2014年6月18日水曜日

なまけ者のさとり方



僕はよく図書館に行きます。

で、今日も行ったんですが、図書館ではまず精神世界と自己啓発とビジネス書のコーナーに直行します。

しょっちゅう行っているので、本棚のラインナップはあまり代わり映えしないのですが、それでも時々、おっ! というような新刊や、今まで誰かに借りられていて、初めてみる古い本に出会ったりします。

今日は本棚に「なまけ者のさとり方」という本がありました。


かなり古い本だし、汚れもひどかったので、この図書館には長年置かれていたんだろうけど、今まで見つけることが出来ませんでした。

が、今日は一瞬で僕の目に飛び込んできました。

実は、この本はスピ系翻訳の大家である山川紘矢さん・亜希子さんの翻訳で、山川紘矢さんの何かの本の中で、『「なまけ者のさとり方」はすごくおすすめ』と書かれていたので、読みたいな… と思っていたのです。

本ってタイミングが大切で、読むべき時がきたら、きっとその本に自然な形で出会えるものだと思います。

今日はそんな風にして、この本に出会い、何か運命のようなものを感じていました(大げさ!)。

で、図書館でパラパラと読んだのですが、これは名作の予感がひしひしとあります…

雰囲気としては「マスターの教え」を読んだ時に近い感覚に襲われました。

薄い本という点も共通しているし、何かよくわからないけど、静かだけどすごい確信をついたことが書かれているという点がよく似ていていると思います。

というわけで、この本の中からちょっと気になった文章を引用しますね。

ちなみに著者のタデウス・ゴラスさん(故人)って、こんな人です。



なまけ者のさとり方の珠玉の文章


私は怠け者です。世間でよく言われているように、さとりを開くためには何年も修業が必要だとか、人一倍の努力や厳しい自己抑制、自己鍛錬をしなければならないというのなら、さとりは私には関係なかったでしょう。そのうえ、食べ物に気をつけなければいけないとか、タバコは身体に悪いからやめろとか、道徳にかなった生活をしなくてはいけないというようなことになれば、なおさらのことです。さとりはこれらのこととはまったく関係がないと、私はこの本でいいたいと思っています。

同感です。
悟るために修業や苦行が必要と思うのは、エゴが思わせていることです。
もちろんさとりへの道は、人それぞれなので、修業や苦行の末にさとりに至る人がいることもあるでしょう。でも、さとりって、誰もがある意味すでに悟っていて、自分の中の神・真我に気付くことだから、外に求めるものでもないし、逆に外に求めることはさとりを遠ざけることになります。
上の文章にあるように、さとりは道徳とか生活習慣とかとは関係なく、誰にでもどんな形でもふっと起こったり、あるいは徐々に起こるものだと思います。


「私たちはみな平等です。そして宇宙とは、私たちのお互い同士の関係です。宇宙はただ1種類の実体からできていて、その一つひとつが生命を持ち、一つひとつが自分の存在の仕方を自分で決めています」
以上のことさえわかれば、だれでもこの本を理解できるのはもちろん、自分で本を書くこともできるでしょう。私のこれからの話はすべて、この最初の文章にもとづいています。


