2019年3月1日金曜日

朔日参りとアーシング

今日も神社に参拝しました。

たまたま今日は3月1日ということで、はからずも朔日参り(ついたちまいり)になりました。

その月のはじまりにあたって神さまにごあいさつする朔日参り。

前々から毎月、朔日参りさせていただきたいな…

と思いつつも、実践できてなかったのですが、今日はじめてそれができました。

今日は春のような陽気でとても天気もよくて清々しかったです。

産土さんである「村山神社」



昨年の台風で本殿が倒壊してしまいました…

再建のための寄付金を募っていたので、「寄付させていただこう…」と妻と話あっていたのですが、本日は1日であったこともあり、普段は開いてない社務所が開いていたので、寄付をさせていただくことができました。



「今日寄付していこう」
と言ってくれたのは妻で、僕は嬉しくなりました。

ぼくは生い立ちに難があったこともあり(倹約、倹約… が口癖の母の元で育ったり…)、お金への執着が強く、かなりケチな人間でした。

今でもまだケチなところがあり、それは僕の課題でもあります。

でも、妻はいつでも、特に神様ごととか、本当に価値がある… と思う場面では気持ちいいぐらいにお金を使える人です。

というわけで、僕としては近々寄付させていただこう…

と思っていたのですが、はからずも本日寄付をさせていただくことができました。



こういうお金の使い方は、生き金というか、意味のあることだと思うし、寄付させていただいて、とても気持ちがよく妻に感謝です。


現在はまさに再建中の村山神社の本殿…



夏頃には、新しい社殿が建つようなので、楽しみです。


■ ■ ■


その後はいつもの流れで出雲大神宮へ。



1日ということで、月次祭の日でもあり、朔日参りの日でもあるので、平日でしたがたくさんの参拝者がいました。

本当に大人気の神社です。



今日は娘もついてきてくれていたので、その後は、久しぶりに七谷川の野外活動センターで遊びました。

平日ということもあり、なんと完全貸切状態!


アスレチックをしたり…

七谷川で遊んだり…



芝生で「逃走中」のハンターごっこ(かくれんぼ+鬼ごっこ)をしたり…

とても楽しかったのですが、個人的なハイライトとしては

芝生の上で全身で
アーシング

できたのが良かったです。

アーシングといっても特別なことはなくて、ただ、芝生の上で大の字になって寝転がって全身で大地からエネルギーをもらっただけですけれども。



実は、今ちょっと骨太なアーシングの本を読んでて…



また、このブログでも改めてアーシングのことは書きますが、簡単にアーシング(グラウンディング)を説明すると…

要するに、地球の大地にはものすごいエネルギーがあるわけです。

特に電気エネルギーがすごくて、今この瞬間にも地球全体で見たら、1分間に5,000回もの雷が落雷していて、地球はものすごい巨大なバッテリーとして電気エネルギーを蓄えています。

その地球に裸足で立つことによって、足裏からカラダに地球の電気エネルギーを取り込む。

というわけです。

同時に、人体内のフリーラジカル的な悪い電気エネルギーをアースするように、地球に返して浄化してもらう… みたいな。

まだ、全部本を読み終わってないので、間違っているかもしれませんが、まあだいたいそんな感じで心身を元気にしてくれるのがアーシングです。

最近そのアーシングを生活に取り入れてるのですが、土がむき出しになった土地ってなかなかないんですね…

我が家も住宅街の中にあるので、全部道はアスファルトだし、土に触れれるのは公園ぐらいですが、公園でオッサンが裸足で立って目を閉じて瞑想なんかしてたら、警察呼ばれます…(汗)。

それで、我が家の庭の小さな畑というかこういうとこに裸足で立ったりしてるんですが…


海岸の砂浜で横になったり、芝生の上で大の字に寝っ転がってアーシングしたい!

と最近ずっと思ってたので、それがはからずも本日実現して、とても気持ちよかったし、嬉しかったです。



今、ある本を読んでいるのですが、その中に…

忙しいお金持ちよりも

余裕持ち

のほうがいい。

みたいなことが書いてあったのですが、今日の僕は平日の昼間から芝生でゆっくりぼーっとゴロゴロしてて、すごく幸せで、〝いまここ〟感が強くて…

今の僕は経済的には金持ちというわけではないけど、こういう自由な時間、豊かな時間があるってのは、余裕持ちかもしれないな…

と、ありがたく思いました。

お金のかかる遊びも楽しいと思いますが、僕は家族と大自然の中で過ごしたりするのが一番幸せです。

お金もかからないし!
(滝汗)


また明日も神社に行きます。
ブログも更新します。

きょうは完全に日記でしたね…
(^_^;)


2019年2月28日木曜日

No Meditation, No Life!

No Meditation, No Life!
やな…
って最近やっとわかってきました。

Meditationってのは〝瞑想〟のことです。

瞑想なしの人生なんてありえない

みたいな感覚になってきました。


一時期は毎日ガッツリと瞑想して、このブログも頻繁に更新していましたが、あるときから瞑想も時々する程度になり、ブログの更新も時を同じくして、ほとんど途絶えていました。

その理由は、僕がスピリチュアルなものよりも、現実的なビジネスに走っていたからです。

地球は行動の星!

なんてことを思いながら、現実的に仕事をがんばっていたわけです。

瞑想している暇があるなら、仕事をしよう!

みたいな。


実際、僕の机の上にはタイマーが常に2つあって、分刻みでタスクをこなす…
みたいなことをやってました(というか今この原稿もタイマーをセットして書いてはいるわけですが…)。

瞑想を忘れ、スピリチュアルを脇に置き、ビジネスに没頭した結果、どうなったのか?

