2016年6月22日水曜日

幸せに生きるためのヒント

幸せに生きるためのヒント


幸せに生きるためのヒント
を今日は書きます。

今この文章を読んでいるあなたも、そして書いている私も、おそらく全ての人が幸せに生きたい… と願っていると思います。

でも、実際には、日々の生活の中で不安や悩みを抱えている人がほとんどだと思います。

どうして私たちは不安や悩みを常に抱えているのでしょうか?

あの人に嫌われているかも…
というような人間関係の不安

貯金がほとんどないけど生活していけるだろうか…
というような経済的な不安

大きな地震が来たらどうしよう…
というような自然災害に関する不安

などなど…

誰もが何かしらの不安や悩み、あるいは恐怖を抱えているかと思います。

でも、同時におそらくほとんどの方が、そういう不安を抱えながらも、日々小さな幸せを感じる場面も多々あるでしょう。

好きな人(恋人であれ、同姓の友人であれ)と過ごす楽しい時間。

仕事をやり終えた時の達成感。

映画やドラマを見て感動する時間。


つまり僕達は、不安や悩みを抱えながらも、同時に、幸福感や充実感もちゃんと持っているわけです。

ということは…
幸せに生きるためには、この抱えている不安や悩みを人生から消してしまえば(あるいは小さくしてしまえば)、私たちは幸せに生きることができる。ということなんです。

そんなことはわかっている… 当り前のことだ。
でも、心配事や悩みはつきないし、現に実際に私は今苦しいんです…

そんなあなたの声が聴こえてきます。

わかります。

僕もずっとそうでした。それに今でも不安や心配はゼロではありません。

ただ、たった1つの考え方を人生に取り入れることで、今では不安や恐怖に支配されることはなくなったし、かなり人生を生きるのが楽になりました。

その考え方、コツのようなものをあなたにシェアしたいと思います。



不安・心配・恐怖の正体


人生から不安や恐怖を取り除くことができれば幸せに生きることが出来る。と書きました。

そして、そのことは可能です。

不安や恐怖に打ち勝つためには、まず

不安や恐怖の正体を見極める

これが、一番最初の大切なステップです。

なので、不安や恐怖の正体をあなたにお伝えします。

不安や恐怖の正体…

それは、ズバリ…

エゴ

です。


エゴ…
と聞くと、一般的には、わがまま… 自分勝手…
自分さえよければ、人が苦しもうがどうでもいい… というような考え方をエゴと捉えがちですが、それはエゴのほんの小さな側面に過ぎません。

エゴというのはもっと深くて、
他人に譲りすぎてしまうのも
自分に自信がないのも
自分を責めるもの
人に嫌われたくないのも
全部、エゴの現れなんです。

そして、恐ろしいのは
エゴというのは、自分の中に抱えている闇… とかそういう次元ではなくて
ほとんどの人間は
エゴという魔物に完全に支配されています。
(憑依されいてるとも言える)

というか、
エゴと完全に一体化しています。


24時間、寝ている時間以外は、ずっとエゴが自動運転で自分を操っている
と言っても過言ではないぐらいです。

そして、これはとても重要な部分なのですが、
多くの人間は、あまりもエゴと一体化しているために
自分のエゴに全く気づいていません。

もし、あなたが日常的に
不安や心配を感じることが多いのであれば、それは残念ながら
エゴに支配されている可能性が高いです。

というのは、エゴには様々な側面がありますが、
エゴの最たる仕事は
不安や心配を作ること
だからです。

ここで、ガラッとスピリチュアルな真実を伝えますが
人は神です。
神が肉体を持った人間として人生ゲームを楽しむために、私たちはそれぞれいろんな姿形をもってこの世に生れてきました。

