昨日の記事「死んだつもりで生きてみる」において、
◯常に死を意識して、今という瞬間を楽しみ、人生を充実させる
ということについて、僕自身が一度死んだつもりで開き直ったら欝が治った…
という体験を書きました。
記事を書いてから一日たって、もう少し補足したおきたい事が出てきましたので、そのことについて本日は書きます。
■自分が何者なのかわからなくなってきた
うつ病以前の時から、僕は信仰をもっていたし、スピリチュアル系の本も好んで読んでいました。
ジェームス・アレンの「原因と結果の法則」シリーズとか
ニール・ドナルド・ウォルシュの「神との対話」シリーズとかも、発売当時(20代の時)に読んで、なるほど… などと思っていました。
ただ当時は読み方が浅かったと思うし、精神世界の本を読んでも、常に自分が信仰している宗教の教えと比べてみて、宗教の教えと本の内容が一致していると、「なるほどそうだ、そうだ!」と思い、一致していないと「なんだかこの内容は違うな…」という読み方をしていたと思います。
でも、2013年の秋にうつ病を発症してからは、精神世界の本の読み方が全く変わりました。
とにかく救われたい一心で、すがるような気持ちで読みました。
そして意識していたわけではないのですが、今になって気がつけば僕が読んでいた精神世界の本は、ほとんどがアドヴァイタ系(非二元論・悟り系)の本でした。
ラマナ・マハリシ、エックハルト・トール、アジャシャンティ、ガンガジ、などなど…
それらの本に書かれていることは、はっきり言って僕にとってはかなり衝撃的なものでした。
いままで信じてきた神道の教えとも重なる部分もありましたが、神道の教えには収まりきらない教えも多く、正直ボクの理解を超えている内容ばかりが書かれていました。
アドヴァイタ系の本には、切り口は違えども、大体一致している内容としては…
悟りこそが人生の目的である
悟りは遠いどこかにあるのではなく、自分の中に悟りはある
自分というものは存在しない
この世には善も悪もない
ほとんどの人はエゴ・マインドによって自ら創作したストーリーの幻想世界に住んでいる
あなたと私、神と私という分離感はマインドが作りだした幻想、全てはワンネスで同じ命でつながっている
悟りに努力はいらない、求めれば求めるほど悟りは逃げていく
悟りとは気付きである
この世は幻想世界
人生とはスクリーンに映しだされた幻想、映画が終わっても変わらずそこにある真っ白なスクリーンこそが自分であり、永遠なる意識
人生とはゲームであり、この世界は壮大なるジョークである
全ての人にはカルマがある
ダルマの流れにまかせればすべて上手くいく
何をするかよりも、どう〝在る〟かが大事
あなたはただ〝在れ〟ばいい
天国や地獄など存在しない
真我こそ本当の自分で、あなたが神なのである
あるがままで在るのがよい
などなど………
ちょっと話しがぶっ飛んでいて、正直、最初は信じられないというか、かなり混乱してしまいました…
僕はそれまで、もっと伝統的な神道の教えを信奉していましたので、余計に混乱してしまいました。
正直、真我という言葉もこの時はじめて知りました。
これらの本にかかれていることが真実なのかどうかはわからないけど、もし本当であれば、すごいことが書かれていると思いました。
ただ、そこに書かれている内容は僕が39年間信じてきた信仰の教えとは、かなり違う部分があり、自分でもどう消化してよいかわからず、でも、真実の圧倒的なパワーの前に、僕の信仰感とか人生感とか価値観は大きく揺さぶられました。
そして、それらの本には
「今まで自分が現実だと信じてきたことを全て疑え」
「あなたは、あなた自身のエゴ・マインドが創りだしたストーリーを信じ込んでいる」
とも書かれていました。
僕は、今まで39年間、ずっと信じて、見て、感じて、喜怒哀楽をもって生きていたこの現実世界を一度、幻想だったと過程して、冷静に見てみようと思いました。
でも、それは自分のこれまでの人生を、そして自分自身を否定するようで、本当に恐ろしくもあったし、頭がおかしくなりそうな恐怖もありました。
でも、今の僕はうつ病で、そもそもがおかしくなっているし、メンタルクリニックに通ったり、薬を飲んだり、神さまに祈ったり、できることは全部やって、打つべき手は打って… でも欝は全然よくならないし、もう最期の手段として、自分の人生が幻想だったと仮定して、自分のマインドから一歩離れて、自分のこれまでと、自分自身を観察してみることにしました。
