2014年7月29日火曜日

死んだつもりで生きてみる

昨日の記事「うつ病を治す方法…〝もう少し落ちよう〟と敢えて考えてみる」では、

「人生を楽にする」ための3カ条として、下記の3カ条を紹介しました。

◯失敗からは這い上がろうとせず、「もう少し落ちよう」と考える

◯大切なことをするときは、力を入れるのではなく、力を抜く

◯常に死を意識して、今という瞬間を楽しみ、人生を充実させる

そして、その中の1カ条目の
◯失敗からは這い上がろうとせず、「もう少し落ちよう」と考える
について、自分の体験談も交えながら、その有効性について紹介しました。

今日は、3つ目の
◯常に死を意識して、今という瞬間を楽しみ、人生を充実させる
ということについて、僕の理解を書きます。


欝になった時、「このまま欝でもかまわない…」と逆転の発想をしたことで、欝がどんどんと好転していったことについて、昨日書きましたが、その時僕は同時に、

死んでもかまわない…

ということも思ったんです。

これは、自殺しようとか、自暴自棄とかそんなのでは全然なくて、正確に言うなら、

僕は神さまと宇宙を心から信頼する
僕の欝に関しても、もう心配せずに、宇宙と神さまを信頼する
自分の生き死にということに関しても宇宙と神さまにおまかせする。

というような気持ちでした。

そして、僕にまだ使命であったり、学ぶべきことが残っているなら、死にたいと思っていても死なないし、この世での生を卒業するべき時が来たらその時は光の中に帰っていくんだろうな… という感覚になりました。

それに欝が一番ひどかった時の僕は、本当に死んでいたようなものでした…

努力して這い上がる… とかそんな状況では全くなく、

もう、全てに降参するしかない状況でした。

そして、神さまを信じ切らないことには生きていく力が一滴も残っていませんでした。

そのときの僕の決断が

人として生きるのではなく、神として生きる

というものでした。

エゴ・マインドであがるのはもうやめて、どこまでも神さまを、そして自分の中の神を信頼するという決断でした。

その決断移行、本当に人生が軽く、楽になりました。

今でも、死んだつもりで生きているという部分はあります。

欝になって、職場とかいろんなものを失ったし、実際一度死んだような僕の人生でした。

でも、死ぬ時は死ぬ時と割りきって、今日に感謝して生きることで、僕の生命力は逆にパワーアップしています。

一瞬感じたとしても、不安や恐怖に支配されることはないし、物事に一喜一憂することもなくなりました。

そして、毎日ありがたいな… 嬉しいな… とうことがどんどん増えてきました。

人間の心配・不安・恐怖の根源は死です。

欝が治るかどうかという心配も

就職できるかどうかという心配も

仲間はずれにされている… という心痛も

収入が低い… という心配も

結婚できるだろうか? という不安も

最終的には、仕事がなく、収入もなく、パートナーもいなく、友達もいなく、心も病んでいたら、生きていけない… すなわち死んでしまう… という恐怖です。

でも、逆説的な話しですが、死んでもいい、最悪でも死ぬだけ… みたいな開きなおりと、宇宙への降参、神への絶対の信頼を持つと

物事は全て好転していきます。

死の恐怖を乗り越えたなら、この世の他の心配事なんてとるにたりないものです。^^


おすすめの本

アジャシャンティさんの本「あなたの世界の終わり」を読み直しています。

欝がいちばんひどかった時に読んだので、内容をほとんど忘れていたのですが、今読み返すと全ページに真理が書かれています…(^_^;)




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