私たちは本当はずっと神と共にあるのですが、残念なことに、この人生における一番大切な事実を知らなかったり、忘れたりしているのです。


赤ちゃんは私たちに大切な真実を教えてくれています。

生れたての命は全くの純粋無垢であり、不安や心配とは無縁です。
神そのものです。
世界の経済事情とか、イギリスがEU離脱!? とか、都知事が公費で家族旅行!! とか、ベッキーに続きのファンキーでモンキーなベイビーまで!!!
とか、そんなことには一切とらわれず、振り回されず、ただ〝いまここ〟に全ったき命を生きています。

お腹が空いた… おむつが気持ちわるい…
そういう本能的な意味で赤ちゃんは泣くことはありますが
大人のように、過去を案じ患って、あの時こうすれば良かった… とか、
これからの私の人生はどうなっていくんだろう… 的な将来の不安とは全くの無縁です。

幸せですね。赤ちゃんって。

あるいは、幼児の生き方も僕たちのモデルになるかもしれません。

大人になると、一度人間関係がこじれると、なかなか修復することができません。
非常にドロドロした復讐劇… なんてこともよくあります。

でも、幼児ってたとえばおもちゃの取り合いでケンカをしたりしても、
「ごめんね」
「いいよ」
で、さっきまでのことはケロっと忘れて、すぐに仲良く遊びに集中することができます。

幼児には、すでにエゴは萌芽していますが、それでもまだ神からあまり離れていないから、私たちは子どもの姿に癒やされるのです。


エゴ…
本来、神として生れてきた私たちにはそんなものは存在しませんでした。

でも、生きていく中で、成長する過程において、私たちは、自分の中にエゴを生み出し、エゴを育て、やがてエゴに支配されるようになりました。

社会生活ってなかなかにハードモードです。

小学校だって、テストがり、競争があります。
ウソをつかれたり、仲間はずれにされたり…
それに指導している教師自体がエゴの固まりです。
(もちろん素晴らしい先生も多いです。でもそんな先生でもエゴはしっかり持っています)

受験、就職試験…

社会人になってからは、まさにエゴとエゴのぶつかりあい
さながら戦場です。

失敗はゆるされないプレッシャー…

マスコミの悪影響もひどいです(まさにエゴ生成工場)

経済不安を煽り
殺人とかイジメなどの暴力事件を連日報道し
不倫とかのゴシップを連日報道

こんな情報に毎日さらされていたら、誰だってストレスで心を病みます。

テレビをつければ、ドラマの主人公はリア充満開の恋でイケメンとラブラブ…
バラエティではセレブの豪邸特集…

こんなのを見れば、誰だって今の自分は満たされていない…
幸せじゃない… 成功してない…
自分はダメなんだ…
と自己否定のエゴがもたげるに決まっています。

なので、僕もあなたも、エゴはあって当然なのです。

この世で生きるということ自体が、エゴの世界の中でエゴとして生きる
ということでもあるわけです。

でも、だからといってエゴとして毎日
不平不満を抱え、不安や恐怖や怒りを抱えたままで
私たちは真に幸せに生きることができるのでしょうか?

無理です。


エゴまみれでも、競争に勝ち、一時的な成功を収めること
これは可能です。

ハネムーンでハワイ…
ラブラブで幸せの絶頂…
瞬間的な幸せを感じることは誰にでもできます。

でも、結婚って、あくまでそれはスタートであって、
そのあとの日常、
すれ違い
誤解
ケンカ
妥協…
とか、そういう一筋縄ではいかないリアルな日常こそが夫婦生活のメインステージなわけで、それこそエゴとエゴのぶつかりあいがはじまっちゃうわけです。(もちろん夫婦ゆえの幸せな日常の瞬間も多々ありますが)


どれだけしんどくても会社に行かなければならないし
仕事では結果をだし続けないといけないし
家事から逃げることはできないし
子育てから自由になることもできない…

お金…
人間関係…
病気…
死…

悩みはつきないと思います。

でも、そんなふうに悩みや痛みにフォーカスしている自分が本当はイヤじゃないですか?
心配事をふきとばして、笑ってハッピーに生きたくないですか?