■マインドと一体化していた幻想の自分の死
自分の人生を否定するような作業に取り組むのは困難でした…
そして、途中からはもう自分が何者なのか… 世界の真実は何なのか… すべてがわからなく混乱してきて、頭がおかしくなりそうになりました。
言うなれば、自分が生きてきたこの世界が根底からガラガラと崩れてていくような恐怖がありました。
「精神世界の本を読みすぎて、頭がおかしくなっていっている… 真我も悟りも幻想だから、そんなことはやめて、早く社会復帰できるように、現実世界にもどれ!」
という声が自分の中から聞こえてきました。
この時に、真我探求や悟りを求めることを一切やめたほうがいいかも…
と何度も思いました。
でも、僕はやめませんでした。
なぜなら、マインドが最も恐れているのは、マインドの正体を見破られることです。なので、悟りや真実を求め始めると、マインドはそれを全力で阻止してくるのです。
僕が読んできた本には、そういったマインドの罠についても書かれていたので、
これこそがマインドの罠か?
と思いつつ、自分の思考を観察すること、
これまでの人生を振り返ること、
自分の中の真我につながることを、求め続けました。
そして、最後には僕はついに死にました…
といっても、それは本当の僕(真我)ではなく、僕が僕だと思っていた幻想の僕(マインド・エゴ)の死でした。
■思考が作りあげていた僕の人生
最終的に、僕は
僕だと思っていた僕は、僕ではなかった…
という真理に到達することができました。
そこに至るまでには、様々な障害があったり、かなり苦しい作業ではあったけど、
多くのスピリチュアルティーチャーの本を通してのメッセージが僕を真実へと到達させてくれました。
また、メンターさんからのメッセージにも何度も助けられました。
エゴやマインドがどれだけ巧妙でも、真理に勝つことはできません。
思考だけで生きている大人たちの住む、思考にあふれた世界で、僕もまた思考だけで生きてきたことがはっきりとわかりました。
宗教に対する信仰もまた、スピリチュアルなエゴとマインドを強固に築いていたことにも気が付きました。
宗教は、僕たちが真理に目覚めるための入り口ともなってくれる素晴らしい面もありますが、宗教的エゴというか、この世界で最も強烈な思考の支配力を持っているのも、また宗教であるということがはっきりとわかりました。
(もちろん、エゴのない愛と善と真に満ちた純粋な信仰は尊いものです)
僕は僕(エゴ・マインド)として、精一杯にこの世界で生きてきました。
でも、いつでも、自分は自分、あなたはあなた。私と神… という分離感で生きていました。
人を悪く思ったり、挫折したりしたことを、後悔したりしてきましたが、それらは全部、僕の思考が作り上げたストーリーであったことがはっきりとわかりました。
でも、それらの体験もまた、
僕にとっては必要なプロセスであった…
ということもはっきりとわかりました。
そういう理解ができると、僕の今までの人生には何一つ無駄はなく、失敗が失敗でなくなり、後悔が後悔でなくなりました。
僕は僕でよかったんです。間違いは一つもなかったのです。
(もちろん、
あなたもあなたでいいんです。
あなたが今どんな状況にあるとしても、
間違いは一つもありません)
この真実は本当の大きな救いとなりました。
まさに神の恩寵でした。
僕は現在40歳ですが、もし欝にならなければ、僕は人生の後半戦もきっとエゴ・マインドのままで生きていて、終わりのない苦悩に生きていたと思います。
でも、僕は幸いなことに欝になったことで、真理をつかむことができました。
だから、僕は何度でもいいます。
欝は神の恩寵である。
と。
本当に壮大なシナリオを神さまは用意してくれていたものだと思います。
欝になり、そして真我を知り、マインドを見破り、真理を知ることで、それまでの自我人間の僕は死にました。
エゴでがんばって生きてきた自分… たいへんだったね… ご苦労さんだったね… エゴでがんばって生きてきてくれてありがとう… という感謝の気持ちをもって、僕はそれまでの自分(エゴ・マインド)にサヨナラをしました。
■本当の人生がはじまる
