントロールしています(時間管理とか、自分磨きとか、ランニングとか筋トレとか…)。

で、サボりたい時には、そんな自分も許しています。

ナチュラルに

生きようと思っています。




一時期はスピリチュアルに傾倒して

悟りたい…

と願っていた時期がありました。

瞑想ばかりしている時期がありました。


今は、悟りたい…
とか、ほとんど思わなくなりました。

瞑想はほぼ每日してますが、悟りを目指してやってるわけではありません。

ただ、今は、每日が本当に嬉しくて、楽しくて、いろんなことに感謝しながら生きることができるようになりました。


何が言いたいかというと、もし…
この文章を読んでくれているあなたが、
ストレスを抱えていたり、悩みとか、しんどさを抱えているのであれば、
少しでも楽になってほしい

それだけを思って、今日は記事を更新しています。

で、楽になる方法ってのが…

★自分を許す

★許せない自分も許す

★喜怒哀楽を爆発させてOK

★失敗してもOK

★選択ミスなんてない

★人生には善きことしか起こらない
(一見悪く思えることも起きます。でも長い目で見れば善きことなんです)

★悟っても、同じ日常が続きます
(善きことも、そうでないことも同じように起きます。ただ、自分の受け止め方が変化しているので、苦悩をすることはなくなります)

★あなたは最初から許されている

★あるがままの自分を受けれた時… それが悟り かも…

★未来にも遠いどこかにも悟りなんてない、それは自分の中に最初からある。これってジョークだね…

こんなふうに思って生きていると、本当にいいことばっかり起こるし、人生が楽しいです。


楽に、ナチュラルに、喜びを持って、あるがままに生きていきたいですね。

あゆむ 拝
(*^_^*)



当ブログのバックナンバー一覧
↓  ↓  ↓
このブログの全記事・バックナンバーの一覧




2017年9月20日水曜日

自分を買いかぶることは、自己嫌悪に陥るより軽い卑しからぬ罪である。

自分を買いかぶることは、 自己嫌悪に陥るより軽い 卑しからぬ罪である。ウィリアム・シェークスピア


自分を買いかぶることは、自己嫌悪に陥るより軽い卑しからぬ罪である。

これは、ウィリアム・シェークスピアの言葉です。

僕はシェークスピアについて造詣が深いわけでもありませんが、この言葉はものすごく心に刺さりました。

そして、誰にとっても大切なメッセージだと思います。

まず、自分を買いかぶる…

ということは、ことに同調圧力の強い、日本では〝悪〟と思われがちです。

自信家

という言葉にも、どこか批判めいた雰囲気が漂います。

でも、自信家でいいんです。

自信というのは…
まさに〝自分を信じる〟
ということです。

これは本当に大切なことで、自分が自分を信じてなくて、一体そんな自分を他人が信用してくれるでしょうか?

自分を信じる… ということは、すなわち自分を愛する。ということと同じです。

そこが全ての出発点です。

自分を愛せないから、人を、世の中を批判してしまうのです。

そして、人を変えよう… として、そこに様々な軋轢を生み、苦悩が発生します。

自分を信じる人、愛する人はまた、他人のことも信じ、愛することができます。

自分のあるがままを愛し、受け入れることが出来る人はまた、他人のあるがままを認めることができるのです。

もう一度、シェークスピアの言葉を引用します。

自分を買いかぶることは、自己嫌悪に陥るより軽い卑しからぬ罪である。

この言葉を別の側面から見ると…

自己嫌悪というのは、重くて卑しい罪である。

という意味でもあります。

そうです、自分を愛せない、自分を認められない、自分に自信がない…
つまり、自分が嫌い…
という感情は、重くて卑しい罪なんです。

確かに、人間は時に失敗もするし、人を傷つけることもあります。

おそらく全ての人が、その成長の過程で、

親に、教師に、友人に、上司に、叱責された経験があるかと思います。

そういった失敗や嫌な感情を繰り返すうちに、誰もが自信を失い、自分の嫌なところばかりに目がいって、自己嫌悪に陥りがちです。

でも、自己嫌悪というのはマイナスの感情で、プラスのものは一切生み出しません。

逆に
自尊心、自己肯定感というのは、プラスの感情で、そこからは素晴らしいものが生まれてきます。

そして、自己肯定感の強い人は、他人のことも自分同様に肯定することができます。

たぶん、僕達は、特に日本人というのは、真面目すぎて、責任感が強すぎて、いろんなことにがんじがらめになっている… そんな気がします。

もっと、ふわっと、シンプルに人生を楽しむ
という視点が必要なのかもしれません。

僕にも欠点はたくさんあります。

奥さんにも、しょっちゅう叱られています…

でも、自分の中の神、神である自分を信じています。

あなたの中にも当然神はいます。

そしてあなたも神です。

神である自分に自信をもって愛してください。

PS
僕たちは、体験するために生まれてきました。
VRゲームもぶっとぶ、超絶リアルな人生ゲームを僕たちは生きています。
そこには本当の意味での失敗なんて体験はありません。
全ての起ることに意味があるのです。
魂の成長のために必要な、善き事しか本当は起きてないのです。

それがわかっていれば、人生の選択肢に迷うことはなくなります。

なぜなら、 右の道でも、左の道でも、どちらの道も正解だからです。

また、過去の失敗とか、後悔…

選択を失敗してしまった…

あの時、こうしていれば…

ということも一切考える必要はないんです。

あなたの魂にとって、それが必要だから、ただそれが起こったんです。

なので、安心して、宇宙を信じて、次はどんな展開が待っているんだろう?

と、ワクワクしながら、日々、自分を磨き、最善を尽くす。

自分を信じ、自分を愛し、人を愛する。

これが、この人生ゲームを楽しむための最大のコツです。


PS2
僕は40歳を目前に、欝病になりました。
仕事も出来ず、家から出ることもできなくなりました。
頭の中が常にぐるぐるまわっていて、目眩がして、何もできず本当に苦しかったです。

足元がずっと揺れている感覚があって、世界から切り離されたみたいで、もうまともな人間には戻れない… という恐怖がありました。

当時はそんなふうには全く思えなかったけど、それを通り抜けた今思っていることは…

うつ病こそ、僕の人生で起きた最大の神からの恩寵であった。

ということです。

一度、自分を捨てて、全てゼロからリスタートしたことで、やっと本当の自分に戻ることができました。

ありのままの自分

あるがままの自分

に、やっとOKが出せるようになりました。

あるがままの自分のOKを出せるようになると、本当に人生が楽になりました。

これからも、失敗したり、泣いたり笑ったりしながら、リアル人生ゲームを、愛する人と共に楽しんでいこうと思います。
(*^_^*)


■編集後記

本日紹介したシェークスピアのこの言葉
↓  ↓  ↓
自分を買いかぶることは、 自己嫌悪に陥るより軽い 卑しからぬ罪である。

という言葉はこの本で知りました。
↓  ↓  ↓


著者のドミニック・ローホーさんは
フランス生まれで、日本在住歴30年、現ニューヨーク暮らしで
禅を実践し、シンプルライフを提唱した本を多数出版しています。

この本は、サイズも小さくて、ページも少なくて、オールカラーでイラストもたっぷりで、すごく読みやすいです。

それでいて、大切なことが凝縮されてコンパクトに書かれています。

この本に書かれていることを僕も生活に取り入れていこうと思います。



当ブログのバックナンバー一覧
↓  ↓  ↓
このブログの全記事・バックナンバーの一覧



2016年6月22日水曜日

幸せに生きるためのヒント

幸せに生きるためのヒント


幸せに生きるためのヒント
を今日は書きます。

今この文章を読んでいるあなたも、そして書いている私も、おそらく全ての人が幸せに生きたい… と願っていると思います。

でも、実際には、日々の生活の中で不安や悩みを抱えている人がほとんどだと思います。

どうして私たちは不安や悩みを常に抱えているのでしょうか?