というと、上手くいく部分もあったし、そうでない部分もありました。

瞬間風速的に、売り上げが爆発してウハウハな時もありましたが、売り上げがガクッと落ちて、また欝の時のような不安(通称ぼわぼわ)がやってきた時もありました。

人生には善き事しか起こらない。

自分にとって必要なことが必要なタイミングでやってくるだけ。

なんて偉そうなことを書いていた僕ですが、人間って弱いもんですね。

ちゃんと、恐怖や不安に襲われました(滝汗)。


ただ、人間って
慣れ
とか
経験値
ってやっぱり大切で

一年近く欝に苦しんだこともあったし、そこから抜けた体験もあった。

また、時折訪れるパニック障害のいなしかたも身につけていた。

そして何より、恐怖や不安が訪れることがあっても、根っこでは宇宙を神を、僕の中の神を信じている。

人生には善き事しか起こらない。

これはもう、僕の中では確固たる信念になっています。

なので、一時的に恐怖や不安に包まれることはあっても、飲み込まれることはなく、割と短時間でそこから軌道修正することはできていました。

そして、その不安を消すためには、やはり圧倒的行動しかない!

なんておもいながら、また仕事に没頭するわけです。


でも、何かが足りない…

何かがおかしい…

イマイチ、心が安定しない…

そんな感覚がずっとありました。



2週間ぐらい前に、奥さんと話をしている中で、奥さんから

「毎日、朝と夜にしっかり瞑想をやってみたら」

と勧められました。

僕がビジネスモードに入っていること、そして効率主義者的な部分があることも知っているので、そんな僕にも刺さるように…

「朝、30分の瞑想は、時間がもったいないと思うかもしれないけど、結果的には心が整って、そのほうが仕事がはかどるんじゃない」

なんてことを言われて、なんとなく、それもそうだな。
と思えたんです。

不思議なぐらいに素直に、その言葉が胸に入ってきました。


そしてその日の夜、寝る前に30分の瞑想を久しぶりにやりました。

よく眠れて、翌朝は6時前にはぱっちり目が醒めて、朝一番の瞑想をこれまた30分間やりました。

その日は、一日中気分が乗って、近年ないほどに仕事がはかどりました。

しかも、仕事の合間に、なぜか自室の畳をほうきで掃いて、きつく絞ったぞうきんで拭き掃除までしてしまいました(掃除機は日常的にかけてますが、ほうき掃除とかぞうきん拭きは初めてしました!)。

なんというのか、
禅僧的な心持ち
になっていたのです。

え…
心、整ってる…
瞑想やばくね!

ってマジで思いました。

その日から今日までずっと朝と夜の30分間の瞑想習慣は続いています。

義務とかやらなきゃ
じゃなくて、
瞑想したい!
って思って瞑想しています。

それは何故か? 
どうして積極的に瞑想をしたくなったのか?

なぜなら…
瞑想を生活に取り入れてからは、基本的には、物事が箱さしたように、仕事の面でも、生活の面でも、物事が上手く運べるようになり、心が安定しているからです。


朝晩の瞑想生活を2週間ほど続けて今一番思っていることは…

俺、なんでずっと(ここ数年)瞑想してこなかったんだろう…???

という想い、疑問です。


多分現代社会に生きる私たちは、日常があまりにも忙しすぎて、生きることに必死で瞑想なんてやっている場合じゃない!
そんなふうに毎日を死に物狂いで走っているのだと思います。

僕もそうでした。

でも、その状態って、たぶん完全に自分はエゴの乗り物になってしまっていて、すごくしんどいし、苦しいんです。

逆なんです。

逆だ〜〜〜〜!

って気が付きました。

遅ればせながら!(汗)


忙しい日常だからこそ瞑想するんです!

心を亡くすと書いて、忙しい!

だからこそ瞑想が必要なんです。

瞑想することで失った心を取り戻すことができるんです。




あなたは、今日瞑想しましたか?

自分の真我と繋がりましたか?

と、たった2週間しか瞑想していない僕が、あなたに問うてみる(滝汗)。


こんなことを問うのは、もしあなたが瞑想をしていないなら、ぜひ瞑想をしてほしいから。

めまぐるしい日常、やるべきこと、やらねばならないこと
べきねば
だらけの日常。

エゴのストーリーにともすれば乗っ取られてしまいます。

そこから脱却し、本当の自分、神である自分、真我につながるもっとも手っ取り早い方法

それが

瞑想です。



最後に瞑想の方法をレクチャーします。

瞑想のやり方


瞑想方法はそれぞれのスタイルにあったものでOKなので、なんでもいいのですが、参考までに僕のやり方を解説します。

なお、僕の瞑想スタイルの基本となっているのは
ボブ・フィックスさんが開発した
フルフィルメント瞑想です。

フルフィルメント瞑想のハート・マントラを伝授してくれたのは、阿部敏郎さんの奥さまの阿部智子さんです。

また、ボブ・フィックスさんの瞑想リトリートにも2回ほど参加したことがあります。


瞑想の正しい姿勢

まず姿勢。

床でする場合には、あぐらでしっかりと背筋を伸ばします。

イスでする場合には、背もたれにはもたれずに、浅く腰をかけて、しっかり背筋を伸ばします(イスの上であぐらを書くのもアリです。その場合でも背筋は伸ばして)。

この背筋を伸ばすというのは大きなポイントです。

次に目を閉じます。

禅の座禅の場合は半眼といって、薄く目を開けている場合もありますが、瞑想の場合は基本、目は閉じます(ぎゅっと力を入れて閉じるのではなく、やさしく普通に目を閉じれば大丈夫です)。