そのためのヒント(結論)を今から書きます。



幸せに生きるためのヒント


おそらく現代に生きるスピリチュアル界の第一人者といえば
エックハルト・トールさんでしょう。

エックハルト・トール
エックハルト・トールさん(完全に悟っちゃった人です)


そのエックハルト・トールさんは著書の中で
様々に表現を変えならがひたすら
エゴについて、
エゴの正体について書いています。

全ての不幸の原因はエゴ

と結論ずけています。

そして、エゴに打ち勝つ方法として、ひたすら

エゴを観察せよ

と教示してくれています。


エゴを観察すること。
これが幸せに生きるためのヒントです。




……
………俺、
偉そうな上から目線で「幸せに生きるヒント」なんて文章を書いてますが、
3年ほど前は、
欝病で無職で、
死にかけ人間でした…
(過去記事に詳細あり…)。


でも、そんな苦しみの中で、どうにか救われたくてスピリチュアル系の本をむさぼるように読みまくりました。(欝当時だけで50冊は読みました。その前後にもたくさん読んでいたので、トータルで400冊ぐらいのスピリチュアル本を読了してます)

それで、悟りとかワンネスとかエゴとか、覚者が語るこの世の真実を知ったわけですが、結局はどの本も、どの覚者も同じことを違う表現で言っていることがわかりました。

シンプルに僕なりに覚者が語るこの世の真実を3つのポイントにまとめると…

①全ての問題・不幸の原因はエゴ

②しかし本当は人間は神
(エゴから離れた真我の自分は神)

③善きことしか起こらない
(なぜなら人は神だから)

という感じです。

この3つの真実は本当に真実です。

…と断言したいのですが、僕自信は悟ったわけでも
神秘体験をして宇宙の真実を見てきたわけでもないので
断言は出来ません。

でも、僕はこの覚者たちのメッセージを
信じて
受け入れることで
実際に欝病が治り
不安や恐怖に支配されることがなくなり
ずいぶんと楽に、そして毎日、幸せだなあ… 
と思いながら生きられるようになりました。


そういう実体験というか効果があったので、
わざわざこんな文章を今、あなたのために書いてます^^

人間は神… とかってちょっと抵抗あるかもしれません。

なので、とにかく
あなたが取り組むべきは
ファースト・ステップである
エゴの観察
です。



エゴを観察する方法


エゴを観察する方法。
これは実は簡単です。
うつ病全開だった僕でも取り組むことができたので、あなたにも必ずできます。

エゴを観察するために絶対に必要なこと

それは…

自分のエゴの存在を認めること

です。

これが全ての始まりです。


もし自分のエゴを認めたくない人がいたとしたら
それこそがエゴです。


エゴの特質として
エゴの存在を認めない
というのがあります。

なぜなら、
エゴが最も恐れていることは
エゴの消滅です。
エゴに気づく… ということは
エゴにとっての終わりの始まりです。


なので、エゴはどこまでも巧妙にエゴの存在を隠そうとします。

エゴはあなたからエゴの存在を隠すためにどこに隠れているのでしょうか?

鍵のかけられた箱の中でしょうか?

灯台下はまっ暗がり… という言葉がありますが

どこまでも巧妙なエゴは最も見つからない場所
あなたが最も探さないであろう場所に隠れました。

そう、あなたの中にです。

隠れた… という表現も正しくはありません。

エゴは私と完全に一体化しているのです。

一体化しているがゆえに、
私は意識しない限りは絶対にエゴを見つけることができません。


こうして、最後の最後まで、エゴと一体化したまま、本当の自分、神である自分を全く思い出さないまま、死んでいる人も多くいるのです。

普通、年をとり死が近づくとだんだんと、欲望も薄れて、本質へと帰っていく方も多いのですが、けっこう老人でも虚栄心とか権力欲とか執着とかますますひどくなっていく老害と呼ばれるような方もいますよね…(^_^;)