一つひとつの生き物の基本的な営みは、拡張することと収縮することです。広がることと縮むこと、と言ってもよいでしょう。拡張した生き物は「スペース」となって四方に浸透してゆきます。収縮した生き物は濃縮し、「かたまり」になります。私達は個人としてもグループとしても「スペース」「エネルギー」「かたまり」のうちのどれかになって見えます。そしてそれは、私達が自分で選んだ拡張と収縮の割合によって決まってきます。また、その時にどんなバイブレーション(振動数)を私達が出しているかによっても決まってくるのです。それぞれの生き物は自らのバイブレーションを、自分でコントロールしているのです。 
完全に拡張した生き物は「スペース」、つまり空間状態となります。拡張しているとどこにでも浸透できますから、私達は他の拡張している生き物と同じスペースに存在することができます。実際、宇宙にあるすべてのものが一つのスペースになることも可能なのです。 
この広がりを私達は意識の広がり、理解の深化、あるいは魂の広がり等として体験しますが、その体験をどう呼ぶかは、各人の自由です。完全に広がりきった時、私達は完全な意識の拡大、つまり、すべてのものと一体となった感覚を体験します、そのレベルに達すると、他のどんなバイブレーションにも、他の個体のどのような行動にも、まったく抵抗しなくなります。時間を超えた至福感、意識や知覚、感覚の無限の広がりを味わうのです。 
この状態を「スペース」と表現しますが、このスペースは私達のだれもが到達できる体験なのです、ただ、この地上において、その状態を正確に説明することは難しいのです。なぜなら、この感覚は無限だからです。「スペース」と定義した瞬間、それは限界のあるものになってしまうからです、また、次のように説明してもよいのかもしれません。すべてと一体化した魂は、あらゆることを体験することができます。そして、すべてと一体化した魂とは、無限に広がった状態にいる時の私達のことなのです。また、こう理論的に言ってもよいでしょう。神は御自分自身よりも不自由なものは何一つ、お作りになりませんでした。でも、御自分の複製をお作りになれば、その複製を通してこの宇宙を楽しむことがおできになると知っていました。実は、宇宙の全ての存在は、神の思いによって作られた神の複製なのです。

引用がかなり長くなってしまいましたが、この拡張と収縮、「スペース」と「かたまり」という表現は僕にとっては新鮮な表現でしたが、なるほどと理解できました。

日本人の伝統的な神道の教えでも、魂は喜び勇むと大きく拡大し、悲しみ後悔すると小さく縮むと言われています。

僕たちの心は本当はどこまでも自由で愛は無限に拡がっていくものですが、生まれてから大人になるまでの間に、ありとあらゆる恐怖や不安、あるいは裏切りなどにあい、そのトラウマから自分を守るために、心を閉じるようになってしまいます。

誰もが本当は愛そのものなので、愛に基いて行動できればいいのですが、僕たちは根底に人から拒絶されたらどうしよう… というような恐怖があるので、本当の意味で愛に基づいた行動ってなかなか取れません(母親の我が子への愛は純粋なので例外ですが)

優しさっていうのも愛の一つの形ですが、その優しさも実は不安の表れであることもあります。

例えば、その人への本当の愛があれば、時に率直に厳しいことを伝える必要もあります。自分が嫌われてでも相手のことを思いやって苦言を呈するのは本当の優しさですが、たいていの場合は、僕たちはそうしません。

自分のことを優しいと思ってほしいという打算が心のどこかにあって、そして優しい言葉をかけたりします。

優しさ一つとっても、僕たちはなかなか本当の愛に基づけないものです…


話がちょっとズレました…

上の文章の中に、それぞれがバイブレーションをもっていて、そのバイブレーションがそれぞれの世界を作っている… ということが書かれています。

これも真実だと思います。

これは現代では引き寄せの法則とも言われていますが、人間は、自らが望んだものを自動的に引き寄せています。

引き寄せたくないこと、例えば事故とか破産とか失恋とか失業とか病とか、そんなもの引き寄せた覚えはないし、望んでいない! と思えるケースもありますが、そういった場合でも深層心理で破産を恐れていたりすると、実際に破産をしてしまうのです。

僕たちが自覚している意識は表層意識と呼ばれていて、それは本当に氷山の一角に過ぎません。実際には海面の下にその何十倍もの体積をもった氷があるのですが、それが深層意識です。

そして、その深層意識のほうが表層意識よりもはるかに大きなパワーをもっているので、自分で意識していなくても、なんらかの不安や恐れをもっていると、その不安や恐れが形をもって表れてくるのです。

金持ちになりたい! と思って、紙に書いたり、アファメーションをしたとしても、それは表層意識に部分に過ぎません。本音の部分(深層意識)で、「そんなに世の中甘くない…」と思っていると、本当に甘いことは起こらないのです。

