2014年3月4日火曜日

欝や苦悩から解放される方法

うつ病や様々な苦悩・不安から解放される方法について今日は書きます。

このブログでは僕が2013年10月にうつ病を発症したことと、そこから抜けだした体験について何度か紹介してきました。

(※僕のうつ病関係の体験談の全記事はこちらのリンクにまとめています)

少し内容が重複するかもしれませんが、自分の中でまた一段と整理がついたので、欝・苦悩から解放される方法を僕の体験を元に紹介します。



思い出すだけで、あの時の苦しさがフラッシュバックしますが、
僕のうつ病は本当にひどく、一日中布団から出ることも出来ず、ご飯すら食べることができませんでした(固形物は喉を通らずフルーツジュースだけで生き延びていました)。

おまけに、物理的にも全身が重く、だるく、痛く、

頭の中もぼわぼわとして

めまいが本当にひどかったです。

世界はずっとぐわんぐわんと揺れていて、まわっていて、まっすぐ歩くことも出来ず、立つことすら困難でした。

その時の僕の最大の感心事といえば、

一刻も早くこの欝状態から抜け出したい…

という願い、その一点だけでした。


元々、うつ病になってしまったのは、職場に退職届けを出したことに端を発しました。

そのままストレートに退職できればうつにはならなかったと思いますが、とにかく、引き止められたり、攻撃されたりを繰り返し、どっちつかずのような状態になって、でも最後には、やっぱり退職せず今の職場でがんばろう!… と決意した直後に、責任役員から人格否定のようなダメだしをされて、それらの言葉をきっかけに突然、世界がぐわんぐわんとまわりはじめました…。

退職届なんて出すべきではなかった… 

というような後悔。

もう二度と、この職場には来れないんだ…

というショック。

そして僕はうつ病になりました。
様々な後悔の上に今度は「僕はうつ病になってしまった…」という絶望感まで加わりました。

自分がうつ病であるということは医者に行く前からはっきりとわかっていました。

そして、おそらくほとんどの欝の人もそうだと思いますが、
僕は自分のうつ病は一生治らないかも… 
と真剣に恐れていました。


退職届を出した時点で、僕は新しい独立した人生を元気よくはじめる予定でした。

むしろ新しい独立という道に、ワクワクしているぐらいでした。

でも、欝になったことで、すべてのプランが崩れました。

独立どころか、僕は一生廃人のように生きていくのかもしれない…

うつ状態では、とても人生に明るいイメージは持てず、考えれば考えるほど、悪い方向に落ちるような気分が増幅されて、本当に八方ふさがりでした。

そういう最悪なうつ状態でしたが、そこから僕を救ってくれたのは

一番はメンターからの助言

そして数多くの覚者の書いた本でした。


メンターからのメッセージと本で読んだ内容を元に、僕は瞑想したり、〝いまここ〟にあろうとしたり、いろんなことを試しました。

しかし何を試しても瞬間的には楽になったような気がしても、すぐにまた奈落の底におちるような気分になり、余計に落ち込むようなことを繰り返してました。

それでも僕はなんとか欝状態から抜け出したい思いはあったので、ますます多くの本を読み(アマゾンで一日に10冊以上注文したりしてました…。当時は何も出来なかったけど、唯一本だけは読むことができました。というか、とにかく救われたい気持ち一心で、むさぼるように本を読んでました)、本にかかれている考え方を取り入れ、メンターからのアドバイスに取り組むように努力しました。

そういったことを繰り返す中で、何度か僕の中でブレイクスルーしたような、何かが弾けたような瞬間が何度かありました。

その体験を伝えたいと、今このブログを書いているわけですが、

一番しっくりくる表現で言うならば

それは

すべてをあきらめる

という感覚になった時に、僕は救われたような気がしています。

何もかもを手放す

もう、何もかもすべてを失ってもかまわない…(というかすでに仕事も健康も失っている)

そういう心境に完全になれた時から、僕の不安は少しずつ納まり、欝病も治りはじめました。


誰もが求めるんですね。

幸せになりたい。仕事で成功したい。愛する人と過ごしたい。お金を稼ぎたい。夢を実現させたい。覚醒して苦難から解放されたい…

こういう願望は決して間違っていませんが、驚くべきことにこれらの願望はすべてマインド(自我・エゴ)の声です。

そして、僕が欝になったのも、こういうマインドの欲望の声に従って生き、そしてその
欲望のプランが崩れたがゆえなのです。


欝になってからは、早く欝を治したいとずっと思っていました。

なんといっても僕には養うべき家族がいるので、うつ病で毎日寝ているわけにはいかなかったからです。

でも、このうつ病を早く治して元気になって働きたい! 
という願いですらマインドの声なんです。

僕たちは生まれた時から…
夢は叶えたほうがいい。
お金は得たほうがいい。
人望はあついほうがいい。
悟りは開いたほうがいい… 
などと、とにかく何かを得よう得ようという動機づけをされ、
洗脳を受け続けてきました。