そういうのって本人もしんどいと思います。

幸せじゃないと思います。


そうならないためにも、エゴの正体を見破り、
エゴから離れて私たちの本質である真我・神に帰らないといけません。

そのための第一歩が自分のエゴの存在をまず認める。

私にはエゴがある。

と。


そして、エゴのメイン業務は
不安・心配・怒りを作りだすことです。

なので、毎日の中で不安とか恐怖とか怒りを感じる瞬間があったら

あ! 
エゴがまた騒いでいるな…

と、自覚することが最初の一歩です。


普通人間は、悩んでいる時、私が悩んでいる… と思います。当然です。
でも、違うんです。
それは厳密にいうと、
エゴと一体化した私が悩んでいるんです。

その悩み自体もそもそもが
エゴ自体がでっちあげた悩みなんです。


本当のあなたは神です。無敵です。愛そのものなんです。

なので、そういうマイナスな感情が湧き上がってきた時には

あっ… 
これがエゴだな

と冷静に一歩ひいて客観視することが大切です。


この冷静に客観視するだけでも、不安や心配は実際にかなり軽減されます。

とは言っても、現に私は今、本当に悩んでいるんです。
客観視したところで悩みがふわっと消えてはくれません!
本当に苦しいんです!

それも実はエゴの声なのですが、
その段階もまた全ての人が通る道なので、
安心してください。


確かにエゴを自覚し、観察したからといって、全ての悩みが瞬間的に消えるわけではありません。
でも、例え悩みが消えなかったとしても、
この不安の正体はエゴかもしれない…
と冷静に客観視したあなたは、
その時点で既にエゴに対して

強力な一撃
(超!超!超! 会心の一撃的な…)

を食らわしています。

防戦一方でエゴに振り回されていた人生から
あなたははじめて攻撃に転じたのです。

反撃の狼煙はすでにあげられました。

あなたはやっと主体的に、自分の人生を自分の意志(エゴの意志ではなく)で、自由に生きることを選択したのです。

今はまだエゴに勝てなくて、すぐに不安の波が押し返してきたとしても、それでもあなたは確実に最初の一歩を踏み出しました。


この最初の一歩。

エゴを認め、観察する。

これをするかしないか…
それが全ての人にとっての人生の最大の分かれ目です。


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解説・エゴとの勝負


エゴの観察をはじめても、最初はなかなかうまくいきません。
エゴを観察することで、不安を消し去る… これを勝利と呼ぶのであれば
最初のうちは、せいぜい一勝九敗ぐらいです。

僕たちは、何十年もエゴとして生きてきたので、エゴの考え方が染み付いてしまっているので、エゴを観察したからといって、そんな簡単にエゴには勝てません(悩みは消えません)。

どんな習慣(エゴ)でも、やめるのには時間がかかります。
また、新しい習慣(エゴの観察)を始めるのにはパワーがいります。

でも、エゴの観察を無理からでも続けていくことで、だんだんと本当により冷静にエゴを観察できるようになってきます。

何故なら本当に全ての恐怖や不安は自分(エゴと一体化した自分)が作りだしたものであることがわかってくるからです。

相手(エゴ)の正体を見破り、恐怖や恐れは幻想に過ぎなかった…
そんなふうにこの不安の正体であるエゴの手法・トリックを見極めてくると

勝率は五分五分ぐらになってきます。

この勝率が五分を超えると人生が大きく変ります。

まず不安や心配そのものが、ほとんど出てこなくなります。
出たとしてもエゴを観察することで不安は消え去ります。

そういう状態になってくると、
マスコミ狂想曲に踊らされることもなくなってくるし、
他人の視線や評価も気にならなくなってくるし
不平・不満自体も出てこなくなってきます。
魂が安定してくるのです。

そして、いつのまにかエゴに対して
全勝(に近い)状態になってきます。

この状態になると、

人生には善きことしか起こらなくなります。

例え何かしらのアクシデントが発生しても、それを自然に善意に受け取ることができるようになります。

実際に後になってから、
ああ、あの時のマイナスに見えた現象は、このプラスを起こすための伏線だったんだな… みたいなつながりが出てきて、安心して人生の波に乗れるようになります。

