2018年がはじまりましたね。
昨年はあなたにとってどんな一年だったでしょうか?
僕の2017年は穏やかで平和なものでしたが、ちょっとビジネスモードに入りすぎていたかな… という感じです。
もうすっかり過去のことになりつつありますが、僕は2013年の秋に人生ではじめてうつ病を発症しました。
2014年の一年間はずっとうつ病との戦いで、スピリチュアルな本を読みあさったり、瞑想ばかりしていました(あと家庭菜園とランニングとか…)
2015年には、ほぼうつ病からは回復して日常を取り戻したのですが、当時の僕は
悟りたい…
という思いを強くもっていました。
幸いなことに貯金がそれなりにあったので、あまり仕事もせずに、瞑想とかスピリチュアル系の本を引き続き読んでました。
そして2016年の1月1日に、ずっと気になっていた本
「奇跡のコース」
に取り組みはじめました。
奇跡のコース… という本のタイトルは知っている人も多いかと思います。
僕がリスペクトしているエックハルト・トールもそうだし、その他大勢のスピリチュアル系の著者が、目覚めのきっかけとして「奇跡のコース」をあげている… そんな本です。
まさに、スピリチュアル界の原典であり、バイブルのような本です。
本は二冊からなっていて、一冊目はテキストです。
900ページ以上もある、かなり骨太な本です。
二冊目は、ワークブックとなっていて、365のワークが掲載されていて、そのワークを每日1レッスンずつ、つまり一年間通して取り組むレッスンが掲載されています。
僕は、このワークに2016年の一年間、每日取り組みました。
ワークの内容は、かなり興味深く、え〜〜〜〜!
とビックリするような内容がたくさんありました。
レッスンの内容についてはちょっと要約もできないぐらいに多義にわたっているのですが、シンプルに説明するのであれば…
僕の持っていた常識とか固定観念をことごとくひっくり返す内容で
それまでの世界は物事への見方を大きく変えてくれました。
ただ、正直に書くと、ワークに一年間取り組んだからといって、僕の中の何かが大きく変わった… というようなことはなかったと思います。
それは多分、僕は本当の意味ではレッスンの内容を理解していなかったのだと思います。
へえ〜すごいな… とは思いながらも表面的に取り組んでいたというか…
あとは、これも正直に書くと、ワークブックのほうは每日読んで、レッスンに取り組み、読了しましたが、1冊めのテキストのほうは、ほとんど読めませんでした。
なんかこう頭に入ってこないというか、理解が難しかったのです。
そして、2017年は、奇跡のコースを開くことは一度もありませんでした。
悟りとかスピリチュアルは一度脇に置いておいて、現実に向き合い、ビジネスモードに入っていたからです。
ただ、今年、2018年の正月にずっと本棚に置いていた奇跡のコースが突然気になって、よし、今年は再び「奇跡のコース」に取り組むぞ! という思いが自然に湧き上がってきました。
そして、今回はレッスンに加えて、テキストのほうも每日3ページずつでもいいから読了しよう!と思って每日読んでいるのですが、この内容が今回はスラスラ入ってくるのです。
前回はどうやっても頭に入ってこなかった文章が、今回はページをめくる手が止まらないぐらいの感じで、もっと読みたい! すごい!
って感じです。
本って、やっぱり読むべき時期とかタイミングってあると、あらためて思いました。
本日、当ブログを更新しよう…と思ったのは、ワークブックのレッスン7
私は過去だけを見ています
という内容をシェアしたいと思ったからです。
実は、私も、そして多分あなたも、本当に過去だけを見ているのです。
僕はうつ病から回復していく過程で、自分の築きあげてきたもの
立場とかプライドとかが全て崩壊しました。
それはまるで、それまでの自分が一度死んだような感じでした。
そして新しい自分に生まれ変わったような感覚がありました。
欝になるまでの僕を今振り返ると、完全に別人だったなと思います。
他人の目線、他人の評価を常に気にして生きていました。
そして、知らず多くの人を傷つけていました。
あの頃の自分に比べたら、現在は本当に多くのものを手放すことができたと思います。
かなり自由だし、心も軽く、每日が幸せです。
でも、やっぱり昔のクセというか、いまだに多くの課題が残っています。
ずっとそれにとらわれ続ける… ということはないのですが、フトした瞬間に、
怒りとか
悲しみとか
寂しさとか
不安とか
そういったエゴが湧き上がってきます。
何か特定の場面やシチュエーションになった時に、そういったエゴは湧き上がってきます。
それはどうしてか?