深層意識で貧困を恐れていると、本当に貧乏になっていくのです。

それがいいことであれ、悪いことであれ、私たちの意識・魂が意識していようと無意識であろうとフォーカスしていることは、必ず形となってあらわれるのです。


上の引用した文章では「スペース」になったら、他の魂の体験を共有できるし、一体化する…的なことが書かれています。

これは「ワンネス」です。

自分は自分、他人は他人… という分離感はエゴ・自我が持つ最大の特徴です。

私たちが「愛」そのものになりきれば、というか「愛」そのものであることを思い出せば、それがさとりであり、ワンネスの実現です。

なんてことを偉そうに書いていますが、僕も頭ではわかっていても、本当のワンネス意識にはなかなか到達できません。(^_^;)

僕にもワンネス体験のようなものはあるのですが、それが24時間、365日続くわけではなく、やっぱりエゴが出てきます。

ただ、その時の感覚(真我とつながった状態)は忘れようがないし、その体験によって、僕は神さまの実在を魂のレベルで信じることができます。


この「なまけ者のさとり方」、まだ半分ぐらいしか読んでませんが、かなり興味深いです。

また、次回、この本から良さそうな文章を引用して紹介しますね。

あゆむ 拝
(*^_^*)


編集後記(日記)

しばらく滞っていた僕のランニングに関するブログですが、今日はなんと一日で3記事も更新してしまいました。
今日の僕のがんばりに興味のある方はこちらのブログをご覧ください^^

ランナーズ・ハイ


おすすめ本

「なまけ者のさとり方」とよく似たテイストの本に「マスターの教え」があります。

これも同じく山川紘矢さん・亜希子さんによる翻訳なのですが、小さくて薄い本なのですが、不思議な魅力があって、その世界に惹き込まれます。

いわゆる「引き寄せの法則」の元祖と言われる古い本なのですが、僕の体験をいうと、この本を読んだことによって、いろんなスイッチが入って、かなり多くのものや人を引き寄せることが出来ました。

一読の価値はあると思います。






おもしろい記事がいっぱいありますね^^

このランキングにも、目覚めた人のブログがいっぱいあります。
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9 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんにちは。
あゆむさんのブログ 欠かさず拝見しています。

最初は 『うつ病は神からの恩寵』 という言葉に もしかして うつ病になったのはありがたい事?って感じですくわれました。でもこの時は ただうつ病を治したくての一身で自分に気休めが欲しくてのスタートでした。 ありとあらゆる情報を溜め込み 実践してお金も時間も病気のために費やして底が見えた時のことです。

最近は 調子が良いと全て忘れ自我と一体化して生活します。でも忘れた頃に不安感等を感じ真我を意識します。
様々な不安感が何かを伝えようとしてくれている?
と思う時があります。

そんな時、
非常に変な表現ですが、 どうせ うつ病になったなら 悟りたいな。と思ってしまう時があります。エゴ丸出しでごめんなさい。


でも今 素直に思うのは 全部の経験は自分に必要なんだろうな。という事です。

真我 自我  を知り始めて間もないですが
今こんな感じです。まとまらない文章で失礼しました。


※瞑想伝授を受けようと思っています。
阿部敏郎さんの伝授か 瞑想のすすめの著者
ヨグマタ 相川圭子さんからの伝授か迷っています。 安全性とかよくわかりません。
よろしければアドバイスをください。



あゆむ さんのコメント...

