2014年3月29日土曜日

〝思考を観察する〟ことについて、もう少し踏み込んで説明します



思考を観察する…ことについて、もう少し踏み込んで説明します。

なぜ、このことについて書くかというと、前回の記事(「不安や恐怖を克服する方法」)で紹介した相談者さまより、さらに下の質問をいただいたからです。

>思考を観察する
>神あるいは、神そのものである自分の中の神(真我)を信頼する

この2つを忘れずにいたいと思います。ありがとうございます。

早速、一つ質問させていだきたいのですが、思考に気付いて観察すると、観察し始めた瞬間、あるいは1~2秒後には、思考が止まってしまいます。

要するに、観察しているときは、思考は起こらないのです。

しかたがないので、少しの間(3~5秒くらい)、思考していた「余韻」を観察するか、思考内容を「わざわざ思い出して(こんなことを考えていたんだねー、という具合に)」観察しているのですが、そんな感じでいいのでしょうか?

お時間のあるときにお返事いただけると幸い です。

【質問以上】

ということで、上記の質問にお答えします。

このブログでも何度か紹介してきましたが、2013年の秋に僕は人生ではじめて鬱病になりました。

メンタルクリニックで診察を受けても、処方された向精神薬を飲んでも、僕の状態は一切改善されず、

「薬も効かないなんて、僕は一生鬱病患者として生きていくのか…」

と本当に絶望的な気持ちで、毎日目眩がひどく頭の中はグルグルで、外出出来ず、家の中でも何も出来ず、ただ布団の中で悶々と苦しんでいました。

そんな時に、不思議なことですが、僕の前にメンターが現れました。

その方には数年前にお世話になったことがあり、大好きな方でしたが、その後は特に接点があったわけではありません。

しかし、僕が人生最大のピンチを迎えた時に、電話をかけてくださり、僕を導いてくれました。

本を何冊か送ってくださり(特に「それは在る」という本には大きく救われました)、またオススメの本も何冊も教えてくれました。

教えてもらった本は全てアマゾンで注文して読みました。

全部で50冊ぐらいの本を鬱病がひどかった三ヶ月間の間に読んだと思います。

どの本も愛にあふれており、本を読むことで僕はなんとかギリギリのラインで、なんとか人生にかすかな希望を持つことができました。

そして、鬱病もそうですが、苦悩というのは恩寵のはじまりであることもわかりました。

そして、多くの聖者・覚者が、瞑想の大切さと、思考を観察することの重要性を説いていました。

悟るための一番の近道は思考を観察することです。

もう一つの方法として、とにかく〝いまここに在る〟という方法もありますが、〝いまここに在る〟状態というのは、すなわち真我と一体となった悟りの境地であり、思考まみれの自分にとっては、それは難しいことでした。

しかし、思考を単純に観察するという行為は、僕であっても、誰であっても可能です。

なので、僕は今自分に出来ることは思考を観察することだ… と決意して、自分の思考(マインド)を観察することを始めました。

しかし、思考を観察しようとすると、以下のような質問者さんと同様の状況に僕もよくなりました。

早速、一つ質問させていだきたいのですが、思考に気付いて観察すると、観察し始めた瞬間、あるいは1~2秒後には、思考が止まってしまいます。

要するに、観察しているときは、思考は起こらないのです。

しかたがないので、少しの間(3~5秒くらい)、思考していた「余韻」を観察するか、思考内容を「わざわざ思い出して(こんなことを考えていたんだねー、という具合に)」観察しているのですが、そんな感じでいいのでしょうか?