幸せしかない人生のボーナスステージ状態に突入します。

(解説以上)

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このように、不安や恐怖に支配されることなく、幸せに生きるためには

エゴを認めることから全てがはじまります。


例えるなら
あなたは今、人生のプラットフォームで
一人の人間として、日々、小さなしあわせを感じながらも、たくさんの不安や心配ごとを抱えています。
そこに2つの列車が到着しました。

天国行き ハッピー・トレイン

地獄行き ヘル・トレイン

です。

あなたはどちらの列車に乗りたいですか?

自分の中のエゴに気づいた人・エゴを観察している人
(あるいはエゴを認めようと決断した人)
は、実はすでにハッピートレインに乗車しているんです。

出発直後はエゴの影響で、列車は時に激しく揺れたりもします。
もしかして私は間違えた列車に乗っちゃたのかも…
なんて不安が出る瞬間もありますが、安心してください。
時間の経過、列車が進むに連れて、線路は平坦になり、車窓から見える景色も美しくなり、あなたは確信をもって、幸せな人生の道を進むことでできるようになります。

エゴ? スピリチュアル? 人は神!?
はぁ〜〜〜〜!?
俺は俺の欲望のままに成功者になるんじゃい!
とヘル・トレインに乗っている人もいます。

それぞれの人生です。どんな生き方を選ぼうがそれはそれぞれの自由です。

でも、ヘル・トレインってかなりハードです。
刹那的な幸せはありますが、かならずどこかで壁にぶつかります。
成功したらしたで、今度は失敗したらどうしよう…
転落したらどうしよう…
という不安・恐怖は倍増します。
幸せな人間関係を築けたとしても
逆に裏切られたらどうしよう… 捨てられたらどうしよう…
的な不安も倍増します(だって、それがエゴの特質だし、エゴで生きている以上、そういう不安は一生つきることなく、増大し続けます)。


告白…
僕はね、それなりに善良に生きてきたつもりだったけど39歳まで、
このヘル・トレインに乗っていました。(滝汗)


人を蹴落として欲望ギラギラ… タイプではなく、
人に認められたい・受け入れてもらいたい… というタイプのエゴと一体化して生きてました。
全力で前向きに生きているタイプでした。
自己啓発書とかビジネス書を読みまくっているタイプ。
仕事の効率をあげて、成果をあげよう!
と張り切っている、そんなタイプの人間でした。

でも、僕が必死でがんばっていたのは、結局は
人に認められたい… 
ということだったんだと思います。

人の目をすごく気にしていました。
人からの評価をすごく気にしていました。
褒められると嬉しいし、
否定されると苦しみました。
一番の根っこで、僕は自分に自信がなかったのだと思います。

幸せも喜びも充実もある39年間でしたが、
いろんな、ありえないような現象も起きて、
39歳でうつを発症。僕の人生はいったん強制的にリセットされました。

鬱病当時は地獄だったけど、今になればその最悪の事態である鬱病こそが僕の人生における最大の転機で、まさにあれこそが神の大いなる一手であり、神の恩寵であったと確信しています。


なので、もし、あなたが今現在
欝な状態であったり
あるいは、大きな苦況の中、大きな不安や心配の中に生きているならば
それは逆に大いなるチャンスだと思ってください。

よっぽどな(ショッキングな)ことがないと
人間って変りません。変われません。変わりたくありません。

だから、あなたが今、試練のまっただ中にいるのであれば、
それは神の恩寵が、やっとあなたの元にも訪れたんだと信じてください。善きことが起こりはじめたんだと信じてください。
(これ、ホンマですよ!(*^_^*))



