2015年11月21日土曜日

若人に贈ることば

明けない夜はない


2人の高校生の読者から下記メッセージ(質問)をコメント欄からいただきました。




はじめまして。夜分遅くすみません。 
あゆむ様の文章を拝見し、お聞きしたいことがあるためコメントさせて頂きます。 
私は受験生の者です。この大切な時期に、精神状態がボロボロになっています。今までの人生(十数年しかありませんが)に後悔と反省が多すぎたため、その重みと現実と理想との板挟みです。ですがもちろん、人生の岐路に立ち、勉強に邁進しなければなりません。なのに、少し頑張って前向きになれたと思っても、ふと後悔がよぎりどん底に陥ってしまいます。そのサイクルが短くなり底は深まる一方です。どうにかしたいと検索していた時、このサイトに行き着きました。 
あゆむ様の文章を読んでいて少し心が楽になり、その説得力と、滲み出る優しさ、明るさに感動しました。 
あゆむ様の言葉の中に、必要な時に最適なタイミングで物事が起きる、というものがあり同感しました。また、エゴと真我の違いにも納得いたしました。
ですが、今まで自分を貶め続けているため、前向きな思考や、まして自分が神と思うことがどうしてもできません。 
どうすれば、あゆむ様のような境地に至り、エゴを捨てなおかつ全てを前向きにとらえ、良いエネルギーに変換し人生を送ってゆくことができるでしょうか。 
突然不躾にもこのような質問をしてしまいすみません。少しでもいいので、アドバイス頂けたらと思います。失礼いたしました。 
なおさん



あゆむさん 
はじめまして。私は高校1年生です。 
あゆむさんへ感謝の言葉を伝えることと、質問をさせていただきたいと思います。 
文章を書くのはあまり得意ではないので少々お見苦しいところがあるかと思いますが、何卒よろしくお願い致します。 
私はうつ病などの名前のついた病気はなく、思春期特有の悩む時期にあるそうです。 
そしてそれは、カウンセラーの先生や頼れる大人の方、友達の支えで乗り越えられつつありました。 
しかし、最近、自らの住んでいる地域で将来大きな地震が起きることが確定していることを突然思い出してしまい、とても暗い気持ちになってしまいました。 
自分が死ぬことよりも愛する家族がいなくなることがつらく悲しく、食事も喉を通らない毎日を送っていました。 
地震対策の話をしても親には深く受け止めてもらえず、ただただ不安が私の中にずっとありました。 
そこで家族とずっと一緒にいる方法、暗い気持ちを消す方法などを調べているときにこちらのブログへ辿り着きました。 
私のような悩みを持った高校生へ向けた記事を見たとき、涙がとまりませんでした。 
まだ不安は残っていますが、とても救われました。 
本当にありがとうございます。 
そして、質問なのですが……。 
私は神さまを信じています。 
どの宗教ということもなく、ただ漠然と、この世界には神さまがいて私たちを見守ってくださっているのだと思っています。 
しかし、自分は楽になりたいから神さまという存在を信じていたり、スピリチュアルの世界に足を踏み入れようとしているのではないかと不安になってしまいました。 
このような思いがあっても大丈夫なのでしょうか。 
また、思考を客観的に見る方法といいますか、エゴにとらわれない方法とはどういったことなのでしょうか。 
このようなことを初対面で質問してしまい申し訳ございません。 
不安のあまり繰り返しあなたの優しい言葉で元気をもらい続けています。 
そのことだけでも伝わっていれば幸いです。 
匿名さん

どちらも高校生ということで、これは真剣に答えないといけない…
などと思っているうちに、時間だけがどんどん過ぎていき…
このままでは何も書けなくなる…と思ったので、もうとにかく、僕が思ったままにお答えしようと思います。
僕は覚者でもなければ、悟ったわけでもない、ただの人間です。
なので、参考程度に読んでもらえたら幸いです。
(いつもは不特定多数の読者を想定して書くのですが、今日はコメントをくれたなおさんと、匿名さんに向けて書きます。あとスピリチュアルな視点からと言うよりも、人生の先輩?として、本当に素直に僕の体験談もまじえてお答えします。)

なおさん&匿名さんへ
僕がコメントをもらって、最初に思ったことは、
若くして、深く悩んでいてたいへんやな… でも、そんな若さで、人生の深いテーマにであった二人は、ある意味早熟というか、スゴイな… って思いました。
70歳、80歳になってもエゴだけの人もいます。
僕みたいに40歳を前後に、やっと本当の自分に気付き始めた者もいます。
でも今は時代がもっと進んでいて、10代とかでも、本質に気づく人もいます。
なおさんも匿名さんも、きっとそうなんだと思います。

そもそも一般的な高校生って、AAAとか、エグザイルとか(どちらのグループも僕はよく知りませんが…)、そういうのに夢中で、こんな精神世界のブログなんて読まないと思います。
このブログにたどりついたこと。そして僕の文章をよんで、何かを感じてコメントまで残してくれたことを、僕は嬉しく思うし、そういう積極性(普通はブログを読んでもなかなかコメントなんて残しません。僕も相当感動しても、ブログのコメントを残したことなんてほとんどありません)も素晴らしいと思います。
たぶん、僕とあなたが、どこかで出会っていたら、きっと意気投合というか、話が盛り上がったような、そんな親しさを勝手に感じている僕です。


では、まずなおさんから、具体的にアドバイスをしたいと思います。まずこの部分ですが…

私は受験生の者です。この大切な時期に、精神状態がボロボロになっています。今までの人生(十数年しかありませんが)に後悔と反省が多すぎたため、その重みと現実と理想との板挟みです。ですがもちろん、人生の岐路に立ち、勉強に邁進しなければなりません。なのに、少し頑張って前向きになれたと思っても、ふと後悔がよぎりどん底に陥ってしまいます。そのサイクルが短くなり底は深まる一方です。どうにかしたいと検索していた時、このサイトに行き着きました。

僕も通ってきた道なので、なんとなく共感できます。
僕も高校3年生の受験生の時に、精神的にかなりショックなことがあり、きつかったです。
具体的には、ともに受験がんばろう!なんて誓いあっていた彼女に突然ふられて、かなり落ち込んでしまったんですね…
なおさんの人生に何があったのかは僕にはわからないし、僕なんかよりもっとヘビーな問題を抱えているのかもしれません…

2つアドバイスがあります。
一つは、時間が解決してくれる…ということです。
受験生の当時は、かなり落ち込んだしきつかったけど、今現在の僕はその時のきつさを思い出すことは全くありません。というか、大学に合格した瞬間に全ての負の要素は消え去り、楽しく四年間を過ごすことができました。
そして、41才の僕と、17才・18才の時の僕は、もう完全に別人です。
痛みも悲しみも後悔も失敗も、時間の経過とともに、必ず癒えていきます。
だから、なおさんも安心してください。
今、どれだけ辛くても、必ず出口はあるし、あけない夜がないように、かならず太陽はまた登ります。
それに、失敗とか、後悔とか、そういった痛みを経験することで、人はそこから何かを学ぶことができます。
同じ立場の人にも心から同情することができるようになります。
僕の持論である、
ベストなことがベストなタイミングで起きる…
というのは、いいことだけでなく、悪い出来事も含みます。
ただ悪い出来事というのも、その時はそう思えるだけであって、ホントはその悪いことも、長い目でトータルで見ればやっぱりいいことなんです。
僕もいっぱい失敗してきて、思い出すだけで顔が赤くなって「わ〜〜〜〜〜!」と叫びたくなるような、恥ずかしいこともいっぱいしてきたし、人を思いっきり傷つけてしまったこと… 逆に傷つけられたこと…
やり直せるなら、二度とあんなことはしない…
というような出来事もたくさんありますが、やっぱり全部必要なことだったし、起るべくして全てが起こっていたんだなと思います。
なおさんも、何年かたてば、今の苦しみを遠い淡い記憶として、振り返ることができるようになります。
だから、あまり心配しないでね。

アドバイス2
ですがもちろん、人生の岐路に立ち、勉強に邁進しなければなりません。
↑この部分、よくわかります。
僕の場合は、彼女に振られたショックで精神的にボロボロになったのですが、どこかのタイミングで開き直りました。
具体的には、彼女を絶対に見返してやる! 

