2014年2月14日金曜日

瞑想だけでは食っていけない。だから僕は自分の人生にベストを尽くす。



以前の記事(「瞑想状態にはじめて入ることができました。阿雲の呼吸の集団瞑想で…」)で、ボブ・フィックスさんの瞑想マントラCDを買ったことを書きましたが、あれから毎日、一日に30分は瞑想をしています。

たいては、朝、一日の仕事を始める前に瞑想をします。

マントラCDの1曲? が、ちょうど30分前後なので、その時間だけ瞑想をするのですが、曲をとめた後も、もう少し瞑想状態に浸っていたいので、実際は40分ぐらい瞑想をしている感じです。

阿雲の呼吸で瞑想CDを聴きながら集団瞑想を行った時には、自分でもびっくりするぐらいに深い瞑想体験をすることが出来ました。

その後、自宅でも同じ瞑想CDを聴きながら瞑想をするのですが、残念ながら、あの集団瞑想と同じような深いレベルでの瞑想には達することはできません。

ただ、あの集団瞑想の以前と以降では、あきらかに瞑想の質が変わってきました。

相変わらず瞑想中に雑念は沸き起こってきますが、それでも、瞬間的なまどろみが時々訪れて、自我が消えるような瞬間がたびたびあります。

そして、今日の投稿のタイトル
「瞑想だけでは食っていけない。だから僕は自分の人生にベストを尽くす。」

ということについてですが、僕は自分の人生のテーマとして、またこのブログのテーマとして、

精神世界の理解を深めながらも、リアルな人生でも豊かに幸せに生きる

ということを考えています。

別の言い方をすれば、

悟りを開きながら、この現実世界でベストを尽くして生きる

ということです。

これは、上とか下とかではないし、どちらが偉いとか偉くないとかは関係ありませんが、

人生の第一段階では、ほとんどの人は精神世界のことをほとんど意識せず、つまり自分が自我・エゴと一体化していることに気づかないまま、物質的な豊かさや、地位や名声、またステキなパートナーを求める… そんな風に生きます。

人生の第二段階では、精神世界に目覚め、自分の中のエゴに気づいて、自分の精神性を高めるための生き方に変わります。

ただ、この人生の第二段階にも落とし穴があります。

それは、一つは、精神世界に一度目覚めてしまうと、この世の物質的な豊かさや仕事に興味を失ってしまい、現実的な生業に対して意欲がなくなってしまう… ということです。

また、第二の罠としては、物質世界で頂点を目指すことが、今度は精神世界で頂点を目指すことにすり替わって、自分のほうがより目覚めている… 世間は間違っている…
というような、スピリチュアルエゴが出てくることです。

僕としては、欝病を発症してからのわずか三ヶ月間でしたが、上記の2つの状態とも体験しました。

欝だからなのか、あるいは目覚めてしまったからなのか、とにかく僕はなんとなく、

もう、この現実世界にはコミットできないのではないか…

という思いがありました。

また、とにかく悟りたい… 覚醒したい… 至幸体験をしたい… 

そういう願望も強くもっていました。

で、今はどうかと言うと、あまり難しいことは考えずに、あるがままを生きていこう。という結論に達しました。

悟りとか目覚めは人生にとってとても大切なことだし、自我と一体となって生きている限りは心からの安らぎを得ることはできません。

でも、僕は僕自身が悟っていようとも、悟ってなかろうとも、別に構わないと思っています。

そこに執着することは、まさにエゴの罠にハマっていることだと思うし、悟ったとか自覚がなくても、悟っている人もいるし、目覚めとか覚醒とかいう言葉を考えることなく、すでに人に思いやりをもって温かく生きている人、神さまの心にかなった生き方をしている人もたくさんいます。

それで何を言いたかったかというと、悟りとか目覚めだけにフォーカスしてしまうのも問題があるんじゃないかな… ということです。

僕たちは、たとえそれが大いなる存在から見れば幻想世界だとしても、それでも、この三次元の物質世界と精神世界から成り立つ今の地球の上で生活をしています。

神さまとともに在りながら、この現実世界にアジャストして、ベストを尽くしながら生きていく。それはすなわち働くことであったり、誰かの役にたつ行いをすることであったりしますが、喜びながら、時に悲しみを経験しながら生きていくしかないんだと思います。

そういった観点からも、僕は精神世界の本だけでなく、ビジネス書とか自己啓発書もたくさん読みます。

今日は、アンソニー・ロビンズの「人生を変えた贈り物」を読んでいました。



この本は、ジャンルでいうと自己啓発書とかビジネス書に入ると思いますが、切り口が違うだけで、本質的には精神世界の本と書かれていることは同じ内容です。

瞑想もしながら、自我を観察しながら、そして現実の目の前にある仕事に取り組む。

そして目標をもって生きる。ということもやっぱり大切であると、この本を読んで改めて思いました。

僕もうつから脱出して、あるがままに生きよう… と思いはじめた時は、一切を神さまにまかせよう… というような気分もありましたが、現在は、神さまを信頼し、まかせつつも、僕が今したいこと、これからやっていきたいことに対して、やっぱり目標をたてて、尽くすべきは尽くしてがんばっていこうと思います。

僕は、欝病になる前から、職場でも目的意識をもって、目標をたてて、仕事をがんばってきました。
でも、その時には、僕は自分の自我の存在も真我の存在も知りませんでした。

僕は、今、欝病を経て、また仕事をがんばろう! と思っていますが、以前と違うのは、僕は今では自我の存在も真我の存在も知っているということです。

この違いは本当に大きくて、同じ仕事をがんばるという現実においても、取り組み方とか、姿勢が全く変わってきます。

以前の僕は、仕事をがんばって成果をあげなきゃ、認められなきゃ…
そんなある種の強迫観念というか、いっぱいいっぱい感がありました。

自分以上のものになろうとしていたのだと思います。

今の僕は、仕事をがんばってもちろん成果もあげたいとは思っています。
そして、そのために全力を尽くしています。
でも、その結果、成果があがらなかったとしても、それはそれで構わない… という思いもあります。

これは達観とかあきらめという感覚ではなく、起こる現象をありのままに受け入れようという姿勢です。

これはすごく楽な感覚だし、自然な形でがんばれます。

努力って苦労を連想させる面もありますが、今の僕はただがんばりたいからがんばっているという感じで、苦労とか苦しみという感覚はありません。

これは、ある種の目覚めというか、自我と真我の存在を知ったからだと思います。



長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

まだ、はじまったばかりのブログだけど、アクセスが800以上もあります。

それは、僕にとってはすごく嬉しいことです。

このブログは僕の忘備録的な意味あいもあるけど、心の中ではやはり、今この文章を読んでくれているあなたのことを考えながら書いています。

いつもノープランで、ブログを書きはじめるのですが、書き出すととまらなくなるし、まだまだ書きたいことがたくさんあるので、これからもたぶん毎日書いていくと思います。

あゆむ 拝
(≧∇≦)/

PS
ブログランキングにも参加していますが、すごく面白いブログがたくさんありますね。
目覚めている人たちが本当にたくさんいるんだなと嬉しく思います。
このランキングの2位(阿部さん)のブログは僕も毎日チェックしています。



こちらの精神世界のランキングもいいブログがたくさんあります。
幸せに生きるヒントが見つかるかもしれません。

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