そして、マントラを授かっている場合には、最初にマントラを唱えたり、ヤントラをイメージするのですが、伝授されてない場合はマントラ・ヤントラなしでも全く問題ないです。

部屋の明かりは消して暗くします。

僕の場合は、早朝と夜間なので、電気を消した真っ暗な部屋で、ろうそく1本の明かりの中、お香をたいて瞑想しています(雰囲気も大事やと…)。


瞑想中の手の指の形はこんなふうにするか…
↓  ↓  ↓
画像引用:https://manabiba.tv/article/detail/152

あるいは、こんなふうにします
↓  ↓  ↓
画像引用:https://meditation-in.love/post-120


これで、瞑想の姿勢、形は整いました。

あとは、瞑想の呼吸法です。

瞑想の呼吸法

瞑想の呼吸法は…
鼻から吐いて、鼻から吸う
これだけです。

普段の私たちは呼吸が浅くて、早いことが常なので、瞑想の時には、ゆったりとした気持ちで、リラックスしながらゆっくりと息を吐いて、ゆっくりと息を吸うようにします。

禅寺で座禅する際には、呼吸を
「いちとー… にーとー… さんとー… しーとー… ・・・・・・・・」
と呼吸を心の中で数えて呼吸に集中しましょう。

なんてふうに指導される場合もありますが、僕は普段は呼吸は数えません。

おのおの好きなスタイルで、呼吸は数えても数えなくてもどちらでもOKです。

瞑想状態に入る方法

瞑想あるあるとして、瞑想すると、どんどんと思考(雑念)が沸き上がってくる…

というのがあります。

つまり、心を整えたくて、ある意味、

とか
無我
の境地になりたいのに、一向にそうならず、むしろ邪念や思考が渦巻いてくる…

でも、安心してください。

これって、本当に誰にでもあることです。

むしろ、思考が起こってくるのは自然なことです。

なので、安心して、浮かんでくる思考を、まるで雲をながめるような気持ちで眺めてください。

でもね…

これ、本当に不思議なんですけど、30分間、ちゃんとタイマーで測ったりして瞑想した場合には、その30分のどこかの時点で、ほぼ確実に…

瞑想状態に入れます。

瞑想伝授を受けた時、
「タイマーで測るなどして、30分は瞑想しましょう。」

と指導されました。

30分って長くね?

と思ったし、実際に瞑想を取り入れ出してからも、当初は長く感じていました。

でも、やっぱりこの30分という時間に意味があるのです。

瞑想ははじめて最初の5分とか10分は、たぶんどんどんと思考が湧いてきます。

僕の場合は、思考が暴走してる〜〜〜
というぐらいに、あれやこれやと、過去の恥ずかしい体験とか、しょうもないことがどんどんと湧いてきてとまりません。

でも、そんなときも、ああ、また思考が湧いとるな…
と一歩ひいた自分で、思考の雲を眺めてやるのです。

そして、思考が湧いた自分を責めたりせずに、ただじっと観察するのです。

すると、10分、15分、20分…
と時間が経過していくうちに、
ほとんど確実に思考が止む瞬間が訪れます。

あ、思考してるな…
とか、
え、思考が止まってる!
とか、そんな自覚すらない



の瞬間があります。

何も考えてない時間。

何も考えてないな…という考えすらもない時間。

自分が消えている時間。

起きているような、寝ているような、自覚しているような、無自覚のような…

そんな感覚。


それ…
瞑想状態です。


えっと…
長々説明してきましたが、とにかく瞑想をやってみたらわかると思います。

スピリチュアルが嫌いな人であっても効果があります。

仕事のパフォーマンスも上がります。

Googleやappleをはじめとする海外の大手企業ほど、
マインドフルネスといって、瞑想を仕事に取り入れています。

就業時間中にマインドフルネス瞑想の研修を行ったり、
勤務時間中のマインドフルネス瞑想の実践を推奨しているぐらいです。


つまりです。

瞑想って

真我に帰る
本当の自分に帰る
自分の中の神につながる
空に入る

ための強力なスピリチュアルのツールでもあり。

心を整える
心身のコンディションをよくする
仕事のパフォーマンスを上げる
美容と健康にもつながる

実用的なツールでもあるわけです。


時代は今、瞑想。

これはもう、やらなきゃ損ってぐらいのレベルです。


さあ、あなたも
Let's Enjoy  瞑想!

No Meditation, 
No Life! 
やで〜〜〜

PS
瞑想状態に入ることを目的にしなくてもいいんです。
僕も30分瞑想しても雑念状態のまま終わる時もありました。

僕の奥さんは、マントラも7つぐらい受けていて、この5年ほど毎日瞑想している、僕にとっての身近な瞑想教師みたいな感じなんですが、奥さんいわく

「瞑想状態は向こうからやってくる」

「だから瞑想を信じる」

ということだそうです。

確かにそうやなと思います。

自分が瞑想して「空」に入る!
とか思うと力が入るし、自分にはそんなの無理!
みたいなプレッシャーがありますが、瞑想を信じて
自分の力ではなく、瞑想が向こうからやってくる…
と信じてあけわたせば、すごく気楽だし、結果、本当に瞑想状態が向こうからやってきます。