という負のエネルギーです…(滝汗)

そういうエネルギーがいいものかわるいものかはわからないけど、僕は気が狂ったように勉強に打ち込みました。
ちょっと受験当時のことを振り返ると…
僕は実は、高校生の時は軽音楽部でずっとバンド(ドラム)をやっていて、プロになる! なんて思っていたから、勉強は全くせずに、ひたすら音楽をやっていました。
なので成績は最低で、いつも補習地獄でした…
ただ高校3年生になった春に、やっぱり大学に行きたい! と突然思い立ち、そこから真面目に勉強をはじめました。
当時、僕の高校では、日本史の授業は選択制で高校3年生からはじまるシステムでした。今まで勉強をサボってきた僕でも、これならスタートラインはみんなと一緒! と思って、日本史をアホみたいに勉強したら、3年1学期の最初の中間テストで100点をとることができました。(日本史って頭の良さというより、暗記だけの世界ですからね…)
先生が「学年で100点はお前だけや!」とみんなの前で褒めてくれて、アホの俺が学年で1位! というのが、クラスメートをはじめ、学校のちょっとしたニュースになって、それが気分よくて、勉強おもしろい! ってその時はじめて思いました。
それで、頑張っていこう! と思っていた矢先に彼女にフラレてしまったわけです。
まあ、それも俺に原因があったんで彼女を責めることはできないんだけど…
ただ、落ち込み時期を過ぎたあとに、その痛みを勉強するモチベーションに変えて、ひたすら勉強しました。
その結果、運命の皮肉というか、してやったりというか、
彼女の第一志望の大学に僕は受かり、彼女は落ちました
当時の僕は、なんとなく
勝った!。.゜+:ヽ(*´∀`)ノ.゜+。
と思いました。

というのも、彼女は僕と別れた直後に、いけすかない奴とすぐにつきあって、その彼氏と一緒に、その大学を目指していたからです。
その二人が落ちて、僕が受かってしまったもので… 

まあ、僕も若かったということで…(・ω・`;A



ちょっと脱線してしまいましたが、僕がいいたいのは
今のピンチとかマイナスを逆にチャンスに変えてほしい…ということです。
行きたい大学があるのであれば、とにかく勉強するしかありません。
精神的な辛さ…というハンデを抱えながらも、勉強をがんばっている自分… ってきっとかっこいいです。
それで、行きたい大学に受かったら、それはすごい成功体験だと思うし、きっと自分にとっても大きな自信になります。
僕も、それまでは自分のことをアホだと思ってましたが、あの辛い受験を乗り切ったこと、そして合格できたことは、すごく大きな自信になっていて、その後の人生を大きく助けてくれました。
本気だせば、俺は何でもできる! 

ぐらいに思っています。


最近全然本気出せてないですが…(滝汗)

なおさん…
とにかく、僕は応援しているよ!
悩んでいる時って、思考が堂々巡りしてしまいます… 
そんな時は、行動すること、手を動かすこと…
それが一番なんです。

そんなことわかっているけど、それでも勉強が手に付かない…
という状況かもしれません…

でもやるしかない時も人生にはあるかもしれない。

がんばって! とは言いません。とにかく応援しています。


なおさんの最後の質問
今まで自分を貶め続けているため、前向きな思考や、まして自分が神と思うことがどうしてもできません。
どうすれば、あゆむ様のような境地に至り、エゴを捨てなおかつ全てを前向きにとらえ、良いエネルギーに変換し人生を送ってゆくことができるでしょうか。
突然不躾にもこのような質問をしてしまいすみません。少しでもいいので、アドバイス頂けたらと思います。失礼いたしました。

僕は、実はそんな崇高な境地にいるわけでは全然ありません。
日々、失敗もするし、エゴも満載な男です。
ただ、毎日けっこう穏やかで幸せです。
ちいさな不安とか心配が起きてくることもありますが、そこにとらわれることは全くなりました。
それは何でかというと、宇宙を信頼しているからです。
そして、僕という人間を信頼しているからです。
もちろん人間である僕は愚かな面も多々あるのは十分承知しています。
でも、同時に自分が神であることを知っているので、信頼できるのです。
もちろん、なおさんも匿名さんも、今このブログを読んでいるあなたも
神です。

こういう境地?に至ることができたのは、やっぱり鬱病がきっかけです。
あれがなければ、僕は自分が神だなんて思うことはなかったと思う。
それまでは、神さまは信じていたけど、それはずっと自分の外にあった。
そして、僕はエゴの僕を僕自信と思って、日々思考し、それなりに努力してがんばって生きてきました。
ただ、ウツで全てが壊れて、解体された。
救われたくて、救われたくて、本をたくさん読んだ。
ワンネス? あなたはいない? 人は死なない? あなたは神?
???????
だったけど、必死で読んだ。
そして、こんなボロボロな僕だけど、自分を神と信じることにした。
神として生きることを決意した。
そこから僕は徐々に回復して、現在では生きることが本当に楽になりました。
心配してもしょうがいない… 
それに心配しているのはエゴさんです。そのこともわかっているので、すぐに心配事を手放せるようになりました。
誰もがウツになる必要なもちろんないです。僕の場合はたまたまそれがきっかけでしたけども。
ただ、何かにぶつからないと、なかなかエゴの存在には気づきえないと思う。
だから、どんな悩みも苦難もオールオッケーでオールウェルカムなんです。

なおさんもね、悩んでいるのはなおさん自身じゃないんだよ。
なおさんのエゴが悩んでいるんだよ。
そして、それは間違ったことでもないんだよ。
ただ、エゴさんの存在に気づき、見つめてあげてください。
そして、そんなの思えない! と思っても
神である私、無敵である神の私
を信じてください。
私は神なんだ!って思えるまで思ってください。(無理やりにでも)
どこかのタイミングできっとそのことが腑に落ちると思います。
そして、それが腑に落ちたら、本当になおさんは無敵です。
敵ないなくなるし、全てが許せるようになります。
他人のことも、そして自分のことも。
人生が奇跡になります。


モーニング・サン



匿名さんへ

私はうつ病などの名前のついた病気はなく、思春期特有の悩む時期にあるそうです。
そしてそれは、カウンセラーの先生や頼れる大人の方、友達の支えで乗り越えられつつありました。

しかし、最近、自らの住んでいる地域で将来大きな地震が起きることが確定していることを突然思い出してしまい、とても暗い気持ちになってしまいました。
自分が死ぬことよりも愛する家族がいなくなることがつらく悲しく、食事も喉を通らない毎日を送っていました。
地震対策の話をしても親には深く受け止めてもらえず、ただただ不安が私の中にずっとありました。

そこで家族とずっと一緒にいる方法、暗い気持ちを消す方法などを調べているときにこちらのブログへ辿り着きました。
私のような悩みを持った高校生へ向けた記事を見たとき、涙がとまりませんでした。
まだ不安は残っていますが、とても救われました。
本当にありがとうございます。

あなたは本当にやさしい人ですね。
そして、自分を支えてくれる大人や友達がいる。
とても素晴らしいことだと思います。

あなたには、今、何ひとつ間違ったことは起こっていません。
地震のことも、これだけマスコミやネットで
必ず地震はくる
いついつぐらいにくる
この地域にくる
という情報にあふれているので、そういう不安
あなたの場合は、自分というよりも家族や友人の心配ですが、
そう思ってしまうのも無理はありません。

事実、日本は地震の多い国です。
火山もたくさんある国です。
これまでにも地震はあったし、これからもあるかもしれません。

ただ、都市が崩壊するような大地震が本当に起るかなんてことは誰にもわからないです。
いつぐらいに、この地域に… ということも言われていますが、それが実際に起きるかなんてことはわかりません。
備えること…は間違ったことではありません。
道路を横断する時に、左右を確認するような話です。

ただ…
とらわれる必要はありません。

何故ならとらわれたとしても、僕たちにはどうすることもできないからです。
地震をコントロールできる人はいないので。

ちょっと極論みたいなことを書いてもよかですか?
死は忌むべきもの、悲しいもの… という常識があります。
間違いではありません。
死にたくない… 自分もそうだし、家族や友人にも死んでほしくない…
これも当然の想いです。
僕もそう思っています。

ただ、

人な死なない
という究極の真理というか、説があります。

僕は阿部敏郎さんの講演会で阿部さんに「阿部さん自身は自分が死んだらどうなると想いますか?」と質問したことがあります。
僕の友人の母親が若くして亡くなって、相当落ち込んでいて、当時相談をよく受けていたから何らかのアドバイスをしたかったし、死後の世界について阿部さんがどう思っているの聞きたかったのです。
その質問に対する阿部さんの答えは
「私は死にません」
でした。
「ガチョーンでしょ? でも本当にそうなんですよ」
と阿部さんは付け加えました。

人な死なない… という説を受け入れるのは、けっこうハードルが高いかもしれません。
僕は昔から天国とか死後の世界については信じていたけど、

人は死なない!

