2025年10月21日火曜日

“恐れ”から“愛”へ—聖霊が教えてくれたこと。

“恐れ”から“愛”へ——聖霊が教えてくれたこと。


朝、目が覚めたとき。
まだカーテンの隙間から光が差し込む前に、心の中でざわめきが始まる。
今日の予定、昨日の後悔、あの人への小さな苛立ち。
まるで心の中にラジオがあって、ノイズ混じりの放送を垂れ流しているみたいだ。

けれど、その奥にもう一つの声がある。
小さくて、静かで、でも確かに響いている。
奇跡のコース(A Course in Miracles)は、その声を「聖霊」と呼ぶ。

僕たちはいつか、神から離れたと信じてしまった。
けれど本当は、離れたことなど一度もない。
聖霊はその“記憶”のような存在で、僕らの心の奥で、ずっと帰り道を照らしてくれている。

「あなたは失われていない。
あなたはただ、夢を見ているだけ。」

その声は、責めることも、急かすこともない。
ただ穏やかに、愛へ戻る方向を指し示してくれる。

人を許すことって、ずっと難しいと思っていた。
でもACIMは言う。
赦しとは「相手を許すこと」ではなく、「ものの見方を愛に戻すこと」だと。

怒りの奥には、いつも“愛の呼びかけ”がある。
そのことに気づくたび、世界が少しやわらかくなる。
敵が味方に変わるわけでもないのに、心の重さがふっと消える瞬間がある。
それが、聖霊が働いているサインなのかもしれない。

夜、静かな部屋で目を閉じる。
今日もいろんな声を聞いてきた。
不安や焦り、正しさを競う声。
けれど最後に聴きたいのは、ただひとつの声だ。

「あなたは愛そのもの。
そして、いまも神の中にいる。」

その言葉が胸の奥で響くとき、
何かが静まり、あたたかな光が広がる。
聖霊は、いつも沈黙の中にいる。
そして、その沈黙こそが、僕たちが“愛へ還る旅”を歩んでいる証なのだと思う。

あとがき

聖霊は特別な人のものじゃない。
誰の心にも、同じ“静かな案内人”がいる。
怒りや不安に覆われて見えなくなることもあるけれど、
それでも声は途切れない。

今日もまた、恐れではなく、愛を選んで生きてみよう。
その選択の積み重ねが、きっと「還る」ということなんだと思う。


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奇跡のコース, ACIM, 聖霊, スピリチュアル, 愛, 赦し, 心の平和, あるがままに, 内なる声

2025年10月20日月曜日

香咲弥須子さんの米子のセミナーに参加しました

 めっちゃ久しぶりの投稿です。

昨日、2025年10月19日(日曜日)、鳥取県米子市の米子市公会堂で開催された香咲弥須子さんのセミナー(リトリート)に参加してきました。

オンラインや、書籍を通して、香咲弥須子さんのことは知っていましたが、生の香咲弥須子さんに合うのは、昨日がはじめてでした。

参加費18000円は決して安い金額ではありませんが(そして京都からの長い車移動!)、参加して本当に良かったです。

自分の中で本当に大きな変化がありました。

それは一言でいうと…

もうサレンダーしよう。

という確かな気持ちです。


何をサレンダーするのかというと…

単純に一言で言うと…

もう、エゴは手放そう。

ということです。


あるいは別の言い方をするのであれば…

ホリースピリットと共に生きていこう

という決意です。


昨日のセミナーから一晩明けた朝に、今このブログを書きたくなって久々にキーボードを叩いています。

昨日と今日の気づきを忘れたくないので、忘備録的に残したいなと思ったのと、きっと、途中人でエゴ、雑念まみれのこの中年おっさんの気づきはきっと誰かの役に立つかもしれない…と思ったからです。

今日から、僕は生まれ変わります!

久しぶりにACIMのテキストを開いて呼んだのですが、なんと前回僕がテキストを読んだのは、今から10ヶ月以上前の2025年1月1日でした!(ACIMを読んだ日は僕は必ずエクセルに記録してます)

道理で、生活全般がうまくいかないわけだ…(汗)

まあ、ACIMのワークは断続的にやってきたし、ぽよぽよサンガでの香咲弥須子さんの配信動画は、擦り切れるほど繰り返し見てきたんだけど、でも、やっぱりACIM原典から、これだけ離れていたということは、僕の心がそれだけ浮ついていたのだと思う。地に足がついていなかった…。

昨日の香咲弥須子さんのセミナーでは、僕は思わず質問してしまったのだけど、香咲弥須子さんからは、とても厳しくも愛のある回答をいただくことができました。

僕に回答するときの香咲弥須子さんの眼光はとても鋭く、僕のハートにぐさぐさと突き刺さりました(いい意味でね)。

あれぐらいはっきりと言ってもらわないと、僕はエゴを手放すという決意を持つことはできなかったと思います。

この話は長くなるので、何回かにわけて、みなさんにシェアしますね。