あの人に嫌われているかも…
というような人間関係の不安

貯金がほとんどないけど生活していけるだろうか…
というような経済的な不安

大きな地震が来たらどうしよう…
というような自然災害に関する不安

などなど…

誰もが何かしらの不安や悩み、あるいは恐怖を抱えているかと思います。

でも、同時におそらくほとんどの方が、そういう不安を抱えながらも、日々小さな幸せを感じる場面も多々あるでしょう。

好きな人(恋人であれ、同姓の友人であれ)と過ごす楽しい時間。

仕事をやり終えた時の達成感。

映画やドラマを見て感動する時間。


つまり僕達は、不安や悩みを抱えながらも、同時に、幸福感や充実感もちゃんと持っているわけです。

ということは…
幸せに生きるためには、この抱えている不安や悩みを人生から消してしまえば(あるいは小さくしてしまえば)、私たちは幸せに生きることができる。ということなんです。

そんなことはわかっている… 当り前のことだ。
でも、心配事や悩みはつきないし、現に実際に私は今苦しいんです…

そんなあなたの声が聴こえてきます。

わかります。

僕もずっとそうでした。それに今でも不安や心配はゼロではありません。

ただ、たった1つの考え方を人生に取り入れることで、今では不安や恐怖に支配されることはなくなったし、かなり人生を生きるのが楽になりました。

その考え方、コツのようなものをあなたにシェアしたいと思います。



■不安・心配・恐怖の正体


人生から不安や恐怖を取り除くことができれば幸せに生きることが出来る。と書きました。

そして、そのことは可能です。

不安や恐怖に打ち勝つためには、まず

不安や恐怖の正体を見極める

これが、一番最初の大切なステップです。

なので、不安や恐怖の正体をあなたにお伝えします。

不安や恐怖の正体…

それは、ズバリ…

エゴ

です。


エゴ…
と聞くと、一般的には、わがまま… 自分勝手…
自分さえよければ、人が苦しもうがどうでもいい… というような考え方をエゴと捉えがちですが、それはエゴのほんの小さな側面に過ぎません。

エゴというのはもっと深くて、
他人に譲りすぎてしまうのも
自分に自信がないのも
自分を責めるもの
人に嫌われたくないのも
全部、エゴの現れなんです。

そして、恐ろしいのは
エゴというのは、自分の中に抱えている闇… とかそういう次元ではなくて
ほとんどの人間は
エゴという魔物に完全に支配されています。
(憑依されいてるとも言える)

というか、
エゴと完全に一体化しています。


24時間、寝ている時間以外は、ずっとエゴが自動運転で自分を操っている
と言っても過言ではないぐらいです。

そして、これはとても重要な部分なのですが、
多くの人間は、あまりもエゴと一体化しているために
自分のエゴに全く気づいていません。

もし、あなたが日常的に
不安や心配を感じることが多いのであれば、それは残念ながら
エゴに支配されている可能性が高いです。

というのは、エゴには様々な側面がありますが、
エゴの最たる仕事は
不安や心配を作ること
だからです。

ここで、ガラッとスピリチュアルな真実を伝えますが
人は神です。
神が肉体を持った人間として人生ゲームを楽しむために、私たちはそれぞれいろんな姿形をもってこの世に生れてきました。

私たちは本当はずっと神と共にあるのですが、残念なことに、この人生における一番大切な事実を知らなかったり、忘れたりしているのです。


赤ちゃんは私たちに大切な真実を教えてくれています。

生れたての命は全くの純粋無垢であり、不安や心配とは無縁です。
神そのものです。
世界の経済事情とか、イギリスがEU離脱!? とか、都知事が公費で家族旅行!! とか、ベッキーに続きのファンキーでモンキーなベイビーまで!!!
とか、そんなことには一切とらわれず、振り回されず、ただ〝いまここ〟に全ったき命を生きています。

お腹が空いた… おむつが気持ちわるい…
そういう本能的な意味で赤ちゃんは泣くことはありますが
大人のように、過去を案じ患って、あの時こうすれば良かった… とか、
これからの私の人生はどうなっていくんだろう… 的な将来の不安とは全くの無縁です。

幸せですね。赤ちゃんって。

あるいは、幼児の生き方も僕たちのモデルになるかもしれません。

大人になると、一度人間関係がこじれると、なかなか修復することができません。
非常にドロドロした復讐劇… なんてこともよくあります。

でも、幼児ってたとえばおもちゃの取り合いでケンカをしたりしても、
「ごめんね」
「いいよ」
で、さっきまでのことはケロっと忘れて、すぐに仲良く遊びに集中することができます。

幼児には、すでにエゴは萌芽していますが、それでもまだ神からあまり離れていないから、私たちは子どもの姿に癒やされるのです。


エゴ…
本来、神として生れてきた私たちにはそんなものは存在しませんでした。

でも、生きていく中で、成長する過程において、私たちは、自分の中にエゴを生み出し、エゴを育て、やがてエゴに支配されるようになりました。

社会生活ってなかなかにハードモードです。

小学校だって、テストがり、競争があります。
ウソをつかれたり、仲間はずれにされたり…
それに指導している教師自体がエゴの固まりです。
(もちろん素晴らしい先生も多いです。でもそんな先生でもエゴはしっかり持っています)

受験、就職試験…

社会人になってからは、まさにエゴとエゴのぶつかりあい
さながら戦場です。

失敗はゆるされないプレッシャー…

マスコミの悪影響もひどいです(まさにエゴ生成工場)

経済不安を煽り
殺人とかイジメなどの暴力事件を連日報道し
不倫とかのゴシップを連日報道

こんな情報に毎日さらされていたら、誰だってストレスで心を病みます。

テレビをつければ、ドラマの主人公はリア充満開の恋でイケメンとラブラブ…
バラエティではセレブの豪邸特集…

こんなのを見れば、誰だって今の自分は満たされていない…
幸せじゃない… 成功してない…
自分はダメなんだ…
と自己否定のエゴがもたげるに決まっています。

なので、僕もあなたも、エゴはあって当然なのです。

この世で生きるということ自体が、エゴの世界の中でエゴとして生きる
ということでもあるわけです。

でも、だからといってエゴとして毎日
不平不満を抱え、不安や恐怖や怒りを抱えたままで
私たちは真に幸せに生きることができるのでしょうか?

無理です。


エゴまみれでも、競争に勝ち、一時的な成功を収めること
これは可能です。

ハネムーンでハワイ…
ラブラブで幸せの絶頂…
瞬間的な幸せを感じることは誰にでもできます。

でも、結婚って、あくまでそれはスタートであって、
そのあとの日常、
すれ違い
誤解
ケンカ
妥協…
とか、そういう一筋縄ではいかないリアルな日常こそが夫婦生活のメインステージなわけで、それこそエゴとエゴのぶつかりあいがはじまっちゃうわけです。(もちろん夫婦ゆえの幸せな日常の瞬間も多々ありますが)


どれだけしんどくても会社に行かなければならないし
仕事では結果をだし続けないといけないし
家事から逃げることはできないし
子育てから自由になることもできない…

お金…
人間関係…
病気…
死…

悩みはつきないと思います。

でも、そんなふうに悩みや痛みにフォーカスしている自分が本当はイヤじゃないですか?
心配事をふきとばして、笑ってハッピーに生きたくないですか?