あと、それでも雑念ばかりで…
という人は瞑想の音源を利用するのも手です。

僕もよく利用します。

現在のヘビーローテーションは…

これです。



このCDはクリスタルボウルの音源なのですが、本当にいいです。
もう、強制的に瞑想状態に連れて行ってくれる…
そんな強力な音源です。


あとは、ボブ・フィックスさんの瞑想マントラCDも強力です。
でも… 現在は絶版のようで、どこでも購入できないみたいです…
が、ボブ・フィックスさんの新作CDなら、ボブさんの公式ブログから買えるみたいです。

http://trueheart.link/music/processmeditation/

PS
今日も早朝の神社参拝、雨の中、奥さんと行ってきました。
雨の神社も良いものでした。

明日も参拝するし、ブログも更新します!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(*^_^*)

あゆむ 拝



PS2
今日の記事、気がつけば書くのに2時間かかっていたのですが…
タイマーの存在を完全に忘れて、フロー状態で書き上げてました。
ホンネ100%の文章です。

瞑想、マジでいいですよ!



2019年2月27日水曜日

早朝の神社参り

僕の奥さんは毎日瞑想をしているのですが、瞑想中に時折ですが
ご内流というのか、メッセージというのか、何かしらのインスピレーションを受けることがあるようです。

そして、昨日降りてきたインスピレーションというのが…

明日から産土の神社に早朝のお参りに7日間行こう

というものでした。

そして、このブログ

あるがままを毎日更新してください

というメッセージ?も同時に降りてきたようです。

というわけで、本日は5時には起きて、6時半に奥さんとともに車に乗って、地元の産土神社である

村山神社&出雲神社(出雲大神宮)に行ってきました。

村山神社
http://www.genbu.net/data/tanba/murayama_title.htm

出雲大神宮
http://www.izumo-d.org/


僕達夫婦は自営業というか自由業なので、現在はどこにも勤めてないので、ともすれば朝はゆっくりなことが多いので、久しぶりに見る朝日が眩しかったです(汗)。

村山神社に参拝するのはけっこう久しぶりだったのですが、なんと本殿は全て建設用の幕で覆われていました…

昨年の大型台風で何本も木が倒れて、本殿は完全にぺしゃんこになってしまったようです…

再建するためには多額の費用がかかるようで、寄付を募っているようなので、出来る範囲で寄付をさせていただこうと思います。

と、いきなり本殿がそんなことになっていたので、ちょっと面食らったわけですが、本殿以外の全ての社でお参りをさせていただきました。

特別な体験が何かあったわけではありません。

でも、なんとも言えない、心地よさ、清々しさでいっぱいになりました。

神社の駐車場には1本の梅の木があったのですが、もう花が立派に咲いていて、今年はじめて目にする梅の花だったので、しばし梅が香をしっかりかぎました。

本当は最寄りの村山神社だけに参拝する予定だったのですが、奥さんが出雲神社にも行きたい… というので、そのまま車で出雲神社に行きました。

出雲神社は、村山神社に比べると規模も大きく、正月は大行列ができるし、平日でも参拝者が途切れることはないような神社です。

パワースポットとしても有名なところなので、亀岡市民だけでなく、遠方から参拝に来る方もたくさんいます。

うちの家族も出雲神社が大好きなので、正月だけではなく、なんでもないようなときに家族四人で、あるいは夫婦でお参りさせていただくことが多々あります。

でも、こんな早朝にお参りするのは今日がはじめてでした。

社務所もまだ開いてなく、しんとした早朝の神社はとても清々しい雰囲気でした。

ただ、人気の神社なので、そんな時間にも関わらず、僕たち以外にも参拝者はちらほらといましたが…

本殿を参拝した後は、本殿の裏手にある「磐座」にもお参りに行きました。

磐座の前で目を閉じて、立ったままですが、短い時間瞑想もしました。

鳥の鳴く声…

そばの小さな滝の音…

ものすごく気持ちがよくて、幸せでした。

〝いまここ〟には何も問題などなくて、ただ静かで幸せでした。



帰りの車中で、夫婦ともども、ともて気持ちよかったね、明日も行こうね
と、話が盛り上がりました。

と、こんなふうに、本日の記事はまあ…

ただの日記ですね(汗)

でも、久しぶりに更新できたのは、嬉しいです。



実は世界って狭いもので、僕の奥さんの瞑想友達が、このブログの割にヘビーな読者さんだということが最近判明しました。

そして、僕の書いた記事が役にたったようだと聞いて、素直に嬉しかったし、このブログを作ってよかった。書いててよかったと思いました。

このブログには、時々コメントとか、あるいは直接のメールが読者さんから届くことがあります。

欝の方とか、欝になりそうな方とか、パニック障害の方とかからも、よくメッセージとか相談をいただいたりします。

欝は僕も相当苦しんだので、その気持ちがよくわかります。

そして幸いなことに僕は欝から抜け出すことができたので、どうやったら欝が治るのか?
その部分については、僕の経験談を伝えて、それが一人でもいいので、誰かの役に立てばいいな…と思って更新しています。

欝って本当にチャンスで、自分の真我、本質に帰るチャンスです。

僕は欝になって本当に良かった、神の恩寵だったと心から思っています。

欝がなければ、僕はまだずっとエゴにまみれたままフラフラと、プライドにまみれて生きていたと思います。

もし欝にならずに、あのまま調子にのってエゴで生きていたら…

と想像するだけでゾッとするぐらいです。


人生のシナリオって本当に面白いし、よく出来ています。

人生においてピンチは訪れてほしくない… とは思いますが、
同時に、
主人公がピンチにならない映画
とか
無敵で死なないゲーム
がつまらないように
人生にもピンチとか逆境がないと、それはきっとつまらないし、成長も変化もないと思います。

いろんなことが起こるのが人生です。
自分でコントロールできることもあれば、そうでないこともあります。

そして苦しんでいるのはいつだって本当の自分ではなく、自分のエゴです。

人生には善き事しか起こらない。
あるいは
人生には自分にとって必要なことしか起こらない。

僕はそう思っています。

そして、そう思うようになってから、物事に動じなくなりました。

と、かっこつけたいとこですが、実際には、プレッシャーを感じたり、動じたりしてます…あいかわらず!

