2014年3月2日日曜日

死んだらどうなるのか?

死んだらどうなるのか?

ということについて今日は書きます。

人は死んだらどうなるのか? それはつまり、死後の世界とか霊界ということについてですが、人類にとってはそれは永遠の疑問であり、その謎を解き明かすべく宗教は哲学は生まれてきたとさえ言えると思います。

数多くの宗教では死後の世界について説かれています。

また、数多くの臨死体験者が垣間見た霊界について語っています。

でも、本当のところは実際に自分が死んでしまわないことには知りようもありません。

このブログで僕も今から死後の世界について書く… と言っていますが、僕自身もまだ生きているので本当のところはわかりません。

なので、今から書く内容については、あくまで今現在僕が捉えている、理解している死後の世界についてのお話になります。

まず、衝撃の事実について最初に説明しますが

僕たちは死にません!

これはびっくりするかもしれませんが、まず間違いのない真実です。

もちろん肉体自体は滅びますが、僕たちの本体である

魂自体は決して死ぬことも消滅することもありません。

この魂は、別の言い方をすれば、霊・精霊・スピリット・ソウル・真我・意識・大いなる我などと言われています。

人間死んだら終わり… とか、死んだら自分が消滅する…

と思っている人もいるかもしれませんが、ご安心ください、私たちは死んでも消えてなくなるということは決してありません。

そして、死についてもう一つ大事なポイントは、

すべての人は死後救われる

ということです。

というか、元々生きている時からすべての人は救われています。

僕たちは、元々、神さま(宇宙・大いなる意識)から生まれて、神さまと全く同質の魂を持ってこの世に生まれてきます。

神さまとしっかりつながって、あるがままに生きてさえいれば、人生は上手くいくように出来ています。

その上手くいく人生を上手くいかないように変え、素晴らしい体験を苦悩に変えているのは、僕たち自身なのです(厳密には僕たちの中の自我・エゴ・マインドが不幸を作りだしている)。

なので、自我と一体化せずに、神さまと全く同質の僕たちの真我とつながって生きれば、人生を安楽に生きることができます。

生きている間に真我に目覚めることが出来れば、物事は箱さしたように上手くいき、愛そのもので生きられるのですが、いかんせん僕たち人間はなかなか真我に目覚めることも愛に生きることも出来ないことが多々あります。

でも誰もが真我に目覚めざるをえない時を強制的に迎えることになります。

それが〝死〟です。

死によって肉体は滅びます。そして肉体が滅びることによって、今までもっていた自我・エゴ・マインドも薄れていき、最後には僕たちの本質である真我(神意識・宇宙意識)だけが残ります。

真我そのものになれば、すべての苦悩は消え去ります。

なので、すべての人は死という神さまの恩寵によって真我に帰り、救われるのです。

さて、救われたとして、その後、僕たちの真我・魂はどこへゆくのでしょうか?

伝統的な宗教では(キリスト教・仏教・神道など)、死後、私たちの魂は

善なる魂は天国に昇り

悪なる魂は地獄に落ち

その中間にある霊は中有界(天の八街や煉獄など様々な呼び方があります)に行く

と言われています。

死後は生前の想念そのままの世界に行く

とも言われていますので、それぞれが魂の相応の世界に行く… ということもありえると思います。

ですが、この天国・地獄という考え方は、一昔前のモデルであることが最近判明してきました。

今までの時代には、こういった懲罰的な天国・地獄というモデルが必要だったので、それが一般的に浸透し、信じられてきましたが、今はこの地球も神さまの理想とする愛にあふれた星に進化しようとしています。

そういった流れがあり

ここ数年で、宇宙の真理や死後の世界をはっきりと知らされた覚者が爆発的に増えています。

そういった覚者の言葉、また僕自身のいくつかの体験から現在僕が考えている死後の世界は以下の通りです。

死んだ後には、僕たちは神さまの元に帰り、神さまと再び一体となります。

この神さまというのは、大いなる源であり、この全大宇宙のすべてを想像した大いなる意識であり、光そのもの熱そのもの愛そのものの存在です。

善人も悪人も凡人も、すべての人・生命は、この大いなる源から生まれてきました。

そして、この現界(現実世界)で、現界でしかできない体験をして、ふたたび生まれた故郷である大いなる源へと帰っていくのです。

そこは無限絶対無始無終の世界で、神の愛なる熱と、神の智恵なる光に満たされています。

そこでは宇宙の真理をすべて瞬時に知ることができ、僕たちは愛そのものになります。

至福以上の至福が永遠に続きます。

そこにずっととどまることを選択する魂もいれば、何らかの使命やテーマをもって再び〝愛〟を体験するために、この地球に生まれてくる魂もあります。

なので僕たちは、死後については全く心配する必要も恐れる必要もありません。

死とは、ただただ、僕たちが元いた場所

すなわち神の元へと帰っていくことだからです。



編集後記(日記)
今日も長文を読んでくれてありがとうございました。
記事がけっこうたまってきたので、過去記事一覧をつくりました。
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さてちょっと前までは、引っ越し欝のことなどを書いていましたが、引っ越し前の心配はほとんどが消えてなくなりました。
ちょっと気になる隣人や、高台に引っ越してきたので寒さがキツイとか、他にも細々とした気になる点はいろいろあります。

でも、どの問題も何とかなるだろうと思うし、それ以上に良かった点のほうが多いんです。

僕の子供は人付き合いが上手いほうではないので、転校とか友達のことが親としてはやっぱり気になっていたんですが、今日は息子の保育園時代の友達2人が、いきなり家に遊びにきてくれて(しかも初対面の友達3人もひきつれて!)、嬉しいサプライズがありました。

引っ越しでもなんでもそうですが、飛び込むまでが恐怖とか不安のピークであって、実際に飛び込めばたいていは大丈夫なものだと実感することができました。

結局、不安・心配・恐怖は全部、エゴが作り出す幻想です。

僕達すべての人は神さまとともに人生を歩んでいるので、

神さまを信頼し、自分の内なる声(真我)を信じて行動すれば、怖いものはないと思います。



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