2019年6月12日水曜日

ACIM 奇跡のコース…三度目の挑戦

ACIM 奇跡のコース…三度目の挑戦


このブログでも過去にこんな記事を書きましたが…
↓  ↓  ↓

2018年は再び「奇跡のコース」に取り組みます。


僕は、2016年の1月1日に、この一年で奇跡のコースに取り組むぞ!
と張り切って毎日のワークブックに取り組んだもののたぶん1ヶ月ぐらいで挫折しました。

そして、その二年後の2018年の正月あけにも、もう一度、奇跡のコースに取り組みました。

この時は、三ヶ月ぐらいは毎日のワークに取り組んだのですが、やっぱりどこかのタイミングであきらめて放置してしまいました。

そして、今年の4月17日から突然思い立って三度目の挑戦になりますが、奇跡のコースに取り組んでいます。

奇跡のコースってなんぞ?

と思われている方は、こちらのリンクをご覧ください。
↓  ↓  ↓

ACIM - ウィキペディア



『奇跡講座』とは?


僕的に「奇跡の講座」についてシンプルに説明すると…

現代のスピリチュアルの源流ともいえる、膨大に分厚いバイブル的な本です。



ヘレン・シャックマンという女性が自動書記に近い状態でメッセージを書き綴った本で、そのメッセージの主はキリストであると言われています。

現在生きている中でもっとも世界的に有名なスピリチュアル指導者のエックハルト・トールも、そもそもの目覚めのきっかけは「奇跡のコース」を読んだことにあります。

僕はこれまでに300冊以上はスピリチュアルな本を読んできましたが、かなり多くの著者が「奇跡のコース」について言及しているし、人生を変えてくれた本と絶賛してたりする、そんな本です。

そして、これもまた共通してみんな言っていることですが、この奇跡のコースってめちゃくちゃ分厚くて、単純にボリュームが半端ないんですが、それでいて

ものすごく難解です。

ははは…

これね、本当に激ムズです。

僕はかなりの本好きだし、スピリチュアル系の本は、ライトなものからヘビーなものまで、読了できなかった本はほぼありません。

でも、この奇跡のコースに関しては、絶対にこの一年で読むぞ〜!

と固く決意して読みはじめたのに、まだ前半部分のうちで挫折してしまいました。

たしかに難解な本ではあると思います。

ACIM奇跡のコース…難しい難解文字小さい


でも、難解なんだけど、その中でもキラリと光る部分というか、

すげー〜〜〜〜!

って思う記述もある本で、難解な中にも、読みながら純粋な驚きと喜びがあったことも確かです。

でも、最後まで読めなかった…


それでしばらく本棚で眠っていたのですが、このたびまた奇跡のコースに取り組もう!って思ったのは、妻がきっかけでした。


えっと、僕ってホントに妻からの影響大な男です…(汗)

妻には瞑想友達が何人か全国にいて、時々集まってランチなんかをしているみたいなのですが、その友達の一人が、一年かけて奇跡のコースをやりきったと…

途中、本を投げ出したい気持に何度もなったけど、それでも必死で鞭打って、一年間続けたところ、その過程で、また読了した時に、まあ本当に奇跡が起こったと…

新しい世界が広がり、人生が変わったと…

そんな話を聞いたそうです。

つまり…奇跡のコースを一年で最後までやり終えたら、本当に奇跡が起きた…
って話です。


で、その話を妻に聞いて僕も、やっぱ奇跡のコースってスゴイんや!

って思って、これはもしかしたら、今が良きタイミングなのかも???

と思って、突発的に奇跡のコースに取り組むことにしたんです。


えっと、奇跡のコースを読むではなく、
取り組む
と書いてあるのは、理由があります。

奇跡のコースはテキストで1冊
そして、ワークブックで1冊になっていて、ワークブックには365のレッスンが乗っていて、それを一日、1ワークずつ取り組む形になっているからです。

ACIM奇跡のコース本2冊


つまり、読書というよりも、365日間、ワークに取り組む本なんです。

で、今日現在でワークはレッスン36まで進んでいて(はい、毎日のつもりが時々サボった日がありました…)、テキストのほうは172ページまで読んだところです。

そして、不思議なのですが、3回目の挑戦である今回は、以前に2回に比べると、ものすごく内容が理解できるようになりました。

もちろん難解な部分はあるのですが、ワークはまだしも、テキストのほうが以前は全くちんぷんかんぷんな感じだったのが、今回はテキストのほうも、けっこう内容がグイグイ入っていくる感じです。

