僕がうつ病を発症したのは2013年の10月半ばで、今日は2014年の2月28日なので、あれから4ヶ月とちょっとが過ぎました。
もう人間として生きていけない…
と、自我とか自意識が崩壊したような、世界が終わってしまったような恐怖と不安の中に当時はいましたが、現在はそういった暗いトンネルを抜けて、平穏な日常が戻ってきました。
仕事を辞めたことで、保証のない生活に入ったので、収入という面での不安定さはありますが、それもまあなんとかなるだろうと思っているし、大きな不安は今のところありません。
色んなことが本当にたくさんあったし、人のイヤな面を見たり、またありがたい面を見たり、たくさんの経験があったけど、やっぱり思うのは
うつ病は神さまの恩寵
であったということです。
もし欝にならなければ、僕は今までの職場でいままで通りの価値観で生きていたと思います。
それはそれで、それなりの生活ができていたと思うけど、社会的には多くのものを失ったとしても、僕は、うつになって仕事をやめて、自分を支配していたマインド・自我・エゴに気付くことができた今の状態になれて良かったと思っています。
そんな僕が最近思っていることを今日は書きます。
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今一番強く思っていることは
誰の人生にも正解も間違いもなく、善も悪もないということ
そして、それぞれが自分らしく、自分のしたいことをして生きるのがいい
ということです。
物質至上主義が本当の幸せにつながる… とは思わないけど、それをよしとして、それを目的にあくせく生きるのも、その本人にとってそれがベストであるならば、それはOKなのです。
物質主義を否定し、精神世界だけに生きて、山にこもって俗世間と断絶して生きるのも、それが本人にとってベストであるならば、それもまたOKなのです。
僕としては、現代の地球という三次元世界、物理的世界と精神世界の二元から出来た世界に生きる人間として、物質も精神もどちらも大事にしてバランスを取りながら生きるのがベストだと思っています。
天国はどこかにあって、それを探し求めるのが人生だと思っていたところがありました。
神さまとは祈る対象であり、僕の外側にいると思っていたところがありました。
メンターからのメッセージと、覚者たちの書いた本を読むことで、もっと違う世界があることを知りました。
天国は自分の中にあります。
僕たちは、元々、天国(大いなる源)、愛そのものから生まれてきました。
わざわざこの地球に生まれてきたのは、あらゆることを体験するためです。
愛しかない天国では、愛のなんたるかを知ることは不可能です。
魚が水というものを何たるものか知ることが不可能なのと同様に…。
愛を知るためには、その対極にあるものを知る必要があります。
僕たちが生きる世界には、幸いなことに、愛だけでなく、憎しみや恨み、裏切り、失意、不信感などなどがたくさんあります。
人間としてこの世に生まれたのは、愛とは何かを知るためであり、それを知るためには、愛ではないものも体験しないといけません。
生まれてから私たちは、ずっとマインドに支配されるように強制されてきました。
両親に名前を与えられ、世の中のルールを教えられ、学校では競争することを教えられ、社会に出てからは、成功することが幸せであると刷り込まれてきました。
成功至上主義のような生き方を否定するつもりもないし、アスリートが輝いているように、努力の結果、望んでいたものを得るというのは、美しい生き方でもあります。
ただ、どのような成功も、どれだけの収入も、本当の意味での幸せをもたらせてはくれません。
永遠に続く成功はなく、成功したとたんに、失敗する恐怖とともに生きなければなりません。
お金を得ると同時に、それを失う恐怖をも持ってしまいます。
〝諸行無常〟という言葉に対して、僕は「お釈迦さんって、つまらないことを言っているな…」と以前は思っていたのですが、今はこの言葉はまさにこの世の真理をついていることがわかります。
こういったことを知るとどうななるか…
物質至上主義から脱却することで、精神性に目覚め魂が安定してきます。
終わりのないラットレースから抜け出したくなります。
しかしスピリチュアルの落とし穴にもはまってしまう可能性があります。
無常感に浸ったり、精神世界・スピリチュアルな事柄だけに関心が向き、社会生活を放棄するようなことも出てきます。
でも、それって、物質至上主義が精神至上主義に置き換わっただけで、やっぱりアンバランスです。
人より社会的に成功したい! という欲望が
人より深く悟って、高い精神性を持ちたい! という欲望にすり替わっただけです。
僕は、全ての人は大いなる源・愛から生まれ、またその源・愛に帰っていくのが人生だと思っています。
そして、神も自分自身も、この世界で多くのことを体験して愛をしることが人生の目的だと思っています。
そういう意味では、順風満帆な人生よりも、波瀾万丈な人生のほうが、より多くの経験が持てるし、苦労が多いぶん、愛とか感謝を知ることができると思います。