という言い方はちょっと衝撃でした。

肉体的な死という意味では死はあります。
魂・スピリットと呼ばれるものが抜けた肉体はやがて朽ちて消えてなくなります。
ただ、私たちの本質であり本体である、魂・スピリットは永遠不滅で死にません。
そういう観点から見れば、人は死なないのです。

例えばの話として、地震であれ、事故であれ、病気であれ、誰かが死んだ時、人は悲しみます。
当たり前の話です。

ただ、死んだ当人は悲しんでいるのか?
実は、これについては、残された人間にはわかりません。

死後の世界とか霊界について真実を知りたい! と思っていた時期が長く僕にはあって、臨死体験の本とか、死後の世界について書かれている本をたくさん読みました。
また、実際に臨死体験をした人、身内が臨死体験をいた人から直接話を聞いたこともあります。
そして、臨死体験をした人のほぼ全員が同じことを語っています。
それは、
死は一切苦しくない

死は一切悲しくない
ということです。

そして、驚くべきことに、
死に際して人々は、最高の至福感
神の元へ帰っていく喜び
ワンネスの光に帰っていく喜び
を語っています。

なので、死にかけて、臨死状態になって再び、目を覚ましこの世に戻ってきた人は
この世に戻りなくなかった!
と一様に言っています。

よく死にかけの肉親に病床の橫で、家族が名前を呼びかけて、奇跡的に目を覚ます… というような場面が現実でもドラマでもありますが、僕の知り合いで、この状態から復帰した人はこう言ってました。
「なんで呼び戻したんだ!」
「せっかく、全てがラクになって、最高に幸せだったのに」
と。

僕は実際に臨死体験をしたことはないけど、きっとそうなんだと思います。
人の死、死後の世界について心配な人がこれを読めば一発で心配がなくなる!と僕が思う良書があります。




 どちらも超絶リアルな実話の体験談です。

そして、愛にあふれています。

神さまの愛って完璧やなって泣けてきます。

なので、僕は積極的に死にたい… とは全く思いませんが、

死ぬ時には死ぬし、それは全然悪いことじゃないなと思っています。

ただ、肉体が死ぬだけで、僕という本質、神である本質は決して滅びません。

というか、どちらかといえば、肉体とともに生きている現実世界がイレギュラーな状態であって、本来の僕たちの姿というか、状態は、肉体がない、魂・スピリットの状態のようです。


匿名さん…

こんなふうに想像してください。

あなたでもいいし、あなたの兄弟でもいいですが、

例えば冒険が大好きで
数年間に渡る世界一周旅行に出かけていたとします。

時にジャングルで猛獣に襲われそうになったり、砂漠で遭難しそうになったり、氷の世界で凍傷になりそうになったりしながらも、冒険の間、自分の生と充実感を感じていたとします。

しかし、どんな楽しい旅にも終わりがあります。

もっと旅を続けたい! と思いながらも、日本に帰り、我が家に帰ってきました。

冒険していた身としては、我が家に帰るのは、旅の終わりを意味するものであり、少し寂しさを感じたりするかもしれません。

でも、そこは元々、自分が生れ育った場所であり、家族があり、とてもあたたかな場所です。

きっと、ああ我が家に帰ってきた… と荷物をほどいて、お風呂につかって、ほっとしたら、「ああ、やっぱり我が家が一番やな…」と安心して、布団に入ってぐっすり眠りに入ると思います。

この我が家の布団に入って寝る

というのが死です。

死ってこんな感じと言われています。

それが死なら、それは苦しみとか悲しみではなく、大きな人生という冒険を終えて、ほっとして我が家であるあの世、天国とかワンネスとか神のみ元とかに帰っていくのは、すごく安心で、幸せな瞬間なんだと思います。



自分の家族が亡くなったら… と考えるだけで悲しくなる気持ちはわかります。

誰だってそうです。

僕だって、家族が死んだら、そりゃあ悲しんで悲しんで泣きまくります。絶対にイヤです。

だけど、同時に知っています。

ああ、この世を卒業して、神さまの元へ帰っていたんだな… ということを。

これは大きな救いになります。


テロで多くの方がなくったり、自然災害で多くの方が亡くったり… ということは実際にあります。

それは悲しい出来事であり、もし自分の身内や知り合いを亡くした方にとっては、そういう不慮の事故で亡くなることは本当に悲しいことです。

ただ、それが事故であれ、病気であれ、老衰の大往生であれ、神さまの愛に差別なんてものはもちろんなく、全ての魂に神の愛があり、救いがあります。

そういうことをわかった上で、僕たちは
過去を案じず
未来を心配せず
今、生きていること、
家族や友人とともに元気に生きられていることに感謝して生きていくことが大事なんだと思います。

魂は永遠といっても、肉体をもっているお母さんに直接マッサージをしてあげたり、ありがとうを言えるのは、今だけです。

だから、僕たちは、この奇跡的な人生の中で、今の自分、今自分の家族や友達や周囲にいる人に感謝して生きていく、それしかないのだと思います。


そして、質問なのですが……。
私は神さまを信じています。
どの宗教ということもなく、ただ漠然と、この世界には神さまがいて私たちを見守ってくださっているのだと思っています。
しかし、自分は楽になりたいから神さまという存在を信じていたり、スピリチュアルの世界に足を踏み入れようとしているのではないかと不安になってしまいました。
このような思いがあっても大丈夫なのでしょうか。
また、思考を客観的に見る方法といいますか、エゴにとらわれない方法とはどういったことなのでしょうか。
このようなことを初対面で質問してしまい申し訳ございません。
不安のあまり繰り返しあなたの優しい言葉で元気をもらい続けています。
そのことだけでも伝わっていれば幸いです。

僕といっしょですね^^

僕も神さまを信じています。どの宗教ということもなく、神さまを信じています。
そして、神さまは僕たち全てを見守ってくださっています。
その通りです。

楽になりたいから神さまを信じているんじゃないか? という不安もよくわかります。

スピリチュアルに傾倒するのも結局人生からの逃避じゃないか? なんてことを僕も心配していたこともありました。

宗教に傾倒しすぎたり、スピリチュアル難民になるよりか、そういう自制心というか、客観的に自分を見れるのは、むしろまともというか、安全弁がちゃんと働いているということで、すごく健全なことだと思います。

でも、その上で、神さまを信じているし、真実を知りたいんですよね?

それで間違いないです! 

神であるあなたは、本当は全てを知っています。



思考を客観的に見る方法、エゴにとらわれない方法についてですが…

まず、一番大切なことは、自分のエゴの存在を認めることです。
認識することです。

エゴだけで生きている人こそ、自分のエゴに気付かないといけないのですが、悲しいかな、そういう人は自分のエゴに気づきません。一生気が付かない人もいます。

匿名さんの場合は、どうやったらエゴにとらわれないのか? と質問しているぐらいですから、すでに自分のエゴを認識しているわけです。高校一年生で! これはスゴイことです。

エゴの存在を認めているということは、もう8割方エゴに勝利?しているようなものです。

実はね、エゴのない人間なんていなくて、どんな覚者であっても、そういう一面はあるものです。

違いは何かというと、エゴと一体化していない… ということです。

そのためには、観察です。

怒りを感じた時

悲しみを感じた時

あるいは有頂天になっている時

それを感じているのは、誰なのか?

エゴなのか、それとも神である私が感じているのか? ということをジャッジするクセをつけることです。

たいていの場合、エゴがストーリーをでっちあげていることに気づけます。

そういう時は、一生懸命自分を守るために、エゴさんががんばっているんだな〜と、ただ観察してあげてください。

エゴを消そう! とか、エゴは間違っているとか思う必要もありません。

肉体がある以上は、食欲・性欲・睡眠欲というような欲はあるし、社会的生きものである人間は、人から認められたいという承認欲求のようなものもあります。

人に面と向かって悪口を言われたら腹も立つでしょう。

やられたら、やりかえす! と思うのも人間の性かもしれません(ex:空爆とテロもエゴとエゴのぶつかりあいです)。

ただ、エゴとかストーリーで生きていると、なぜか良くないことばかりが起きます。
(ex:空爆すればするほどテロはエスカレートします)

また、エゴの強い特徴として、人より勝りたい!という意識があります。
しかし、競争社会にゴールはなく、エゴで生きていたら、心から安らげる瞬間というのがありません。

逆にエゴから離れ、神として生きれば、不思議なぐらい、悪いことが起きなくなり
いいこと、嬉しいこと、たのしいこと、おだやかなこと、ばかりが起きます。

幸せやな… ありがたいな…

と思えることばかりになります。


匿名さんも、すでにそういう生き方を選択しているんだと思います。

きっと、いろんなことがどんどん良くなっていくと思います。




PS
なおさん&匿名さんへ さいごに


なんだか人生の先輩よろしく、上から目線で書いてしまってm(_ _)m

偉そうなことをたくさん書いてしまいましたが、僕は聖人君子とは対極にある
エゴ&煩悩マシーン…時々反省…みたいな男です。

心配することもあるし、文句を言いたくなく瞬間もあります。

でも、やっぱり人生って楽しいです。

素敵な人がいっぱいいます。

あなたたちと、こうやってブログを通じて出会えたことも素敵なことです。

見ず知らずの41歳のおっちゃんに相談してくれて、こういうのって嬉しいです。

あなたは神で、人は神です。

だから神である自分を信頼すると同時に、神である人間を信用して、人にはどんどん相談していいし、頼ってもいいんです。

人生ゲームの楽しみって人との出会いや関わりあいです。



僕にも高校生の時がありました。

それから20数年さらに生きてきましたが、楽しいことがいっぱいありました。

辛い経験もあったのかもしれないけど、あんまりよく覚えてないです。

きっと、なおさんにも、匿名さんにも、これからたくさんの楽しい出来事が待っています。

とにかく、ありのままのあなたで、あるがままに、好きに人生を生きてください。

二人の若人のこれからの人生にますますの幸あらんことを!