なので、今回は一年とちょっとで、たぶん最後までワークに取り組んで、テキストも読了できると思います。


たぶん、僕にとっては、人生において今のタイミングで読むようになっていたんだな…
というふうに感じています。


この本、なかなかすごくて、テキストを読み、ワークに取り組むことで、僕は人生のとらえかたがまた良い方に変わってきました。

分離感がよりなくなってきたし、人生に安心感をもつことができるようになってきました。


きっと、この記事を読んでくれているあなたにも、いずれ読む時がくると思います。

なお、本は分厚いだけに、お値段もけっこうするのですが、1家に1冊あってもいい、いや、あったほうがよい本だと思います。


この世界の真実を知りたい、人生の目的を知りたい…
そんな疑問を盛っている人にこと読んでほしい本です。



7日参りを終えて

毎日、早朝に神社のお参りに7日間行こう

という妻の提案により、地元の産土神社である村山神社に7日間のお参りを続けてきました。

何でも三日坊主の僕ですが、このたびは初志貫徹で7日間連続でお参りすることができました。

別に何か特別の願掛けとかご祈願が目的だったわけではなく、妻に提案されて、そうだなやってみよう! と素直に思えたから始めたことなのですが、何ごとも続かない自分をよくわかっているので、自分でも驚きというか、よくやったな… という達成感みたいなものがあります。


7日間連続で神社にお参りしたら…
こんなご利益がありました!

なんて奇跡体験のようなことが書けたら面白い記事になるんだろうけど、そのような奇跡のようなご利益は…

ありませんでした!


でもまあ、なにごともなく普通に元気に生きられていること… これがいってみれば奇跡みたいなものだと常から思っているので、今日も平常運転でのほほんと生活できていることが幸せだし、ありがたいです。

あと、思っていることは…

神社とかパワースポットに行ったりするのも、もちろんいいんだけど、実は僕たち一人ひとりが神の宮であり、神柱です。

神さまは神社とか山の上とか、遠くに求めるんじゃなくて、実は一番身近な自分の中にあります。

その自分の中の神にしっかりつながること。

いつでも神意識で生きること(これが難しい!)。

それが一番大切なことなんだと思います。


神社に行って、その時は感動したり、気分が高揚することはありますが、そういう気分ってたいてい3日ももちません。

すぐに日常に引き戻されて、ハードモードなストレスフルな現実の毎日に飲み込まれてしまいます。


だから、地味だけど…

自分の中の神とつながっていること。

ずっとは無理でも、一日にできるだけ何度も神とつながること。

日中忙しくて、エゴにまみれて生きてしまうなら、朝と晩には瞑想して、自分の中の神とつながること。

そっちのほうが大切だと思います。


でも、単純に神社って神聖だし、気持が洗われるので、参拝は素晴らしいものだと思います。

村山神社には、これからもきっと定期的にお参りに行くと思います。


PS
この記事、7日参りを終えた日に書いたのですが、下書きに入れていたまま、ずっと公開できてませんでした…
(この記事を公開したのは、本日2019年6月12日です…)

2019年3月4日月曜日

一夜明けて…

昨夜はとんでもない出来事が勃発して、僕はストーリーに巻き込まれて、エゴがざわざわと騒いで苦しくなりました。

でも、そんな時こそ…

と、一人静かに瞑想をすることで窮地を脱出することができました。

あれだけざわついていた心なのに、その後は、自分でもびっくりするぐらいに、心は静まっていました。

いつも以上に心は静まっていたぐらいです。

そして、夜も12時を過ぎてましたが、時間を決めずに瞑想を再びしました。

いつもはタイマーを30分にセットして瞑想をはじめるのですが、昨夜はそれもせずに、ただただ瞑想に流れを任せようと…

時間にして1時間以上は瞑想していたと思います。

かなり強烈な光に包まれました。

僕は瞑想に、奇跡とか不思議体験を求めているわけではありません。

確かに瞑想をしていると、時折、光に包まれたり、身体感覚が完全に消えたり、何らかのビジョンを見せられることがあります。

いわゆる不思議体験です。

それが起きた時は、確かにものすごく気持ちがよかったり、救われたような気持ちになったりもします。

何より、深い瞑想状態にならないと、そういう現象は起きないので、深い瞑想が出来た…
それだけで、ものすごく心地いいし、終わったあとはものすごくスッキリしているのです。

でも、瞑想に奇跡とか不思議体験を求めるのは違うと僕は思っています。

たしかにそういうことが起きることもあるんだけど、それを求めることは違うと思っているし、瞑想教師の方や、あるいは覚者の本等で、瞑想に奇跡を求めるのは違う…
という話も聞いたことがあります。

なので、ただ心静かに瞑想する。
瞑想が向こうからやってくることを信じて、日々瞑想しているわけですが、昨日の深夜の瞑想は、自分の思いを超えてものすごく深い瞑想状態に入ってしまいました。