そういうスタンスで生きていると、良いことが起きても、悪いことが起きても一喜一憂せずに、体験そのものを楽しめるようになります。
生き方は人それぞれだけど、そういう目覚めた状態にある人は、マインドに支配されたり、不幸と一体化することがないので、人生を楽に、体験を楽しみながら生きることができます。
天国も神さまも自分の中にある。
そのことがわかった時、外側に何かを求めることを辞めた時、はじめて僕たちの主体性をもった本当の人生がはじまります。
それを〝悟り〟とか〝覚醒〟といいます。
そして、大事なポイントは、悟った後でも覚醒した後でも、苦悩は体験するということです。
悟ったら〝アガリ〟で、すべてが天国というわけではありません。
逆にそこからが本当のスタートです。
本当の愛、もっと深い愛を知るためには、良い体験もそうでない体験も必要なんです。
なので、人間として生きている限りは、苦しみの体験も必ず通らなければなりません。
病気、事故、失敗、死…
自分に起きることであれ、家族、友人知人に起こることであれ、だれでもこれらの体験から逃げることはできません。
マインド・自我と一体化している状態であれば、これらの不幸体験は一生その人を苦しませ続ける可能性もあります。
でも、真実を知っていれば、悲しんだり、傷つくようなことはあったとしても、苦しみと一体化し続けるということはありません。
なぜなら、究極の恐れと苦しみである〝死〟とは
ただ源(みなもと・元々自分が生まれてきた場所)に帰るだけだと知っているからです。
究極の恐怖である〝死〟すらも恐れではなくなった時、この世に恐れるものは何もなくなります。
体験を体験として受け止め、僕たちは常に愛を選択するようになるでしょう。
自分を否定せず、他人も否定せず
自分を愛し、人を愛することができるようになります。
そして、不思議なことですが、そういう状態になると
神さまの恩寵を受けるようになります。
シンクロニシティ(幸運な偶然)が起こるようになり、感謝したい出来事ばかりが起こるようになります。
そうすると宇宙にますます感謝するので、さらに大きな感謝したい出来事を引き寄せるようになります。
想うところ世界なり
という言葉は真実で、僕たちは、自分たちの信じたもの、意識したものから出来た世界で生きています。
集合意識というものもあり、みんな同じ一つの世界に生きてはいますが、同時にそれぞれが違ったそれぞれの世界で生きているのも事実です。
■
結局は誰もが、幸せに生きたい
と念願しています。
これは、古今東西を問わず、全ての生命が本質的にもっている願望です。
幸せを〝いまここ〟ではなく、これから先の未来や、ここではないどこかに求めるのは、マインドが作りだす幻想であり、自我・エゴ・思考のクセです。
〝いま〟〝ここ〟に、幸せを見出し、感じることが悟りです。
あるがままに生きる
それだけでいいんです。
自分の人生を、自分が生きたいように生きてください。
全ての体験を愛を知るためのレッスンと思って感謝してください。
そんな風に思うことなんて無理! と思うなら、それを無理と思っている自分にOKをだしてあげてください。
美しくても、汚くても、優秀でもおバカでも、悟っても悟ってなくても
あなたも、わたしも
あるがまま
でいいんです。
あなたも私も、全ての人が自分らしく、あるがままに生きること、それこそが神さまの望みです。
編集後記(日記)
今日から編集後記と題して、スピ系とは関係ない、日記的なものを付記することにしました。
今日は1週間前まで住んでいたマンションのひきはらいに行ってきました。
ちょっとせまかったけど、家族でくっついて過ごさざるを得ないミニマムさがいい感じのマンションでした。
僕は三階に住んでいたんだけど、ベランダが南向きで朝日から夕日までが見れる、素晴らしい眺望がありました。
うつになっていた時は、毎日、ほとんどの時間をこのベランダで過ごしました。
瞑想したり、本を読んだり、ただぼ〜っとタバコを吸ったり…
今日でマンションとはお別れということで、感傷的になったわけではないけど、一年間お世話になった部屋に心から「ありがとう」と言ってさよならしてきました。
人生は流転して、すべてのものが変化していきます。
家を買うのも、引っ越しも子供の転校も、未知なる世界に飛び込むことなので、少しの勇気が必要だったけど、僕はこれからも未知なる世界にどんどん飛び込んでいきたいと思ってます。
僕はうつになる以前は変化を恐れる人間でした。
うつを経て、変化を恐れなくなって、人生は自由なんだということがやっとわかった今日このごろです。^^
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僕が今読んでいる本はコレ
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まだ、読み始めたばかりだけど、すごくいい内容です。
エックハルト先生なみの静かなる本物の感触を感じます。
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