そのためのヒント(結論)を今から書きます。



■幸せに生きるためのヒント


おそらく現代に生きるスピリチュアル界の第一人者といえば
エックハルト・トールさんでしょう。

エックハルト・トール
エックハルト・トールさん(完全に悟っちゃった人です)


そのエックハルト・トールさんは著書の中で
様々に表現を変えならがひたすら
エゴについて、
エゴの正体について書いています。

全ての不幸の原因はエゴ

と結論ずけています。

そして、エゴに打ち勝つ方法として、ひたすら

エゴを観察せよ

と教示してくれています。


エゴを観察すること。
これが幸せに生きるためのヒントです。



…
……
………俺、
偉そうな上から目線で「幸せに生きるヒント」なんて文章を書いてますが、
3年ほど前は、
欝病で無職で、
死にかけ人間でした…
(過去記事に詳細あり…)。


でも、そんな苦しみの中で、どうにか救われたくてスピリチュアル系の本をむさぼるように読みまくりました。(欝当時だけで50冊は読みました。その前後にもたくさん読んでいたので、トータルで400冊ぐらいのスピリチュアル本を読了してます)

それで、悟りとかワンネスとかエゴとか、覚者が語るこの世の真実を知ったわけですが、結局はどの本も、どの覚者も同じことを違う表現で言っていることがわかりました。

シンプルに僕なりに覚者が語るこの世の真実を3つのポイントにまとめると…

①全ての問題・不幸の原因はエゴ

②しかし本当は人間は神
(エゴから離れた真我の自分は神)

③善きことしか起こらない
(なぜなら人は神だから)

という感じです。

この3つの真実は本当に真実です。

…と断言したいのですが、僕自信は悟ったわけでも
神秘体験をして宇宙の真実を見てきたわけでもないので
断言は出来ません。

でも、僕はこの覚者たちのメッセージを
信じて
受け入れることで
実際に欝病が治り
不安や恐怖に支配されることがなくなり
ずいぶんと楽に、そして毎日、幸せだなあ… 
と思いながら生きられるようになりました。


そういう実体験というか効果があったので、
わざわざこんな文章を今、あなたのために書いてます^^

人間は神… とかってちょっと抵抗あるかもしれません。

なので、とにかく
あなたが取り組むべきは
ファースト・ステップである
エゴの観察
です。



■エゴを観察する方法


エゴを観察する方法。
これは実は簡単です。
うつ病全開だった僕でも取り組むことができたので、あなたにも必ずできます。

エゴを観察するために絶対に必要なこと

それは…

自分のエゴの存在を認めること

です。

これが全ての始まりです。


もし自分のエゴを認めたくない人がいたとしたら
それこそがエゴです。


エゴの特質として
エゴの存在を認めない
というのがあります。

なぜなら、
エゴが最も恐れていることは
エゴの消滅です。
エゴに気づく… ということは
エゴにとっての終わりの始まりです。


なので、エゴはどこまでも巧妙にエゴの存在を隠そうとします。

エゴはあなたからエゴの存在を隠すためにどこに隠れているのでしょうか?

鍵のかけられた箱の中でしょうか?

灯台下はまっ暗がり… という言葉がありますが

どこまでも巧妙なエゴは最も見つからない場所
あなたが最も探さないであろう場所に隠れました。

そう、あなたの中にです。

隠れた… という表現も正しくはありません。

エゴは私と完全に一体化しているのです。

一体化しているがゆえに、
私は意識しない限りは絶対にエゴを見つけることができません。


こうして、最後の最後まで、エゴと一体化したまま、本当の自分、神である自分を全く思い出さないまま、死んでいる人も多くいるのです。

普通、年をとり死が近づくとだんだんと、欲望も薄れて、本質へと帰っていく方も多いのですが、けっこう老人でも虚栄心とか権力欲とか執着とかますますひどくなっていく老害と呼ばれるような方もいますよね…(^_^;)

そういうのって本人もしんどいと思います。

幸せじゃないと思います。


そうならないためにも、エゴの正体を見破り、
エゴから離れて私たちの本質である真我・神に帰らないといけません。

そのための第一歩が自分のエゴの存在をまず認める。

私にはエゴがある。

と。


そして、エゴのメイン業務は
不安・心配・怒りを作りだすことです。

なので、毎日の中で不安とか恐怖とか怒りを感じる瞬間があったら

あ! 
エゴがまた騒いでいるな…

と、自覚することが最初の一歩です。


普通人間は、悩んでいる時、私が悩んでいる… と思います。当然です。
でも、違うんです。
それは厳密にいうと、
エゴと一体化した私が悩んでいるんです。

その悩み自体もそもそもが
エゴ自体がでっちあげた悩みなんです。


本当のあなたは神です。無敵です。愛そのものなんです。

なので、そういうマイナスな感情が湧き上がってきた時には

あっ… 
これがエゴだな

と冷静に一歩ひいて客観視することが大切です。


この冷静に客観視するだけでも、不安や心配は実際にかなり軽減されます。

とは言っても、現に私は今、本当に悩んでいるんです。
客観視したところで悩みがふわっと消えてはくれません!
本当に苦しいんです!

それも実はエゴの声なのですが、
その段階もまた全ての人が通る道なので、
安心してください。


確かにエゴを自覚し、観察したからといって、全ての悩みが瞬間的に消えるわけではありません。
でも、例え悩みが消えなかったとしても、
この不安の正体はエゴかもしれない…
と冷静に客観視したあなたは、
その時点で既にエゴに対して

強力な一撃
(超!超!超! 会心の一撃的な…)

を食らわしています。

防戦一方でエゴに振り回されていた人生から
あなたははじめて攻撃に転じたのです。

反撃の狼煙はすでにあげられました。

あなたはやっと主体的に、自分の人生を自分の意志(エゴの意志ではなく)で、自由に生きることを選択したのです。

今はまだエゴに勝てなくて、すぐに不安の波が押し返してきたとしても、それでもあなたは確実に最初の一歩を踏み出しました。


この最初の一歩。

エゴを認め、観察する。

これをするかしないか…
それが全ての人にとっての人生の最大の分かれ目です。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


解説・エゴとの勝負


エゴの観察をはじめても、最初はなかなかうまくいきません。
エゴを観察することで、不安を消し去る… これを勝利と呼ぶのであれば
最初のうちは、せいぜい一勝九敗ぐらいです。

僕たちは、何十年もエゴとして生きてきたので、エゴの考え方が染み付いてしまっているので、エゴを観察したからといって、そんな簡単にエゴには勝てません(悩みは消えません)。

どんな習慣(エゴ)でも、やめるのには時間がかかります。
また、新しい習慣(エゴの観察)を始めるのにはパワーがいります。

でも、エゴの観察を無理からでも続けていくことで、だんだんと本当により冷静にエゴを観察できるようになってきます。

何故なら本当に全ての恐怖や不安は自分(エゴと一体化した自分)が作りだしたものであることがわかってくるからです。

相手(エゴ)の正体を見破り、恐怖や恐れは幻想に過ぎなかった…
そんなふうにこの不安の正体であるエゴの手法・トリックを見極めてくると

勝率は五分五分ぐらになってきます。

この勝率が五分を超えると人生が大きく変ります。

まず不安や心配そのものが、ほとんど出てこなくなります。
出たとしてもエゴを観察することで不安は消え去ります。

そういう状態になってくると、
マスコミ狂想曲に踊らされることもなくなってくるし、
他人の視線や評価も気にならなくなってくるし
不平・不満自体も出てこなくなってきます。
魂が安定してくるのです。

そして、いつのまにかエゴに対して
全勝(に近い)状態になってきます。

この状態になると、

人生には善きことしか起こらなくなります。

例え何かしらのアクシデントが発生しても、それを自然に善意に受け取ることができるようになります。

実際に後になってから、
ああ、あの時のマイナスに見えた現象は、このプラスを起こすための伏線だったんだな… みたいなつながりが出てきて、安心して人生の波に乗れるようになります。

幸せしかない人生のボーナスステージ状態に突入します。

(解説以上)

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■




このように、不安や恐怖に支配されることなく、幸せに生きるためには

エゴを認めることから全てがはじまります。


例えるなら
あなたは今、人生のプラットフォームで
一人の人間として、日々、小さなしあわせを感じながらも、たくさんの不安や心配ごとを抱えています。
そこに2つの列車が到着しました。

天国行き ハッピー・トレイン
と
地獄行き ヘル・トレイン

です。

あなたはどちらの列車に乗りたいですか?