PS2
コメント欄で二人にアドバイスしてくださった方、ありがとうございました!
(*^_^*)





編集後記

AAAはよくわからない僕ですが
BABYMETALは大好きです。

何年か振りにライブに行ってきました!
(Zeppなんば)



おすすめの本

ついに読みはじめました。
本が分厚くて重い…
手にもっては読めません…
でも、内容は深い!
究極の一冊かもしれません。
まだ8分の1ぐらいしか読んでませんが!






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最近書いた記事





























※これより以前の記事は下記リンクから読めます。


このブログの過去記事・バックナンバーはこちら










2015年10月6日火曜日

スピリチュアルとリアルな人生と…

スピリチュアルとリアルな人生と…


先日更新した記事「自由に生きる」にHNもんじ様より、以下の質問コメントをいただいたので、僕なりの回答を書かせていただきます。

以下、HNもんじ様からのコメント


初めまして。 いつもブログ拝見させていただいております。 あゆむ様は、一度は地獄を味わったのでしょうが、短期間に復活して、マイホームを建てて、フリーで稼いで人生を謳歌している様子に感心します。 やはり、今のように人生が好転したのはスピリチュアルの影響が基盤になっておられますか? 私も鬱になりスピリチュアルに傾倒しましたが、一向に人生が良くならず、もう、スピリチュアルなんかにうつつを抜かすのを止めようかと最近悩んでおります。

コメント以上


メッセージありがとうございました。

確かに僕は、欝という僕の人生の中では一番つらい地獄を味わいましたが、結果としては、それは神の恩寵であったと思っているし、生活全般の質は以前より良くなりました。

金銭的にも、時間的にも豊かになったし、
何より精神的な部分でかなり楽になりました。

本当にラッキーだったと思います。

今のように人生が好転したのはスピリチュアルの影響が基盤になっておられますか?

という質問の回答としては…

イエス

だと思います。


今、はっきりと断言できることは、欝になる以前の僕、本当のスピリチュアルに目覚める前の僕は、完全なるエゴの入れ物、エゴ・マシーンでした。

悪逆無道の限りを尽くすアウトロー…(▼皿▼*)/ 
…というわけでは、もちろんありませんでしたし、信仰のある家に生れ、ずっと神さまを信じてきたので、どちからというと善良に生きてきたタイプだとは思います。

でも、今振り返ると、はっきりとわかります。僕は完全にエゴだけで生きていました。

瞬間的に、神さまにつながったり、神心になっているような時も〝ときどき〟ありましたが、基本的にはエゴで生きていました。

まず、前提条件が完全に間違っていました。

それは何かというと、神との分離感です。

神さまとは、祈る対象であり、拝む対象でした。

「人は神の子、神の宮」という教えを知っていたし、「人は神の分霊(わけみたま)」という教えを信じていたにもかかわらず、やはり神という、この宇宙を作ったすごい存在と、肉体を持つ、自分自身とは別個の存在だと潜在意識の底では思っていたのです。

あとは、本当に弱い人間でした。

人から認められたい

誉められたい

悪く思われたくない

と、いつも他人の目を気にして生きていました。

たぶん、自己肯定感が低かったのだと思います(このあたり、今、人の親になってみて、僕の親の教育にもけっこう問題があったことが、わかるようになりました。親を責める気持ちはありませんが…)。

他にもいっぱい弱点がありました。

他人との比較をついやってしまう

人の成功をうらやんでしまう…

攻撃されると、怒りを覚える

お金への執着

ズルさ…

さぼりたい…

ラクしたい…

偉くなりたい!

成功したい!


そんな人間でした… 
と過去形で語りたいところですが、残念なことに、上記の弱点・エゴは残念ながら、いまだに僕の中にしっかりと残っています。けっこう薄くなってきたとは思いますが…(←願望コミ(^_^;))。


ただ、欝という、人生最大の衝撃によって、僕の弱点もエゴも一度、

完全に解体されました。

もう、強制的に…

それまで、自分には才能がある… とか、人より仕事ができる… とかの諸々のプライド、自尊心、虚栄心、そういったものが完全に崩れ落ちてしまいました。

仕事どころか、家からも出れない、布団からも出れない、頭の中はずっとぐるぐるとめまいがして、自分でも「人間が壊れた…」と、絶望的に気分になりました。

その時、僕の心を支配していた心配はただ一つ…

「この欝は一生治らないかもしれない…」

というものでした。


そこまで落ちて、僕は、自分のいろんな欲とか、執着を捨てることができました。

逆にいうと、僕のエゴは、そこまで自分が落ちないと落としきれないので、そんな僕を救うために、神さまが、宇宙が、そのようなシナリオを作ってくれたのだと思います。

これって、本当にすごい愛だと思います。


とにかく、僕は、欝になることで、一度ゼロになることができました。


そして、神さまは、その後のシナリオもちゃんと用意してくれていました。

まずは、メンターさんとの出会いです。

あの、一番苦しい時期に、メンターさんからの電話の励ましがなければ、僕は死んでいたか、廃人になっていた可能性もあったと思うし、いまだにひどい欝状態であったかもしれません。

でも、その一番苦しい時期、必要な人が現れたのです。

僕の今の一番の座右の銘?である

人生(宇宙)には、
その時に一番必要なことが、
一番最適なタイミングで起こる

という法則が、まさに起こっていたのです。


そして、多くのスピリチュアルな本を読みました。

何も出来なかったけど、本だけは読むことができたのです。

というか、本を読まずにはいられなかったのです。

僕は本をむさぼるように読んだ理由はただ一つ…

救われたい…

でした。


最後には、もう神さまに頼るしかなかったのです。
(それまでにも、神さまを信じ、祈り、頼ってきましたが、この時はそんなレベルではありませんでした)

僕が読んだスピリチュアルの本は、全て覚者の書いた本です。

覚者は悟りを開いて、この世の、あの世の、真実を見てきた人で、神のメッセージを受け取った人です。

そこに書かれているメッセージは間接的ではありますが、神からのメッセージです。

その神からのメッセージに触れるたびに、僕は救われた気がしました(といっても、本を閉じるとまたすぐに欝状態に戻るのですが…)。

最後の最後で、僕はメンターさんから
「神として生きるか、人として生きるか」
の選択を投げかけられました。

僕に選択の余地は全くありませんでした。

というか、救われるためには、欝から回復するためには、神として生きるの一択しかなったのです。

そこで、僕は神として生きると決めました。

そう決意した日から、僕はみるみる回復していきました。( ・`ー・´) + キリッ

…といけばいいのですが、実際はそんな簡単なわけもなく、そう決意した後でも、欝状態はまだ続き、不安が尽きることはありませんした。瞑想もこの頃はやろうとしても、5分もできませんでした。

ただ、薄皮を剥くように、少しずつ回復していったのだと思います。

一度ゼロになったのが良かったのだと思います。

メンターさんのメッセージや、スピリチュアルな本のメッセージが、少しずつ魂という容器に満たされていって、気がつけば、欝状態から抜けだしていました(明確な境目、本日晴れてウツが治りました!(`・ω・´)b というような境目はありませんでした)。

あの、僕が〝ボワボワ〟と名づけていた、恐怖の目眩(めまい)がいつのまにか止まっていたのです。

僕は救われました。

ただ、欝が治った! と喜んだ後でも、何かの瞬間にフッと心配すると、そこから大きな不安と恐怖の波がやってきて、それに飲み込まれて、またあの〝ボワボワ〟に苦しめられる… ということをくり返しました。

ただ、この頃、脱・欝状態の時には、前に進む力が復活していたので、そこから早く脱出できるように、日々瞑想に取り組んだりすることができるようになっていました。

そして、気がつけば、何時の間にか、もう欝状態に戻ることはなくなりました。

うつ病の期間としては、
3ヶ月ほど地獄の欝状態があり、
その後の3〜5ヶ月は一進一退を繰り返しながら回復していったような感じで、
最終的に僕はトータル6〜8ヶ月ぐらいで欝状態から脱することができました。
(ウツの完治のことを寛解(かんかい)…というんですね。
今日知りました。僕は途中でメンタルクリニック通いを自主的にやめたので)

鬱病には何年も悩む人が多い中、比較的短期間で回復できたことは、本当にありがたいことでした。


そして、欝から本格的に回復した後は、経済的にヤバイ時期があったりもしましたが、恐怖に支配されることはありませんでした。

何故なら僕はもう身体が動くのです。
身体が動いて精神もマトモであれば、仕事さえ選ばなければ、どこでだって働くことができるし、なんとか家族を食べさせることはできるのです。

そんなふうに割り切る気持ちを持てるようになっていたし、なるようになるしかない、というふうにも思えるようになっていました(神さまと宇宙と神である自分への信頼があったので)。

そして、実際に欝発症から今はちょうど丸2年ですが、若干の波はありましたが、経済的にも、時間的にも、精神的にも余裕ができました。

ウツ以前よりもずっと幸せで安心して生きています。

その幸せと安心感は何によって持たらされたかというと、
欝病を引き金とした、メンターさんやスピリチュアルとの出会いであり、
それは、神のシナリオであったと思っています。

僕が何かを起こしたわけではなく、それは起こったのです。

ですので、最初の質問
やはり、今のように人生が好転したのはスピリチュアルの影響が基盤になっておられますか?