その理由は過去に同じような場面で辛い体験をしたことがあるからです。
本当は私もあなたも無敵で、いまここに置いては全く問題はありません。
でも、奇跡のコースにそう書いてあるように、私たちは過去だけを見ています。
上司に起こられたくない
親には認めてほしい
友達に裏切られるのは嫌だ
そんな思いは誰でも持っているかもしれません。
以前の僕はそんな思い(エゴ)を強くもっていました。
でも、人間ってなんでそうなっちゃうんでしょうか?
世界は愛に満ちていて、人は信用していいし、本音で生きていいはずの世界です。
でも、実際の現実社会では、誰もが鎧に身を固め、本音はなかなか見せません。
それはたぶん、私たちの中に傷ついたトラウマのようなものがあるからです。
今朝、奇跡のコースのレッスン7「私は過去だけを見ています」に取り組んでいる時にふっと昔の辛い体験を思いだしました。
なぜか思い出したのは、幼いころに通っていた「合気道」の道場での出来事です。
道場に通いだした頃に、先生と話している時に、僕が「うん」と返事をしていたら、それまでずっと優しいイメージだった先生に、かなりキツイ感じで
「ウンじゃない! ハイだ!!!」
と、怒られた場面がフッと湧き上がってきました。
もしかしたら、これが人生で初めて(親以外に)怒られた体験かもしれません。
その時の怒られて萎縮した感覚は今でも覚えています。
先生とか、年上の人は偉いので、敬語を使わないといけない…
そういう価値観、世界観の始まりだったと思います。
その後も、部活でも理不尽な先輩とか、めちゃくちゃな上司とか、いろんな体験をしてきましたが、それでも「上司に嫌われたくない…」というエゴが僕の中にあるのは、きっと幼い頃の、あの合気道道場でのトラウマ体験があって、あんな思いはしたくない… というエゴが自分の中にあるからだと思ったんです(ワークをしながら気づきました)。
ほかにもいろんなことがつながりました。
親から嫌われたくない…
僕の場合、そのエゴの原点は、三才ぐらいの時に、親戚一同が我が家にあつまったパーティーで、嬉しくなってリンゴにマヨネーズをつけて食べようとしたら、それまで一度も怒ったことがなかったような父が突然ブチ切れて「もったいないことをするな〜〜〜!」と、すごい剣幕で大声で怒られたことです。
かなりショックでした。
今わかるのは、普段起こらない父があれだけ怒ったのは、親族の前だったからだと思います。
食べ物で遊んで無駄にしようとしている我が子を親戚の手前、放置できなかったのでしょう。
要するに、そこには愛とか教育はなくて、きちんとした親であることを親族に見せたいというエゴでしかられたということです。
でも、僕は、そのリンゴで遊んでいたわけでもないし、無駄にするつもりもありませんでした。
ただ、親戚がたくさんいて、嬉しくなってテンションがあがって、リンゴにマヨネーズをつけて食べることで、注目を集めたかっただけなのです。
もちろん、そのリンゴは食べるつもりでした。
でも、リンゴを取り上げられ、全員の前で一括されたことで、僕はほっぺたをプルプルとさせて泣きたい気持ちになって、その後のパーティーを一切楽しむことができませんでした。
いまだに僕の中には、親に対する複雑な思いが、何かの瞬間にフト湧き上がることがあります。
そして、その原点はきっと、あのリンゴ事件だったと思うのです。
なんか個人的な思い出をつらつらと書いてしまいましたが、きっとあなたにも、特に子供時代に体験したなんらかの痛みとか辛い体験があって、そういった体験を重ねて大人になっていく過程で、
人に嫌われないように
人に好かれるように
本当の自分を出さないように
している部分もあると思います。
だって、人に嫌われたことがない人間は「人に嫌われたくない」という発想自体が起こらないと思います。
本当の自分が出せないのは、過去に本当に自分を出して失敗した体験があるからです。
奇跡のコースのレッスン7「私は過去だけを見ています」に取り組みながら、そんなことを思ったので、急いでブログに書きました。
僕の中にもいまだに、ずっと心の底にかかえている痛みを伴う体験が残っていることがわかったんですが、そんなエゴとか思いはもう、どんどん手放していこうと思います。
本当に自分でいたいし、本音で生きたいです。
本音を出して、痛い目にあったこともありますが、それは過去のことです。
今度は、本音を出したら、もっと打ち解けあう… そんな未来が広がっている可能性もあるのです。
過去はもういいです。
いつでもニュートラルな気持ちで、いまここを楽しんでいこうと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