匿名さま

あゆむです(*^_^*)

欠かさず僕のブログを読んでくれいるとのこと、本当にありがとうございます。

調子が良いと自我と一体、不安を感じると真我を意識…

その感覚よくわかります。

僕も欝のどん底の時は、救われたい一心で真我とつながることだけを考えていましたが、心身が回復して調子がよくなってくると、やっぱりいろんな欲が出て、エゴと一体化している時があります。

でも、僕も匿名さんも、それでOKなんです。

真我という存在を知らなければ、僕たちは24時間365日、エゴと完全に一体化しています。
しかも、エゴと一体化していることに全く気付くことすらできていませんでした。

でも、僕も匿名さんも、いまでは、真我があることも知っているし、真我とつながった体験もあります。

そして、エゴと一体化したとしても、そのことに気付くことができます。

これは、本当に大きな違いです。

そうやって、真我とエゴをいったりきたりしますが、ぐるぐると同じことを繰り返しているようでも、実は螺旋状の上に向かって人生は進んでいるので、確実に人生は上向いてきます。

さとりの定着へと進んでいきます。

なので、エゴと一体化している自分というか、自分のエゴそのものを「エゴも必死なんだな… かわいいな…」ぐらいに、受け入れ、愛してあげてください。

あなたの人生には何の問題もなく、間違ったことは何一つ起こっていません。

さて、下記の質問ですが…

※瞑想伝授を受けようと思っています。
阿部敏郎さんの伝授か 瞑想のすすめの著者
ヨグマタ 相川圭子さんからの伝授か迷っています。 安全性とかよくわかりません。
よろしければアドバイスをください。

僕は相川圭子さんにお会いしたこともないし、本も一冊も読んだことがありません… なので、いいとか悪いとかの判断はできません。

阿部敏郎さんについては、僕はほぼ全ての本を読んで、イマココ塾にも何度が参加して、そして、瞑想伝授も受けたので、その人となりはかなりわかっています。

僕自身は阿部さんというか、瞑想伝授は奧さんの智子さんがしてくれるのですが、阿部夫妻から受けて良かったと思っているし、今後も伝授を受けていこうと思っています。

阿部さんか相川さんか、あるいは他のマスターか、悩むところかもしれませんが、一番いいのは、

あなたの中の神さまに聞いてみることだと思います。

マスターの導きは確かに重要ですが、この宇宙で一番のマスターはあなたの中の真我なので^^

あゆむ 拝
(*^_^*)

匿名 さんのコメント...

あゆむさん
早速のお返事ありがとうございます。
安心できました。感謝。

瞑想伝授 もう少し考えてみます。
瞑想のすすめという本を購入して とても
内容がしっくりきました。
そこで伝授していただこうと思ったのですが
実は ヨグマタさんの事務局の方から伝授を受ける事により症状がぶり返すと言われた事があり、肯定的な捉え方できずにいます。

阿部さんは、あゆむさんのブログを通してですが とても印象が良いです。
一度 いまここ塾受けてから決めます。

あゆむさんのいう通り 自分の中に 答えがあるのでしょうね。

あゆむ さんのコメント...

匿名さま

あゆむです。(*^_^*)

はい、瞑想伝授は逃げないので、ゆっくり考えたらいいと思います。

きっとしかるべき時がくれば、自然な流れで瞑想伝授を受けることになると思います。

いまここ塾に参加するのはいい考えだと思います。

リアルな場で人と接するのはすごく大事だと思います。

ネット上の批判とか評判はあてにならないので、僕も実際にその人と生で会うまでは、一切の判断をしないようにしています。

阿部さんは実際に会ってお話もしましたが、温かい人でした^^

福の神 さんのコメント...

こんにちは(^.^)

「マスターの教え」さっそく注文致しました。

あゆむさんのように、いろいろスイッチが入れば良いんですけど…

わたしは、瞑想も体験的なものも、まだまだです(*_*)

ワンネス意識も、知識だけで、体感的なものもありません。

そういうものを体感、体験してみたいです!!

あゆむ さんのコメント...

福の神さま

あゆむです。^^

「マスターの教え」注文されたんですね。

すごく薄い本だけど、すごく力のある不思議な本だと思います。

何度か読み返していますが、その時によって新たな発見がいつもあります。

下記の件ですが…

>わたしは、瞑想も体験的なものも、まだまだです(*_*)

>ワンネス意識も、知識だけで、体感的なものもありません。

>そういうものを体感、体験してみたいです!!