まさに、瞑想が向こうからやってきた状態です。

瞑想をはじめてたぶん30分を過ぎたぐらいから、ずっと目を閉じているのに、ものすごい光が次々と眼前にあらわれてきます。

とても眩してくて、真っ白な光がずっと瞬いているのですが、決して目が痛い眩しさではなく、目には優しいけど、強烈な光量でした。

瞑想を終えたあとにも、余韻が残っていて、いつも以上にぐっすりと熟睡できることができました。

そして朝もスッキリと6時前には起きることができました。

産土神社への7日参りも今日で6日目です。

今朝ははじめて、妻とではなく一人で村山神社に参拝しました。

本当は妻と行きたかったんだけど、昨日参拝していた時に

「一緒だとペースが乱れるから明日は別々でお参りしよう」

と言われたからです…
(^_^;)


すこし寂しくもありましたが、小雨の中、一人で参拝してみると、なるほど確かに心静かにお参りをさせていただくことができました。

いつもは、本殿では「天津祝詞」を奏上して、その他の6つのお社では、御神号のみ奉唱していたのですが、今日は一人だったのでそれぞれのお社で天津祝詞を奏上させていただくことができました。

とてもすがすがしい参拝でした。

昨日の夜はかなり心乱れる出来事があったのですが、今の心はとても落ち着いていて、大きな安心感があります。

瞑想と参拝

やっぱり大きな力があると思います。

何かを求めてやっているわけではありませんが、それ以上の大きな力をいただいている実感があります。

2019年3月3日日曜日

強烈なストーリーに揺さぶられる…

今日は、とんでもないことが勃発してしまい、心は千々に乱れた…

エゴのストーリーに飲み込まれそうになって苦しかった。

車で家を脱出して、落ち着いた場所に車を停めて30分間の瞑想を行った。

瞑想の力はやっぱりスゴイ。

乱れていた心が整い、これからどのように善処すればいいのかがわかった。

おまけに、ここ数日ずっとたまっていたモヤモヤも晴れて、ものすごく視界がクリアーになった。

こういう体験を繰り返すことが大切だと思う。

日常にはいろんな罠が潜んでいて、全てが順風満帆とはいかない。

時にはとんでもない事件が起きたりして、強烈なストーリーに巻き込まれることがある。

そうやってストーリーに飲み込まれてしまうと、すぐにエゴの入れ物になってしまい、ストーリーと一体化して苦しくて辛くて… 先が見えなくて、暗い気持ちになってしまう。

でも、ストーリーはストーリーにすぎない。

たしかに現象としては目の前で何らかの事件やショッキングな出来事が起こっているんだけど、その現象に意味をつけたり、絶望したりしているのはエゴのしわざだ。

神である僕たちの本体はいつでも大丈夫なのに、何かに巻き込まれるとすぐに一体化してしまう。

瞑想したり、神社にお参りしたりして、最近心が整ってきた!

なんてことをブログで書いてきたけど、なんのことはない… すぐにストーリーに巻き込まれて僕のエゴはざわざわと騒いでしまいました。

でも、やっぱり瞑想することで、安心を得ることができました。

瞑想の力です。

明日からどんな展開が待っているのか、しっかり味わい愛でてみようと思います。

2019年3月2日土曜日

アナスタシア…再び

アナスタシア…読んだことありますか?

この本です。
↓


アナスタシアには2014年に出会って、あまりにおもしろくて、当時出ていた1巻から3巻までを一気に読んだ記憶があります。

そしてアナスタシア農法を真似して、自宅の庭に家庭菜園を作ったりもしました。

しかし、その後はあまり読み返すこともなく、家庭菜園熱もいつのまにか冷めて、僕が育てていた野菜のスペースはいつのまにか奥さんの花はハーブのスペースにとってかわられてしまってました。


そんなふうに一時期はアナスタシアから離れていたのですが、つい最近、なんのきっかけかは忘れたのですが、続きがでていることを知って、4巻、5巻と読み終わりました。

それでまた1巻からも読みなおしてたりしているのですが…

アナスタシア…
やっぱりいいです!

ここで多くを語ることはしませんが、人類必読の書
といってもいいぐらいにいい本です。

たぶん誰でもアナスタシアを読めば、アナスタシアが好きになると思います。

そして、なんとなく未来に希望を持てるような気持ちになると思います。

PS
昨日、村山神社に寄付させていただいたと書きましたが…
本日の朝、宮司さんから直接お礼の電話が自宅にかかってきました(妻が受けたのですがたいへんていねいなお礼を言われたとのこと)。

そして、今日も村山神社に参拝したのですが、なんと!
昨日の今日なのに、さっそく寄進札に自分の名前があってびっくりしました。



こういうところに自分の名前が掲げられたのはこれが初めてですが、なんだかやっぱり嬉しかったです。
(*^_^*)