まず、上記の質問に回答するなら、そんな感じでOKということです。

僕も当時は同じような疑問をもっていたのですが、その後、エックハルト・トールさんの本「悟りを開くと人生はシンプルで楽になる」の中にその答えが書いてありました。

本の中でエックハルト・トールさんは、その現象について
「ネズミ穴を観察するように思考を観察する」というような表現をしていました。

つまり、僕たちは普段の生活の中では、無意識に四六時中、様々な思考をしています。

しかもその思考の内容は、たいてい、くよくよしてたり、なんとなく気持ちが沈むような、あるいは心配事とか、ネガティブな思考がほとんどです。

しかし思考と一体化しているために、そういう自分の思考の存在に気付くことなく、思考は延々と続きます。

しかし、意識して思考を観察しようとすると、瞬間的に思考は止まることがあります。

エックハルト・トールさんは、ネズミ穴から出てくるネズミを観察するつもりで、思考が出てくる瞬間を観察しようと意識したら、なかなか思考は出てこないといっています。

そして、思考が出てこない(思考にとらわれていない)時というのは、ある意味、〝いまここ〟に在ることが出来ている状態でもあるのです。

なので、思考を観察して、思考が出てこないというのは、良いことなんです。

その時は、無理に過去の思考を思い出すのではなく、思考のない状態で〝いまここ〟にただゆったりと在ればいいのです。

それはある種の目覚めであり、覚醒ということもできます。

無思考のいまここ状態には、何の問題もありません。

過去に失敗したとしても、未来に不安があったとしても、〝いまここ〟という瞬間、その場所には何の問題もないのです。

そのことに気付くことが悟りです。


ただ、瞬間的に思考が止まり〝いまここ〟に在れたとしても、数秒後にはおそらくまた思考がはじまります。

そして、それはそれで構いません。その時はまた「ああ、思考が出てきたなあ…」と、その思考を観察すればいいのです。

この思考を観察するということは、筋トレにも似ていて、それを習慣づけていくことで、日常生活の中で、ある瞬間にハッと、思考に気付くことが増えてきます。

たとえば、車を運転している時、歯を磨いている時、日常の無意識の動作をしている時に

「あっ!!! また思考まみれになっていた…(汗)」

ということに気付くようになってきます。

やまがみてるおさんは、思考を観察している時間、思考に捕らわれていない時間が7割を超えたら、いまここ状態が定着する。悟りの境地になる、と著書で述べています。



僕たち人間は現実社会で生きている限り、仕事のこと、人間関係のこと、家族のこと、あるいは健康のことなどで心配は尽きず、すぐに思考・マインドに捕らわれてしまいます。

そしてそれは、生きていく中である程度は仕方がないことだとも思います。

でも一点だけしっかりと理解していると、人生がうんと楽になる方法があります。

それが、思考を観察するということです。

思考と一体化しないということです。

本当のあなた(真我)は愛そのもの、光と熱そのものであり、何の問題もないのです。

あなたが呼吸をして、ただ生きているだけで全てがOKなのです。

大問題が発生した! と思っても、それはあなたが何かを経験するために発生したのです。

起こる現象に善悪はありません。

善悪を判断するのは全てマインドです。

マインドの正体を見破ることで(思考は本当の自分ではないと)、問題は問題ではなくなり、悩みは悩みでなくなります。

あなたが、現在何かに悩んでいたり、苦しんでいるのならば、

まずは、思考を観察することから始めましょう。

そして、悩みも苦しみも、マインドが作りだしていることを見抜きましょう。

そして、本当のあなた、真我のあなたは神そのものであり、愛そのものであることを理解し、信用し、感謝しましょう。

あなたは、本当に本当に生きているだけで素晴らしい存在なんです。


今日の記事の中で紹介した本

僕が欝のどん底状態の時に何度も救ってくれた本


思考を観察するための、悟りを開くためのバイブル的良書(少し難しい内容)


思考を観察する=悟りが理解できる本(すごく読みやすい)



編集後記(日記)

家庭菜園をはじめたと前回の編集後記で書きましたが、自分でもびっくりするぐらいにハマってしまいました…

昨日は終日、畑を耕していました。

まあ、畑といっても、自宅の庭の家庭菜園なので、長さが10メートル、幅が60センチほどの小さなスペースです。

土が山土で粘土質が強く、あと石もゴロゴロあるので、現在は土を切り返して、石を除去して、堆肥を足して、耕して… と、土作りに勤しんでいます。

全身筋肉痛で身体はしんどいけど、楽しくて楽しくて作業がとまりません。

僕は勝手に「アナスタシア農園」と名づけているのですが、菜園の様子についても時々レポートしていきたいと思います。

PS
このブログを書きながらも、「ああ、耕したい…」という思いがどんどん湧き上がってきます。

僕の天職は農業なのかも!?

なんて思ったりするようになってきました。^^


僕が今よんでいる本

現在日本では三巻まで刊行されています。

僕はまだ1巻しか読んでませんが、とにかくスゴイ内容です。

続きを早く読みたいのですが、あえて自分の中でその気持ちをねかしています。

読みたい気持ちを熟成させて、準備が整ったら二巻を読みます。

 

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こちらのランキングもいい記事がいっぱいあります。
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4 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

思考を観察することについて、くわしい記事をありがとうございました。

「ネズミ穴を観察するように思考を観察する」ですね。
この点だけはしっかりと理解し、ねばり強く、観察していこうと思います。ありがとうございます。

思考を観察するというのは、なかなか定着しづらく、家にいるときや電車に乗っているときは、まあまあ自分なりに少しはできるのですが、仕事が始ったり人と話をしていたりする時は、観察の意識を保つのは難しく、気付くのはそれらが終わった後にやっという感じです。

一つ質問させていただきたいのですが、あゆむ様は「瞑想」の必要性をどう捉えていらっしゃるでしょうか?また,瞑想を行うとしたら、どのような方法で行うのが良いでしょうか?

お時間のあるときにご意見をいただければ幸いです。どうぞ宜しくお願いいたします。

ヒロ東京 拝

あゆむ さんのコメント...

ヒロ東京さま

コメントありがとうございました。

瞑想について、下記記事を書きました。

瞑想のコツ。最も大切なポイントはコレ!

ご参考になれば幸いです。^^

あゆむ 拝

ダイチ さんのコメント...

あゆむさん、はじめまして。こんにちは。ダイチと申します。

私も思考の観察を試みているのですが、なかなかうまくいきません。

世の中には思考の観察が比較的容易にできる人もいるかと思いますが、私のように思考との一体化が強固なためか、なかなか思考を客観視することができません。
思考を観察するもう一つの(思考以外の)視点というか、思考から離れた何か(観察者)を感じることができないのです。

あゆむさんがブログ中で紹介しておられる書籍も複数読みました。もちろんやまがみさんの書籍を読み、エクササイズも試してみました。しかし、思考が発生している時にその思考を観察する別の視点というのが無いのです。

思考を観察することに関して、どうやったら観察者の視点が得られるのか何かアイディアがありましたら、ご助言いただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。

匿名 さんのコメント...

初めまして、過去記事に失礼します。
自分の思考には気づいていましたが、最近、思考を観察することが出来るんだと、そんな発想があるんだと知りました。
扱いに手をこまねいていたので、調べたところ、こちらにたどり着きました。
「今ここに生きる」ことを意識していましたが、その手段として、「思考を観察する」んですね。
結びつかなかった両者が結びついたことで、次の一歩が踏み出せます。
ありがとうございます。