僕もどちらかというと、知識先行型で、体験はまだまだ少ないです。

瞑想も「今日はエゴだらけで、深く瞑想できなかった…」という日もあります。

でも、それでいいんだと思います。

というのも、エゴOK! ダメな自分でもOK!
悟りとか覚醒がなくてもOK!
と思えた時、つまりあるがままの自分を完全に許し、受け入れた時にこそ、真我につながれるからです。

悟りとか、真我とかは全て自分の中に元からあるので、ただただ自分の内面に入っていけば、そこにつながることができると思っています。

あるがままって、つまりはサレンダー(降伏)です。

悟りたい! 悟りたい! と僕も強く思っていた時期がありましたが、それって結局はスピリチュアルなエゴで(エゴの中でも上等な部類ですが)、悟れなくてももう構わない… と開き直った時に、逆に「あっ、本当にあるがままでいいんだ…」という発見がありました。

お互い、あるがままでいきましょう!

あゆむ 拝
(*^_^*)

匿名 さんのコメント...

こんにちは。
昨日 阿部敏郎さんと向禅師のコラボ講演会行ってきました。
タイトルはずばり 悟りについて。

私は神秘体験があって初めて 悟り で 悟り さえ開けばすべて上手く行く。悟り は凄い体験なんだ!と信じていました。

ですが 向禅師曰く みなさんは悟りを特別なものに考えすぎているよ。例えば 普段の生活の中で 花をみて ああ綺麗だなと感じれれば それが悟りなんだよ。という事を仰っていました。
 
いまここ に関しても いまここ にも色々あって お腹が痛くて喘いでいる辛い時の いまここ もある。という話もありました。

お二人とも柔らかな笑顔で会場を和ませていました。

私は 悟り の知識で頭がいっぱいになりその事で 思考が働きまくっていましたが、もう少し リラックスしてくつろぐ いまここ
を増やそうと思いました。

そう思ったら やっぱり全部 OK なんですね。!(^^)!

あゆむ さんのコメント...

匿名さま

あゆむです。^^

素敵なコメントありがとうございました。

阿部敏郎さんと向禅師のコラボ講演会、よかったみたいですね。

下記の言葉…

>向禅師曰く みなさんは悟りを特別なものに考えすぎているよ。例えば 普段の生活の中で 花をみて ああ綺麗だなと感じれれば それが悟りなんだよ。という事を仰っていました。

全くその通りだと思います。
 
悟りを特別視すればするほど悟りは遠のいていくと思います。

美しい花や景色を見てただ美しいと感じている時は、未来や過去ではなく、まさにいまここにいる状態で、そういう思考の止まった状態もまた悟りであると思います。

素敵な感想を本当にありがとうございました。

あゆむ
(*^_^*)

匿名 さんのコメント...

タデウスさんは「スペース」と表現した概念に
感情に合わせて拡張と収縮するといった運動を
表す意図はまったくないと思いますよ。
そうではなくて、自我を超えて浸透していく
様相を表すために「スペース」と
名前をつけたんだと私は思います。

よくわからないのですが、あるがままにと題されたブログで
なぜ "愛に基いて行動できればいいのですが" とつぶやいたり
事故とか破産とか失恋とか失業とか病とか貧困とかを
忌み嫌うような表現があったりして
あるべき姿が示されているのでしょうか?
私の考えが至らない意図がある可能性もあるので
質問させていただきます。

そして「愛」って言葉が簡単に使われているのですが、
「愛」とはどういう意味ですか?
なぜ「愛」そのものを思い出せばワンネスなのですか?
あなたの文章を見る限り自分と他人とを含んでいる
ワンネスに対する肯定感が「愛」と思えますが、
自分に対する肯定感を「エゴ」と名前を付けるなら、
「エゴ」とあなたの文章中の「愛」の違いは
肯定感の対象となる範囲の違いしかなく
本質的な違いが私にはわかりません。

私も探求中であり、
いろいろな人のご意見を伺いたいと思っています。
いきなり失礼な質問をしていますが、
ご回答のほどよろしくお願いします。