の回答は

イエス

となります。



では、コメントの最後の部分についてですが
私も鬱になりスピリチュアルに傾倒しましたが、一向に人生が良くならず、もう、スピリチュアルなんかにうつつを抜かすのを止めようかと最近悩んでおります。


その気持ち、よくわかります。

僕も欝中に、救われたくてスピリチュアルに傾倒しましたが、結果としてはスピリチュアルに救われるのですが、渦中にある時は、本を読んでなんとなく気分がよくなっても、本を閉じれば、めまいはするし、現実的に何かが前進しているわけではないので、こんなことをしても意味がないのではないか? とか、スピリチュアルにばかり頼っていても欝は治らないではないか! とか、あるいは、そもそもスピリチュアル本なんて全部ウソなんじゃないだろうか? みたい疑念が何度も頭をよぎりました。

また、スピリチュアルに傾倒していっている自分、目覚めとか、悟りとかを求めている自分はただ、現実から逃げているだけじゃないか? とも思ったし、
こんな本ばかり読んで、しかもその内容を全面的に信じている僕は、もしかして本当に頭がおかしくなってしまっているのではないだろうか? という恐怖に包まれる時もありました。

また、欝が治った後にも、スピ本は読み続けていたし、瞑想伝授を受けたり、やまがみてるおさん、阿部敏郎さん、雲黒斎さん、ボブ・フィックスさんのセミナーに参加したりしてましたが、その間はスピリチュアル激ハマリ状態だったので、仕事もロクにせず、毎日、本を読んで、瞑想して、菜園の世話をして、ランニングをしていました。
(↑コレ、俺が奥さんだったらキレてますね(滝汗))

その結果、貯金が底をつき、いよいよ経済的にヤバくなり、スピリチュアルにかぶれすぎて、地に足がついてないんじゃないか? みたいな不安がありました。

結果からいうと、僕は去年の夏に、
豊かさを心から信じれば、豊かさは引き寄せられる… とか
この世は幻、私もあなたも本当は存在しない… とか
現在も過去もない、あるのは〝いまここ〟だけ! とか… 
ワンネスだよ! とか
スピリチュアルではいってるか知らんけど、
これヤバくね!?ヽ(・д・!i!i)ノヤベェェベ
現実的に、僕には守るべき家族がいるし、瞑想してても空からお金は降ってこない以上
がんばって稼ぐしかない!

と、スピリチュアルモードから、リアルワールドモードに切り替えて、必死で働きました。

僕は、この時のこの判断は間違ってなかったと思います。

というか、失敗も成功も含めて、僕の判断にも、あなたの判断にも、間違いは1ミリもないのです。

その時、一番必要なことが、ただ起きているのです。

必要に迫られたとはいえ、この時に僕が、働こう! と思ったということが
宇宙からのメッセージであり、シナリオなのです。

それが、その後、成功したとしても、失敗したとしても… です。


僕の場合は、この夏のがむしゃら仕事モードのおかげでビジネスが軌道に乗り始め、なんとか息を吹き返すことができました。
(と、かっこつけていますが、収入には波があり、実際には綱渡り状態であることを告白しておきます(汗))

もう、一度もんじ様のコメントに戻ると
私も鬱になりスピリチュアルに傾倒しましたが、一向に人生が良くならず、もう、スピリチュアルなんかにうつつを抜かすのを止めようかと最近悩んでおります。


僕も同じように悩みました。

でも、スピリチュアルに傾倒したことで、うつ病が治りました。

しかし、今度は逆にスピリチュアルに傾倒し過ぎたことで、収入が止まりました。

そこで、スピリチュアルに傾きすぎた振り子を少し現実世界に戻し、
現実世界で実際に動いたことで(働いたことで)
お金という現実的なモノを得ることができました。
(仕事モードの時でも、スピリチュアルを完全に封印していたわけではありません。仕事の合間に、スピ本も時々読んでました)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※引き寄せの法則についてちょっといいたいこと

スピリチュアル… というよりも、自己啓発系の本の中には「引き寄せの法則」という一大ジャンルがあります。僕も一時期かなりたくさんの本を読みました(主に欝病以前の話しですが)。

豊かさを心から信じたり、アファメーションすることで、物理的にもお金などの豊かさなを得ることができる… という法則です。

これは、確かにそういうこともあるのですが、正確には、それが実現するのは、潜在意識で(心の奥底から)信じていることが成就する… という法則なんです。

なので、「私は金持ち!」と100回唱えたとしても、心の底(潜在意識)で、「そんなん無理!」と思っていたり、〝貧乏は嫌だ…〟みたいなことを思っていた場合には、そんなん無理になって、イヤな貧乏生活が引き寄せられる… という仕組みなんです。

なので、一番確実なのは、現実に行動することです。

必死で働いていたら、きっと稼げる…という思いが信念とか確信に変ってきます。

そんな風に思いと行動が一致した時に、引き寄せの法則は発動しやすくなるのだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


私に特殊な能力でもあれば、何かもっと具体的なアドバイスができるのですが、僕にはそんなものはありません。

ただ、人は神です。

僕も、もんじさんも神です(もちろんこのブログを読んでくれている〝あなた〟も)。

と、同時に肉体を持つ人間である以上は、それを維持するための衣食住が必要であり、当然のことながら、それを得るための欲とか不安というエゴをもっています。

エゴの正体って、いろんな言い方がありますが、
基本的には
恐れ
だと思います。

そして、その恐れは、どこから来ているかというと
神との分離感
です。

死別で落ち込むのも
失恋で傷つくのも
人に攻撃するのも
人をうらやむのも
自分に自信過剰になるのも
自分を卑下するのも
その根っこにあるのは
神との分離感です。

でも、本当は、僕も〝あなた〟も
一瞬として、神から離れた瞬間なんてないのです。

なぜなら
〝私(あなた)〟は神なのです。

そして神は愛であり光です。
神に恐怖や不安はありません。


もし、あなたが今、恐怖や不安を感じいるのであれば、それは神である本当のあなた(真我)ではなく、あなたの中のエゴが恐れを感じているのです。

そんな時は、あなたが本当は神であることを思い出してください。

そして、恐れを感じている自分(エゴ)を許してあげてください。

何も心配しなくていいのです。

傷つくのも、心配するのも、不安になるのも、それすらも神のシナリオなのです。

今、問題を抱えているとしても、悩みを抱えているとしても
それは、やっぱり
今、あなたにとって一番必要なことが最適なタイミングで起きているのです。


人生には、善きことも、そうでないことも起こります。

2つの道のどちらに進むべきか選択に迷う時もあります。

選択肢すらなく、全くどこに進めばわからない時もあります。

そんな時、どうすればいいのか?


そんな時は、あなたの中の神に聞いてください。

あるいは、神である〝わたし〟なら、どうするだろう?
と問いかけてみてもいいでしょう。

その時に、スッと素直に最初に浮かんできたことが、神からのアンサーです。

その後、たとえ表面的には失敗したようなことになったとしても、大きな流れでみれば、やっぱりそれが最善手なのです。

全ては、より良くなるための仕組みです。

神に帰るためには、あえて試練の道を進まないといけない時もあるかもしれません。

ただ、その時には、それが試練に思えたとしても、神であるあなたの選択にやっぱり間違いはないのです。


なぜなら…


それはやっぱり…


ベストなことが、ベストなタイミングで起きているからです。
オイラの座右の銘!
くどい…!? (´・ω・`)





最後にあなたに作者不明のあの有名な足あとのお話をお贈りします。


砂の上の足跡


ある晩、男が夢をみていた。

夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。

そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。

どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。 ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。

すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。

しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。

すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。

「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。

しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。

私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」

神は答えられた。 

「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。

あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」


Author Unknown

作者不詳




編集後記

必要なことが最適なタイミングで起きる
という座右の銘?は、一応僕のオリジナルです。

といっても、これは本当に真実なので、たぶん多くの覚者も言っていると思うし、僕も何かの本で読んだ内容の可能性が高いです。

ただ、スピ系の本を読むと、すごく目からウロコ落ち! みたいな、電流が流れるような
素晴らしい一文、宇宙の真理に出会うことがあるのですが、その時は興奮して読んでいても、後になったら覚えていない… ということもありがちです。

今の僕にとっては、とにかく、この
ベストなことがベストなタイミングで起きる
という一文がすごく自分にフィットしていて、
この一文だけで、全て解決、オールOK!
というふうに生きることができます。

どのみち、いいことも、そうでないことも
起きるんです。

いいことはウェルカムだけど、よくないことが起きれば
僕たちは、たいてい、狼狽したり、怒ったり、傷ついたりしますが
この〝全てがベスト〟理論を信じていると、何が起きても平気なんです。

いいことがあれば
ラッキー
だし

よくないことであっても
この現象は宇宙が僕に何を教えようとしてくれているのだろう?
どんな気づきを得るのかな?