でも、欝前の僕は、その不安や恐怖と完全に一体化してました。

でも、今は、不安を感じることはあっても、一体化することなくなりました。

一瞬飲み込まれそうになっても、絶対に大丈夫と思っている、もう一人の自分、本当の自分がちゃんといます。

この感覚があるのとないのと
その違いは本当に大きいと思います。


伝える言葉が上手く見つからないんですが、あなたも私も
神・宇宙の意識が、何かを体験したくてこの世に生まれてきました。

僕たちの肉体というのは、ある意味、神の乗り物のようなものです。

自分は弱い… と思っていても、そう思っているのは自分のエゴです。

私たちの本質は神です。

なので、絶対に何があっても大丈夫なのです。


また、明日も更新します。

最後まで読んでくれてありがとうございました。
(*^_^*)


2018年11月20日火曜日

あとは、やるだけ。生きるだけ。鬱抜けの極意

つい先日、大学時代の親友S君と2年ぶりに会いました。

S君は、就職してからほぼずっと海外勤務なので、2年に1回ぐらいのペースでしか会えないのですが、会えば一瞬で大学時代のおバカな関係に戻れる大好きな友達です。

で、今回は、Sくんの友人のA君も同席して飲むことになりました。

僕とA君は、大学時代には面識はなく、卒業後にS君を通じて、過去に1回会っただけの関係です。

このA君が、かなり人生がピンチというか、本人いわく、「今が人生のどん底」状態だと言うことで、僕とS君が彼の悩みを聞いたり、励ましたり… そんな飲み会でした。

くわしくは書きませんが、このA君はかなりのイケメンで
しかも実家はかなりの資産家なんです。

金持ちでイケメンで、大学時代にはスポーツカーに乗っている
そんなリア充代表みたいな人でした。

でも、ビジネスの失敗やら、離婚やらで、現在は悲壮感すら漂っている…

そんな状態なんです。

そういう人生って、最初が良かっただけに、そこからの転落は、かなりキツイと思います。

そんな状況でもなんとか踏ん張っているA君は、偉いな…
と僕は素直に思いました。


で、この飲み会の中で、実は僕もA君もS君も、3人とも過去に鬱病になったことがある

という共通点がわかって、かなり盛り上がりました。


で、お互いにカミングアウトしていく中で、僕とA君には、けっこう共通点があることがわかりました。

ただ、現時点においては、A君は現在も苦しみの中にいて、かなりもがいています。

僕は、今は、何の問題もなくて、嫌味とかではなく、幸せしかありません。

A君はかなり苦しんでいるので、僕は場の空気を読んで、幸せアピール的なことは一切しなかったのですが、S君が僕の現状を説明したこともあってA君からは、真剣な表情で

一体どうやって、その苦しみから抜け出せたの?

そして、どん底からなぜ這い上がる(成功する)ことができたの?

と尋ねられました。


上から目線にならないように注意しながら、その場で僕が答えたのは

「パニック障害とか、欝の時は相当苦しかったけど、最悪死ぬだけ… と思えるようになってから、苦しみから解放されるようになった」

「宇宙と自分の中の神を信じるようにした」

その二点を伝えました。


このブログの読者さんのためにもう少し詳しく説明します。

僕は一時期、かなりのパニック障害を持ってました。

欝の時はもちろんひどかったですが、欝から抜けた後でも、電車の中とかで、突然パニック障害の発作が出ることがたびたびありました。

パニック障害を発症したことがある人ならわかると思いますが、パニック障害の発作って一言でいうと…

自分は死ぬ…

という恐怖が襲ってくる感じです。

うまく呼吸ができなくなったり、動悸が激しくなったり、脂汗が吹き出して、目の前がクラクラしてきて、気絶しそうな…心臓が止まってそのまま死んでしまうような、そんな状態に肉体的にも精神的にもなります。

この時に

ヤバイ!ヤバイ!
とか
たすけてー
とか
なんとなしなきゃ〜!