そして、それは現実世界で成功するためには間違った考え方でもありません。

でも、悟りとか目覚めという観点から見れば、何かを得ようとする行為は真逆なのです。

悟りとか目覚めというのは、
何かを得るのでなく、
何かを手放していくことです。

愛も悟りも神性も最初から誰の中にでもあります。

その愛や神性を封じ込めているのが、私たちのマインド(自我・エゴ)です。

そしてマインドの最大の特徴は、何かを得たい、何も失いたくないという欲望です。

逆説的ですが、この何かを得たい、何も失いたくないという自我を捨てることによって、私たちのハートは開き、神性に目覚め、人生で得たいものを得れるようになってきます。

欝病も、うつ病でもかまわない… と開き直ってはじめて快方へと向かいます。

どんな悩みも、もう一生悩み続けたとしても別に構わないや… とあきらめた瞬間から、悩みではなくなりはじめます。

ここで強調しておきたいのは、手放すあきらめるということは、クラゲ人間のように、フラフラと無目的に生きるということではありません。

エゴを手放すことではじめて、私たちは人生の進むべき道が見えてくるので、そこからの人生はもっとパワフルなものになります。より大きな目的意識も持つようになります。

とにかく、まずはすべてをあるがままに受け入れ手放すことです。

過去に起こったことをすべてのあるがままを受け入れ

現在の自分のあるがままをすべて受け入れ

そして、将来起こるであろうすべてのことも、あるがままに受け入れよう

そう決心するだけで、必ず人生は好転します。



編集後期(日記)

今日の文章はアジャシャンティさんの「大いなる恩寵に包まれて」からインスピレーションを受けて書いています。

自分の中の体験が、この本を読むことによって、「なるほど、そういうことだったのか…」と腑に落ちてきました。
この本の中にも「あるがままを受け入れる」という言葉が多用されていて、これからの時代のキーワードはやっぱり〝あるがまま〟なんじゃないかと思って、我ながらいいブログタイトルにしたなあ… とちょっと嬉しくなりました。^^



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5 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

いつも読ませていただいています。
貴重な経験談を,どうもありがとうございます。

今まで私は「悟ろう,悟ろう」と思っていたのですが,それが間違いだと気づきました。
私は正反対の方向へ進んでいたのですね。

「あるがままを受け入れ,すべてを手放す」ということの意味が,このブログを読んでいて,よくわかりました。
ありがとうございます

あゆむ さんのコメント...

ヒロ東京さま
コメントをいただき、ありがとうございました。^^
このブログではじめてコメントをいただけました。
「悟ろう」「悟りたい」という思いは決して間違っていません。
欲望にも間違った「悪欲」と、正しい「正欲」があります。
そして、「悟りたい」という気持ちは間違いなく「正欲」です。
悟りを望むことが、人間の数多くなる望みの中でも最も崇高な望みの一つであると思います。

しかしながら、そこに執着をしてしまうとそれはそれで問題があります。

どんなことであれ、執着という想念は、自我・エゴから発せられるものだからです。

「悟りたい」という望みを持ちつつも、「別に悟っても悟らなくても構わない^^」というおおからかな気持ちで、瞬間瞬間を〝いまここ〟に生きて、あるがままに生きるのがベストだと思います。

あゆむ 拝
(・∀・)

Unknown さんのコメント...

コメント,ありがとうございます。
安心しました(^_^.)
「悟りたい」という思いは決して間違ってはいなかったのですね。

おっしゃるとおり,できるだけ執着しないで,おおらかな気持ちで,あるがままに生きたいと思います。

朝起きると,不安感や恐怖感を感じることがあります。
おそらく仕事のプレッシャーからくるものです。
その不安感や恐怖感も,ありのまま受け止められるような自分でいたいです。

ありがとうございました

Unknown さんのコメント...

お答え,ありがとうございました。
>「悟ろう」「悟りたい」という思いは決して間違っていません。
これを読んで安心しました。
できるだけ執着しないように気をつけます^^

私は,朝起きると不安感や恐怖感に囚われ,それを解消したいために瞑想をしています。

その瞑想というのは,ヴィパッサナー瞑想なのですが,その関連の瞑想として「慈しみの瞑想」というのがあります。

「私が幸せになりますように」
「私の悩み,苦しみがなくなりますように」
「私の願い事が叶いますように」
「私に悟りの光があらわれますように」

という言葉を繰り返し念じるのですが,これを念じることは問題ないでしょうか?

といいますのは「~なりますように」という言い方ですと「今は足りないけど,それを手に入れることを望んでいる」という「執着」を表すような言葉のようにも受け取れます。

また本来「現状は完全」なのに,それと相反するような内容とも受け取れます。

ブログでご紹介いただいた津留晃一さんのメッセージを読んで,ふとそんなことを思いました。

もっとも,津留晃一さんのメッセージも,私にはなかなか消化しきれないところが多いのですが(泣)

わかりにくい質問になってしまったかもしれませんが,もしお時間がございましたら,ご意見をお聞かせいただければ幸いです


匿名 さんのコメント...

なんか救われました