ハッピー・トレインとヘル・トレインの話に戻りますが、
ありがたいことに、列車はいつでも乗り換え可能なんです。

現に僕も39歳という人生の折り返し地点で乗り換えることができました。

このタイミングが遅かったのか、早かったのかは僕にはわかりませんが、
僕にとってはベストなタイミングであったと確信しています。



あなたが今、こんなどこの馬の骨ともわからない、無名の僕のブログを読んでいるのは偶然ではありません。

こういう情報に出会うタイミングが、今あなたに訪れているのだと思います。

ハッピー・トレインに乗って、
一緒に旅をしませんか?
(*^_^*)




編集後記


いつも夜に書くブログを今日は突然の思いつきで
朝イチから書きました。
短くコンパクトに書く! とだけ思ってノープラン書き始めたのですが、気がつけば二時間以上も書いてました。

えっと…
スピリチュアルって玉石混交ではありますが、
覚者、いわゆる悟って、この世の(あの世の)真実を見てきた人っていうのは確かにいて
そういう人の書いた文章ってすごくパワーがあります。
そして文章が美しいです。
愛にあふれているので、読んでいて本当に心が現れるし、魂が震えたり、涙が流れたりもします。

僕は、そういった覚者の言葉によって本当に救われました。

スピリチュアルって決してフワフワしたものではなくて、
そこには確かな愛と智慧があって、しっかりと地に足がついたものです。

それで、最後にお伝えしたいのは、
地球は行動の星
ってことです。

スピリチュアルに生きればいい!
からといって、毎日瞑想だけしていればいい、という話ではないということです。

自分を大切にすることは大事。当たりまえ。
でも、人を大切にすることも大事であり、自分を大切に思うのであれば、それは人を大切に思うことも当り前の気持ちです。

働くということは、傍を楽にするから「はたらく」だ。なんていう風に言われますが、本当にそうです。

あなたの仕事が誰かの役に立っているのです(主婦でも全く同じです)。

そして、地球は行動の星だから、やっぱり愛が欲しいなら愛を与えないといけないんですね。

スピリチュアルな教えを実践して、愛もお金もゲットしよう!
と思っている人は、それは愛でもスピリチュアルでもなくて
それって、
エゴの雄叫び
ですからね…(滝汗)

エゴを観察してエゴがだんだん薄くなってくると
人生ってよりパワフルになってきます。
与える愛も、受け取る愛も大きくなってくるし
仕事にも情熱が持てるようになります。
悩みや不安に振り回されることがなくなるので、その分、生産的な活動ができるし、人と交流する時間も増えます。

そういう好循環があって
悩みなくハッピーに情熱をもって生きていたら
結果として、愛と豊かさにかこまれていた
ということになります。

そうなっている人は、真にスピリチュアルに生きている人であり
本質で、真我で、神として生きている人です。

そして、それは誰にでも
私にでも、あなたにでも出来ることなんです。

PS
エゴと戦うには武器が必要です。
エゴの正体についてこれでもか!
というぐらい懇切丁寧に書かれた
この本は、あなたの人生ゲームの
最強の武器・アイテムとなるでしょう。



なにげに、今日の投稿で100記事目
(*^_^*)

過去記事を読むなら、バックナンバーをどうぞ
恥ずかしい記事もいっぱいありますが…(滝汗)

