昨日の記事「思考に囚われた男」は、僕自身もエゴ・思考で書いたということを、ここに告白してきます。
僕は聖人でもなんでもない、ただの人間です。
背伸びをするつもりもないし、卑下もせず、淡々と生きて、淡々とこのブログに日々に気づきや出来事を書いていきますね。
今日は、うつ病で悩んでいる人のために、僕の体験を書こうと思います。
それが、同じ悩みを持つ人にとって何らかの役に立てば幸いです。
僕がうつになったのは、長年努めてきた職場を辞める過程で発生しました。
職場のいろんなことがイヤになってきてたし、僕にはもうあわなくなってきてました。
常に人の悪口とか、不平不満、上層部批判が社風のようなところでした。
自分としては、自分の与えられた仕事自体はやりがいがあったり、素敵な仲間がいたことも事実ですが、それ以上に合わない部分が多くなってきていました。
仕事の能力とか関係なく、残業している人間が偉い。
家族を犠牲にしてでも仕事をするのが美徳。
そんな社風が僕にはナンセンスとかしか思えませんでした。
僕は仕事を愛し、家族を愛していました。
家族を犠牲にするのが美徳… というのは、いかにも昭和というか、戦前・戦中・戦後のメンタリティだと思います。
まあ、そんなこともあり、もう仕事をやめようと思っていました。
それにもっと豊かになりたい。
とも思っていました。
貧乏こそ美徳。お金は悪。
みたいな社風もありました。
が、それこそは僕にとってナンセンスの極みに思えました。
変わった職場でしょ?
僕は今、ここに宣言します。
貧乏は悪であると。
貧乏がいい。というのは、絶対に嘘です。
誰もが本当は豊かさを心の底では望んでいます。
豊かになりたいけど、なれない… そんな自分のプライドを守るために、
お金持ちは汚い…
ということで自分を慰めているだけなんだと思います。
世の中の、戦争も、事件も、あらゆる不幸は、貧しさが原因であることがほとんどです。
第一、物質的に貧乏の極みにある人間が、豊かな心を持ちえるとは思えません。
貧乏でも心は錦
という言葉を否定はしませんが、
豊かで、かつ、心も錦
のほうがいいに決まっています。
豊かであればこそ、人を助けることもできます(物理的にも)。
実は、僕自身が洗脳されていて、貧乏でも心は錦
と思って長年生きてきました。
でも、本当に生活は苦しかったです…
貧乏を良しとはいっていても、家族を抱えて生きていかないといけない。
いやでも現実と向き合わなければなりません。
貧乏と豊かさの二極の間で揺れ動く振り子が貧乏の極みまで達した時、僕は、こつ然と気が付きました。
貧乏は悪だと。
そして、豊かになりたい。と。
豊かになることを自分に許そう。
と決意しました。
そう決断してから、僕は一年とかからずに、それなりに、お金の心配がいらないぐらいに豊かになりました。
それで、心は汚くなったかというと、その全く逆で、豊かになればなるほど、心も豊かになっていくことが実感できました。
ちょっと長くなったので、明日に続きます。
PS
目覚めた人って、うつ病経験者が多いです。
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