自分の中のエゴに気づいた人・エゴを観察している人
(あるいはエゴを認めようと決断した人)
は、実はすでにハッピートレインに乗車しているんです。

出発直後はエゴの影響で、列車は時に激しく揺れたりもします。
もしかして私は間違えた列車に乗っちゃたのかも…
なんて不安が出る瞬間もありますが、安心してください。
時間の経過、列車が進むに連れて、線路は平坦になり、車窓から見える景色も美しくなり、あなたは確信をもって、幸せな人生の道を進むことでできるようになります。

エゴ? スピリチュアル? 人は神!?
はぁ〜〜〜〜!?
俺は俺の欲望のままに成功者になるんじゃい!
とヘル・トレインに乗っている人もいます。

それぞれの人生です。どんな生き方を選ぼうがそれはそれぞれの自由です。

でも、ヘル・トレインってかなりハードです。
刹那的な幸せはありますが、かならずどこかで壁にぶつかります。
成功したらしたで、今度は失敗したらどうしよう…
転落したらどうしよう…
という不安・恐怖は倍増します。
幸せな人間関係を築けたとしても
逆に裏切られたらどうしよう… 捨てられたらどうしよう…
的な不安も倍増します(だって、それがエゴの特質だし、エゴで生きている以上、そういう不安は一生つきることなく、増大し続けます)。


告白…
僕はね、それなりに善良に生きてきたつもりだったけど39歳まで、
このヘル・トレインに乗っていました。(滝汗)


人を蹴落として欲望ギラギラ… タイプではなく、
人に認められたい・受け入れてもらいたい… というタイプのエゴと一体化して生きてました。
全力で前向きに生きているタイプでした。
自己啓発書とかビジネス書を読みまくっているタイプ。
仕事の効率をあげて、成果をあげよう!
と張り切っている、そんなタイプの人間でした。

でも、僕が必死でがんばっていたのは、結局は
人に認められたい… 
ということだったんだと思います。

人の目をすごく気にしていました。
人からの評価をすごく気にしていました。
褒められると嬉しいし、
否定されると苦しみました。
一番の根っこで、僕は自分に自信がなかったのだと思います。

幸せも喜びも充実もある39年間でしたが、
いろんな、ありえないような現象も起きて、
39歳でうつを発症。僕の人生はいったん強制的にリセットされました。

鬱病当時は地獄だったけど、今になればその最悪の事態である鬱病こそが僕の人生における最大の転機で、まさにあれこそが神の大いなる一手であり、神の恩寵であったと確信しています。


なので、もし、あなたが今現在
欝な状態であったり
あるいは、大きな苦況の中、大きな不安や心配の中に生きているならば
それは逆に大いなるチャンスだと思ってください。

よっぽどな(ショッキングな)ことがないと
人間って変りません。変われません。変わりたくありません。

だから、あなたが今、試練のまっただ中にいるのであれば、
それは神の恩寵が、やっとあなたの元にも訪れたんだと信じてください。善きことが起こりはじめたんだと信じてください。
(これ、ホンマですよ!(*^_^*))



ハッピー・トレインとヘル・トレインの話に戻りますが、
ありがたいことに、列車はいつでも乗り換え可能なんです。

現に僕も39歳という人生の折り返し地点で乗り換えることができました。

このタイミングが遅かったのか、早かったのかは僕にはわかりませんが、
僕にとってはベストなタイミングであったと確信しています。



あなたが今、こんなどこの馬の骨ともわからない、無名の僕のブログを読んでいるのは偶然ではありません。

こういう情報に出会うタイミングが、今あなたに訪れているのだと思います。

ハッピー・トレインに乗って、
一緒に旅をしませんか?
(*^_^*)




■編集後記


いつも夜に書くブログを今日は突然の思いつきで
朝イチから書きました。
短くコンパクトに書く! とだけ思ってノープラン書き始めたのですが、気がつけば二時間以上も書いてました。

えっと…
スピリチュアルって玉石混交ではありますが、
覚者、いわゆる悟って、この世の(あの世の)真実を見てきた人っていうのは確かにいて
そういう人の書いた文章ってすごくパワーがあります。
そして文章が美しいです。
愛にあふれているので、読んでいて本当に心が現れるし、魂が震えたり、涙が流れたりもします。

僕は、そういった覚者の言葉によって本当に救われました。

スピリチュアルって決してフワフワしたものではなくて、
そこには確かな愛と智慧があって、しっかりと地に足がついたものです。

それで、最後にお伝えしたいのは、
地球は行動の星
ってことです。

スピリチュアルに生きればいい!
からといって、毎日瞑想だけしていればいい、という話ではないということです。

自分を大切にすることは大事。当たりまえ。
でも、人を大切にすることも大事であり、自分を大切に思うのであれば、それは人を大切に思うことも当り前の気持ちです。

働くということは、傍を楽にするから「はたらく」だ。なんていう風に言われますが、本当にそうです。

あなたの仕事が誰かの役に立っているのです(主婦でも全く同じです)。

そして、地球は行動の星だから、やっぱり愛が欲しいなら愛を与えないといけないんですね。

スピリチュアルな教えを実践して、愛もお金もゲットしよう!
と思っている人は、それは愛でもスピリチュアルでもなくて
それって、
エゴの雄叫び
ですからね…(滝汗)

エゴを観察してエゴがだんだん薄くなってくると
人生ってよりパワフルになってきます。
与える愛も、受け取る愛も大きくなってくるし
仕事にも情熱が持てるようになります。
悩みや不安に振り回されることがなくなるので、その分、生産的な活動ができるし、人と交流する時間も増えます。

そういう好循環があって
悩みなくハッピーに情熱をもって生きていたら
結果として、愛と豊かさにかこまれていた
ということになります。

そうなっている人は、真にスピリチュアルに生きている人であり
本質で、真我で、神として生きている人です。

そして、それは誰にでも
私にでも、あなたにでも出来ることなんです。

PS
エゴと戦うには武器が必要です。
エゴの正体についてこれでもか!
というぐらい懇切丁寧に書かれた
この本は、あなたの人生ゲームの
最強の武器・アイテムとなるでしょう。
↓


なにげに、今日の投稿で100記事目
(*^_^*)

過去記事を読むなら、バックナンバーをどうぞ
恥ずかしい記事もいっぱいありますが…(滝汗)
↓

このブログの全記事・バックナンバーの一覧






2016年5月30日月曜日

欝に一番効く即効薬

うつに 一番効く 即効薬


半年振りの更新です。

この本を読んでいたら…
↓


あっ! この情報はシェアしたい!
と思ったので、突発的にノープランでちょっと書いてみようと思います。


まず結論から書くと
うつ病に一番効果のあるお薬というのは…

運動

です。


運動することで欝から回復した…的な話は過去にも何度か書いてきたんですが
↓
運動すれば欝は治る!? あると思います^^

葉っぱの声が聞こえたよ

うつ病を克服するのに一番手っ取り早い方法

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ【完結編】


そんな僕の説
【運動すれば欝は治る】
を裏付けるかのような記述が、この本の
【第2章 意志力の本能】の中の
【「運動」すれば脳が大きくなる(76ページ)】という項目に書かれていました。

書かれている内容を簡単にまとめて紹介すると、

憂鬱や不安、慢性の痛みなどの様々な症状を改善する上で最も費用対効果が高いのが〝運動〟

心理学者の実験では、問題のある被験者にジムの会員証を無料で配布し、運動をすすめた
ところ2ヶ月で驚くほどの変化があった。

運動することで、生活のあらゆる面において、意志・自己コントロール能力が高まり、喫煙や飲酒などの依存行動も減り、健康的になった。

運動により、日常生活のストレスが緩和され、プロザックのような抗うつ剤の代りとしても効果が高かった。

神経生理学者が被験者の脳を調べたところ、脳の灰白質(つまりは脳細胞)と白質の両方が増えていた。

といった内容が書かれていました。

運動すれば悩みが消えて、前向きな気持ちになれる… ということは、自分の経験としてわかっていましたが、
運動することで脳細胞まで物理的に増えるんですね。


抗うつ剤とかの精神科とかで処方されるお薬って依存性があったり、脳や神経にダメージを与えて、それが原因で本当に精神が崩壊したり、一生薬漬けになる… という恐ろしい側面があります。

あとは、実際に欝を治す効果があるのかどうかも疑問です。

僕もうつ病(不安障害)が一番ひどかった時にはメンタルクリニックに通って、そこで処方された睡眠導入剤と抗不安剤を飲んでましたが、お薬をいくら飲んでも不安は全く収まりませんでした(睡眠導入剤は効果があって、薬を飲めば寝ることができました。翌日は頭痛がひどかったですが…)。