みたいに、全部オッケーになっていくのです。

それに、不思議なんです。

そう思っているからかどうかはわからないけど、
現実問題として、いいことしか起こらなくなってきます。

まあ、もしかしたら、ホントは最悪なのに、僕の感覚がマヒしてきていて
超ポジティブ野郎になっているだけかもしれませんが…(汗)
あるいはマゾヒストか!(滝汗)

いや、でもほんと最近、辛いこととか
思い煩うということが本当にないです。
(厳密に言うと、一瞬、頭を抱えてしまう… というような現象とか、状況は時々あります。でも引きずらないし、すぐに解決できます)


今日も長文になってしまいましたが、アップしたあとに、一応誤字脱字をチェックしようと読み直していた時に、
はっ!!!! 
と気づいたことがありました。

欝という、どん底の時に
メンターさんや、スピリチュアル系の本との出会いがあって、
やっぱり一番しんどい時に、そういう救世主みたいな人に会う…
という、いつでもどこでもベスト理論を書いてましたが、
灯台下は暗い… 
と、いいますか、一番大切な人のことをすっかり忘れていました…

そう… 
奧さんです。

奥さんとは、もう結婚して12年で、欝の時にピンポイントで現れたわけではなかったし、いつもそばにいるのが当り前だったので、あまり意識していなかったのですが、そもそも、この人と結婚したことが、最大のラッキーだったし、神のシナリオだったんだな… ということがわかりました(この奥さんでなければ、家族崩壊… してたと思います)。

もちろん、欝当時も、その後も、感謝はしていたけど、僕の感謝は全然足りない…

あれだけ迷走していた僕を、一番間近で支えてくれた人です。

感謝の気持ちを一生忘れず、これからの人生でいっぱい返していきたいと思います。
 ↑
 ↑
 ↑
( 理想と現実のギャップは厳しく、
  お調子モノでいいかげんな僕は、
  奥さんからダメ出しと説教の嵐…
  それが、僕の日常… です。Σ(´∀`||;)…(滝汗))


おすすめの本

もうすぐ、読み終わりそうですが、
尻上がりに内容が深くなってきます。
いい本に出会えました。
アマゾンレビューの評価が高いのがわかります。








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2015年10月3日土曜日

自由に生きる

毎週金曜日は残業デーと称して、事務所(借りているワンルーム)で深夜まで好きなことをして過ごしています。

今日は、午後6時には仕事を終えて、近所のスーパーで寿司とツマミとビールを買って、事務所冷蔵後に常住させているワインと日本酒も飲みながら、HULUで「ルイーズに訪れた恋は…」を見ていました。

この映画、観るのは三回目です…

はじめて見たのは、5年ぐらい前で、テレビで深夜に放送していたのを途中から見たのですが、見はじめると妙に引き込まれて、特にキスシーンがロマンチックで、音楽もよくて… その後わざわざTSUTAYAで借りて見直したぐらいです。(主演女優が魅力的!というのが一番の理由かも…)

なので、今日は三回目だったのですが、久しぶりに見た感想としては、
あれっ もっと面白かったはずなんだけどな… という感じでした。

世界一ロマンチックなキスシーン(レストランのシーン)と思っていたシーンがあったんだけど、久しぶりに見ると、以外に普通やな… と思ったりして。

でも、好きな映画です。平坦なストーリーですけども。



そして、映画の後は、またちょっとだけ仕事して、あとは、ずっとネットサーフィンをしてました…

意味もなくMGSVの動画を見たりしながら、気がつけばスピリチュアル系のブログとかサイトをいっぱい見ていました。

最近は、あまりスピ系のサイトを見てなかったし、本もあまり読んでないのですが、なんか流れでそうなってしまいました。

そして気がついたら、

『好きなことをして生きていく生き方』に潜む5つの落とし穴

というページにたどり着いてました。
(僕にとってはお馴染みのVASTSTILLNESSのページ)

なかなかおもしろい記事だったので、興味がある方はぜひ読んでみてください。

簡単にまとめると、最近は時代が変ってきて、組織の奴隷として生きるのではなく、
自分で好きなことをして生きている人が増えているそうです。
ただ、そこには落とし穴もあるよ!っていう記事です。


僕も、自分でも信じられないぐらいですが、今、好きなように自由に生きています。

とりたてて才能があるわけでもなく、誰よりもビビリで小心者だった僕でも、独立して食っていけているので、たぶん誰でも、望めば自由に生きることは可能だと思います。

ちょっと、スピ系とは、話しが離れてしまうかもしれないけど、一般的に僕たちって

やっぱり洗脳されている

と思います。


僕も10年以上組織で働いてきたので、サラリーマンの感覚とかがわかります。

会社であれ、団体であれ、組織で働くということは、
イヤな上司であってもいうことを聞かないといけないし
同僚も部下も選ぶことはできません
勤務地だって、飛べと言われれば僻地であれ、雪国であれ、飛んでいかなければなりません。
通勤地獄もあるでしょう…
サービス残業、休日出勤も時にはあるでしょうし
熱があっても、奧さんや子どもの具合が少々悪くなっても、大事な商談とか、プレゼンがあれば、無理してでも会社に行かないといけない時もあるでしょう…

これって、ある意味奴隷です。

やりたくない仕事であっても、(部署異動とかありますしね)イヤイヤでもやらねばならず、奥さんや子どもと過ごすべきかけがえのない時間を犠牲にして、自分の能力、自分の時間、自分の人生を会社に売っています。

何のために?

お金のために!

です。

世の中って、なかなかハードですね。

もちろん、お金だけでなく、仕事そのものにやりがいを感じたり、社会貢献に喜びを感じている人もいるとは思いますが、それにしても、労働時間は長すぎるのではないか… と思ったりします。

ただ、不平・不満があったとしても、みんな我慢します。
(↑洗脳されているから!)

(↓洗脳されている主な内容…)
( 僕たちは、勉強して、いい大学にいって、大きな会社か、あるいは公務員になるのが安全だし、幸せ…みたいな刷り込みを親や先生や社会から、絶えず受けている。

画家になりたい! 
とか、
ミュージシャンになりたい! 
などと自分の人生を自由に好きに生きようとすると、
親をはじめ周囲の人は「そんなの無理!」とか「失敗したらどうするの?」
と脅しをかける。

お金を稼ぐのは難しいとも刷り込まれている。

なんだったらお金持ちは悪! 
とすら刷り込まれている場合もある。

ハイリスク・ハイリターンは危険! 
無難で安定した人生が一番!と刷り込まれている。

そして、
大変だけどそれが普通だから…
日本人は勤勉が美徳だから…
みんな我慢しているから… 
という社会からの同調圧力もある )



それにキツい面があったとしても、なんだかんだいって会社勤めをしている限りは、毎月の給料が保証されています。
万が一、病気や怪我をして入院… なんてことになっても、傷病手当など、きちんと生活できるようになっています。

会社を辞めて独立すれば、収入は増えるかもしれないし、自由な時間は増えるかもしれない… でも、もし失敗したら… 何の保証もありません。
誰も助けてくれないし、路頭に迷うだけです。
あまりにもリスクが高すぎます。

僕もそんなふうに思っていました。

実際、独立して起業したものの、恐れていたことが起きました。

このブログには当時のことも正直に書いてますが、独立後、みるみる貯金は底をつき、マネーがショートしてしまったのです…

せっかく自由になれたのに…

奧さんと二人の子どもの生活のためには、お金を稼がないといけません。

どこかに再就職する気は全くなかったけど、現金を確保するためには、一時的であれ、バイトぐらいはしないといけないな…

と、ネットでバイト情報を探しました… 真剣に。

40歳のオッサン…というだけで、職種はある程度限られてきます。

あとは、家族の生活費のことを考えると、

高収入(時給・日給が高いもの)

でないといけません。

そうなってくると、選択肢としては
引っ越し屋 居酒屋の深夜勤務
みたいな感じになってきます。

学生時代に引越し屋のバイトをしたことがあったので、あの業界のキツさはイヤというほど知っています。
あと、居酒屋もいろんな店舗でバイトしたことがあったので、あの空気感とか、立ち仕事の体力的なしんどさ、接客の精神的なしんどさも知ってました。

なので、バイトは

絶対イヤや!

と思って、自分の本業の仕事を必死でやりました。
(それまでは、欝から治りたてで、毎日瞑想したり、ランニングしたり、家庭菜園をしたりで、ほとんど仕事をしてなかったのです… アホです)

その結果、なんとか持ち直して、生活はできるようになりました。

今は、収入としても、独立前よりかはいいし、時間は限りなく融通が聞きます。

以前は、家族との時間を犠牲にせざるを得ない場面が多くて、それは僕の独立魂に火をつけた大きなファクターであったわけですが、今は、家族との旅行とか、おでかけ、子どもの行事、奧さんのサポートなど、思いっきり家族との時間を好きなだけ過ごせるようになりました。

収入も大事だけど、僕にとっては、時間、とりわけ家族との時間が確保できたことは本当に大きいです。

一時期は、大きく稼いでやる! と息巻いてましたが、最近はちょっと落ち着いてきて、まあお金の心配をしなくていい程度稼げてたらそれでもいいかな… なんて思えるようになってきました。

豊かであるほうがいいに決まってるし、いくらでも豊かになりたいですが、執着がなくなった感じはしています。

思えば、僕は中学とか高校。大学の頃、一番好きな言葉は〝自由〟でした。

自由に生きたい! 自由に生きてやる!

