2013の秋、うつ病(不安障害)を発症しました。メンターの教えと多くのスピリチュアルティーチャーの教えを学ぶことで、自我・エゴの存在に気づき〝いまここ〟に在ることでうつ病を克服しました。すべてを手放し〝あるがまま〟で生きることで人生が変わりました。僕の体験と学んだことをシェアしたいと思います。(・∀・)
2014年2月15日土曜日
瞑想中の気づき… 1日は24時間なんて誰が決めた!?
今日も朝、いつものようにボブ・フィックスさんの瞑想マントラCDを聴きながら瞑想をしていました。
相変わらず、雑念というか思考がどんどんとわき起こってきて、我ながら止まらない思考に笑えるほどでした…
ただ、以前の僕であれば、自分の中で思考の波が絶え間なく押しよてせているという事実にも気づいていませんでした。そして、自我そのものである思考と一体化している自分にも全く気がついていませんでした。
うつ病と、目覚めのようなものを経験して、今では思考はエゴの声であり、それは僕自身(大いなる意識・真我)の本当の声ではない。ということは見破れるようになりました。
そして、思考もエゴも完全になくすことができないこともわかっているし、その存在をかわいいものだ… と客観視できるようにもなってきました。
今後の人生でも辛い局面とかはきっと体験することがあると思うけど、瞬間的に思考と一体化することはあっても、ずーっと思考と一体化して苦しみ続ける… というようなことはきっとないだろうなと思います。
こういう姿勢で生きると、もう無敵です。
人との別れや、失敗、また人からの攻撃などは起こるときは起こると思いますが、起こる現象に飲み込まれて、苦しみと一体化するということはないと思います。
善悪を判断せずに、あるがままに生きていくだけです。
(くらげ人間のように、人生を放棄したり、無気力、厭世観の染まって生きるというわけではありません。思考と、そこから作られる苦しみとは一体化せず、あらゆる局面で善処しながらベストを尽くす生き方です)
そういう風に僕がなれたのも、全てはうつ病のおかげで、やっぱり〝うつ病は神さまの恩寵〟であったのだと改めて思います。
さて、表題の
「瞑想中の気づき… 1日は24時間なんて誰が決めた!?」
ということについてですが、自分の中でもハッとするような気づきが今朝の瞑想中にありました。
瞑想中には、いろんな雑念・想念が浮かんでくるのですが、今朝ふっと思ったのは、瞑想の30分って、ちょっと時間の使い方としてもったいないのかな… という思いがよぎったのです。
僕は以前はビジネス書を読みまくって、時間管理マニアみたいなところもあったので、スキマ時間の活用とか、作業効率化とかをライフワークにしているようなところもありました。
そして、現在の僕は仕事を辞めて、現在はフリーランスなので、稼がないと家族を養えないという現実があります。
なので、現在は毎日、仕事をがんばっているし、ムダにする時間はない… という状況なんです。
で、一日は24時間しかないわけで、寝ている時間や食事などの生活時間を除くと、仕事に当てられる時間って、8時間とか10時間ぐらいしかないわけです。
そういう中で、瞑想に30分以上使うのは、けっこうなロスだよな… と僕の中の自我が思考しました。
もちろん、同時に、瞑想することでその日、一日を心おだやかにより良く過ごせるし、作業効率も上がると思っているので、費用対効果は高いという思いももっています。
あと、そういう打算とか関係なく、瞑想することは僕の人生にとって、すごく大切な時間でもあります。
そんな、思いがめぐりながら、でも、瞑想中にこう思ったんです。
「そもそも一日が24時間しかない。なんて一体誰が決めたんだ?」
「というか、〝いまここ〟という観点から見ると、時間には過去も未来もなく、永遠に続く今しかない。時間が有限ということ自体がナンセンスなんじゃないか?」
「一日は24時間と思うから、時間に追われるのではないか? それに、人生80年とかいう思い込みがあるから、みんな80前後で死ぬんじゃないか?」
「現在でもアマゾンやアフリカで伝統的な生活を送っている民族は、自分が何歳なのか知らないという民族もいるという。そういう人たちは、自分は現在75歳だから、あと5年ぐらいで死ぬ… なんてことは考えもしないのではないだろうか?」
要するに僕たちは、永遠に〝いまここ〟を生きているので、時間というのは思考が作り上げた幻想でしかない… ということが、理屈ではなく、感覚として腑に落ちたような気づきがありました。
僕たちは、この世に生まれ落ちてきたときから、両親に始まって、兄弟や先輩、先生などから、常識という名の様々な幻想を信じこんでしまいました。
男とはこうあるべきだ、勉強はがんばるものだ、遅刻はいけないものだ、勝利はすばらしいものだ、努力をするべきだ、我慢をするべきだ…
一日は24時間、一年は365日、人生は80年前後… これらの常識も、幻想に過ぎません。
それを信じて、そういう常識に縛られて、そういう世界と自分を一体化している人にとっては、それは現実かもしれませんが、アマゾンやアフリカの一部の民族にとっては、そのような概念はなく、その世界観は現実ではありません。
一日というのは24時間ではなく、太陽が昇り、沈み、また昇る… ただありのままを見て、ありのままの世界で生きているのだと思います。
自分は60歳を過ぎたからもう定年… などとは思わず、身体が動くうちは働き、動かなくなれば、ただ動かないのだと思います。
そして、〝死んだら終わり…〟 これこそが現代人が囚われている最大の常識・幻想だと思います。
永遠の生命・意識という観点を持つことが出来ると、様々なメンタルブロックも外れ、常識と呼ばれるものを客観的に見ることができるようになります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^
あゆむ 拝
(・∀・)
昨日紹介したブログランキング、僕の大好きなブログは2位です…
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