そういう飲むお薬には副作用とかデメリットがありますが、
運動というお薬には副作用もデメリットもありません。

なので、僕の持論ですが、
ランニングを続けたら欝が完治する。
と思っています。



運動すれば心身ともに元気になるだろうさ!
でも、その運動が出来ないぐらい心身がやられているんだよ・・・・・

という、あなたの声が聴こえてきそうです。

そう、本当にそうですよね。


僕も欝状態マックスの時は、運動はおろか、家から出ることも、布団から出ることもできませんでした。

なので、運動したくてもできない… という状態はよくわかりますし、そんな時は無理をする必要なないと思います。

でも、ほんの少しでも回復してきたなら、ぜひ運動を取り入れてみることをお勧めします。

何もハードな運動をする必要はないんです。

この書籍「スタンフォードの自分を変える教室」の中でも

一日5分間の運動(グリーンエクササイズ)で、十分に改善される
と紹介されています。

グリーンエクササイズの例として
・近くの公園など緑のある場所に行く
・ipodでお気に入りの曲を聴きながら、近所を一回りする
・犬を外で遊ばせる
・庭先や公園で仕事をしてみる
・新鮮な空気を吸いに外に出て、簡単なストレッチをする
・子どもたちを誘って、庭で追いかけっこやゲームをする

といった内容が紹介されています。

まずはこういった簡単な運動からはじめてみてはいかがでしょうか^^



元気だからこそ運動できるんでしょ!
私は元気がないから運動なんてできない・・・・・

また、あなたの声が聴こえてきました。

それもよくわかります。

でもね、逆も真なり
なんです。

元気がなくても、運動すれば、元気になるんです。
運動しないから、元気がなくなるんです。

無理からにでも、ちょっとだけ自分を鼓舞して、ウォーキングでもジョギングでもすると、僕の言葉の意味をわかってもらえると思います。

運動して、汗を流すのって本当に気持ちいいんです。無条件に。

そして、運動すればするほど、セルフイメージがどんどんあがって、もっともっと運動したい! っていうふうになるし、肉体的にはつかれたとしても、仕事とか家事とか生活全般をパワフルにこなしていけるようになるんです。

運動は、鬱病だけでなく、全ての人にとってすごく価値のある行為だと思います。

どれだけストレスの多い仕事をしている人でも、人間関係で悩んでいる人であっても、運動さえコンスタントにしていたら、きっとその人は鬱病になることはないと思います。

逆に全く運動をしていないという人は、それだけで、ある種の鬱病予備軍というか、
かなりのリスクを抱えていると思います。

僕は現在は、ジムに通ってますが、ジムっていいです。
月会費を払っていると、もったいなくて、それが抑止力になってサボれません…(^_^;)

メタボな腹はなかなか減っ込みませんが、それでも胸の筋肉とかがかなりついてくると、鏡に映る自分を見るたびに、若返ったような嬉しい気分になります。

鏡の前で一人ニヤついている自分がいて、
欝の時の自分とは対極にいる気分です。


人間ってやっぱり
霊と体でできています。
魂と肉体
ボディ・アンド・ソウルな生きものです。

瞑想もいいし、自己啓発書を読むのも、スピ本を読むのも、心のメンテナンスになると思います。
でも、霊5体5の存在である人間には、
肉体のメンテナンスも心と同じぐらい大切なんです。

そして、肉体が精神をひっぱってくれるってことも大いにあるんです。

それは、不安とか怒りとかのネガティブな精神状態が
運動して汗をかくことで、不安や怒りがふっとんで、心がクリーンになったりするんです。

心と身体はお互いに作用しあっています。

どっちも大事

何事もバランスって大事です。

というわけで、あなたもぜひ明日から、あるいは今日から、腕立てでも散歩でもなんでもいいので、ぜひ運動を日常に取り入れてください。

きっと、いろんなことが好転していくと思います。
(*^_^*)



編集後記

この半年間、いろんなことがあったような気もしますが、基本的には、平穏無事に楽しいことがいっぱいありました。

春休みには二年越しの思いがかなって石垣島にも行くことができました。

石垣島の離島・小浜島のはいむるぶしビーチ


石垣島でもちょっとした気づきがあったので、またそのことについてもいつか書きたいと思います(というか、半年書かなかったので、書きたいことが山盛りです^^)。

そして、更新を休んでいる間にも、個別にメッセージやら質問をもらったりして、そういうやりとりはあったのですが、なぜかブログを更新することができなかったのです…

忙しかった… ということもありますが。

ただ、また、どんなペースになるかはわかりませんが、これを機に、もっとライトな感覚で気軽に更新していこうと思います。

相変わらず、本はたくさん読んでいるし、あ! この内容はブログで紹介したい! と思うことは多々ありますので。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

また更新します!

あゆむ 拝
(*^_^*)


このブログの全記事・バックナンバーの一覧



2015年11月21日土曜日

若人に贈ることば

明けない夜はない


2人の高校生の読者から下記メッセージ(質問)をコメント欄からいただきました。




はじめまして。夜分遅くすみません。 
あゆむ様の文章を拝見し、お聞きしたいことがあるためコメントさせて頂きます。 
私は受験生の者です。この大切な時期に、精神状態がボロボロになっています。今までの人生(十数年しかありませんが)に後悔と反省が多すぎたため、その重みと現実と理想との板挟みです。ですがもちろん、人生の岐路に立ち、勉強に邁進しなければなりません。なのに、少し頑張って前向きになれたと思っても、ふと後悔がよぎりどん底に陥ってしまいます。そのサイクルが短くなり底は深まる一方です。どうにかしたいと検索していた時、このサイトに行き着きました。 
あゆむ様の文章を読んでいて少し心が楽になり、その説得力と、滲み出る優しさ、明るさに感動しました。 
あゆむ様の言葉の中に、必要な時に最適なタイミングで物事が起きる、というものがあり同感しました。また、エゴと真我の違いにも納得いたしました。
ですが、今まで自分を貶め続けているため、前向きな思考や、まして自分が神と思うことがどうしてもできません。 
どうすれば、あゆむ様のような境地に至り、エゴを捨てなおかつ全てを前向きにとらえ、良いエネルギーに変換し人生を送ってゆくことができるでしょうか。 
突然不躾にもこのような質問をしてしまいすみません。少しでもいいので、アドバイス頂けたらと思います。失礼いたしました。 
なおさん



あゆむさん 
はじめまして。私は高校1年生です。 
あゆむさんへ感謝の言葉を伝えることと、質問をさせていただきたいと思います。 
文章を書くのはあまり得意ではないので少々お見苦しいところがあるかと思いますが、何卒よろしくお願い致します。 
私はうつ病などの名前のついた病気はなく、思春期特有の悩む時期にあるそうです。 
そしてそれは、カウンセラーの先生や頼れる大人の方、友達の支えで乗り越えられつつありました。 
しかし、最近、自らの住んでいる地域で将来大きな地震が起きることが確定していることを突然思い出してしまい、とても暗い気持ちになってしまいました。 
自分が死ぬことよりも愛する家族がいなくなることがつらく悲しく、食事も喉を通らない毎日を送っていました。 
地震対策の話をしても親には深く受け止めてもらえず、ただただ不安が私の中にずっとありました。 
そこで家族とずっと一緒にいる方法、暗い気持ちを消す方法などを調べているときにこちらのブログへ辿り着きました。 
私のような悩みを持った高校生へ向けた記事を見たとき、涙がとまりませんでした。 
まだ不安は残っていますが、とても救われました。 
本当にありがとうございます。 
そして、質問なのですが……。 
私は神さまを信じています。 
どの宗教ということもなく、ただ漠然と、この世界には神さまがいて私たちを見守ってくださっているのだと思っています。 
しかし、自分は楽になりたいから神さまという存在を信じていたり、スピリチュアルの世界に足を踏み入れようとしているのではないかと不安になってしまいました。 
このような思いがあっても大丈夫なのでしょうか。 
また、思考を客観的に見る方法といいますか、エゴにとらわれない方法とはどういったことなのでしょうか。 
このようなことを初対面で質問してしまい申し訳ございません。 
不安のあまり繰り返しあなたの優しい言葉で元気をもらい続けています。 
そのことだけでも伝わっていれば幸いです。 
匿名さん