2019年3月1日金曜日

朔日参りとアーシング

今日も神社に参拝しました。

たまたま今日は3月1日ということで、はからずも朔日参り(ついたちまいり)になりました。

その月のはじまりにあたって神さまにごあいさつする朔日参り。

前々から毎月、朔日参りさせていただきたいな…

と思いつつも、実践できてなかったのですが、今日はじめてそれができました。

今日は春のような陽気でとても天気もよくて清々しかったです。

産土さんである「村山神社」



昨年の台風で本殿が倒壊してしまいました…

再建のための寄付金を募っていたので、「寄付させていただこう…」と妻と話あっていたのですが、本日は1日であったこともあり、普段は開いてない社務所が開いていたので、寄付をさせていただくことができました。



「今日寄付していこう」
と言ってくれたのは妻で、僕は嬉しくなりました。

ぼくは生い立ちに難があったこともあり(倹約、倹約… が口癖の母の元で育ったり…)、お金への執着が強く、かなりケチな人間でした。

今でもまだケチなところがあり、それは僕の課題でもあります。

でも、妻はいつでも、特に神様ごととか、本当に価値がある… と思う場面では気持ちいいぐらいにお金を使える人です。

というわけで、僕としては近々寄付させていただこう…

と思っていたのですが、はからずも本日寄付をさせていただくことができました。



こういうお金の使い方は、生き金というか、意味のあることだと思うし、寄付させていただいて、とても気持ちがよく妻に感謝です。


現在はまさに再建中の村山神社の本殿…



夏頃には、新しい社殿が建つようなので、楽しみです。


■ ■ ■


その後はいつもの流れで出雲大神宮へ。



1日ということで、月次祭の日でもあり、朔日参りの日でもあるので、平日でしたがたくさんの参拝者がいました。

本当に大人気の神社です。



今日は娘もついてきてくれていたので、その後は、久しぶりに七谷川の野外活動センターで遊びました。

平日ということもあり、なんと完全貸切状態!


アスレチックをしたり…

七谷川で遊んだり…



芝生で「逃走中」のハンターごっこ(かくれんぼ+鬼ごっこ)をしたり…

とても楽しかったのですが、個人的なハイライトとしては

芝生の上で全身で
アーシング

できたのが良かったです。

アーシングといっても特別なことはなくて、ただ、芝生の上で大の字になって寝転がって全身で大地からエネルギーをもらっただけですけれども。



実は、今ちょっと骨太なアーシングの本を読んでて…



また、このブログでも改めてアーシングのことは書きますが、簡単にアーシング(グラウンディング)を説明すると…

要するに、地球の大地にはものすごいエネルギーがあるわけです。

特に電気エネルギーがすごくて、今この瞬間にも地球全体で見たら、1分間に5,000回もの雷が落雷していて、地球はものすごい巨大なバッテリーとして電気エネルギーを蓄えています。

その地球に裸足で立つことによって、足裏からカラダに地球の電気エネルギーを取り込む。

というわけです。

同時に、人体内のフリーラジカル的な悪い電気エネルギーをアースするように、地球に返して浄化してもらう… みたいな。

まだ、全部本を読み終わってないので、間違っているかもしれませんが、まあだいたいそんな感じで心身を元気にしてくれるのがアーシングです。

最近そのアーシングを生活に取り入れてるのですが、土がむき出しになった土地ってなかなかないんですね…

我が家も住宅街の中にあるので、全部道はアスファルトだし、土に触れれるのは公園ぐらいですが、公園でオッサンが裸足で立って目を閉じて瞑想なんかしてたら、警察呼ばれます…(汗)。

それで、我が家の庭の小さな畑というかこういうとこに裸足で立ったりしてるんですが…


海岸の砂浜で横になったり、芝生の上で大の字に寝っ転がってアーシングしたい!

と最近ずっと思ってたので、それがはからずも本日実現して、とても気持ちよかったし、嬉しかったです。



今、ある本を読んでいるのですが、その中に…

忙しいお金持ちよりも

余裕持ち

のほうがいい。

みたいなことが書いてあったのですが、今日の僕は平日の昼間から芝生でゆっくりぼーっとゴロゴロしてて、すごく幸せで、〝いまここ〟感が強くて…

今の僕は経済的には金持ちというわけではないけど、こういう自由な時間、豊かな時間があるってのは、余裕持ちかもしれないな…

と、ありがたく思いました。

お金のかかる遊びも楽しいと思いますが、僕は家族と大自然の中で過ごしたりするのが一番幸せです。

お金もかからないし!
(滝汗)


また明日も神社に行きます。
ブログも更新します。

きょうは完全に日記でしたね…
(^_^;)


2019年2月28日木曜日

No Meditation, No Life!

