2013の秋、うつ病(不安障害)を発症しました。メンターの教えと多くのスピリチュアルティーチャーの教えを学ぶことで、自我・エゴの存在に気づき〝いまここ〟に在ることでうつ病を克服しました。すべてを手放し〝あるがまま〟で生きることで人生が変わりました。僕の体験と学んだことをシェアしたいと思います。(・∀・)
2014年2月2日日曜日
悟りなんて必要ない!?
悟りなんて必要ない!?
ということについて今日は書きます。
どうしてこんなことを書いているのか? というと、じつは
僕自身が、
悟りたい!
って、ここのところずっと思っていたからなんです。
そして、人生において最大の目的は“悟り”を開くこと… だというふうにも思っています。
ただ、悟りって、追いかければ逃げていく… そういう側面があるのも事実だと思います。
特にこれは僕自身のことでもありますが、悟りを開く、そして宇宙とつながる、宇宙と一体となる、真我に目覚める、光に包まれる… つまりは至幸体験をしたい… というふうに思っていたわけです。
ただ、そういう至幸体験を求める思いというのは、それこそエゴ・自我の声であったりもするわけです。
悟りを求める心、宇宙の真理を求める思いというのは、決して悪いことではないし、むしろ、それが欲であっても、それは正しい欲、正欲だと思います。
でも、スピリチュアルの世界にはたくさん罠があって、至高体験とか劇的体験を求める心には、若干の危険性があります。
それは、そういう思いを強くもっていると、自我がそういうVISIONを見せたり、幻想として、それを見せるということもあるからです。
あるいは、いわゆる邪霊とか動物霊、あるいは眷属とかで、超常現象的なものを使って人間を惑わす霊的存在がいるというのも事実です。
だから、そういう霊的劇的体験だけを追い求めるのは危険なわけです。
なので、悟りたい! 悟りたい! と至幸体験を求めるよりも
神さまとつながりたい
というスタンスが一番、安心で間違いがないように思います。
そして、一番大切なポイントは、実は僕たち一人ひとりは全員、すでに
神様につながっている
という事実です。
この事実をしっかりと認識することが一番大事だと思うのです。
善人でも、どんな悪人でも、リア充でも、非リア充でも、成功者でも、敗北者でも、健常者でも、病人でも、どんな人であれ、一人の例外もなく、すべての人が神さまにつながっています。
人間だけでなく、全ての動物や無生物といわれるような存在、であっても、この世に存在するものは、すべて神さまに守られ、生かされています。
この真実を腹の底から理解して、信じきることが出来れば、人生は無敵です。
あるいは、それを信じることができなくても、神さまからの愛は1ミリも変わりません。
しかし、自覚的に神さまと常につながっていれば、人生はより良い報告にスムーズに進んでいきます。
しかし、だからといって、全ての苦難がなくなるわけでもありません。
人生は体験するためにあります。僕たちは体験がしたくて、この三次元の世界に、現代の地球に肉体をもって生まれてきました。
肉体をもっている以上は、物理的法則に支配されている世界に、半分は身をおいているので、無茶をすれば、病気や怪我ということも発生します。
また、大切な人との死別も、肉体をもつ人間である以上は避けることができません。
人間関係の悪化、仕事のストレス、心の病…
そういったことも起こる時には起こります。
そう、起こるのですが、神さまとしっかりとつながっていれば、どんな危険な橋でも安心して渡ることができます。
一般的にはスゴイ苦難に見えても、神さまとつながっている当人にとっては、なんてことない… ということもあります。
これはやせ我慢とか、人生に対するあきらめとかではなく、すべてを起きる出来事をあるがままに、受け止め、乗り越えていくことができます。
まあ、こんなことを偉そうに書いてますが、僕自身のことでいえば、神さまにしっかりとつながっている時もあれば、離れてしまっている時もあります。
最近の変化としては、「あっ、離れてしまっていたな…」それはつまり「あっ、自我(思考)にとらわれていたな」と同義語ですが、そういうことに頻繁に気づけるようになったことです。
この気づき、自覚、つまり思考を観察することって、本当に大切です。
そして、悟りを開くための最大のツールは、この思考を観察する。ということです。
もう一度、この記事のタイトルに戻りますが、
悟りなんて必要ない!?
と書きましたが、悟りは人生において最も大きな目的の一つだと思っています。
ただ、そこだけにとらわれずに、もっと自然な生き方、
それはつまり、普通に神様を信じて、神さまや世の中、周囲の人に感謝して、そして、毎日をナチュラルに、あるがままに、そして自分の生きたいように生きる。
それだけでも十分だし、それが自然に出来ている人
というのは、ことさら「自分は悟った」なんて言わないし、悟っているという自覚すらないかもしれないけど、そういう人は、もうすでに完全に悟っているのだと思います。
そして、そういう人は、最近本当に増えてきていると思います。
僕も、そんなふうにあるがままに自然に生きていきたいと思っています。
PS
今日書いた内容は、僕のメンター、そして奧さんとの対話から僕が気づきを得た内容です。
男はすぐに理屈とか理論、知識に走ってしまいますが、女性はもっと自然で本質的で、いいなと思います(つまり僕は頭でっかちな人間なんです…)。
新しい時代、光の時代は女性性の時代といわれますが、やっぱり目覚めは女性のほうが圧倒的に早いと思います。もちろん覚醒した男性もたくさんいますが^^
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