どちらも高校生ということで、これは真剣に答えないといけない…
などと思っているうちに、時間だけがどんどん過ぎていき…
このままでは何も書けなくなる…と思ったので、もうとにかく、僕が思ったままにお答えしようと思います。
僕は覚者でもなければ、悟ったわけでもない、ただの人間です。
なので、参考程度に読んでもらえたら幸いです。
(いつもは不特定多数の読者を想定して書くのですが、今日はコメントをくれたなおさんと、匿名さんに向けて書きます。あとスピリチュアルな視点からと言うよりも、人生の先輩?として、本当に素直に僕の体験談もまじえてお答えします。)

なおさん&匿名さんへ
僕がコメントをもらって、最初に思ったことは、
若くして、深く悩んでいてたいへんやな… でも、そんな若さで、人生の深いテーマにであった二人は、ある意味早熟というか、スゴイな… って思いました。
70歳、80歳になってもエゴだけの人もいます。
僕みたいに40歳を前後に、やっと本当の自分に気付き始めた者もいます。
でも今は時代がもっと進んでいて、10代とかでも、本質に気づく人もいます。
なおさんも匿名さんも、きっとそうなんだと思います。

そもそも一般的な高校生って、AAAとか、エグザイルとか(どちらのグループも僕はよく知りませんが…)、そういうのに夢中で、こんな精神世界のブログなんて読まないと思います。
このブログにたどりついたこと。そして僕の文章をよんで、何かを感じてコメントまで残してくれたことを、僕は嬉しく思うし、そういう積極性(普通はブログを読んでもなかなかコメントなんて残しません。僕も相当感動しても、ブログのコメントを残したことなんてほとんどありません)も素晴らしいと思います。
たぶん、僕とあなたが、どこかで出会っていたら、きっと意気投合というか、話が盛り上がったような、そんな親しさを勝手に感じている僕です。


では、まずなおさんから、具体的にアドバイスをしたいと思います。まずこの部分ですが…

私は受験生の者です。この大切な時期に、精神状態がボロボロになっています。今までの人生(十数年しかありませんが)に後悔と反省が多すぎたため、その重みと現実と理想との板挟みです。ですがもちろん、人生の岐路に立ち、勉強に邁進しなければなりません。なのに、少し頑張って前向きになれたと思っても、ふと後悔がよぎりどん底に陥ってしまいます。そのサイクルが短くなり底は深まる一方です。どうにかしたいと検索していた時、このサイトに行き着きました。

僕も通ってきた道なので、なんとなく共感できます。
僕も高校3年生の受験生の時に、精神的にかなりショックなことがあり、きつかったです。
具体的には、ともに受験がんばろう!なんて誓いあっていた彼女に突然ふられて、かなり落ち込んでしまったんですね…
なおさんの人生に何があったのかは僕にはわからないし、僕なんかよりもっとヘビーな問題を抱えているのかもしれません…

2つアドバイスがあります。
一つは、時間が解決してくれる…ということです。
受験生の当時は、かなり落ち込んだしきつかったけど、今現在の僕はその時のきつさを思い出すことは全くありません。というか、大学に合格した瞬間に全ての負の要素は消え去り、楽しく四年間を過ごすことができました。
そして、41才の僕と、17才・18才の時の僕は、もう完全に別人です。
痛みも悲しみも後悔も失敗も、時間の経過とともに、必ず癒えていきます。
だから、なおさんも安心してください。
今、どれだけ辛くても、必ず出口はあるし、あけない夜がないように、かならず太陽はまた登ります。
それに、失敗とか、後悔とか、そういった痛みを経験することで、人はそこから何かを学ぶことができます。
同じ立場の人にも心から同情することができるようになります。
僕の持論である、
ベストなことがベストなタイミングで起きる…
というのは、いいことだけでなく、悪い出来事も含みます。
ただ悪い出来事というのも、その時はそう思えるだけであって、ホントはその悪いことも、長い目でトータルで見ればやっぱりいいことなんです。
僕もいっぱい失敗してきて、思い出すだけで顔が赤くなって「わ〜〜〜〜〜!」と叫びたくなるような、恥ずかしいこともいっぱいしてきたし、人を思いっきり傷つけてしまったこと… 逆に傷つけられたこと…
やり直せるなら、二度とあんなことはしない…
というような出来事もたくさんありますが、やっぱり全部必要なことだったし、起るべくして全てが起こっていたんだなと思います。
なおさんも、何年かたてば、今の苦しみを遠い淡い記憶として、振り返ることができるようになります。
だから、あまり心配しないでね。

アドバイス2
ですがもちろん、人生の岐路に立ち、勉強に邁進しなければなりません。
↑この部分、よくわかります。
僕の場合は、彼女に振られたショックで精神的にボロボロになったのですが、どこかのタイミングで開き直りました。
具体的には、彼女を絶対に見返してやる! 

という負のエネルギーです…(滝汗)

そういうエネルギーがいいものかわるいものかはわからないけど、僕は気が狂ったように勉強に打ち込みました。
ちょっと受験当時のことを振り返ると…
僕は実は、高校生の時は軽音楽部でずっとバンド(ドラム)をやっていて、プロになる! なんて思っていたから、勉強は全くせずに、ひたすら音楽をやっていました。
なので成績は最低で、いつも補習地獄でした…
ただ高校3年生になった春に、やっぱり大学に行きたい! と突然思い立ち、そこから真面目に勉強をはじめました。
当時、僕の高校では、日本史の授業は選択制で高校3年生からはじまるシステムでした。今まで勉強をサボってきた僕でも、これならスタートラインはみんなと一緒! と思って、日本史をアホみたいに勉強したら、3年1学期の最初の中間テストで100点をとることができました。(日本史って頭の良さというより、暗記だけの世界ですからね…)
先生が「学年で100点はお前だけや!」とみんなの前で褒めてくれて、アホの俺が学年で1位! というのが、クラスメートをはじめ、学校のちょっとしたニュースになって、それが気分よくて、勉強おもしろい! ってその時はじめて思いました。
それで、頑張っていこう! と思っていた矢先に彼女にフラレてしまったわけです。
まあ、それも俺に原因があったんで彼女を責めることはできないんだけど…
ただ、落ち込み時期を過ぎたあとに、その痛みを勉強するモチベーションに変えて、ひたすら勉強しました。
その結果、運命の皮肉というか、してやったりというか、
彼女の第一志望の大学に僕は受かり、彼女は落ちました
当時の僕は、なんとなく
勝った!。.゜+:ヽ(*´∀`)ノ.゜+。
と思いました。

というのも、彼女は僕と別れた直後に、いけすかない奴とすぐにつきあって、その彼氏と一緒に、その大学を目指していたからです。
その二人が落ちて、僕が受かってしまったもので… 

まあ、僕も若かったということで…(・ω・`;A



ちょっと脱線してしまいましたが、僕がいいたいのは
今のピンチとかマイナスを逆にチャンスに変えてほしい…ということです。
行きたい大学があるのであれば、とにかく勉強するしかありません。
精神的な辛さ…というハンデを抱えながらも、勉強をがんばっている自分… ってきっとかっこいいです。
それで、行きたい大学に受かったら、それはすごい成功体験だと思うし、きっと自分にとっても大きな自信になります。
僕も、それまでは自分のことをアホだと思ってましたが、あの辛い受験を乗り切ったこと、そして合格できたことは、すごく大きな自信になっていて、その後の人生を大きく助けてくれました。
本気だせば、俺は何でもできる! 