No Meditation, No Life!
やな…
って最近やっとわかってきました。

Meditationってのは〝瞑想〟のことです。

瞑想なしの人生なんてありえない

みたいな感覚になってきました。


一時期は毎日ガッツリと瞑想して、このブログも頻繁に更新していましたが、あるときから瞑想も時々する程度になり、ブログの更新も時を同じくして、ほとんど途絶えていました。

その理由は、僕がスピリチュアルなものよりも、現実的なビジネスに走っていたからです。

地球は行動の星!

なんてことを思いながら、現実的に仕事をがんばっていたわけです。

瞑想している暇があるなら、仕事をしよう!

みたいな。


実際、僕の机の上にはタイマーが常に2つあって、分刻みでタスクをこなす…
みたいなことをやってました(というか今この原稿もタイマーをセットして書いてはいるわけですが…)。

瞑想を忘れ、スピリチュアルを脇に置き、ビジネスに没頭した結果、どうなったのか?

というと、上手くいく部分もあったし、そうでない部分もありました。

瞬間風速的に、売り上げが爆発してウハウハな時もありましたが、売り上げがガクッと落ちて、また欝の時のような不安(通称ぼわぼわ)がやってきた時もありました。

人生には善き事しか起こらない。

自分にとって必要なことが必要なタイミングでやってくるだけ。

なんて偉そうなことを書いていた僕ですが、人間って弱いもんですね。

ちゃんと、恐怖や不安に襲われました(滝汗)。


ただ、人間って
慣れ
とか
経験値
ってやっぱり大切で

一年近く欝に苦しんだこともあったし、そこから抜けた体験もあった。

また、時折訪れるパニック障害のいなしかたも身につけていた。

そして何より、恐怖や不安が訪れることがあっても、根っこでは宇宙を神を、僕の中の神を信じている。

人生には善き事しか起こらない。

これはもう、僕の中では確固たる信念になっています。

なので、一時的に恐怖や不安に包まれることはあっても、飲み込まれることはなく、割と短時間でそこから軌道修正することはできていました。

そして、その不安を消すためには、やはり圧倒的行動しかない!

なんておもいながら、また仕事に没頭するわけです。


でも、何かが足りない…

何かがおかしい…

イマイチ、心が安定しない…

そんな感覚がずっとありました。



2週間ぐらい前に、奥さんと話をしている中で、奥さんから

「毎日、朝と夜にしっかり瞑想をやってみたら」

と勧められました。

僕がビジネスモードに入っていること、そして効率主義者的な部分があることも知っているので、そんな僕にも刺さるように…

「朝、30分の瞑想は、時間がもったいないと思うかもしれないけど、結果的には心が整って、そのほうが仕事がはかどるんじゃない」

なんてことを言われて、なんとなく、それもそうだな。
と思えたんです。

不思議なぐらいに素直に、その言葉が胸に入ってきました。


そしてその日の夜、寝る前に30分の瞑想を久しぶりにやりました。

よく眠れて、翌朝は6時前にはぱっちり目が醒めて、朝一番の瞑想をこれまた30分間やりました。

その日は、一日中気分が乗って、近年ないほどに仕事がはかどりました。

しかも、仕事の合間に、なぜか自室の畳をほうきで掃いて、きつく絞ったぞうきんで拭き掃除までしてしまいました(掃除機は日常的にかけてますが、ほうき掃除とかぞうきん拭きは初めてしました!)。

なんというのか、
禅僧的な心持ち
になっていたのです。

え…
心、整ってる…
瞑想やばくね!

ってマジで思いました。

その日から今日までずっと朝と夜の30分間の瞑想習慣は続いています。

義務とかやらなきゃ
じゃなくて、
瞑想したい!
って思って瞑想しています。

それは何故か? 
どうして積極的に瞑想をしたくなったのか?

なぜなら…
瞑想を生活に取り入れてからは、基本的には、物事が箱さしたように、仕事の面でも、生活の面でも、物事が上手く運べるようになり、心が安定しているからです。


朝晩の瞑想生活を2週間ほど続けて今一番思っていることは…

俺、なんでずっと(ここ数年)瞑想してこなかったんだろう…???

という想い、疑問です。


多分現代社会に生きる私たちは、日常があまりにも忙しすぎて、生きることに必死で瞑想なんてやっている場合じゃない!
そんなふうに毎日を死に物狂いで走っているのだと思います。

僕もそうでした。

でも、その状態って、たぶん完全に自分はエゴの乗り物になってしまっていて、すごくしんどいし、苦しいんです。

逆なんです。

逆だ〜〜〜〜!

って気が付きました。

遅ればせながら!(汗)


忙しい日常だからこそ瞑想するんです!