なんてことをいつも思っていたのですが(当時、高橋歩にはまっていた影響もアリ…)、まわりの就職活動につられ、就職活動をして、就職したら、もうだめですね…

嫌でも現実という社会に飲み込まれてしまいました。

でも、元々が自由を求める男だったので、
世界放浪の旅に出る! 
といって3年ほどで最初の会社は辞めました。

その後、いろんなことがあって、ある神道の世界に出家したわけです。

そこで一生、奉仕をして働くつもりでした。一点の迷いもありませんでした。

が、人生のシナリオってのは予測不能なもので、40を前にやめました。

この時は、最後には欝になったし、ものすごく不安でした…

現実的にも、健康保険だの、税金だの、いろんなことの手続きを全て自分でしないといけないし、厚生年金なんで半分は組織もちだったものが、今度は全額負担とかになるし、出費ばかり増えていくんですね。

日本政府ってのは、やっぱりサラリーマンを優遇というか、独立したものには厳しいな… と世の中の構造を少し知った気がしました。

かなりキツい時期があったのも事実です。

やっぱり辞めるんじゃなかったかな… なんて弱気な気持ちが出た瞬間もありました。

一人で仕事をしていると、寂しい気持ちになって、組織にいたころは、イヤな奴もいたけど、チームプレイの良さも確かにあったよな… なんて懐かしんだり。

でも、仕事が軌道にのっていくのに連れて、不安や心配は小さくなっていきました。



今は毎日
幸せやなあ… って思っています。

この先がどうなっていくのかなんてことは全くわからないけど、なんとなく大丈夫だろう! と思っているし、もっと豊かに、もっと幸せになっていくんだろうな… という予感があります。

もちろん、いいこともあれば、そうでないことも起きるときには起きますが、
全ては、ベストなことがベストなタイミングで起こっている
と僕は、思っているので、
実際に何かが起きたときに善処すればいいと思って、
毎日をのほほんと生きています。

そして、
やっぱり独立してよかった〜〜〜
って思うし、二度と組織でサラリーマン的に働くことはないと思います。

誰の命令を受ける必要もない
自分で全てを決定する
ということは、
本当にストレスフリーです。

あとは、がんばったら、がんばっただけ返ってくるし
さぼったら、落ちるだけ…
というのも、シンプルでいいです。

仕事に対する姿勢もネガティブからポジティブに
勉強する姿勢も変わるし、自己投資もします
身体ですらジムに通って鍛えたりしてるし、
全部、 自分の意志で、生きたい人生を生きています。

あとは、今はボランティア団体にも少し関わっていたりして、人との共同作業の喜びも損得勘定抜きに実感できるようになりました。

今日、こんな記事を書いたのは、
誰でも自由に生きれるよ!
ってことを伝えたかったからです。



いろんな本でも紹介されている

看護師が語った、死ぬ直前に誰もが後悔する「5つのこと」

というのがありますが、そこにはこう書かれています。

01
期待に応えるよりも、〝自分らしく〟生きればよかった

02
あんなにがむしゃらに働かなくてもよかった

03
言いたいことを我慢せずはっきりと口に出せばよかった

04
もっと友達と連絡をとればよかった

05
もっと自分の幸せを追求すればよかった


だそうです。


まあ、どんな人生も全て自分の選択です。

チームプレイを愛してもいいし
自由な生活を愛してもいい

きっと僕たちは、誰でも望み、行動すれば、望む人生を送ることができると思っています。(福士蒼汰くんと結婚! とか、嵐の6人目のメンバーになる! とかは無理目だと思いますが…)


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2015年9月5日土曜日

愛とは偉大なもの

I believe the children are our future Teach them well  and let them lead the way Show them all the beauty  they possess inside  子ども達は未来だと僕は信じてる 丁寧に教えて  未来のリーダーになってもらうんだ 美しさが自分達のなかにあることを 見せてあげるんだ  Give them a sense of pride  to make it easier Let the children's laughter  remind us of how it use to be  容易に成功できるよう 彼らにプライドを実感してもらうんだ 子ども達の笑い声が想い出させてくれるよ 僕たちがかつてどんなだったかを  Everybody's searching for a hero People need someone to look up to I never found anyone to fulfill my needs A lonely place to be So I learned to depend on me  誰もがヒーローを求めている 人々には尊敬できる誰かが必要なんだ でも僕の思いを満たす人には決して出会えなかった 一人ぼっちで過ごす中で 僕は自分自身で生きることを学んだんだ  I decided long ago,  never to walk in anyone's shadow If I fail If I succeed At least I live as I believe No matter what they take from me They can't take away my dignity  ずいぶん前に決めたんだ 誰かの陰で生きるのはやめるって 僕が倒れようと 僕が成功しようと 少なくとも 自分の信じる通りに生きるんだ 僕から何を取り上げようとも 僕の尊厳だけは誰にも奪わせない  Because the greatest love of all Is happening to me I found the greatest love of all  inside of me  だってこの世の最高の愛を 僕は手にしているから この世の最高の愛が 自分のなかにあることがわかったから  The greatest love of all Is easy to achieve Learning to love yourself It is the greatest love of all  この世の最高の愛 手にするのは難しくないんだ "自分自身を愛することができること" それがこの世の最高の愛なんだ  I believe the children are our future Teach them well  and let them lead the way Show them all the beauty  they possess inside Give them a sense of pride  to make it easier Let the children's laughter  remind us how we use to be  子ども達は未来だと僕は信じてる 丁寧に教えて  未来のリーダーになってもらうんだ 美しさが自分達のなかにあることを 見せてあげよう 容易に成功できるよう 彼らにプライドを実感してもらうんだ 子ども達の笑い声が想い出させてくれるよ 僕たちがかつてどんなだったかを  And if by chance that special place That you've been dreaming of Leads you to a lonely place Find your strength in love  もし何かのはずみで きみがずっと夢見ていた特別な場所が 寂しい場所になってしまったら 愛のなかにある自分の力を 見つけ出してほしい…


一日、がんばって仕事をして、今夜は残業で事務所で一人仕事をしていました。

そして、一仕事終えて、買い込んでいたアテをつまみに事務所で日本酒をちびちびとやっていました。(僕はワンルームマンションを借りて事務所にしています)

たいていはすぐ近所にあるGEOに行って、その日のフィーリングで見たい映画を1〜2本choiceして、部屋を暗くしてお酒を飲みながら映画を見ます。

それは、僕にとっては至福の一時であったりします。

もちろん家族と一緒にすごしている瞬間が一番ですが、一人の時間も時には必要で、僕にとっては金曜の夜は残業! とか奧さんにはいって、密かに独身貴族?的な時間を楽しんでいるんです。


今日も飲みながら何を観ようと思って、最近Huluに入ったので、レンタル屋にはめっきり行くことがなくなって、Huluの中で映画を探していたのですが、観たい映画はたいてい見終わっていて、海外ドラマも公開されたばかりのウォーキング・デッドシーズン5も、ゴリ押しで二日間で見終わってしまっていたし、しかたがないので、進撃の巨人を見ました。

まあ、進撃の巨人はテレビ放送もリアルタイムで観てたし、その後もネットで数回見なおしていたので、スジはわかっているし、いまさら… という感じもしたのですが、なんとなく観てしまったのですが、不覚にも1話から8話までを観ている間に3回ぐらい泣いてしまいました…

え! 進撃で泣くの!?

と思われるかもしれませんが、

進撃の巨人は泣けます

ただのグロだけではありません。


で、その後は惰性でネットサーフィンをしていて、Babymetalをひと通りチェックして(あ、俺、9月16日のZeppなんばのベビーメタルのチケットが奇跡的にとれました!本当にラッキーです)、その後、なんでそうなったのかしらないけど、岡村靖幸のPVを立て続けに観てしまいました。

「だいすき」は僕が高校生の頃にヒットした曲で、当時よくあったPVを流すテレビ番組でよくみていました。



僕は当時はXのコピーバンドとかをしていたので、軟弱でナンパでバブリーなイメージの象徴である岡村靖幸はあまり好きではなかったのですが、歌詞の言葉の使い方とか、メロディーラインはポップでキャッチーで好きでした。

「カルアミルク」も名曲ですよね。僕はカラオケで挑戦したことがあるけど、この曲を歌いこなすには歌の技量がけっこういるので、歌うことはあきらめました。


で、いよいよ本題にはいるのですが…
(前置き…なが!)