ぐらいに思っています。


最近全然本気出せてないですが…(滝汗)

なおさん…
とにかく、僕は応援しているよ!
悩んでいる時って、思考が堂々巡りしてしまいます… 
そんな時は、行動すること、手を動かすこと…
それが一番なんです。

そんなことわかっているけど、それでも勉強が手に付かない…
という状況かもしれません…

でもやるしかない時も人生にはあるかもしれない。

がんばって! とは言いません。とにかく応援しています。


なおさんの最後の質問
今まで自分を貶め続けているため、前向きな思考や、まして自分が神と思うことがどうしてもできません。
どうすれば、あゆむ様のような境地に至り、エゴを捨てなおかつ全てを前向きにとらえ、良いエネルギーに変換し人生を送ってゆくことができるでしょうか。
突然不躾にもこのような質問をしてしまいすみません。少しでもいいので、アドバイス頂けたらと思います。失礼いたしました。

僕は、実はそんな崇高な境地にいるわけでは全然ありません。
日々、失敗もするし、エゴも満載な男です。
ただ、毎日けっこう穏やかで幸せです。
ちいさな不安とか心配が起きてくることもありますが、そこにとらわれることは全くなりました。
それは何でかというと、宇宙を信頼しているからです。
そして、僕という人間を信頼しているからです。
もちろん人間である僕は愚かな面も多々あるのは十分承知しています。
でも、同時に自分が神であることを知っているので、信頼できるのです。
もちろん、なおさんも匿名さんも、今このブログを読んでいるあなたも
神です。

こういう境地?に至ることができたのは、やっぱり鬱病がきっかけです。
あれがなければ、僕は自分が神だなんて思うことはなかったと思う。
それまでは、神さまは信じていたけど、それはずっと自分の外にあった。
そして、僕はエゴの僕を僕自信と思って、日々思考し、それなりに努力してがんばって生きてきました。
ただ、ウツで全てが壊れて、解体された。
救われたくて、救われたくて、本をたくさん読んだ。
ワンネス? あなたはいない? 人は死なない? あなたは神?
???????
だったけど、必死で読んだ。
そして、こんなボロボロな僕だけど、自分を神と信じることにした。
神として生きることを決意した。
そこから僕は徐々に回復して、現在では生きることが本当に楽になりました。
心配してもしょうがいない… 
それに心配しているのはエゴさんです。そのこともわかっているので、すぐに心配事を手放せるようになりました。
誰もがウツになる必要なもちろんないです。僕の場合はたまたまそれがきっかけでしたけども。
ただ、何かにぶつからないと、なかなかエゴの存在には気づきえないと思う。
だから、どんな悩みも苦難もオールオッケーでオールウェルカムなんです。

なおさんもね、悩んでいるのはなおさん自身じゃないんだよ。
なおさんのエゴが悩んでいるんだよ。
そして、それは間違ったことでもないんだよ。
ただ、エゴさんの存在に気づき、見つめてあげてください。
そして、そんなの思えない! と思っても
神である私、無敵である神の私
を信じてください。
私は神なんだ!って思えるまで思ってください。(無理やりにでも)
どこかのタイミングできっとそのことが腑に落ちると思います。
そして、それが腑に落ちたら、本当になおさんは無敵です。
敵ないなくなるし、全てが許せるようになります。
他人のことも、そして自分のことも。
人生が奇跡になります。


モーニング・サン



匿名さんへ

私はうつ病などの名前のついた病気はなく、思春期特有の悩む時期にあるそうです。
そしてそれは、カウンセラーの先生や頼れる大人の方、友達の支えで乗り越えられつつありました。

しかし、最近、自らの住んでいる地域で将来大きな地震が起きることが確定していることを突然思い出してしまい、とても暗い気持ちになってしまいました。
自分が死ぬことよりも愛する家族がいなくなることがつらく悲しく、食事も喉を通らない毎日を送っていました。
地震対策の話をしても親には深く受け止めてもらえず、ただただ不安が私の中にずっとありました。

そこで家族とずっと一緒にいる方法、暗い気持ちを消す方法などを調べているときにこちらのブログへ辿り着きました。
私のような悩みを持った高校生へ向けた記事を見たとき、涙がとまりませんでした。
まだ不安は残っていますが、とても救われました。
本当にありがとうございます。

あなたは本当にやさしい人ですね。
そして、自分を支えてくれる大人や友達がいる。
とても素晴らしいことだと思います。

あなたには、今、何ひとつ間違ったことは起こっていません。
地震のことも、これだけマスコミやネットで
必ず地震はくる
いついつぐらいにくる
この地域にくる
という情報にあふれているので、そういう不安
あなたの場合は、自分というよりも家族や友人の心配ですが、
そう思ってしまうのも無理はありません。

事実、日本は地震の多い国です。
火山もたくさんある国です。
これまでにも地震はあったし、これからもあるかもしれません。

ただ、都市が崩壊するような大地震が本当に起るかなんてことは誰にもわからないです。
いつぐらいに、この地域に… ということも言われていますが、それが実際に起きるかなんてことはわかりません。
備えること…は間違ったことではありません。
道路を横断する時に、左右を確認するような話です。

ただ…
とらわれる必要はありません。

何故ならとらわれたとしても、僕たちにはどうすることもできないからです。
地震をコントロールできる人はいないので。

ちょっと極論みたいなことを書いてもよかですか?
死は忌むべきもの、悲しいもの… という常識があります。
間違いではありません。
死にたくない… 自分もそうだし、家族や友人にも死んでほしくない…
これも当然の想いです。
僕もそう思っています。

ただ、

人な死なない
という究極の真理というか、説があります。

僕は阿部敏郎さんの講演会で阿部さんに「阿部さん自身は自分が死んだらどうなると想いますか?」と質問したことがあります。
僕の友人の母親が若くして亡くなって、相当落ち込んでいて、当時相談をよく受けていたから何らかのアドバイスをしたかったし、死後の世界について阿部さんがどう思っているの聞きたかったのです。
その質問に対する阿部さんの答えは
「私は死にません」
でした。
「ガチョーンでしょ? でも本当にそうなんですよ」
と阿部さんは付け加えました。

人な死なない… という説を受け入れるのは、けっこうハードルが高いかもしれません。
僕は昔から天国とか死後の世界については信じていたけど、

人は死なない!

という言い方はちょっと衝撃でした。

肉体的な死という意味では死はあります。
魂・スピリットと呼ばれるものが抜けた肉体はやがて朽ちて消えてなくなります。
ただ、私たちの本質であり本体である、魂・スピリットは永遠不滅で死にません。
そういう観点から見れば、人は死なないのです。

例えばの話として、地震であれ、事故であれ、病気であれ、誰かが死んだ時、人は悲しみます。
当たり前の話です。

ただ、死んだ当人は悲しんでいるのか?
実は、これについては、残された人間にはわかりません。

死後の世界とか霊界について真実を知りたい! と思っていた時期が長く僕にはあって、臨死体験の本とか、死後の世界について書かれている本をたくさん読みました。
また、実際に臨死体験をした人、身内が臨死体験をいた人から直接話を聞いたこともあります。
そして、臨死体験をした人のほぼ全員が同じことを語っています。
それは、
死は一切苦しくない

死は一切悲しくない
ということです。

そして、驚くべきことに、
死に際して人々は、最高の至福感
神の元へ帰っていく喜び
ワンネスの光に帰っていく喜び
を語っています。

なので、死にかけて、臨死状態になって再び、目を覚ましこの世に戻ってきた人は
この世に戻りなくなかった!
と一様に言っています。

よく死にかけの肉親に病床の橫で、家族が名前を呼びかけて、奇跡的に目を覚ます… というような場面が現実でもドラマでもありますが、僕の知り合いで、この状態から復帰した人はこう言ってました。
「なんで呼び戻したんだ!」
と
「せっかく、全てがラクになって、最高に幸せだったのに」
と。

僕は実際に臨死体験をしたことはないけど、きっとそうなんだと思います。
人の死、死後の世界について心配な人がこれを読めば一発で心配がなくなる!と僕が思う良書があります。




 どちらも超絶リアルな実話の体験談です。

そして、愛にあふれています。

神さまの愛って完璧やなって泣けてきます。

なので、僕は積極的に死にたい… とは全く思いませんが、

死ぬ時には死ぬし、それは全然悪いことじゃないなと思っています。

ただ、肉体が死ぬだけで、僕という本質、神である本質は決して滅びません。

というか、どちらかといえば、肉体とともに生きている現実世界がイレギュラーな状態であって、本来の僕たちの姿というか、状態は、肉体がない、魂・スピリットの状態のようです。


匿名さん…

こんなふうに想像してください。

あなたでもいいし、あなたの兄弟でもいいですが、

例えば冒険が大好きで
数年間に渡る世界一周旅行に出かけていたとします。

時にジャングルで猛獣に襲われそうになったり、砂漠で遭難しそうになったり、氷の世界で凍傷になりそうになったりしながらも、冒険の間、自分の生と充実感を感じていたとします。