心を亡くすと書いて、忙しい!

だからこそ瞑想が必要なんです。

瞑想することで失った心を取り戻すことができるんです。




あなたは、今日瞑想しましたか?

自分の真我と繋がりましたか?

と、たった2週間しか瞑想していない僕が、あなたに問うてみる(滝汗)。


こんなことを問うのは、もしあなたが瞑想をしていないなら、ぜひ瞑想をしてほしいから。

めまぐるしい日常、やるべきこと、やらねばならないこと
べきねば
だらけの日常。

エゴのストーリーにともすれば乗っ取られてしまいます。

そこから脱却し、本当の自分、神である自分、真我につながるもっとも手っ取り早い方法

それが

瞑想です。



最後に瞑想の方法をレクチャーします。

瞑想のやり方


瞑想方法はそれぞれのスタイルにあったものでOKなので、なんでもいいのですが、参考までに僕のやり方を解説します。

なお、僕の瞑想スタイルの基本となっているのは
ボブ・フィックスさんが開発した
フルフィルメント瞑想です。

フルフィルメント瞑想のハート・マントラを伝授してくれたのは、阿部敏郎さんの奥さまの阿部智子さんです。

また、ボブ・フィックスさんの瞑想リトリートにも2回ほど参加したことがあります。


瞑想の正しい姿勢

まず姿勢。

床でする場合には、あぐらでしっかりと背筋を伸ばします。

イスでする場合には、背もたれにはもたれずに、浅く腰をかけて、しっかり背筋を伸ばします(イスの上であぐらを書くのもアリです。その場合でも背筋は伸ばして)。

この背筋を伸ばすというのは大きなポイントです。

次に目を閉じます。

禅の座禅の場合は半眼といって、薄く目を開けている場合もありますが、瞑想の場合は基本、目は閉じます(ぎゅっと力を入れて閉じるのではなく、やさしく普通に目を閉じれば大丈夫です)。

そして、マントラを授かっている場合には、最初にマントラを唱えたり、ヤントラをイメージするのですが、伝授されてない場合はマントラ・ヤントラなしでも全く問題ないです。

部屋の明かりは消して暗くします。

僕の場合は、早朝と夜間なので、電気を消した真っ暗な部屋で、ろうそく1本の明かりの中、お香をたいて瞑想しています(雰囲気も大事やと…)。


瞑想中の手の指の形はこんなふうにするか…
↓  ↓  ↓
画像引用:https://manabiba.tv/article/detail/152

あるいは、こんなふうにします
↓  ↓  ↓
画像引用:https://meditation-in.love/post-120


これで、瞑想の姿勢、形は整いました。

あとは、瞑想の呼吸法です。

瞑想の呼吸法

瞑想の呼吸法は…
鼻から吐いて、鼻から吸う
これだけです。

普段の私たちは呼吸が浅くて、早いことが常なので、瞑想の時には、ゆったりとした気持ちで、リラックスしながらゆっくりと息を吐いて、ゆっくりと息を吸うようにします。

禅寺で座禅する際には、呼吸を
「いちとー… にーとー… さんとー… しーとー… ・・・・・・・・」
と呼吸を心の中で数えて呼吸に集中しましょう。

なんてふうに指導される場合もありますが、僕は普段は呼吸は数えません。

おのおの好きなスタイルで、呼吸は数えても数えなくてもどちらでもOKです。

瞑想状態に入る方法

瞑想あるあるとして、瞑想すると、どんどんと思考(雑念)が沸き上がってくる…

というのがあります。

つまり、心を整えたくて、ある意味、
空
とか
無我
の境地になりたいのに、一向にそうならず、むしろ邪念や思考が渦巻いてくる…

でも、安心してください。

これって、本当に誰にでもあることです。

むしろ、思考が起こってくるのは自然なことです。

なので、安心して、浮かんでくる思考を、まるで雲をながめるような気持ちで眺めてください。

でもね…

これ、本当に不思議なんですけど、30分間、ちゃんとタイマーで測ったりして瞑想した場合には、その30分のどこかの時点で、ほぼ確実に…

瞑想状態に入れます。

瞑想伝授を受けた時、
「タイマーで測るなどして、30分は瞑想しましょう。」

と指導されました。

30分って長くね?