このブログの全記事・バックナンバーの一覧






6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あゆむ様
前回のブログ記事にコメントをさせて頂いた者です。
ニューアースは何度も繰り返し読んでいますが、スピリチュアル独特の言い回しが理解しにくく、イマイチ何からしたらいいのか判らずにいましたが、エゴの観察はしていた事があります。ただ、あまりにも全敗している気がして自分だけがそうなのかなぁ…と思って止めてしまっていました。
自分だけが辛い思いをしていると感じたりしていましたが、今回の記事でそんな事は無かったのだ!と、わかりました。もう一度エゴの観察をやってみます。
今回の記事で改めて気付かされたのは、私も以前は人の評価を気にしていました。効率よく成果を上げ結果を出さないと、解雇されると言う恐怖からの行動でした。
そしてこれは数日前ですが、耳栓をし睡眠導入剤を医師に処方された一回の量のMAXまで飲んで就寝していた時、時刻は深夜1時19分、真上に住む人の立てたドスンーという大きな音と震動で起こされた私は怒り心頭でマジで切れまくりました(汗)ここ数十年間、アルコール依存者の騒音やニートの高校生が部屋で暴れたり、ギターをアンプに繋いで弾いたりと、アパートに住む住人達の騒音に入れ替わり立ち替わり悩まされていた=安眠出来ない恐怖とそこまで我慢をしていた自分。
そして、怒り心頭に達した時の自分自身に対する恐怖。自分の悪の部分に気づいているからこそ眼をそらして、観ないようにしていた事に気付きました。
これらも、あゆむ様が言うエゴだと今回の記事で判りました。一番の恐怖は自分のエゴに気付く事なんですね。
救われた気がします。ありがとうございました。また、これからもブログを拝読させて頂き、私は今ヘルトレインに乗車中?と思ったらコメントをさせて頂きたく思います。どうか、宜しくお願い致しますm(_ _)m

citizen hhh さんのコメント...

↑の匿名さま。私はあゆむ様ではありませんが、少しだけ気になったもので老婆心ながらアドバイスをと思います。
「エゴの解体作業」には「エゴの観察」以外にもいくつか方法があって、匿名様の場合は、エゴの観察をするよりも、「無抵抗のギブアップ」をオススメします。もし引っ越しをお考えにならないのであれば、となりの騒音を回避不可能なものとして捉えてみる。となりの騒音に怒り心頭な状態を、これも回避不可能な怒りとして捉えてみる。となりの騒音を肯定も否定もせず、良いとか悪いとか判断せず、ただただ回避不可能なものとしてギブアップする。怒り心頭な自分を肯定も否定もせず、賛成も反対もせず、怒り心頭な状態に至るのがまるで変えることのできない運命であったかのように降伏する。回避不可能なものとしてギブアップする。
そして体全体を使って怒りという感情を感じ尽くしてみる。となりに対する怒りとして感じ尽くすのではなく、となり関係ない単なる純粋な感情として怒りを味わってみる。良いとか悪いとか判断せずに、ただただ怒りという感情を体いっぱいに感じてみる、味わいつくす。

人間の苦しみは「求める」ことによって生じます。

となりの騒音問題とそれに起因する怒りの感情についてのスピリチュアル的解決策を「求め」、その求めに応じた救済措置として「エゴの観察」をしてしまうと、むしろ自我の肥大化を招きかねません。
それは苦しみの上塗りです。

何も求めず、何も変えようとせず、なにも判断せず、ただただ怒りを感じ尽くす。
すべてを諦める。騒音を諦める。怒りを諦める。エゴの観察を諦める。判断してしまうことも「しょうがない」と諦める。そして、怒りの感情を身体感覚のすべてで味わいつくす。

不可避、回避不能、運命、今この瞬間、それ。
すでにそうであるものに対する絶対的な降伏です。

しかし、そのプロセスをやりつくしたら、やはり引っ越すのをオススメします。

「エゴの観察」が自分の中の抵抗を次第に弱めてくれるという性質の人ならばいいのですが、全員が全員そうではありません。むしろ「エゴの観察」が抵抗を強めてしまうタイプの人もいて、そういう人には「無抵抗・ギブアップ」が向いてる思います。そして「無抵抗のギブアップ」が心の底から浸透してくると、以前までは考えられなかったほど「エゴの観察」も簡単にできるようになります。結局は「卵が先か鶏が先か」という話であり、どちらもエゴの解体を目指すという意味では同根のものですから。

長文の横槍、失礼しました。

匿名 さんのコメント...