そうやって、今、僕はあるがままの本当の自分(真我)として生きることができるようになりました。
(といっても、エゴもマインドもちゃんと?残ってます…(^_^;)
ただ、それに支配されることはなくなりました)
今までは、何かアクシデントのようなことが起きると、条件反射的にエゴとマインドで反応していましたが、今はそのようなことはほとんどなくなりました。
また、人生には必ず苦手な人というのが、どの時代にも、どの場所にもいたものですが、この目覚め移行は、感謝する人はいくらでもいますが、苦手な人は1人もいません。
本当に不思議なぐらいに、会う人すべてが素晴らしい人ばかりです。
この現実世界は、100パーセントあなたの心の反映です。
不信感は不信感に満ちた世界を生み
愛は愛に満ちた世界をつくりだします。
■私は死にました【まとめ】
あなたが現在、欝を患っていたり、あるいは欝ではないとしても、大きな悩みや苦しみを抱えているとしても安心してください。
苦しんでいるのは、本当の〝あなた〟ではなく、思考とマインドで条件反射的に生きている偽りの〝あなた〟です。
どんな状況にあっても、どんな人間関係の問題があっても、どんな経済的な苦労があっても、それらの問題や苦しみを作っているのは、あなたの思考でありマインドです。
この苦しんでいるのは本当の私だろうか?
私に見えているこの世界は、本当に真実なのだろうか?
あふれる情報に飲み込まれ、思考で条件反射的に生きている自分を一度疑ってみてください。
そして、一度立ち止まって、とことんまで、自分の内面深くまで入っていってください。
全て自分が作り上げたストーリーであったと仮定して、ただひたすらに〝いまここ〟に集中してください。
そして、外にいる神さまではなく、自分の中に神さまがいる、さらには自分自身が本当は神なんだ… ということを、たとえ信じられなくても、一度仮定してみてください。
そして、この世界に善悪はなく、自分はただ体験するために(良きこともそうでないことも)この世界に生まれてきたのだと仮定してください。
過去も未来も考えないでください。
その時、まさに〝いまここ〟にただ〝在る〟自分には、
全く何の問題もない
ということが腑に落ちます。
■編集後記
今日もあまりテーマを決めずに書きだしたのですが、スラスラと書けました。
今日書いた内容は、多くのスピリチュアルティーチャーがいっていることであり、また僕が実際に体験して腑に落ちた部分です。
エゴ・マインドで生きてきた自分とはいえ、自分が信じてきた世界と、自分自身を捨てることは、たいへんなことでした。
でも、その壁を超え、幻想を見破ることができると、驚くぐらいに不安や恐怖のない、穏やかな世界が広がっています。
そして、世界は崩壊せずに、今まで通りにちゃんと世界はまわっています。
ただ、見え方は変わってきて、
世界も自分もあるがままでOKなんだ…
というふうになり、無理がなく、自分らしくナチュラルに生きられる世界になります。
■おすすめの本
僕がエゴの自分にさよならをしようとして、そして思考で作り上げた世界が崩壊していって、頭が一番混乱していた時に、力になってくれたのが、
アジャシャンティさんの本「あなたの世界の終わりでした」。
当時はただすがるような思いで読んでいたので、内容はあまり残っていなかったのですが、今、再び読み返してみると、スゴイことが書いてあります。
悟った後のことを主題に書かれた本ですが、その部分について書かれた本は意外に少ないので、貴重な本だと思います。
アジャさんは7歳の時に、大人は思考を現実と信じこんで生きている(クレイジー)と見破ったような人で、瞳の澄んだ、まさに覚者という人で、大好きな人です。
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2 件のコメント:
大いなる恩寵に包まれて byアジャシャンティ
も、素晴らしいです。ぜひ読んでみてください。
温さんへ
あゆむです^^
はい、「大いなる恩寵に包まれて」は、僕も大好きでかなり時間はかかりましたが、ゆっくりじっくりと読みました。
何度でも読みたいし、そのたびに新しい発見がある本ような本だと思います。
また、ゆっくり読ませていただきます。
あゆむ 拝
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