と思ったし、実際に瞑想を取り入れ出してからも、当初は長く感じていました。

でも、やっぱりこの30分という時間に意味があるのです。

瞑想ははじめて最初の5分とか10分は、たぶんどんどんと思考が湧いてきます。

僕の場合は、思考が暴走してる〜〜〜
というぐらいに、あれやこれやと、過去の恥ずかしい体験とか、しょうもないことがどんどんと湧いてきてとまりません。

でも、そんなときも、ああ、また思考が湧いとるな…
と一歩ひいた自分で、思考の雲を眺めてやるのです。

そして、思考が湧いた自分を責めたりせずに、ただじっと観察するのです。

すると、10分、15分、20分…
と時間が経過していくうちに、
ほとんど確実に思考が止む瞬間が訪れます。

あ、思考してるな…
とか、
え、思考が止まってる!
とか、そんな自覚すらない

無

の瞬間があります。

何も考えてない時間。

何も考えてないな…という考えすらもない時間。

自分が消えている時間。

起きているような、寝ているような、自覚しているような、無自覚のような…

そんな感覚。


それ…
瞑想状態です。


えっと…
長々説明してきましたが、とにかく瞑想をやってみたらわかると思います。

スピリチュアルが嫌いな人であっても効果があります。

仕事のパフォーマンスも上がります。

Googleやappleをはじめとする海外の大手企業ほど、
マインドフルネスといって、瞑想を仕事に取り入れています。

就業時間中にマインドフルネス瞑想の研修を行ったり、
勤務時間中のマインドフルネス瞑想の実践を推奨しているぐらいです。


つまりです。

瞑想って

真我に帰る
本当の自分に帰る
自分の中の神につながる
空に入る

ための強力なスピリチュアルのツールでもあり。

心を整える
心身のコンディションをよくする
仕事のパフォーマンスを上げる
美容と健康にもつながる

実用的なツールでもあるわけです。


時代は今、瞑想。

これはもう、やらなきゃ損ってぐらいのレベルです。


さあ、あなたも
Let's Enjoy  瞑想!

No Meditation, 
No Life! 
やで〜〜〜

PS
瞑想状態に入ることを目的にしなくてもいいんです。
僕も30分瞑想しても雑念状態のまま終わる時もありました。

僕の奥さんは、マントラも7つぐらい受けていて、この5年ほど毎日瞑想している、僕にとっての身近な瞑想教師みたいな感じなんですが、奥さんいわく

「瞑想状態は向こうからやってくる」

「だから瞑想を信じる」

ということだそうです。

確かにそうやなと思います。

自分が瞑想して「空」に入る!
とか思うと力が入るし、自分にはそんなの無理!
みたいなプレッシャーがありますが、瞑想を信じて
自分の力ではなく、瞑想が向こうからやってくる…
と信じてあけわたせば、すごく気楽だし、結果、本当に瞑想状態が向こうからやってきます。


あと、それでも雑念ばかりで…
という人は瞑想の音源を利用するのも手です。

僕もよく利用します。

現在のヘビーローテーションは…

これです。



このCDはクリスタルボウルの音源なのですが、本当にいいです。
もう、強制的に瞑想状態に連れて行ってくれる…
そんな強力な音源です。


あとは、ボブ・フィックスさんの瞑想マントラCDも強力です。
でも… 現在は絶版のようで、どこでも購入できないみたいです…
が、ボブ・フィックスさんの新作CDなら、ボブさんの公式ブログから買えるみたいです。

http://trueheart.link/music/processmeditation/

PS
今日も早朝の神社参拝、雨の中、奥さんと行ってきました。
雨の神社も良いものでした。

明日も参拝するし、ブログも更新します!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(*^_^*)

あゆむ 拝



PS2
今日の記事、気がつけば書くのに2時間かかっていたのですが…
タイマーの存在を完全に忘れて、フロー状態で書き上げてました。
ホンネ100%の文章です。

瞑想、マジでいいですよ!