しかし、どんな楽しい旅にも終わりがあります。

もっと旅を続けたい! と思いながらも、日本に帰り、我が家に帰ってきました。

冒険していた身としては、我が家に帰るのは、旅の終わりを意味するものであり、少し寂しさを感じたりするかもしれません。

でも、そこは元々、自分が生れ育った場所であり、家族があり、とてもあたたかな場所です。

きっと、ああ我が家に帰ってきた… と荷物をほどいて、お風呂につかって、ほっとしたら、「ああ、やっぱり我が家が一番やな…」と安心して、布団に入ってぐっすり眠りに入ると思います。

この我が家の布団に入って寝る

というのが死です。

死ってこんな感じと言われています。

それが死なら、それは苦しみとか悲しみではなく、大きな人生という冒険を終えて、ほっとして我が家であるあの世、天国とかワンネスとか神のみ元とかに帰っていくのは、すごく安心で、幸せな瞬間なんだと思います。



自分の家族が亡くなったら… と考えるだけで悲しくなる気持ちはわかります。

誰だってそうです。

僕だって、家族が死んだら、そりゃあ悲しんで悲しんで泣きまくります。絶対にイヤです。

だけど、同時に知っています。

ああ、この世を卒業して、神さまの元へ帰っていたんだな… ということを。

これは大きな救いになります。


テロで多くの方がなくったり、自然災害で多くの方が亡くったり… ということは実際にあります。

それは悲しい出来事であり、もし自分の身内や知り合いを亡くした方にとっては、そういう不慮の事故で亡くなることは本当に悲しいことです。

ただ、それが事故であれ、病気であれ、老衰の大往生であれ、神さまの愛に差別なんてものはもちろんなく、全ての魂に神の愛があり、救いがあります。

そういうことをわかった上で、僕たちは
過去を案じず
未来を心配せず
今、生きていること、
家族や友人とともに元気に生きられていることに感謝して生きていくことが大事なんだと思います。

魂は永遠といっても、肉体をもっているお母さんに直接マッサージをしてあげたり、ありがとうを言えるのは、今だけです。

だから、僕たちは、この奇跡的な人生の中で、今の自分、今自分の家族や友達や周囲にいる人に感謝して生きていく、それしかないのだと思います。


そして、質問なのですが……。
私は神さまを信じています。
どの宗教ということもなく、ただ漠然と、この世界には神さまがいて私たちを見守ってくださっているのだと思っています。
しかし、自分は楽になりたいから神さまという存在を信じていたり、スピリチュアルの世界に足を踏み入れようとしているのではないかと不安になってしまいました。
このような思いがあっても大丈夫なのでしょうか。
また、思考を客観的に見る方法といいますか、エゴにとらわれない方法とはどういったことなのでしょうか。
このようなことを初対面で質問してしまい申し訳ございません。
不安のあまり繰り返しあなたの優しい言葉で元気をもらい続けています。
そのことだけでも伝わっていれば幸いです。

僕といっしょですね^^

僕も神さまを信じています。どの宗教ということもなく、神さまを信じています。
そして、神さまは僕たち全てを見守ってくださっています。
その通りです。

楽になりたいから神さまを信じているんじゃないか? という不安もよくわかります。

スピリチュアルに傾倒するのも結局人生からの逃避じゃないか? なんてことを僕も心配していたこともありました。

宗教に傾倒しすぎたり、スピリチュアル難民になるよりか、そういう自制心というか、客観的に自分を見れるのは、むしろまともというか、安全弁がちゃんと働いているということで、すごく健全なことだと思います。

でも、その上で、神さまを信じているし、真実を知りたいんですよね?

それで間違いないです! 

神であるあなたは、本当は全てを知っています。



思考を客観的に見る方法、エゴにとらわれない方法についてですが…

まず、一番大切なことは、自分のエゴの存在を認めることです。
認識することです。

エゴだけで生きている人こそ、自分のエゴに気付かないといけないのですが、悲しいかな、そういう人は自分のエゴに気づきません。一生気が付かない人もいます。

匿名さんの場合は、どうやったらエゴにとらわれないのか? と質問しているぐらいですから、すでに自分のエゴを認識しているわけです。高校一年生で! これはスゴイことです。

エゴの存在を認めているということは、もう8割方エゴに勝利?しているようなものです。

実はね、エゴのない人間なんていなくて、どんな覚者であっても、そういう一面はあるものです。

違いは何かというと、エゴと一体化していない… ということです。

そのためには、観察です。

怒りを感じた時

悲しみを感じた時

あるいは有頂天になっている時

それを感じているのは、誰なのか?

エゴなのか、それとも神である私が感じているのか? ということをジャッジするクセをつけることです。

たいていの場合、エゴがストーリーをでっちあげていることに気づけます。

そういう時は、一生懸命自分を守るために、エゴさんががんばっているんだな〜と、ただ観察してあげてください。

エゴを消そう! とか、エゴは間違っているとか思う必要もありません。

肉体がある以上は、食欲・性欲・睡眠欲というような欲はあるし、社会的生きものである人間は、人から認められたいという承認欲求のようなものもあります。

人に面と向かって悪口を言われたら腹も立つでしょう。

やられたら、やりかえす! と思うのも人間の性かもしれません(ex:空爆とテロもエゴとエゴのぶつかりあいです)。

ただ、エゴとかストーリーで生きていると、なぜか良くないことばかりが起きます。
(ex:空爆すればするほどテロはエスカレートします)

また、エゴの強い特徴として、人より勝りたい!という意識があります。
しかし、競争社会にゴールはなく、エゴで生きていたら、心から安らげる瞬間というのがありません。

逆にエゴから離れ、神として生きれば、不思議なぐらい、悪いことが起きなくなり
いいこと、嬉しいこと、たのしいこと、おだやかなこと、ばかりが起きます。

幸せやな… ありがたいな…

と思えることばかりになります。


匿名さんも、すでにそういう生き方を選択しているんだと思います。

きっと、いろんなことがどんどん良くなっていくと思います。




PS
なおさん&匿名さんへ さいごに


なんだか人生の先輩よろしく、上から目線で書いてしまってm(_ _)m

偉そうなことをたくさん書いてしまいましたが、僕は聖人君子とは対極にある
エゴ&煩悩マシーン…時々反省…みたいな男です。

心配することもあるし、文句を言いたくなく瞬間もあります。

でも、やっぱり人生って楽しいです。

素敵な人がいっぱいいます。

あなたたちと、こうやってブログを通じて出会えたことも素敵なことです。

見ず知らずの41歳のおっちゃんに相談してくれて、こういうのって嬉しいです。

あなたは神で、人は神です。

だから神である自分を信頼すると同時に、神である人間を信用して、人にはどんどん相談していいし、頼ってもいいんです。

人生ゲームの楽しみって人との出会いや関わりあいです。



僕にも高校生の時がありました。

それから20数年さらに生きてきましたが、楽しいことがいっぱいありました。

辛い経験もあったのかもしれないけど、あんまりよく覚えてないです。

きっと、なおさんにも、匿名さんにも、これからたくさんの楽しい出来事が待っています。

とにかく、ありのままのあなたで、あるがままに、好きに人生を生きてください。

二人の若人のこれからの人生にますますの幸あらんことを!



PS2
コメント欄で二人にアドバイスしてくださった方、ありがとうございました!
(*^_^*)





★
編集後記

AAAはよくわからない僕ですが
BABYMETALは大好きです。

何年か振りにライブに行ってきました!
(Zeppなんば)



★おすすめの本

ついに読みはじめました。
本が分厚くて重い…
手にもっては読めません…
でも、内容は深い!
究極の一冊かもしれません。
まだ8分の1ぐらいしか読んでませんが!
↓





★本日の記事の内容を世の中にシェアしたいと思ったら
 クリックしてください٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ 
 ↓

 ↓



■最近書いた記事





























※これより以前の記事は下記リンクから読めます。


■このブログの過去記事・バックナンバーはこちら
↓