↑の匿名さま。私はあゆむ様ではありませんが、少しだけ気になったもので老婆心ながらアドバイスをと思います。
「エゴの解体作業」には「エゴの観察」以外にもいくつか方法があって、匿名様の場合は、エゴの観察をするよりも、「無抵抗のギブアップ」をオススメします。もし引っ越しをお考えにならないのであれば、となりの騒音を回避不可能なものとして捉えてみる。となりの騒音に怒り心頭な状態を、これも回避不可能な怒りとして捉えてみる。となりの騒音を肯定も否定もせず、良いとか悪いとか判断せず、ただただ回避不可能なものとしてギブアップする。怒り心頭な自分を肯定も否定もせず、賛成も反対もせず、怒り心頭な状態に至るのがまるで変えることのできない運命であったかのように降伏する。回避不可能なものとしてギブアップする。
そして体全体を使って怒りという感情を感じ尽くしてみる。となりに対する怒りとして感じ尽くすのではなく、となり関係ない単なる純粋な感情として怒りを味わってみる。良いとか悪いとか判断せずに、ただただ怒りという感情を体いっぱいに感じてみる、味わいつくす。

人間の苦しみは「求める」ことによって生じます。

となりの騒音問題とそれに起因する怒りの感情についてのスピリチュアル的解決策を「求め」、その求めに応じた救済措置として「エゴの観察」をしてしまうと、むしろ自我の肥大化を招きかねません。
それは苦しみの上塗りです。

何も求めず、何も変えようとせず、なにも判断せず、ただただ怒りを感じ尽くす。
すべてを諦める。騒音を諦める。怒りを諦める。エゴの観察を諦める。判断してしまうことも「しょうがない」と諦める。そして、怒りの感情を身体感覚のすべてで味わいつくす。

不可避、回避不能、運命、今この瞬間、それ。
すでにそうであるものに対する絶対的な降伏です。

しかし、そのプロセスをやりつくしたら、やはり引っ越すのをオススメします。

「エゴの観察」が自分の中の抵抗を次第に弱めてくれるという性質の人ならばいいのですが、全員が全員そうではありません。むしろ「エゴの観察」が抵抗を強めてしまうタイプの人もいて、そういう人には「無抵抗・ギブアップ」が向いてる思います。そして「無抵抗のギブアップ」が心の底から浸透してくると、以前までは考えられなかったほど「エゴの観察」も簡単にできるようになります。結局は「卵が先か鶏が先か」という話であり、どちらもエゴの解体を目指すという意味では同根のものですから。

長文の横槍、失礼しました。

匿名 さんのコメント...

「エゴと戦うには武器が必要です。」(闘い)

ではなくて 

「エゴをも愛せるのは神だけなのです」(統一)

ではないでしょうか。

なぜなら、そのエゴも、実は

神の化身ですからねぇ~ (元は一つ。色即是空、空即是色。ワンネス)


エゴとは

実は、幼いときに

自分が自分に貼り付けた「自分には価値が無い」という

間違った思い込み(信念)です。(アダルトチルドレンとも言われています)

その間違って貼ってしまったレッテルを

なんだ!勘違いだったのか!と気づき

さらには

「私は創造主だったんだ!だから、この間違った思い込み(自分には価値がない)通りの現実を引き寄せることができたんだ!」と気づくことです。

神は愛なり、力なり。

決して神に武器も闘いもあり得ません。

だって、あなたは神(創造主)なんだもの。


自分に真摯に向き合う

すると真理が存在する。


鬼(エゴ)も内。福も内。

汝の敵は汝なり。

汝自身を知れ。


エゴは神の化身。

そして貴方は創造主。


この世も、あの世も

パーフェクト!ですね。  (*^-^*)



感謝

匿名 さんのコメント...

ありがとうございます、救われた気がします。
本質を捉えていると感じました。
少なくとも私の不安障害の手掛かりにはなりそうです。

Gross1610 さんのコメント...


人は神

というのは或る意味物凄い誤読を誘うので

主観宇宙の唯一の観測者

貴方が観測するこの宇宙は
貴方唯一無二の存在で
貴方の誕生と同時に発生し
貴方と共に消滅する

というのはどうでしょう

貴方が認識する通りに貴方と世界は存在している

ということですね

あ、私、ですが

脳内世界とも呼称されますね