2019年2月27日水曜日

早朝の神社参り

僕の奥さんは毎日瞑想をしているのですが、瞑想中に時折ですが
ご内流というのか、メッセージというのか、何かしらのインスピレーションを受けることがあるようです。

そして、昨日降りてきたインスピレーションというのが…

明日から産土の神社に早朝のお参りに7日間行こう

というものでした。

そして、このブログ

あるがままを毎日更新してください

というメッセージ?も同時に降りてきたようです。

というわけで、本日は5時には起きて、6時半に奥さんとともに車に乗って、地元の産土神社である

村山神社&出雲神社(出雲大神宮)に行ってきました。

村山神社
http://www.genbu.net/data/tanba/murayama_title.htm

出雲大神宮
http://www.izumo-d.org/


僕達夫婦は自営業というか自由業なので、現在はどこにも勤めてないので、ともすれば朝はゆっくりなことが多いので、久しぶりに見る朝日が眩しかったです(汗)。

村山神社に参拝するのはけっこう久しぶりだったのですが、なんと本殿は全て建設用の幕で覆われていました…

昨年の大型台風で何本も木が倒れて、本殿は完全にぺしゃんこになってしまったようです…

再建するためには多額の費用がかかるようで、寄付を募っているようなので、出来る範囲で寄付をさせていただこうと思います。

と、いきなり本殿がそんなことになっていたので、ちょっと面食らったわけですが、本殿以外の全ての社でお参りをさせていただきました。

特別な体験が何かあったわけではありません。

でも、なんとも言えない、心地よさ、清々しさでいっぱいになりました。

神社の駐車場には1本の梅の木があったのですが、もう花が立派に咲いていて、今年はじめて目にする梅の花だったので、しばし梅が香をしっかりかぎました。

本当は最寄りの村山神社だけに参拝する予定だったのですが、奥さんが出雲神社にも行きたい… というので、そのまま車で出雲神社に行きました。

出雲神社は、村山神社に比べると規模も大きく、正月は大行列ができるし、平日でも参拝者が途切れることはないような神社です。

パワースポットとしても有名なところなので、亀岡市民だけでなく、遠方から参拝に来る方もたくさんいます。

うちの家族も出雲神社が大好きなので、正月だけではなく、なんでもないようなときに家族四人で、あるいは夫婦でお参りさせていただくことが多々あります。

でも、こんな早朝にお参りするのは今日がはじめてでした。

社務所もまだ開いてなく、しんとした早朝の神社はとても清々しい雰囲気でした。

ただ、人気の神社なので、そんな時間にも関わらず、僕たち以外にも参拝者はちらほらといましたが…

本殿を参拝した後は、本殿の裏手にある「磐座」にもお参りに行きました。

磐座の前で目を閉じて、立ったままですが、短い時間瞑想もしました。

鳥の鳴く声…

そばの小さな滝の音…

ものすごく気持ちがよくて、幸せでした。

〝いまここ〟には何も問題などなくて、ただ静かで幸せでした。



帰りの車中で、夫婦ともども、ともて気持ちよかったね、明日も行こうね
と、話が盛り上がりました。

と、こんなふうに、本日の記事はまあ…

ただの日記ですね(汗)

でも、久しぶりに更新できたのは、嬉しいです。



実は世界って狭いもので、僕の奥さんの瞑想友達が、このブログの割にヘビーな読者さんだということが最近判明しました。

そして、僕の書いた記事が役にたったようだと聞いて、素直に嬉しかったし、このブログを作ってよかった。書いててよかったと思いました。

このブログには、時々コメントとか、あるいは直接のメールが読者さんから届くことがあります。

欝の方とか、欝になりそうな方とか、パニック障害の方とかからも、よくメッセージとか相談をいただいたりします。

欝は僕も相当苦しんだので、その気持ちがよくわかります。

そして幸いなことに僕は欝から抜け出すことができたので、どうやったら欝が治るのか?
その部分については、僕の経験談を伝えて、それが一人でもいいので、誰かの役に立てばいいな…と思って更新しています。

欝って本当にチャンスで、自分の真我、本質に帰るチャンスです。

僕は欝になって本当に良かった、神の恩寵だったと心から思っています。

欝がなければ、僕はまだずっとエゴにまみれたままフラフラと、プライドにまみれて生きていたと思います。

もし欝にならずに、あのまま調子にのってエゴで生きていたら…

と想像するだけでゾッとするぐらいです。


人生のシナリオって本当に面白いし、よく出来ています。

人生においてピンチは訪れてほしくない… とは思いますが、
同時に、
主人公がピンチにならない映画
とか
無敵で死なないゲーム
がつまらないように
人生にもピンチとか逆境がないと、それはきっとつまらないし、成長も変化もないと思います。

いろんなことが起こるのが人生です。
自分でコントロールできることもあれば、そうでないこともあります。

そして苦しんでいるのはいつだって本当の自分ではなく、自分のエゴです。

人生には善き事しか起こらない。
あるいは
人生には自分にとって必要なことしか起こらない。

僕はそう思っています。

そして、そう思うようになってから、物事に動じなくなりました。

と、かっこつけたいとこですが、実際には、プレッシャーを感じたり、動じたりしてます…あいかわらず!

でも、欝前の僕は、その不安や恐怖と完全に一体化してました。

でも、今は、不安を感じることはあっても、一体化することなくなりました。

一瞬飲み込まれそうになっても、絶対に大丈夫と思っている、もう一人の自分、本当の自分がちゃんといます。

この感覚があるのとないのと
その違いは本当に大きいと思います。


伝える言葉が上手く見つからないんですが、あなたも私も
神・宇宙の意識が、何かを体験したくてこの世に生まれてきました。

僕たちの肉体というのは、ある意味、神の乗り物のようなものです。

自分は弱い… と思っていても、そう思っているのは自分のエゴです。

私たちの本質は神です。

なので、絶対に何があっても大丈夫なのです。


また、明日も更新します。

最後まで読んでくれてありがとうございました。
(*^_^*)