岡村靖幸を観ていたら、なんか高校時代を思い出して、アノ頃って本当に名曲多かったよな… なんて感傷的?な気分に浸っていたのです。(僕は1974年生れなので、1984年から1994年までをティーンエイジャーとして過ごしたのですが、あの頃の洋楽ってメロディーがキレイでポップで本当に大好きです)

そして、突発的にホイットニー・ヒューストンが聴きたい! という衝動が湧き上がってきました。

で、僕がホイットニーの曲の中で一番好きなのが

ファーストアルバム「そよ風の贈り物」の中の

The greatest love of all / 愛とは偉大なもの

なんです。



ホイットニーは歌はもちろん上手いし、メロディーもキレイなので、ほとんどの曲がすごく心に刺さるのですが、この曲だけは、なぜか何年たっても心に強く残っている曲なんです。

といっても、僕はホイットニーのアルバムは持ってないし、この曲のPVをわざわざ観る… なんてことはそれこそ高校生の時以来、20数年ぶりのことだったんですね。

で、このPVを本当に久しぶりに観て、英語の歌詞を検索して、それを見ながら聴いたんだけど

え! こんなこと歌ってたの!? 
ってほんとうにびっくりしたし、感動しました。

そして、ああ、こんないいこと歌っている曲やったから心に残っていたんかな… と納得したりもしました。

高校生当時の僕は洋楽はメロディーの良さだけで聴いていて、正直歌詞の意味とか全然わからずに聴いてました。

この曲に関しても、全く意味はわからずに、ただ「いい曲やなあ」と思っていただけです。

でも、僕も大人になって、大学の時にはバークリーに短期留学したりしたので、この曲の歌詞の意味ぐらいなら、ほぼ正確に理解することができます。

ほんとうに衝撃を受けました。

だって、ホイットニーは、

この世で最も偉大な愛は、自分の中にある

自分自身を愛すること
それこそが、この世で最高の愛

って歌っているんだから。

これは本当にこの世界の核心であり、
今、世界に最も足りていないのは、この自分を愛することじゃないか… と僕も常々思っていたので、びっくりしました。

僕も欝を経て、その後おだやかな時間を1年以上すごして、少しずつ自分を愛することができるようになってきました。

〝愛〟っていうと、一般的には、恋人を愛すること…
とか、他人を愛することを連想してしまいます。もちろん人を愛する気持ちも貴いものです。ことに母親が我が子を愛する気持ちは一番神の愛に近い… ともいうし、それは本当に美しいことです。

でも、自分を愛する… というと、とたんに、それはエゴ… とかそれはわがまま… とか自己愛は見苦しい… という風潮がありますが、僕はそういう風潮をこの世から一掃したい! なんてことを思っています。

みんな、自分への愛がなさすぎます。

世の中の犯罪とか事件が起きるのも、自分への愛がないからです。
(解説すると長くなるので、端折りますが、攻撃する人間ってのは、弱い人間で、愛が足りなくて、その不安と恐怖から他人を攻撃してしまうのです)

自分への愛がないと、人間が生きていく上で最も大切な要素である自己肯定感も育ちません。

あと、犠牲心とか我慢が美徳… というのも、ある面で大切かもしれないけど、それが故に自分を殺す… 自分の自由意志とか、心から願っているものを捨てる… というのは、違うなと思っています。

自分を愛することができる人は、当然ながら人を愛することもできるし、神を愛している人です。

そういう人が一人でも増えれば、きっとジョンレノンが歌っていたイマジンのような世界が実現するでしょう。

ホイットニーの歌に話しを戻すと、英語の歌詞でも意味は十分にわかったんだけど、一応日本語訳の歌詞もチェックしよう…(汗) と思い、検索をかけると、下記サイトがヒットしました。

The Greatest Love Of All / 愛とは偉大なもの (George Benson / ジョージ・ベンソン)1977

え!

もしかして、ホイットニーの、
この名曲ってカバーなの!?

と思ってこのサイトを観てみると、本当にカバーだったのです。

そのサイトにはられていたオリジナルの曲の動画と歌詞は以下の通りです。
(ホイットニー版も曲の構成も歌詞も全く同一です)

一番の最初からサビ、二番、エンディングまで
本当に素晴らしいことが歌いあげられています。

覚者が何百ページもの本を書いて伝えていることを
アーティストは、わずか数十行の歌詞と
5分の歌で伝えることができるんですね。

そういうことを考えると
歌ってやっぱりいいし
アーティストってスゴイなって思います。


このオリジナル版もすごく心に響いてきます。

きっと、このメロディーと歌詞はあなたの心にも響くと思います。

ぜひ、聴いてください。



I believe the children are our future
Teach them well
and let them lead the way
Show them all the beauty
they possess inside 
子ども達は未来だと僕は信じてる
丁寧に教えて
未来のリーダーになってもらうんだ
美しさが自分達のなかにあることを
見せてあげるんだ 
Give them a sense of pride
to make it easier
Let the children's laughter
remind us of how it use to be 
容易に成功できるよう
彼らにプライドを実感してもらうんだ
子ども達の笑い声が想い出させてくれるよ
僕たちがかつてどんなだったかを 
Everybody's searching for a hero
People need someone to look up to
I never found anyone to fulfill my needs
A lonely place to be
So I learned to depend on me 
誰もがヒーローを求めている
人々には尊敬できる誰かが必要なんだ
でも僕の思いを満たす人には決して出会えなかった
一人ぼっちで過ごす中で
僕は自分自身で生きることを学んだんだ 
I decided long ago,
never to walk in anyone's shadow
If I fail
If I succeed
At least I live as I believe
No matter what they take from me
They can't take away my dignity 
ずいぶん前に決めたんだ
誰かの陰で生きるのはやめるって
僕が倒れようと
僕が成功しようと
少なくとも
自分の信じる通りに生きるんだ
僕から何を取り上げようとも
僕の尊厳だけは誰にも奪わせない 
Because the greatest love of all
Is happening to me
I found the greatest love of all
inside of me 
だってこの世の最高の愛を
僕は手にしているから
この世の最高の愛が
自分のなかにあることがわかったから 
The greatest love of all
Is easy to achieve
Learning to love yourself
It is the greatest love of all 
この世の最高の愛
手にするのは難しくないんだ
"自分自身を愛することができること"
それがこの世の最高の愛なんだ 
I believe the children are our future
Teach them well
and let them lead the way
Show them all the beauty
they possess inside
Give them a sense of pride
to make it easier
Let the children's laughter
remind us how we use to be 
子ども達は未来だと僕は信じてる
丁寧に教えて
未来のリーダーになってもらうんだ
美しさが自分達のなかにあることを
見せてあげよう
容易に成功できるよう
彼らにプライドを実感してもらうんだ
子ども達の笑い声が想い出させてくれるよ
僕たちがかつてどんなだったかを 
And if by chance that special place
That you've been dreaming of
Leads you to a lonely place
Find your strength in love 
もし何かのはずみで
きみがずっと夢見ていた特別な場所が
寂しい場所になってしまったら
愛のなかにある自分の力を
見つけ出してほしい…

どうでしたか?

あなたの心にもきっと響いたんじゃないかと僕は思っています。

僕は、あまりにもこの歌のメッセージとメロディーが美しすぎて、
何回聴いても泣けてきます…

ちょっとお酒が入っているから… かもしれませんが!(汗)



編集後記&おすすめの本

日本人なので、日本語の歌ももちろん好きなんだけど
洋楽って本当にスゴイことを歌っている曲が多いです。

言語的な特性なのか、宗教的なバックボーンがあるからなのか
あるいは、神とつながっている人が多いからなのか

恥ずかしげもなく、神とか愛とか宇宙とか
この世界を賛美するような曲が多いです。

そういうところ、西洋のアーティストたちは
ストレートで素敵だなと思います。

まあ、芸術家なので、きっと神からインスパイアされたり
曲が降りてきたり、詩を書かされたり…
みたいなこともあるのかもしれません。


おすすめ本

つい、3日ほど前に、ついにKindleペーパーホワイトを買ってしまいました。


数日間、Kindleいいな… ほしいな…
どの機種にしようかな…
とリサーチをしていたのですが、
突然最新機種のKindleペーパーホワイトが
4,000円オフ! となっていたので、
もう、瞬間的にポチってしまいました。

本当に紙に印刷しているみたい…

とよくいわれるKindleペーパーホワイトですが
実機をもって、確かに! と思いました。

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▲写真じゃ伝わりにくいけど、めちゃくっきりでキレイです。しかも暗闇でも目がつかれない!


いい買い物をしたと満足しています。

そして、Kindleペーパーホワイトを買うとAmazonプライム会員は一ヶ月に1冊好きな本をダウンロードできるのですが、僕は記念となる最初の一冊はこの本にしました。


この本を電子書籍版で読んでいるんですが、もうハイライトだらけです(重要と思う行にラインを引くことができる)。

この本に書かれていることのエッセンスは、とにかく自分が心からワクワクすることをやりなさい。ってことなんだけど、今日紹介したホイットニーの曲とも完全にその世界観は一致しています。

もうね、それぞれがあるがままに、思うがままに、自由にわがままに生きたらいいんですよ! 本当に人間が心から望むことって絶対に邪悪じゃない。

ぼくたちは、愛であり、神なのだから。



毎日ちょっとずつ読んでいます。
本当にいい本です。
いろんな人生の疑問が解き明かされていく感じです。








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