と思うと、パニックはもっと増幅されます。

でも、僕は欝抜けする時に

僕は宇宙を信じる

今日からは神として生きる

と誓いました。

その誓いをしてからは、僕は宇宙と自分を信頼して、何が起きてもサレンダーしてそれを受け入れよう… そう誓ったし、思えるようになったんです。

だから、パニック障害が出た時には、一瞬だけは焦るし、パニックにもなるのですが、すぐに、こう思うようにしたんです。

うん、最悪死ぬだけ

と。

うん、このままパニックで死んでもいい

そんなふうに開き治ると、パニック障害って不思議なぐらいに、急激に落ち着きます。

多分、30秒から少なくとも5分以内には、気持ちが落ち着いて、平常運転に戻ることができます。

この開き治り

とか

サレンダー

って、人生を楽に生きる上でのキーワードだと思います。


僕は欝の時に、当時住んでいたマンションのベランダから自分が飛び降りそうで、そんな自分を怖く思っていました。

実際に死んでいてもおかしくなかったと思います。

だから、僕の今の人生はおまけ

だと思っているんです。


欝を抜ける時には

宇宙を信頼する

人としてではなく、神として生きる

そう誓ったし、そういう生き方を選択しました。


そして、これからの人生には

良きことも

そうでないことも

当然起こるけど、それは、必要なことがただ起きているだけ

と思うようにしたし、実際にそうだと思っています。


僕は、お釈迦様については、くわしくないですが、多分
ブッダの悟りの境地って
人生への、世界へのサレンダーで
全てを受け入れる…

諸行無常
ってそういうことなんだと思います。

この記事のタイトルは

あとは、やるだけ。生きるだけ。

としていますが、今の僕は、欝を抜けてからは、ずっとそう思って生きています。

2013年の末に欝を発症して、半年から一年ほどで欝から抜けることができて、それから4年ぐらいが過ぎました。

その間、たくさんの良いことがあったし、時には心配なことが起きたり、不安になったりするようなことも起きました。

でも、どんな時にも、ただ今の僕にとって必要な(魂の成長とかに?)善きことが起こっているだけ。

そう思うと、不思議と苦しみは無くならないにしても、かなり軽くなりました。

そして、その時は最悪だ…

と思ったことでも、後になってみれば、やっぱりすべて善きことでした。


そして、この4年の中で思ったのは

やっぱり僕たちが生きているこの世界
三次元の現実世界?
というのは、行動の星
ということです。

やっぱりやらないといけないんです。

瞑想も、スピリチュアルな本も、セミナーも
すばらしいことですが、
それだけではダメなんです。

この世界に生まれてきたということは
神の分身として、
現在の個性ある人生を
体験するため
なんです。

だから、思っているだけではダメで
やっぱり行動する。

そして自分の直感とか本能とかを信頼して
インスピレーションに基いて行動すると
必ず、良い体験ができて、良い結果を得ることができます。

あとは、やるだけ、生きるだけ!

僕は、そんなふうに思って
人生のこれから起きるワクワクを
味わい愛でていこうと思っています。


長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(*^_^*)




happyちゃんからの卒業

前回の記事を書いたのは今年(2018)の3月ぐらいで、その時僕はHappyちゃんを知ったばかりで、かなりハマっていました。

元々が奥さんはじまりで、夫婦ともどもにハマってしまった感じで、Happyちゃんの本も全部買って読んで、Happyちゃんのブログも毎日のように読んで、たくさんアップされている動画もたくさん見ました。

そして、Happyちゃんからもたらされる情報、それは主に「引き寄せの法則」についてですが、当時の僕には必要な情報だったのだと思います。

引き寄せの法則については、書籍「シークレット」が出た当時から、ずっと研究したり実践はしてきていたので、Happyちゃんの理論も特に目新しいわけではなかったんだけど、ハマってしまったのは、Happyちゃんが引き寄せの法則を実践し、それをスゴイ規模でリアルタイムで実現している様子…

それがキラキラしていて、説得力があって、素直にスゴイな…

と思ってました。


4月には東京の高輪プリンスホテルで二千人を集めた
Happyちゃん主催のシンデレラプロジェクトというイベントがあって
僕の奥さんはそのイベントに出演者(ダンサー)として舞台に上がりました。

ダンスなんてやったことのない奥さんでしたが、京都から東京へ3回のレッスンにも参加して、かなりがんばってました。

実は当時は、僕のビジネスがかなりピンチになっていて、経済的にはかなりヤバイ状態だったのですが、かなり無理をして送りだしました。(総額で40万円ぐらいかかったと思います)

ただ、人が集まると、そこにはいろんな価値観の人が集まるわけで、レッスンをしていく中で、かなりイヤな思いをしたりして、本番前には…

もう、参加しない…

そんな状況にも一時はなりました。

まあ、結局、本番のステージには立って、複雑な思いを抱えながらも、良い体験もできたようです。

ただ、Happyちゃんに入れ込んでいた分、燃え尽き症候群的な気持ちになって、夫婦共々、あの熱狂が嘘のように、Happyちゃんから離れていきました。

そして、それから半年が過ぎた現在…

僕の落ち込んでいたビジネスは、再び大ヒットを飛ばして、経済的にはかなり持ち治すことができました。

Happyちゃんがよく言っていたのですが

操縦桿を人に渡してはいけない

自分でしっかり操縦桿を握ること

そんなことを言ってました。


僕たち夫婦は、知らず、結果的にそれを実践できたようです。

一時期は、操縦桿をHappyちゃんにあずけているような、それぐらいの熱狂でしたが、不思議といろんなことが起こって、きわめて自然にHappyちゃんから離れることができました。

そして、再び、自分の操縦桿をしっかりと自分の手で握ることができたんです。

その結果、地に足がついて、多くの問題がキレイに解決して、現在は、何1つ問題がない、ありがたい、充実した状態になっています。

というわけで、Happyちゃんからは卒業したのですが、Happyちゃんには感謝しています。

ネット上には、Happyちゃんについて
ポジティブな意見も
ネガティブな意見もありますが
Happyちゃんも言ってますが
「良い情報だけダウンロード」
すればいいと思います。


2018年3月20日火曜日

Happyちゃん…

最近というか、ここ1年ほどは完全ビジネスモードな感じで、スピ系の本はたまに読み返す程度だし、スピ系のブログとかも全然チェックしてませんでした。

が、本日はじめて知ったhappyちゃんに衝撃を受けました。
↓  ↓  ↓
happyちゃん

happyちゃんのブログはこちら
 ↓  ↓  ↓
https://ameblo.jp/ses-happy/

なぜhappyちゃんを知ることになったかというと…

最近奥さんが、happyちゃんのことをやたらと口にするからでした。


で、本日、Happyちゃんとはどんな人やろ?

と思って、ブログを数記事、動画を数分だけ見たのですが、スゴイ人やなってものすごく興味がわきました。

そして、素敵な人やな… と思いました。

そして一番スゴイ! って思ったのは、このHappyちゃんが4月に開催するシンデレラプロジェクトはかなりのビッグイベントで、その開催費用はなんと…

1億5,000万円

この金額にも驚きましたが、僕が何より驚いたのは、Happyちゃんがブログを始めたのは、2014年の3月で、その時はただの一般OLさんであったこと。

しかもブログ開設初日の訪問者はゼロ人

2日目は3人

そんなふうに、全く無名の一般人がブログを開設して

今日から引寄せの法則を実践して、ブログで每日公開していきます!

そんなノリではじめたブログが今では每日5万人以上が訪れて、

本も三冊出版し

セミナーはもちろん、実店舗を持ったり、壱岐の島に結婚式ができる素敵な家を作ったり、アイドルをプロデュースしたり、巨大イベントを開催しているのです。

まさに、引寄せの法則を現役バリバリで活用しまくっている人です。


スピ系って
アドヴァイタ系とか
難しい方面もありますが、
僕はどちらかというともっとポップな
人として幸せに生きるヒントがもらえるスピリチュアルが好きです。

そして、引寄せの法則ってのは絶対にあるし、もっと多くの人が活用すれば、日本も世界も豊かになるし、宇宙も豊かになって、地上の天国化のスピードも上がっていくと思ってます。

Happyちゃんは、そんな地上天国実現の旗振り役の重要な一人だと思います。

そして、誰でもHappyちゃんと同じように生きることができると思ってます。

たった今、さっそくHappyちゃんの本をポチってしまいました。
↓  ↓  ↓


ブログのほうも、相当記事があるので、掘り起こしていこうと思います。

2018年1月7日日曜日

2018年は再び「奇跡のコース」に取り組みます。

2018年がはじまりましたね。

昨年はあなたにとってどんな一年だったでしょうか?

僕の2017年は穏やかで平和なものでしたが、ちょっとビジネスモードに入りすぎていたかな… という感じです。

もうすっかり過去のことになりつつありますが、僕は2013年の秋に人生ではじめてうつ病を発症しました。

2014年の一年間はずっとうつ病との戦いで、スピリチュアルな本を読みあさったり、瞑想ばかりしていました(あと家庭菜園とランニングとか…)

2015年には、ほぼうつ病からは回復して日常を取り戻したのですが、当時の僕は

悟りたい…

という思いを強くもっていました。

幸いなことに貯金がそれなりにあったので、あまり仕事もせずに、瞑想とかスピリチュアル系の本を引き続き読んでました。

そして2016年の1月1日に、ずっと気になっていた本

「奇跡のコース」

に取り組みはじめました。

奇跡のコース… という本のタイトルは知っている人も多いかと思います。

僕がリスペクトしているエックハルト・トールもそうだし、その他大勢のスピリチュアル系の著者が、目覚めのきっかけとして「奇跡のコース」をあげている… そんな本です。

まさに、スピリチュアル界の原典であり、バイブルのような本です。

本は二冊からなっていて、一冊目はテキストです。

900ページ以上もある、かなり骨太な本です。

二冊目は、ワークブックとなっていて、365のワークが掲載されていて、そのワークを每日1レッスンずつ、つまり一年間通して取り組むレッスンが掲載されています。

僕は、このワークに2016年の一年間、每日取り組みました。

ワークの内容は、かなり興味深く、え〜〜〜〜!

とビックリするような内容がたくさんありました。

レッスンの内容についてはちょっと要約もできないぐらいに多義にわたっているのですが、シンプルに説明するのであれば…

僕の持っていた常識とか固定観念をことごとくひっくり返す内容で
それまでの世界は物事への見方を大きく変えてくれました。

ただ、正直に書くと、ワークに一年間取り組んだからといって、僕の中の何かが大きく変わった… というようなことはなかったと思います。

それは多分、僕は本当の意味ではレッスンの内容を理解していなかったのだと思います。

へえ〜すごいな… とは思いながらも表面的に取り組んでいたというか…

あとは、これも正直に書くと、ワークブックのほうは每日読んで、レッスンに取り組み、読了しましたが、1冊めのテキストのほうは、ほとんど読めませんでした。

なんかこう頭に入ってこないというか、理解が難しかったのです。


そして、2017年は、奇跡のコースを開くことは一度もありませんでした。

悟りとかスピリチュアルは一度脇に置いておいて、現実に向き合い、ビジネスモードに入っていたからです。

ただ、今年、2018年の正月にずっと本棚に置いていた奇跡のコースが突然気になって、よし、今年は再び「奇跡のコース」に取り組むぞ! という思いが自然に湧き上がってきました。

そして、今回はレッスンに加えて、テキストのほうも每日3ページずつでもいいから読了しよう!と思って每日読んでいるのですが、この内容が今回はスラスラ入ってくるのです。

前回はどうやっても頭に入ってこなかった文章が、今回はページをめくる手が止まらないぐらいの感じで、もっと読みたい! すごい!

って感じです。

本って、やっぱり読むべき時期とかタイミングってあると、あらためて思いました。



本日、当ブログを更新しよう…と思ったのは、ワークブックのレッスン7

私は過去だけを見ています

という内容をシェアしたいと思ったからです。



実は、私も、そして多分あなたも、本当に過去だけを見ているのです。


僕はうつ病から回復していく過程で、自分の築きあげてきたもの

立場とかプライドとかが全て崩壊しました。

それはまるで、それまでの自分が一度死んだような感じでした。

そして新しい自分に生まれ変わったような感覚がありました。

欝になるまでの僕を今振り返ると、完全に別人だったなと思います。

他人の目線、他人の評価を常に気にして生きていました。

そして、知らず多くの人を傷つけていました。


あの頃の自分に比べたら、現在は本当に多くのものを手放すことができたと思います。

かなり自由だし、心も軽く、每日が幸せです。

でも、やっぱり昔のクセというか、いまだに多くの課題が残っています。


ずっとそれにとらわれ続ける… ということはないのですが、フトした瞬間に、

怒りとか
悲しみとか
寂しさとか
不安とか

そういったエゴが湧き上がってきます。

何か特定の場面やシチュエーションになった時に、そういったエゴは湧き上がってきます。

それはどうしてか?

その理由は過去に同じような場面で辛い体験をしたことがあるからです。

本当は私もあなたも無敵で、いまここに置いては全く問題はありません。

でも、奇跡のコースにそう書いてあるように、私たちは過去だけを見ています。



上司に起こられたくない

親には認めてほしい

友達に裏切られるのは嫌だ


そんな思いは誰でも持っているかもしれません。

以前の僕はそんな思い(エゴ)を強くもっていました。

でも、人間ってなんでそうなっちゃうんでしょうか?

世界は愛に満ちていて、人は信用していいし、本音で生きていいはずの世界です。

でも、実際の現実社会では、誰もが鎧に身を固め、本音はなかなか見せません。

それはたぶん、私たちの中に傷ついたトラウマのようなものがあるからです。


今朝、奇跡のコースのレッスン7「私は過去だけを見ています」に取り組んでいる時にふっと昔の辛い体験を思いだしました。

なぜか思い出したのは、幼いころに通っていた「合気道」の道場での出来事です。

道場に通いだした頃に、先生と話している時に、僕が「うん」と返事をしていたら、それまでずっと優しいイメージだった先生に、かなりキツイ感じで

「ウンじゃない! ハイだ!!!」

と、怒られた場面がフッと湧き上がってきました。

もしかしたら、これが人生で初めて(親以外に)怒られた体験かもしれません。

その時の怒られて萎縮した感覚は今でも覚えています。

先生とか、年上の人は偉いので、敬語を使わないといけない…

そういう価値観、世界観の始まりだったと思います。

その後も、部活でも理不尽な先輩とか、めちゃくちゃな上司とか、いろんな体験をしてきましたが、それでも「上司に嫌われたくない…」というエゴが僕の中にあるのは、きっと幼い頃の、あの合気道道場でのトラウマ体験があって、あんな思いはしたくない… というエゴが自分の中にあるからだと思ったんです(ワークをしながら気づきました)。


ほかにもいろんなことがつながりました。

親から嫌われたくない…

僕の場合、そのエゴの原点は、三才ぐらいの時に、親戚一同が我が家にあつまったパーティーで、嬉しくなってリンゴにマヨネーズをつけて食べようとしたら、それまで一度も怒ったことがなかったような父が突然ブチ切れて「もったいないことをするな〜〜〜!」と、すごい剣幕で大声で怒られたことです。

かなりショックでした。

今わかるのは、普段起こらない父があれだけ怒ったのは、親族の前だったからだと思います。

食べ物で遊んで無駄にしようとしている我が子を親戚の手前、放置できなかったのでしょう。

要するに、そこには愛とか教育はなくて、きちんとした親であることを親族に見せたいというエゴでしかられたということです。

でも、僕は、そのリンゴで遊んでいたわけでもないし、無駄にするつもりもありませんでした。

ただ、親戚がたくさんいて、嬉しくなってテンションがあがって、リンゴにマヨネーズをつけて食べることで、注目を集めたかっただけなのです。

もちろん、そのリンゴは食べるつもりでした。

でも、リンゴを取り上げられ、全員の前で一括されたことで、僕はほっぺたをプルプルとさせて泣きたい気持ちになって、その後のパーティーを一切楽しむことができませんでした。

いまだに僕の中には、親に対する複雑な思いが、何かの瞬間にフト湧き上がることがあります。

そして、その原点はきっと、あのリンゴ事件だったと思うのです。


なんか個人的な思い出をつらつらと書いてしまいましたが、きっとあなたにも、特に子供時代に体験したなんらかの痛みとか辛い体験があって、そういった体験を重ねて大人になっていく過程で、

人に嫌われないように

人に好かれるように

本当の自分を出さないように

している部分もあると思います。

だって、人に嫌われたことがない人間は「人に嫌われたくない」という発想自体が起こらないと思います。

本当の自分が出せないのは、過去に本当に自分を出して失敗した体験があるからです。


奇跡のコースのレッスン7「私は過去だけを見ています」に取り組みながら、そんなことを思ったので、急いでブログに書きました。

僕の中にもいまだに、ずっと心の底にかかえている痛みを伴う体験が残っていることがわかったんですが、そんなエゴとか思いはもう、どんどん手放していこうと思います。

本当に自分でいたいし、本音で生きたいです。

本音を出して、痛い目にあったこともありますが、それは過去のことです。

今度は、本音を出したら、もっと打ち解けあう… そんな未来が広がっている可能性もあるのです。

過去はもういいです。

いつでもニュートラルな気持ちで、いまここを楽しんでいこうと思います。